ソニマージュ・レコーズはこのサイトで唯一、代表者らしきものがいる組織(嫌な言葉だね)。

カールマイヤー
見送りの日
LaLa
La!La?
そして、

なかおちさとソロ。

以上を直接、きりもりしている他に、ヘブンス・ドア三軒茶屋を主な基地にして、数々の企画を運営。

コレまで、
灰野敬二、三上寛、
山本精一(ボアダムス)、ルインズ、
割礼、ゆらゆら帝国、
静香、ゲルハルト・フックス氏のある休日の午後、
ブルーム・ダスターズ、井内賢吾、
日野繭子、向井千恵、
他、多数。

コレから、
以上のひとたちと、

友部正人さん、灰野敬二さん
2001年4月27日(金)
ヘブンス・ドア三軒茶屋。



さて、ソニマージュ・レコーズ企画「サボテンだらけの部屋」にて、なかおちさと以外の最多出場は、灰野さんか、ブルーム・ダスターズ。
今日はブルーム・ダスターズについて書こうかな?
なかおちさとを観てのお客さんの反応ってそのひとが興味あるジャンルによって全然、違っていて、舞踏関係や映像関係のひとは「パフォーマンス」を、音楽関係の方はギターを誉めていただきます。
ただね、このギター。自分では若手としては自信があるほうなのですが、ギタリストとしての素養のすべてで負けているって思った同年代の唯一のひとが、ブルーム・ダスターズの川口雅巳さん。
ギターは右手も左手も重要という当たり前のコト。
コレ中々分かってもらえません。
腕力とか握力に還元できる要素もあれば、音楽の筋力みたいなのも大事。
海外ではウィルコ・ジョンソンなんかがいい例なんだけれど、上手く表現できないですね。
とにかく日本の若手では川口さん、凄いです。歌声も強烈なので尚更、尊敬。
さて、これも鉄壁のリズム隊がいてこそ、要するに全員カッコいいんじゃん。
これからも「サボテンだらけの部屋」の常連さんでいて欲しいです。
アルバム「23時間30分 ブルーム・ダスターズ(Purifiva)」。←多分、モダーン・ミュージック(明大前)で入手できます。



先日、なかおちさと、20世紀最後のライブ・パフォーマンスが渋谷のギャラリーLE DECOの「立島夕子展」で行われました。当日は体調が悪く、絶不調だったのですが、初めてご覧になられた方からは望外の賛辞をいただけたようです。
個人的には石川雷太さんとの突然のコラボレーションが楽しかったです。あと、立島夕子展、すごい良かった。
立島さん、写真どうもありがとう。また一緒にイヴェントやりましょう。
立島夕子さんのwebサイトは、http://www.tk3.speed.co.jp/gewa/mi-ke/です。

@立島夕子個展

さて、ステージの度に思うのだけれど、終演後に自分の機材をお客さんに覗き見られるのって不思議な気分。
お客さんの気持ちは痛いほど良く分かるんだけれど、そんなところに秘密はないよって、思います。
ぼくも灰野さんのペダル・エフェクターを毎回真剣にチェックするくせにね。
そうは言っても光栄なのかな、まったく興味を示されないよりはね。
この立島夕子展のセッティングは少し異例だったせいかもしれませんが。


