基本、すんごい放置しています。
AmebaやFacebookで日記を書いています。
割と精力的にね。
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2010年5月より特発性拡張型心筋症を発症いたしました。
所謂「難病」です。
それでも音楽活動は続けています。
引き続きご支援していただければ嬉しいです。
なかおちさと(ソニマージュ・レコーズ)
20141016
【 ナイチンゲールの棘 】
れらちゃんとの思い出に少々苦いものがあり、そのことが棘として胸につかえています。
今年、ガザ地区をめぐる凄惨な出来事にこころ潰されそうな日々に新曲が生まれました。
「ナイチンゲール」
その曲のサビのラインが、お花屋さんに勤める彼女には余りに申し訳ないものでした。
「天使とは美しい花を振りまく者ではなく 天使とは苦悩に寄り添いたたかう者 覚えたてのナイチンゲールの言葉を噛みしめて 夜を密輸して 傷痍兵に眠りを授ける」
月例の「忘れたいのに思い出せない」で、即興を交えて生まれた歌でした。
その場にれらちゃんがいて、ステージ上でこのラインを歌うぼくのことをしっかりと見据えて聴いていました。
その日、彼女は競演の安藤さんのために素敵な花束を編んで手渡していました。
その光景を見届けた後に、このライン、「天使とは美しい花を振りまく者ではなく、天使とは苦悩に寄り添いたたかう者」と歌う決断は本当に苦いものがありました。
いま、ステージから客席にいるあしりれら、れらちゃんの耳をすませている姿を見ていたことを思い出すと、どこか怖ろしい気分に牢されてしまいます。あの時、本当に真剣にぼくのステージを見つめていて、そう、あの眼差しのひかり。
彼女が東京に再上京して、念願のお花屋さんに勤められた喜びをぼくは分つように知っていたのに。
先日のお別れ会で最後の対面をしたときも、この歌のサビが脳内でフル回転していました。
棺にお花を納めて最後のお別れをする儀式の最中も、覚えたてのナイチンゲールの言葉を噛みしめていました。
新曲「ナイチンゲール」の歌詞をFacebookに載せる際にも、お花屋さんの彼女にはとてもとても申し訳ない気持ちがありました。でも、彼女はその記事に「いいね」をクリックしてくれました。
いま、ぼくの病床の脇には、あしりれらが遺してくれた花々が咲いています。
この先、いつまで未来は続くのかと考えることしきりです。余りにナイーブに過ぎて、「囚われの身」になりきり過ぎ。
もっとがさつじゃないとナイチンゲールの棘に息が切れてしまうでしょう。
友人を亡くすこと、交通事故死は3人目。
すべての交通機関を一秒、二秒だけでも機能不全にしたい呪いを、近い日に新しい歌へと昇華させたいです。
「天使とは美しい花を振りまく者ではなく 天使とは苦悩に寄り添いたたかう者」
覚えたてのナイチンゲールの言葉に生える棘の話です。
20141015
【 あしりれらの亡き骸 】
れらの遺した花を母が気に入り「お父さんのために一本お願い」とねだられた。交通事故死、それだけが父とれらの死の共通項。出会えば必ずぼくの体調を気にかける彼女が、まさかぼくより先に逝くとは皮肉も甚だしいこと。競演が終わり、互いにハイタッチして「お疲れ様」とお別れしたのが最後の記憶なのも嫌な暗示だったかもしれないとか考え過ぎかな。
死の一報から、誰のコメントにも「いいね」なんてクリックできなかったけれども、先ほど何とかやり終えた。こうして日常に戻ってゆくのだろうか?
一時帰郷する直前に「なかおさんはこれからもいっぱいいい歌をみんなに聴かせてください」と言ってくれた。
あしりれらとはアイヌ語で「新しい風」。その通り、あんな風を吹かす人生は無二だと思い返す。
焼かれてしまっても灰として遺るならば死もまた実体なのかとふと考えを改めさせられた。
迷惑したと書いているひともいるけれど、ぼくはそう思わない。それ、受ける側の度量の問題じゃないかよ、問われているのは! 違うか? れらにもう少し生きやすい世界だったならばとくちびるを噛む痛恨の手遅れこそを悼む。
20140915
Karen
The Go-Betweensに「Karen」という曲がある。
https://www.youtube.com/watch?v=lPErA7NZISM
デビュー・シングルのB面だと思う。
500枚刷ったそうだ。
残念なことにマスター・テープは20年近く消失してしまっていた。
ヴェルベッツ・チルドレンと呼んでいいのだろうか、呼称はどうでもいいのだけれど、とても「可愛らしい」歌。
ベスト盤で初めて聴いてから、もう何十年経つのだろうか?
