二十八歳

なかおちさと

 ただいま。只今、帰宅した。黄金町駅前でタクシーを拾い、平戸桜木通りを車窓越しに眺めての帰宅だ。家人は誰もいない。仕事に忙しいのだ、彼女は。

 二週に一日の病院通いだけが二十八歳の決まりごとになっている。前回の血液検査の結果ですがね、ウィルスなんかに冒されている心配はないようです。だから微熱はいつもの自律神経の問題でしょう。それとガンマGTPの値が高いんですが、アルコホルなんか飲んでます? 違いますか。そうですね、あなたの場合は普段のお薬の量も多いものね。肝臓の薬も出しているんですけれどね。それと、貧血の値が出てますね。

 貧血?

 貧血まで血液検査で分かるものとは知らなかった。病理学上の貧血というのも中々、想像しづらくて困る。まあ、グレー・ゾーンなので大丈夫だとは思いますがね。いや、そのグレー・ゾーンというのも想像できない、これまた。とりあえず微熱を帯びた身体のためにカネボウの葛根湯が処方された。薬局で買うと勿体ぶって高値がついているこの漢方薬をタダで処方していただく。最近、お昼間に無闇と微熱を帯びて困る。病院でいただく薬の窓口負担はすべて無料となっている。行きがけの書店にてぼくにも処方されている薬を題材にしたマフィアものの小説が平積みになって置かれていた。違和感が拭えない。あんな薬は、無料の薬、タダの薬。劇的なものではないにして、劇にはできないものを劇にして得意気な著者は馬鹿だ。ヤクはベンザリンだってさ。依存症? ヤク中を気取れるほど、たいした効果はないのに。著者は、ベンザリンそもそもの効用でただただ深く眠った方がいい。依存、中毒、依存、そういえば、

そういえば最近、やたらと甘いものばかりを無闇にいただく。ほぼ、毎度の食事の替わりになっている。ペット・ボトルの清涼飲料水。彼女の部屋から、あの自動販売機までの道のりがちょっとした旅だ。まず、部屋着を脱いでジーンズを履く。重い鉄扉を開ける。「流石」という形容は不自然だろうが、なるほど、さすが外の空気が塊となってぼくの身体を打つ瞬間には日頃のPC生活にはない不自然な爽やかさを感じる。存分に部屋になだれ込むがいい。しかしなだれ込んで欲しいのは外気だけ。泥棒や押し売り、読売新聞の勧誘と彼女に纏わりつくストーカーなどの類はまっぴらと、用心のためにカギを掛ける。この少々が面倒くさい。ぼくのキィ・ホルダーには、只今、実家のカギと彼女の部屋のカギ、ふたつがぶら下がっている。双方、よく扉を見定めて正しい形のカギを差し込む。さて、夏。アスファルトは貪欲に日射を喰らっているのだろう、熱い。小道、約五〇メートル。貧血と診断されるだけあるわたしの歩み。陽炎になびく。二十八歳の空はどんなだろう。金子光春が好きだ。好きな金子光春に二十五歳を詠った詩がある。二十五歳、それは碧天のエーテルの波動を乱打する。二十八歳の、それは、碧天といえど光化学スモッグが心配される。眼球が陥没するような痛みを覚える。夜空とて星も瞬かない。一面群青。二十八歳は素朴詩の材料に乏しい。狭い車道を自家用車が行交う。この町は鉄道に不便しているせいか、自動車が歩行者のぼくを脅かして止まない。少々の危険がないと旅とは言い難い。迫りくる乗用車。助手席にぬいぐるみを座らせている女性ドライヴァーがぼくを横切る。無機物に助手席を勧めるあなたのような女性と知り合いでなくて本当に嬉しい。自動販売機に辿り着く。用意した小銭をコイン投入口に落とし込む。ネエ、手ガ震エテイルヨ? 光化学スモッグのせいだ、いや、見えない星々の波動、つまるところ貧血の兆候なのだろう。

