見送りの日

高円寺陸橋純情篇

基本、すんごい放置しています。
AmebaやFacebookで日記を書いています。
割と精力的にね。

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2010年5月より特発性拡張型心筋症を発症いたしました。

所謂「難病」です。

それでも音楽活動は続けています。

引き続きご支援していただければ嬉しいです。


なかおちさと
(ソニマージュ・レコーズ)







魂の憲兵

戦争の肉感が失われつつあった1980年位のこと。
まだ小学生だったから、物事の分別がつかない年頃で、友人のIくんは自分のお祖父さんが元特高警察員だったことを自慢気に話していた。
ぼくが家族の食卓でそのことを話したら、今は亡き我が父親が激怒した。

「戦前、戦中、戦争に反対する共産党員を捕まえては拷問にかけていた連中だぞ、そんなことを自慢するとは何事だ」

日頃、温厚な父親がここまで怒るのは珍しいことなので、30年以上経った今でもこの夜のことをよく覚えている。
ぼくの亡き父親、彼が今の綱領を採択する直前に日本共産党員になったのを知ったのは、その10年後くらいのこと。
当時はただの支持者だと思っていた。

そうはいってもIくんはぼくの友だちであり、彼のお祖父さん思いも決して理解できないことではない。
子どもたちの日々は穏やかに続くばかりだった。

今、Iくんがどう過ごしているかをぼくは知らない。
再び会えたら嬉しく想うことだろう。

ただ分別がつく歳になった。
今の彼は特高警察について何を想うだろうと少し考える。
どうあろうと自身のお祖父さんと切り離して考えるのは難しいだろうな。
再会の宴でも自慢気に語りだすとしたら、今のぼくはそんな彼に何を想うだろう?
亡き父親の熱い思いをぼくはぼくで背負っている。

制度は市民間に亀裂を生み出し、それを由とする。
つけいられたら相手は手強い。

論争を繰り広げた相手がぼくとの交際を絶つ。
ぼくと彼、彼女らに特高警察と共産党員ほどの違いなどない。
ぼくは交際そのものの在り方としてときに論争していると思っているのだけれど、世間様はそれすら赦さないようだ。
そんな連中は初めから友だちではなかったんだよと友だちが言ってくれる。
でもとても寂しいじゃないか。

魂の内に憲兵を飼っている。
ぼくも、彼、彼女も。
その憲兵に仕事を与えないことだ。
おそらくは制度たるものの回し者を我がペットとして飼ってしまっている。

魂の憲兵は敵なる者をでっちあげて相手を留置所へ連行し、こころのうちで拷問死させる。
自然死でしたと、つまりは相手の不具合が死因だったと平気な顔をして家族、友人の元へ送り返す。

制度と記したけれどこの相手はまだ不明だ。
フーコーは権力の偏在と見たし、ドゥルーズはそこに特異な欲望を見た。

「なぜ人々は、あたかも自分たちが救われるためでもあるかのように、自ら進んで従属するために戦うのか(アンチ・オイディプス ドゥルーズ・ガタリ)」

常にこの問を立てて魂の憲兵を炙り出すドゥルーズはしかしアパルトマンの窓から身を投げ自死する。
ひとりの死では解決不能なのに。

この先の人生をどう生きよう?
失ったかつての友よ?
失ったかつての友よ!

失ったかつての友よ、勝戦、敗戦に拘らず、「終戦」に拘ろう。
魂の憲兵を、ともにその組織から根こそぎ解体しよう。
「終戦」ならば、かつての特高警察は解体できた。

亡き父親を逮捕、連行してくれるな。
ぼくを逮捕、連行してくれるな。
彼、彼女を逮捕、連行するな。
Iくんの無邪気を逮捕、連行するな。

ぼくは憲兵をこそ狩る矛盾を嫌わない。








1月21日(火)@高円寺MISSION’S「高架下のユース」Season 58

鳥を見た(なかおちさと 山崎怠雅 東郷生志 浅野廣太郎)

ゴイゾン

hello hello john

KORAKORA

片岡フグリ

open 18:00 start 18:30
charge 1500yen +1drink ADV.