今でも大好きな曲だ。
うまく書けるか分からないけれど、いま遺しておきたい想いを綴ってみたい。
またひとり、友だちに去られてしまった。
いや、友だちといっても、ぼくの方が一方的に好意を持っていただけの女の子。
彼女の本名も知らない間柄だ。
芸名、月宮かれん。
肩書は「地下アイドル」。
享年、17歳。
以下の痛ましい記事を拾った。
「現場から高校の学生証… 線路飛び込み女性死亡 千葉・北総線
ちばとぴ by 千葉日報 7月10日(木)12時4分配信
9日午後2時45分ごろ、千葉県松戸市秋山の北総鉄道秋山駅ホームから、15〜20歳ぐらいの女性が線路に飛び込み、
成田スカイアクセス線羽田空港発成田空港行きアクセス特急(8両編成)にはねられ、病院に搬送されたが間もなく死亡が確認された。
松戸署は女性の身元確認を急ぐとともに、詳しい事故原因を調べている。
同署や北総鉄道によると、女性は白のワイシャツにチェックのスカート姿で、現場から県内高校の学生証が見つかったという。
この事故の影響で同電車は同駅を通過予定だったが約20分間停車した。乗客約250人にけがはなかった」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140710-00010002-chibatopi-l12
この女性が月宮かれん、そのコだという。
月宮かれんとの出会いは、元地下アイドル・麻友美のバックダンサー・グループ「ほわいと☆milk」のメンバーのひとりとしてだ。
当時、ぼくが麻友美のことを散々twitterでつぶやいていたら、バックダンサーだった月宮かれんや他のメンバー全員が、ぼくのアカウントをフォローしてくれた。
以来、ぼくの方も彼女らのアカウントをリフォローして、今日に至る。
twitterを介しての出会いは本当の出会いとは言わないかもしれないけれどね。
数多い地下アイドルの中にあっても<twitterの中の月宮かれん>のツイートは毎度明るく機知に富んでいて面白かった。
面白いあまり、いつしかぼくは時折、彼女に度々「ちょっかい」を出すようになった。
彼女はそうしたぼくのツイートを、毎度、律儀に「お気に入り」に加えてくれるのだった。
そのことをとても嬉しく思ったものだ。
ところが、<twitterの中の月宮かれん>と、現役女子高生の本来の彼女とは大きな乖離があったようだ。
今回の「事故」の知らせの半年前くらいから、メンタル面の不調により、彼女は芸能活動を自粛した。
幼い頃からメンタル面に不安を抱えた人生だったそうだ。
特異な感性が滲んだ一読、<明るい>気性を思わせる数多のツイートは、実際にはどこか屈折した物見の産物だったのかと、ぼくは想いを改める。
「過酷な現実(これは同語反復である!)」
この一文は戦争一般についてのE・レヴィナスの言葉。
しかしながら戦争を越えて、とあるひとりの少女の人生観に言い当ててみる誘惑に駆られる。
不謹慎だろうか? と自問しながら・・・・・・。
心の棘、心に届く棘。
いずれにせよ17歳で幕引きをしてしまう残酷を見つめるのは辛い。
ぼくには16歳でこの世を去られた幼馴染がいる。
この男の場合はオートバイでの事故死だった。
いずれにせよ「夭折」ってやつはいつ、誰にあっても苦すぎる。
小学生の頃、毎日放課後を共にした。
twitterでの出会ってもいない付き合いとは「厚み」が違う。
それでも、今回の「事故死」の一報は痛い。
「Karen」
20年以上、マスターテープの紛失。
しかしビニール盤からの起こしで再生されていた。
今日ではYouTubeで再生される。
月宮かれんもまたYouTubeなどで再生されている。
しかし、この場合、真の「再生」はもう望めない。
楽曲「Karen」の魅力の最骨頂は、最後の「Karen」の連呼に聴けるカタルシスだ。