 ここ、横浜市南区中里とは、鎌倉年代に建立された弘明寺の別所。その下に広がる農民、貧民たちの住処、つまり「中里」であったのだろう。アスファルトで舗装してみても、もと山深かったことを地形が知らせてくれる。大手の土木業者が根こそぎ地上げして、いま一度舗装作業をし直してくれない限り、この土地の「お里」は隠せないだろう。血に貧しいと読むか、血が貧しいと読んでみようかとあれこれ空想して、ただいま。只今、帰宅しました、家人はいない。命からがら手に入れた清涼飲料水のボトル口を捻って開ける。ひとくち、甘い。

 JR関内駅の傍に位置する病院からの帰り道こそ辛い。最寄りの京浜急行線を求めると、日の出町駅になる。しかし、病院から日の出町駅までの道のりには伊勢佐木町を抜けなくてはいけない。この町、商店街がひとの気を狂わせる。かってもいまもヨコハマ隋一の歓楽街だ。クロサワの「天国と地獄」にもこの町が登場する。それがモノクロの映像だからこそ、この町の、いま、斜陽と切り結ばれる。かつては日本のマフィアが仕切り、いまでは韓国のマフィアが中国系マフィアからこの町を死守しようと懸命だ。その懸命さが頭痛を催す。伊勢佐木モールの所々には休憩にも、本格的な睡眠にも適したベンチが用意されている。一区画、町を過ぎるごとにぼくはベンチを求める。コンビニで緑茶を所望。入り口に紙切れが貼られている。皇太后様のご逝去に際して追悼の念を捧げますというA3大のコピー紙だ。そう、以前は「Yデー」と謳われたのに、コンビニの入り口以外には、この世になんの変化もない。そういうシナリオに変わったのねとベンチ。緑茶にてデパスを二錠、セデスを二回分一度に飲み込む。落ち着くと少しだけ世界が見えてくる。町行く人の半数が知らない言語を話している。髪の根元は黒いのに金髪にしている女性はロシア人。同属の黄色の方々となると、果たしてどこからいらしたのか、候補地が多すぎて見当がつかない。いずれにしてもここはすべて韓国のマフィアの領域だなどと、思考は一瞬の閃きに頼ってばかりで落ち着くことを知らない。散文詩向きの言葉が生まれ、しかし、散文にまで展開できない。ああ、木陰の恩恵、日よけをありがたくして落ち着こう、そういえばこの町の空気の密度、その濃さときたら日よけ傘を差すご婦人が多いのも頷けるなど発見ばかりで落ち着かないのだ、この町の散策は。背広姿のおっちゃんが横に腰掛ける。嘆息しながら、咥え煙草。いそがしいのか、閑なのか。落ち着きなさいよ。歳はいくつ? このおっちゃんが滲み出ている、くたびれた青年の御歳は幾つ? 金子光春、「二十五歳」。