年初の鳥を見た@MISSION’S公演。
鳥を見たの出番は最後です。
よろしくお願いいたします。

予約03-5888-5605
info@live-missions.com








収録しなかった詩篇

亡き父との思い出に

【まず私が画面左から現れる】

2012-05-14 00:32:12

まず私が画面左から現れる 左からさらに男がひとり私の後方に忍び寄るように画面上に現れる 私は男の気配に気づいてはいるのだが警戒心を逡巡させすぎて振り返ることができない 男の右手にはトカレフ銃が握られいる モニタを視ているものはその事実に気づくのだが画面内の私は鈍重でそんな事実を知らずにいる 私は一歩一歩と前に進む 男は動かない 私が2メートル60センチ男から離れると男は右手のトカレフ銃を私の背中に向ける 私は気づかない 3メートルをさらに歩く 画面右手からオートバイクに乗ったスリが男のトカレフ銃を奪って逃げる 呆気にとられた男は初めて口を開く 私に向かって叫ぶ







振り返るな走れ その声はあまりにか細く白昼の日射に鎔ける 私の背後でオートバイクが急ブレーキを踏む そこで初めて私は振り向く






オートバイクの男の顔はヘルメット越しにあり判別つかない その後ろにいる男はもう老齢に達した私の小学校時代の担任教師の変わり果てた姿だった オートバイクの男はヘルメットを剥ぐ 作り笑いを浮かべた往年の残酷劇役者の顔がそこにあった オートバイクの男はトカレフ銃を自らの口に含みなにか文言を呟いて銃爪を引いた 衝撃で派手に散り舞う残酷劇役者の「破片」「破片」「破片」「破片」「破片」 崩れ倒れるオートバイクに残酷激役者の脚はぐにゃりと歪む 小学校の担任がか細い声で呟く






誰も彼も君ももっと弁証法を大切にしないと駄目だ そう呟くと小学校担任は飛び散って地に墜ちたトカレフ銃を拾い上げて私に向けて発砲する 出鱈目な照準の彼の銃口は火を噴くだけで私にかすりもしない 私は思い知ることになるのだ 残酷劇役者の死の重みを深く悼むのだ トカレフ銃は相変わらず火を噴くのだがそもそも私は射程距離から外れている この自死した残酷劇役者は私のかつての師であった 何時間も呑み通した夜明けの暁に宣誓するようによくこう言ったものだ 






本当はハムレットをやりたい でもシェイクスピアでは演劇の革命にはならないんだ 口癖のように聞いた日のことを思い出し 俄 私は彼の酷い遺体に近寄った かつて残酷劇役者の骸に近付いた 小学校担任のことは眼中になかった だからこそ無策なままトカレフ銃の射程範囲に踏み込んでしまった まず私の左脚に弾丸が食い込んだ 熱い 不覚にもその時になって小学校担任の存在を思い出した 懐かしい黒板 大書された文字 「門出」 小学校担任の顔は残酷劇役者のそれと寸分違わないことに私はどうして今まで気づかなかったのだろうと驚愕する






ズームアウトするレンズが眺望を明らかにする 残酷劇中 舞台 懐かしい黒板 大書された文字 「門出」 倒れて息絶える残酷劇役者 残酷劇役者と寸分変わらぬ姿でトカレフ銃を手にしている小学校担任 左脚からの出血を両手で抑えて私はもう舞台に立てないことを自覚する 舞台役者としては死の宣告だった ところでいつから私は舞台役者になっていたのだろうか? ズームアウトするレンズが客席を捉える 観客がいる 観客がいる限り 芝居を続行しなくてはならない 小学校担任が私に云う 君の脚に流れているのは血じゃない 赤インクだ 嘘だ コレは紛れもなく私の血だ だから赤インクなんだよ 小学校担任はそう呟いて画角から外れてしまった モニタ上に最早私一人 台詞は何だ 次の台詞は何だ 次の台詞は何だ 客席に向かって叫ぶ あらん限りの声で私は叫ぶ






誰も彼も君ももっと弁証法を大切にしないと駄目だ! 私の恋人はそこで舞台中継のストリーミング放送のブラウザを閉じ 国語辞書で「弁証法」の項をひき 何回目を通しても分からないと呟いて終にモニタを消した 消された舞台で私は次にこう叫んだ