紛失したマスターテープは生々しく若さを伝えてくれていた。
とかく<ユニーク>であるほど、一時でも<喪失>ってやつは苦くなるようだ。
月宮かれんのtwitterアカウントは継続するという。
https://twitter.com/karen_tsukimiya
アクセスしてみて欲しい。
彼女の最後のツイートは「有難うございます(^-^)"」だ。
この女の子の本心を探る真似は下品に思うから、「こちらこそ遊んでくれて有難う」と素直に返したい。
あまりに短い時間、しかしどうにも楽しかったゆえにとても悲しく思う。
結局、君のことをうまく書けなくて本当に申し訳ない。
2014年9月15日
20140410
慢性心不全闘病記
戦争の肉感が失われつつあった1980年位のこと。
まだ小学生だったから、物事の分別がつかない年頃で、友人のIくんは自分のお祖父さんが元特高警察員だったことを自慢気に話していた。
ぼくが家族の食卓でそのことを話したら、今は亡き我が父親が激怒した。
「戦前、戦中、戦争に反対する共産党員を捕まえては拷問にかけていた連中だぞ、そんなことを自慢するとは何事だ」
日頃、温厚な父親がここまで怒るのは珍しいことなので、30年以上経った今でもこの夜のことをよく覚えている。
ぼくの亡き父親、彼が今の綱領を採択する直前に日本共産党員になったのを知ったのは、その10年後くらいのこと。
当時はただの支持者だと思っていた。
そうはいってもIくんはぼくの友だちであり、彼のお祖父さん思いも決して理解できないことではない。
子どもたちの日々は穏やかに続くばかりだった。
今、Iくんがどう過ごしているかをぼくは知らない。
再び会えたら嬉しく想うことだろう。
ただ分別がつく歳になった。
今の彼は特高警察について何を想うだろうと少し考える。
どうあろうと自身のお祖父さんと切り離して考えるのは難しいだろうな。
再会の宴でも自慢気に語りだすとしたら、今のぼくはそんな彼に何を想うだろう?
亡き父親の熱い思いをぼくはぼくで背負っている。
制度は市民間に亀裂を生み出し、それを由とする。
つけいられたら相手は手強い。
論争を繰り広げた相手がぼくとの交際を絶つ。
ぼくと彼、彼女らに特高警察と共産党員ほどの違いなどない。
ぼくは交際そのものの在り方としてときに論争していると思っているのだけれど、世間様はそれすら赦さないようだ。
そんな連中は初めから友だちではなかったんだよと友だちが言ってくれる。
でもとても寂しいじゃないか。
魂の内に憲兵を飼っている。
ぼくも、彼、彼女も。
その憲兵に仕事を与えないことだ。
おそらくは制度たるものの回し者を我がペットとして飼ってしまっている。
魂の憲兵は敵なる者をでっちあげて相手を留置所へ連行し、こころのうちで拷問死させる。
自然死でしたと、つまりは相手の不具合が死因だったと平気な顔をして家族、友人の元へ送り返す。
制度と記したけれどこの相手はまだ不明だ。
フーコーは権力の偏在と見たし、ドゥルーズはそこに特異な欲望を見た。
「なぜ人々は、あたかも自分たちが救われるためでもあるかのように、自ら進んで従属するために戦うのか(アンチ・オイディプス ドゥルーズ・ガタリ)」
常にこの問を立てて魂の憲兵を炙り出すドゥルーズはしかしアパルトマンの窓から身を投げ自死する。
ひとりの死では解決不能なのに。
この先の人生をどう生きよう?
失ったかつての友よ?
失ったかつての友よ!
失ったかつての友よ、勝戦、敗戦に拘らず、最終は「終戦」に拘ろう。
魂の憲兵を、ともにその組織から根こそぎ解体しよう。
「終戦」ならば、かつての特高警察は解体できた。
亡き父親を逮捕、連行してくれるな。
ぼくを逮捕、連行してくれるな。
彼、彼女を逮捕、連行するな。
Iくんの無邪気を逮捕、連行するな。
ぼくは憲兵をこそ狩る矛盾を嫌わない。