 二十五歳の行楽は、寛やかな紫煙草の輪に環かれている。

 二十五歳の懶惰は金色に眠っている。

 二十五歳に「三」を足した二十八歳でも同様だなんて、二十五歳から「三」を引いた二十二歳のぼくは知らなかった。疲れた足取りで日の出町駅を目指すのだが、こころがそちらに行かない、行けない。クロサワの「天国と地獄」では、華やかな伊勢佐木町を抜けてその後、貧民窟の黄金町へと舞台が移る。カメラ・アイの興味に誘われるとシナリオ設定はいまも変わらない。「天国と地獄」。ひと駅分。余計に歩いて黄金町駅を目指そう。大岡川が流れている。柳美里は「ゴールド・ラッシュ」にて、最近の大岡川をあえて書かなかった。その事実があの作品の評価を左右することにはならない。それでも、只今の実際は、鈍色といえども、日が差すうちは川底がきちんと覗けるほどに川水はきれいになった。夕暮れを過ぎる頃、川面はやはり鉛色となる。ただ以前と違い、川面は夕暮れのそよ風に敏感に波立つ。川が川として新しく生き返りつつある証拠だ。きちんと手入れされ、磨かれた鉛のように、街並みのネオン・ライトや蛍光灯を川面に浮かばせる。海が近いために、この辺りは潮の香りで充ちている。柳美里が描いた古くからの女衒はどういった行政の知恵か、平成不況のあおりか、勢いを亡くしている。取り壊された女郎屋は建築材の鉄壁で覆われている。この施工工事は行政の指示を匂わせる。古い女衒の替わりにと、新興の風俗店が軒を連ねて久しい。この辺りでは日本人の肉と資本を中国系のマフィアがおいしく貪っていて、川面にネオン・ライトがさざめいて綺麗。そういえば最近オウムの本部がこの土地に移って以来、機動隊が昼夜問わず見張りに立つ。女衒も潰えるはずのこの街にも、星は瞬かない。ただ川面を覗けばいい。ひとの光が溶けて揺れている。詩集が手元にない。替わりに潮の香りを嗅いで、川面を眺める。飽きたら月を探す。空と、川面に。川縁で眺める月が誘う寂寥感たるや! 散文的な思考は波に千切れてしまう。よって自然と脳裏にちいさな詩集が開かれる。二十八歳。聞きなれない言語を交わすおんなふたり連れ。二十八歳の愛欲はどんなに求めるだろう。いいえ、たいして求めません。水面に浮かぶ月の陰影の豊かな風流ほどに、求めるものはない。月、それも無機物。して、豊かとは? 鬱が誘う感傷のせいでしょうか。つまり、おんなふたりより月というソイツは、ただいま二十八歳たる、ぼくだけの事情でしょうか。

散策の終わり、黄金町駅に辿り着くと、鉄道の煩さが汚らしいものに思えて仕方がなくなる。それに貧血。そう、ぼくは今日から貧血を宣告されたので、道端での卒倒に備えなくてはいけません。それに様々なマフィア連中から身を守るだけで本日はとうに疲れきってしまいました。駅前でタクシーを拾う。六ッ川のセブン・イレブンを左に曲がって中里の方へ。六ッ川のセブン・イレブン? ああ、あの、昔、石屋があったところ? ええ、そうです。昔、石屋があり、ぼくが五歳の頃まではあの辺りで、よく牛さんの朝の散歩が見られたものです。そう、昔の六ッ川は、きちんと六つの川に仕切られていて、平戸桜木道路も行き止まりに大きな木が一本聳えているだけで、ええ、そうしたものは、いまではみんな失われて行きました。消えてしまったんですよね。いいえ、

 いいえ、ひとがアスファルトで舗装したのです。すべて、潰えてしまいました。あたらしい潰えてしまうものを造ってみたのです。アスファルトにて、ひとが。費える二十八歳の、二十八歳の懶惰までも、ただいま、家人の帰りは遅く。二十八歳の部屋は、彼女の世帯で、当の世帯主、彼女はいまだ仕事から帰らず、只今、金色に眠っています。懶惰、らんだ、懶惰を伴に、二十八歳の好尚の風流。

二十八歳、七月一〇日の供述

なかおちさと

精神科の待合室に、珍客がいた。どこから見ても女子中学生、それも低学年のコ、ふたり連れである。大きな眼鏡をかけたコ、ひとり。天然パーマとおぼしきコ、ひとり。さてどちらかが患者か、ふたりとも患者か。それにしても、何用か? こんな病院に。

視線をそらすと、新聞の切抜きをさらにカラー・コピーした紙切れが貼られている。見出しには「当院の特徴 アルコール依存症患者をグループ・ミーティングなどでケア」。サンケイ・スポーツが院長先生を麗しき中年男の上半身写真付で紹介している。そう、この病院の界隈には寿町がある。関東平野の山谷、山「谷」だ。アルコール依存症患者は主に寿町、「コトブキ」から来院する。おっさんのひとりごと、誰かに、何かを怒鳴りつけている。受付窓口で自分の番はいつかい? 看護婦を悩ませる。かくあるわたしは片隅にて、先刻より頭痛に悩んでいる。それにしても、何用か? こんな病院に。