本当はハムレットをやりたい でもシェイクスピアでは演劇の革命にはならないんだ! ようやく幕が下りた 舞台中継のストリーミング放送もそこで途絶えた 幕を下ろす指示をしたのは小学校担任だろう 合格点というわけだろうか こんな中途の思索の欠片が合格点を満たすのか! 私は舞台装置のトカレフ銃を拾い上げて銃口を口に咥えて銃爪を引いた 弾丸は発射されず私はただただえずいて舞台上で泣いた そうかそうかとこの残酷劇の「残酷劇」たる意味を初めて身を以て知った 客席に数人未だいる 私はそれが全員一人残らず私であることを理解していた






































2013年09月11日

「12年後の9月11日の署名」

今日、9月11日、NY同時多発テロから12年経つという。
12年前、そうか当時はまだ自分は20代だったのかと驚く。
やんちゃの盛りでクラブ遊びなどをしてたような記憶がある。

時代はこの頃から嫌な雰囲気が漂い始めて、「報復」という道義を盾にアメリカがスーパーパワーを誇示し始めた。
アフガン空爆やあるはずもないイラクの「大量破壊兵器」をでっちあげてイラク戦争へと邁進。
この国の小泉純一郎はこの戦争に祖国日本を参戦させた。
ネットを見ると小泉信者たちが反吐を催すような書き込みで、彼らなりの参戦をしていた。
冷静に。
そんな声は劣勢だった。

12年の内にサダム・フセインもウサマ・ビン・ラディンも米当局によって殺された。
「報復」とはなんて小さく浅はかなものなのだろうと砂を噛む。

米空軍によって誤爆されたアフガンのどこかで催された結婚式。
この実際に起きた事態を何度も何度も空想する。
アフガンから遠く離れた日本の東京でね。
歓びの宴にミサイル。
おぞましい祝福のあり方。
12年後にシリア。
BC兵器。
真実の裏付けが済む前に軍事行動を急ぐアメリカに、往時のように盲従する自公政権。
「仕組み」がまったく変わっていない。

9月11日、NY同時多発テロ事件から12年。
12年の内、死の底を彷徨ったこともあった。
3月11日という新たな「節目」を越えてきた。
自身に12年前のやんちゃな面影はなくなり、この頃は無様、鈍重になるばかりだ。

「すべてコントロール下にある」

厚顔無恥な宰相の最新の名文句。
何物もコントロール下にはない現実を前によくぞ言った。
ところで私はこの宰相の「コントロール下」が気に食わない。
(自由と民主主義の国なんだろ? 「嫌なら出てけ」と茶々を入れるな、不平くらい言わせろ)

今年も過酷な夏が終わろうとしている。
朝夕過ごしやすくなってきた。
ただ季節の節目で鬱の毛が生えてくる。
鬱の毛は重たい躰を包み込む。
鬱の毛を断ち切る打開策は「鬱を食らい食いちぎる」ほかにしかないだろう。


「文化を体現するということは、運命を食らうということであり、認識によって運命を同化吸収することだ。それはまた、本が神を語り、自然や人間や死や運命を語るとき、そんなご託は嘘八百だと見抜くことでもある(「革命のメッセージ アントナン・アルトー 白水社」)」


本ならまだマシなんだ。
破いて捨てればいい。
内閣総理大臣、合衆国大統領のいかがわしさを破いて捨てたい。
どうすればいい?
アルトーでさえその疑問の軋轢にもまれて狂死した。
もう何十年も前のこと。

日頃から幾分暗い歌を唄っている。
一種、「怨歌」かも知れない。
そのことを咎められること多々。
それでも咎められるくらいで放棄できるならば「怨歌」なんか歌わない。
何物もコントロール下にない運命を、自身なりに認識、同化吸収した末に「怨歌」だ。
残酷演劇だ。

24日にステージがある。
そこでも「怨歌」を歌うかもしれない。
不思議なことに歓声が上がる。
喝采が湧く。
幾ばくかの集客がある。
「コントロール下が気に食わない」のは私だけではないらしい。

願わくば他数を多数に!
私の行く道は(あなたと同じように)果てしなく遠い。
図らずも12年の時を経てしまった9月11日。
老けこんでしまっても生活者としてコントロール下って奴と手を切るよ。

9月11日の署名








中尾千里




其処にあったあらゆる微細な魂たち



toriwomita videos playlist

バンド「鳥を見た」、様々な時期の様々なカメラによる証言。

新作よりカメラマン船木和倖

鳥を見た@高円寺ミッションズ
2013年8月8日




toriwomita live at Club Mission's KOENJI TOKYO
Aug.8.2013


NAKAO Chisato/なかおちさと SON-001 (ソニマージュ・レコーズ)」

2012年3月9日全国発売

数々の都市伝説を生んだノイズ・アヴァンギャルド・ユニット「カールマイヤー」のなかおちさとが放つソロ・デビュー・アルバム!
今日のバンド「鳥を見た」に繋がる珠玉の歌たち。代表曲「サラエヴォ」「黒い日曜日」を含む全10曲!

1993年、1994年、京都ヴァニラ・レコードから発売され、世界各地で今なお様々な都市伝説の渦中にある「カールマイヤーep.」「カールマイヤーの世界」から18年。独特な詩世界でライブシーンを席巻中のバンド「鳥を見た」を率いるなかおちさと、待望のソロ・アルバムが届けられた。

すべての楽器・ヴォーカル演奏をひとりでレコーディング。新たに極上のサイケデリック音楽が生まれた!
なかおちさとの幅広いキャリアを総括するように変幻自在な歌たち。「カールマイヤー」のサウンドプロダクションと、「鳥を見た」のメロディアスかつ文学的な歌世界の融合により、オリジナリティに満ち溢れた音楽に幻惑される。

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アーティスト:なかおちさと
タイトル:NAKAO Chisato
発売日:2012年3月9日
品番:SON-001
仕様/ジャンル:CD/alternative
定価:2400円(税抜価格2286円)
JANコード:4562292461274
ASIN: B006YR3VZY


<収録曲 全10曲>
01.ドレスデン
02.ぼくらの魂が舟をこぎだすとき
03.ドロップ
04.八月の水滴
05.JAL
06.サラエヴォ
07.眩しい
08.夜の隙間から叫び声が聞こえる
09.鳥を見た
10.黒い日曜日


Amazon.co.jp

http://www.amazon.co.jp/NAKAO-Chisato-%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%8A%E3%81%A1%E3%81%95%E3%81%A8/dp/B006YR3VZY/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1328027757&sr=8-1

【プロフィール】
なかおちさと
アーティスト、音楽家
性別:男性
誕生日:1972年2月9日
血液型:B型
身長:174cm
出身地:神奈川県


なかおちさと nakao chisato: 1972年02月09日生まれ、39歳。 神奈川県出身。
現在は東京都を拠点に、音楽家として活動中。
鳥を見たに所属。 拡張型心筋症との闘病暮らし。出身校・早稲田大学法学部。
1993年、ノイズ・アヴァンギャルドのバンド「カールマイヤー」による「カールマイヤーep.(YSR 後にヴァニラ・レコードより再発)」でデビュー。
1994年「カールマイヤーの世界(ヴァニラ・レコード)」。
その後、美術家・石塚隆則(カールマイヤー)とのバンド「見送りの日」、キクチアキラ(川口雅巳ニューロックシンジケート)とのバンド「LaLa」、画家・立島夕子とのバンド「メロドラマ」「私の死」、山崎怠雅(鳥を見た)とのバンド「死の棘」、RENKA(異形人)とのバンド「秒針零」、及びソロを並行活動しつつ、現在、独自の詩世界で話題のバンド「鳥を見た(なかおちさと 山崎怠雅 東郷生志 浅野廣太郎)」でライブ・シーンを席巻中。
尚、「鳥を見た」はデビュー・アルバムを録音中。
2010年5月より拡張型心筋症罹患。 現在、闘病生活をしながら音楽活動継続中。



URL: http://www.sonimage.ne.jp/index.html





A guitarist, and Vocalist continuously creates unexplored music expressions.
Performing as solo and joining several units which are "LaLa", "Miokurinohi"(A day of the send-off), "Toriwomita"(I saw a bird), at the main
stream of avant-garde scene in Tokyo Japan. On the other hand, "sonimage records" frequently plans and provides rock music events as the support of Keiji Haino and many other acquaint rock artists.
Kan Mikami who has the long terms of association with describes as....