院内にはJAZZが静かに流れている。そう、JAZZでなくてはならない。拡散を志向し、解体を余儀なくされ尽くしたJAZZでなくては患者たちが落ち着かない。モーツワァルトは胎教にいい。そんな神話が昨年、覆された。当たり前だ。あんな合目的な楽曲では駄目だ。こんな病院では。院内の天井に仕掛けられたBOSE社製の上等のスピーカーがスネア・ドラムを転がす。おっさん、座れ。黙れ。みんな順番に辛抱しているぞ。中学生のこどもたちまで。

わたしの名前が呼ばれた。一瞬、JAZZが掻き消された。さて、診察。今回は喋ることがない。仕事を変えました。こんどは接客業なので右耳の難聴が絶対にナニか問題を起こしそうで怖いです。そうね、補聴器は保険が利かないからね。また、採血をしておきましょう。やはりガンマGTPの変化を観ておきたいのでね。先生、わたしにアルコールの心配はありません、とは言えない。診察室を退室して女医さんの命に大人しく従う。左腕に注射針。ニードルが一番高いんだと、音楽の先輩が言っていた。野郎はアホだ。死ねと恨みながら、どうも失礼しましたと採血室を退室。女子中学生はまだいる。何用なのか? この病院に。

今日はカウンセリングと心理テストですから四七五〇円です。眼鏡のコだけが財布を開いて勘定を済ます。天然パーマのコは優しく彼女の眼鏡を見守っている。そうかい、診察はなかったのかい。よかったね。それは、まだ、でも、しかし、ダイジョウブってコトだよ。でも、気をつけなよ。心理テスト、あのロールシャッハって奴かな? ぼくもやった。至るところに女陰が確かめられて、そして、本当に怖かった。まあ、いいか。わたしは処方箋を待っていた。処方箋だけを待っていた。JAZZが流れ、環境BGVまで大きなブラウン管に流れ、そのくせこの病院は気取ったところがない。気取るとコトブキのものたちは敷居を高く感じてしまい、それこそ台無しだろう。母親を殺害した十六歳の少年の逃亡経路が判明。女子中学生ふたり連れは楽しげに待合室を退室する。座った席の目の前になにやら真っ黒くて、カステラ箱大の電子掲示板が目の間に鎮座ましましている。母親をバットで殴打し、殺害した十六歳の少年、自供を開始。訴求効果の高いテレキスト・ビジョンと謳われたその装置は、BGVを放映するブラウン管の上に置かれたコンパクトな文字放送の装置と分かった。天気予報や時事ニュース、スポーツ速報を電子文字にて知らせるものらしい。おそらく電話回線で繋がれているのだろう、原始的な電子掲示板だ。しかしあのふたり連れ、ふたりともがいじめの問題についての相談のためにカウンセリングを受けにきたとしても不思議ないほど痛ましかったと、彼女たちが退室するのを見届けてから、残酷な内言を洩らす。今夜は台風一過のため、東京地方には星空のマーク、☆が光る、テレキスト・ビジョン。月を眺めてお家に帰ろう。室内にはJAZZが甦っていた。わたしの診察はしどろもどろに終わった。星空マーク、☆を望んで、いまいちど、目前のテレキスト・ビジョンに目やる。少年は逃走中に公園などで野宿していた模様。ここに至り、わたしのわたくしが内破した。わたしは☆さえ確認できれば充分だった。なのに、わたしがソノコト、ヨソノコト、少年の逃走経路を知っていなくてはいけない道理はなんだ? ひとつもない。十六歳の少年が母親を殺したというトピックだけでわたしにはまったくコト足れる。なのに、なぜかしらん、少年の、少女ふたり連れの何用かを知る必要には差し迫られてはいないのに、なぜ教えようとするのか? 少年は日本海沿いを北上。いつまで続けるつもりか? 院内には患者にふさわしくスピーカーから上等なJAZZが流れて、しかしそのJAZZは看護婦が処方箋を渡すためにわたしの名前を呼ぶその声に、俄か、ひととき、掻き消された。台無しだ。供述によると、少年は逃走中に自転車三台を盗んだ疑い。それではすべて台無しだ。

 それではすべて台無しではないか。