"The new star of the underground scene."



2012年1月12日

細かな日時は忘れましたが、ぼくがカールマイヤーというバンドに参加してから20周年に当たるのが今年です。

きっかけは職場の女の子にフラれたせいです。
空っぽな感じに脳みそが燃え尽きて唖然呆然。
女の子にフラレて果たして自分に何が残っているんだろうと問いつめて思い出したのが、大学
受験のために休んだきりだった音楽バンド活動。

そうだぼくにはギターがあるじゃないかと横浜の街をふらふらと歩いて、街に貼られたメン募のチラシをすべて凝視。
ヴィジュアル系が多かったかな。
YAMAHAにあったカールマイヤーというバンドのチラシには「CREATIONレーベル系好きな方」とありました。
色んなチラシを見ましたがCREATIONに触れていたのはカールマイヤーというバンドだけ。





マイブラ、ライド、プライマル・スクリームのCREATIONレーベル。

連絡先:コウノアヤコと書かれた部分を切り取り帰宅。
早速電話(1992年始、メールなんてなかった)。

ただ心配なことがひとつ。

カールマイヤーの応募条件は「20歳以上の人」という但し書き。
ぼくは20歳を目前にした19歳。

「19歳なんですけれど、もう少しで20歳になります。大丈夫でしょうか?」

年上のメンバーはそのしどろもどろの質問がおかしかったらしくホホホと笑う。
ぼくの心配は杞憂だったと分かった。

RATとワウ、ギターはシャーベル・サーフキャスターを抱えて横浜のスタジオ・ペンタでオーディション。
見事一発合格!

「動きが面白かった」
「動きが凄くて笑いを堪えるのに大変だった」

大絶賛でぼくを迎えてくれまんた。

ここからぼくの音楽人生が再スタートします。
以来、途中だれたり、荒たりした時期も挟みながら二十年。
今月やっとソロ・アルバムを完成。






人に歴史あり、おおむね幸福。
あの日、ぼくをフッテくれた女の子に多謝。



2011年12月31日

恐ろしい年がやっと終わります。
今日が無事であることを祈りつつ、久しぶりの日記更新です。


痰をがーがー吐いて黄色いそれが忌まわしい風邪で年末。 
色つきの痰は拡張型心筋症患者の私には死への誘い。 
楽しそうに演奏活動に勤しむ人々をネット上で羨望の眼差しで見つめながら闘病。 
今年はこの風邪のせいで忘年会もweb忘年会もなくなっちゃったよ。 
失礼。 

近づくCD完成、新年正月20日の納期を待つのみ。 
売るってことは「厳しい批判に晒される」ってことであり、心臓バクバク。 
心臓バクバクは拡張型心筋症の私には死への誘い。 

年末の書き物はこの風邪のせいでtwitterとFacebookに書いたつぶやきと「ザ・インタビューズ」のみ。 
「ザ・インタビューズ」に今年を総括する質問が寄せられたので、ここに転載して、あとは暖かい布団に包まれて風邪と格闘します。 

良いお年を! 

来年はいい年にしたいですね。 




ザ・インタビューズ 

【なかおちさと nakao chisato 「カールマイヤー」から「鳥を見た」まで】 

http://theinterviews.jp/nakaochisato




【はじめて買ったCDはなんですか?】

ぼくの音楽生活の黎明期はまだアナログの時代でした。 
なので、最初に買ったのはアナログ盤。 

自分のお金かどうかかなり怪しいですが「勝手にしやがれ 沢田研二」のシングル盤を思い出します。 
5歳くらいの時でした。 
沢田研二と布施明が大好きで、保育園でよく歌っていたんです。 
人生初のレコーディングも「勝手にしやがれ」でした。 
可愛い録音テープが後年まで残っていました。 

アナログのアルバムで初めて買ったのは「Oldies The BEATLES EMI」。 
イギリス・オリジナル編集の優れたベスト盤です。 
再販してほしいなあといつも思います。 
6歳、小学校一年生のとき。 

CDというメディアとの出会いは高校生の頃です。 
「欝 Momentary Lapse of Reason ピンクフロイド EMI」。 
ギルモア主導の再結成ピンクフロイドのカムバックアルバム。 
そのHi-Fiさに腰が抜けるほど驚いたものですが・・・・・・後に、興味を失い手放しました。 
いま何枚あるか分からないぼくのCDコレクションの第一弾ですが、手放したことを特別に後悔することもございません。 

アナログで聴いたピンクフロイド、ロジャー・ウォーターズ最後の参加作品「ファイナル・カット ピンクフロイド EMI」は世評に背いて個人的にはかなり好きで後年CDでも買い直しました。 




【2011年、あなたにとっての最大のヒット商品は何ですか?】 



「Ibanez AD-9 Mod.STD Keeleyモディファイ」 

AD-9というすぐれたアナログディレイ。 
日本ではMAXONブランドから出ています。 

こちらは海外版Ibanez AD-9を様々なエフェクターモディファイで有名なKeeleyが手を加えて、まったく新しい可能性のあるギアに変えられたものです。 

まず、トゥルー・バイパス加工。 
これでかなり音痩せがなくなりました。 

さらに重要なのがコレ、既存のペダルを踏むと延々とフィードバックされるんです。 
この機能が画期的で、ぼくのサウンド・アプローチに大きな影響を今後与えてくれるはずです。 






【今年やり残したこととかありますか?】 



バンド「鳥を見た」のアルバムを発表できなかったことが悔やまれます。 
震災前の録音なので改めて録り直そうというメンバーの声もあります。 
何よりもこのことが一番大きな問題です。 

反面、今日現在、ケリをつけたのがソロ・アルバムの発売。 
2012年3月9日に全国発売できるように手筈を整えました。 

「NAKAO Chisato/なかおちさと(ソニマージュ・レコーズ SON-001)」 

500枚も刷るってどこに需要があるんだかと頭が痛いですが、全国3000カ所のインディーズ・ショップで取り扱いされます。 
店頭にない際にはお取り寄せできますのでよろしくお願い致します。





【インターネットとの出会いを教えてください。】 




いつでしょう・・・・・・。 
Macの「Perfoma」が最初のPCですので1992年から1997年の製造期間中のいずれかですよね・・・・・・。 
Netscapeの起動画面が綺麗だった「絵(記憶)」は思い出せるのですが、肝心の「時期」を思い返せません。 
AOLのチャットなどにはまっていたような記憶があります。 

webサイトを始めたのもいつだったやら・・・・・・・。 
あ、「2000年12月6日、午前7時50分頃スタート」と書いてありました。 
アンダーグラウンド界隈ではかなりの先駆者と自負しています。 
いまではまったく手をつけませんが・・・・・・・。 

ネット依存は相当なもので、今ではスマートフォンのようなツールもあり余計に重症状態に陥っています。 
治したいですね。 
切実です。






【2011年はあなたにとってどんな年でしたか?】



どのひとにとっても大きな出来事、東日本大震災と福島第一原発事故の爪痕が、私的にもくっきりと遺る年でした。 
それまで享受していた愉楽のうち、薄っぺらいものは簡単に「嘘くささ」を露呈。 
感動をお伝えする仕事に就いている自身にも自問すること多く、しかし自答は容易くなかったです。 
生命が掛かっている出来事の重さを覚えました。 
これまでの価値観の再検証がどこまでも必要になった年でした。 

自分の健康もまた命に関わり、持病の拡張型心筋症での緊急入院が二回ほどあり、公演のキャンセルも二回ほど。 
突然死を伴う病気なので生活の隅々まで死というものとの背中を接する付き合いをしてきました。 

子供たち。 

ぼくにはまだ子供がいませんが、この社会にいる多くの子供たちのことを考えました。 
安全なミルクのこと。 

子供たち。 

来春、ソロ・アルバム発表の手筈を整えることが出来ました。 

これほどの激動を四〇歳を目前にして体験するものなのかと思ったりもします。 
総じて重い荷物を背負った年でした。 






【あなたにとって、今年最大のニュースを教えてください。】 

日本すべての人たちと同様に東日本大震災と福島第一原発事故が最大のニュースです。 

福島第一原発事故については、ぼくの楽曲のレパートリーに「放射線の雨、耳をふさぐ子供たち」という歌があり、正に原発事故を予期した内容なんです。 

事故のはるか前に書いた曲ですが、不吉な符号におののくと共に、事故以降、この楽曲は封印してしまいました。 
どうにもやるせない気持ちがそうさせました。 

予期などしたくなかった現実であり、どこまでも忌まわしいものです。 

ただ、自身の視座に間違いはなかったことは評価したくここに動画を寄せます。 



【最近みた映画で面白かったのはなんですか?】



レンタルビデオ店や映画館へのアクセスが貧困な場所に引っ越してしまったために、最近はあまり映画を観ていません。 

とても数少ない作品の中から、正に直近に観た映画「エンディングノート」という作品を推します。 

砂田麻美監督デビュー作の邦画。 
癌を宣告された父を次女が記録した映画で、基本的にドキュメンタリーです。 
是枝裕和監督がプロデュースしただけあって、独特のユーモアを交えて、しかし真摯に生と死を見つめます。 

クライマックスに近づくに連れ、会場内のすすり泣きの声が本当にすごかったです。 
固有な映画体験だったなと振り返ります。 







http://theinterviews.jp/nakaochisato

質問引き続きお待ちしております。 

ぺこり。



震災の被害に遭われ、今なお不便な暮らしを強いられているすべての皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

3月11日、常日頃の価値観といったものがいかに脆弱な基盤に立っていたかと気付かされる日々。

恐ろしいものとの出会い。

フクシマという新しい問いかけ。

震災はあまりに多元的で掴みようがないほど巨大な事態-問題です。

私たちの精神はこの事態-問題をまだ完全には捉えていません。

いまだ不気味な余震が続く中、身体を寄せ合うようにして危険からの回避を祈るばかりの萎縮した魂。

そんな事態-問題の中、音楽家としての日常としていくつものステージが組まれました。

東京のシーンが一度沈黙する中、沈黙を潔しとしない高円寺Mission's、国分寺Morganaといったハコで歌を紡いできました。

殆どの演奏が盟友・浅野廣太郎のハンディ・カメラに記録されて、YouTubeのkoutarouasanoのアカウントにUPされました。

一連の記録のドキュメンタリーとしての多弁さに気付かされます。

ひとつ、ふたつファイルをクリックしてください。

即興詩を紡いだのが幸いしたようです。

事態-問題の様相の幾許かが、一連の即興詩に掴みやすい形で滲んでいるのを聴いていただけたらと思い、一定の量に貯まったファイルを並べておきます。



2011年03月15日

震災から僅か4日後、高円寺Mission's、鳥を見た公演。







「忘れたいのに思い出せない 国分寺篇 vol.01」

2011年04月06日@国分寺Morgana

第一セッション
「からっぽの世界」




第二セッション





「忘れたいのに思い出せない vol.14」

2011年04月07日@原宿JETROBOT

「友よ」




「忘れたいのに思い出せない 国分寺篇 vol.2」

2011年04月19日@国分寺Morgana

「マリアンヌ」
「夜が明けたら」




鳥を見た

2011年04月26日@高円寺Mission's






U2011年04月01日

【高円寺陸橋】

UFO Clubとファミリーマートがある交差点に高円寺陸橋がそびえている。 
その袂に僕の部屋がある。 
ついこの前まで横浜市民としての郷土愛にアイデンティティを見だしていたのが信じられないくらい、この部屋を愛している。 



階段を降りて十秒でたどり着くラーメン店は24時間営業。 
「味噌一」という店名のとおり、ここの味噌ラーメンは唯一無二。 
味噌汁に近いスープ、たくさんの野菜。 
温かい


ワンルームなんて洒落た部屋ではなくて「ひとへや」と呼ぶべき佇まい。 

くどい風邪に付き纏われて、まだ荷物の整理ができないでいる。 
だから地震の度に積み重なる本とCDの山が崩れないかを心配する。 
地震酔いは過酷だ。 

高円寺陸橋。 

地震がなくとも高円寺陸橋を渡るトラックの振動でこの部屋の床は鳴る。 
新しく僕に刻まれるビートだ。 

トリスがあるから遊びにおいで。 
運がよければ同居人の猫が顔を出すよ。 




四月。 
ああ、いつまでも絶えることなく友だちでいよう。 




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