さて、アンダーワールドのナビの大先輩、芝門さんのサイトで、少し話題になったコトをここでも取り上げましょう。
以前、灰野さんに「なかおくんもJAZZ聴くんだ? で、なに聴くの?」って尋ねられて爆汗。
もう、しどろもどろ「いやぁ、灰野さんの前ではおこがましいです」なんて言いながら、正答はなんだろうって自分にも問い合わせ。
ビリー・ホリディ、コルトレーン、アルバート・アイラーは「人間として当たり前」だし、阿部薫なんて言ったら電話切られそうだし(うそ、灰野さんは本当は温厚な人です)。
逆に灰野さんはどう思ってんだろう?
 例えばサン・ラやエリック・ドルフィー、高柳昌行。
さて、色々、迷った挙句にぼくの口から出たのが「往年の山下洋輔トリオ」。でね、灰野さんたら「ふうん、それはなかおくんの場合、当然、CDだけだよね(当たり前です、生まれてない頃の作品もあるもの)。実際はそんなに面白いものでもなかったけどね」だって。
そうなんだぁ。
そのとき灰野さん、ぼくとの交流で初めて自作を推薦してくれました。
後にも先にもそんなコトはありません。それが、ジョン・ゾーンのレーベルAVANから出ている「それ以上 という 不透明な訴訟」という作品。
この作品は1996年NY録音。
ベース、グレッグ・コーエン。ドラム、ジョーイ・バロン。それにギブソンの1950年代製の(多分)ES125というフル・アコースティック・ギターを駆使する灰野さん。
珍しく(でもないか)歪みモノなし。
ソロ・トーンとカッティングの両方を使って空間を自在に切り取ってゆく。
このアルバムを灰野さんは「あれだけは聴いて欲しいんだけれどね」って言ってました。その言葉、痛切に良く分かる。
音楽の諸要素はいかに還元できるのか? JAZZを超えて訴えるところ大です。
ちなみに灰野さん。女性白人シンガーも好きなのかな?
よく開演前に色んな女性シンガー(JAZZシンガーばかりとは言い切れませんが)を会場に鳴らすように自らリクエストしています。
さて、ページ「sonimage records」では、ソニマージュ・レコーズからのサンクス・メールの一環として灰野さんのPSF盤を逐一紹介してゆく予定です。ご期待ください。


さて、今日のサンクス・メールは、割礼さま宛て。以下の文章は某「洋楽誌」での入社試験、この作文で合格(事実を簡略化しています)。その当時ぼくはまだ卒業予定未定の現役大学生。色々あって、その後の人生、少し狂いました(事実を簡略化しています)。
割礼さま、今年の夏のヘブンス・ドア10周年企画、灰野敬二(哀秘謡ソロ)と競演いただきありがとうございました(ミナトさんに頼んでリクエストさせていただきました)。
あのときはあまりお話できなかったので、覚えていないでしょうね、ぼくのことなんか(当日、灰野さんのお香を炊いていた若造です)。また、機会をご一緒させていただきたく存じます。

          割礼の風景、バラ色の宇宙          なかおちさと

 「空しく飛び交う、きみへの憧れ、輝く眼差しのちから、枯れ渡る僕とあの娘を、殺せるはずがない」

他の誰のものでもない、宍戸幸司の声で、はじめて目の前の大気が震え出した一瞬、溢れ出す痛みを押し止めようと、両腕を交差して僕は胸を押さえただろう。暗闇に包まれていることを感謝した、あの夜の陰りの中から、いまでも遠くにある彼女の孤独に触れようと手を延ばしたこと。薄明かりの中で虚しく鼻孔を突くセクスの断片と、微熱のうちにふたり窒息して眠ったこと。時間軸を永遠に引き延ばしたようなその歌声は、聞き手に明晰な論理よりも、もっと心象の風景の底に朧に滲んだ記憶を呼び起こす。

東京の地下鉄の中で、僕は何度も何度も、繰り返し割礼を聴いた。雑誌の編集のアルバイトで原稿を抱えて東京中を横断していた当時の僕にとって、割礼は目的地に辿り着くまでの密かな回り道のようなものだった。車内に乗り合わせた様々な人々との疎遠な距離。次々に通過する駅や人混みの表面から現実感が次第に取り払われて、いつでも朧で束み所のない痛みがついに思考を麻痺させてゆくのを、満足して見送っていたこと。地下鉄はいつだってどこにも辿り着かない。脚を動かすことなく、ただある一点から次の一点へと移動しただけで、結局のところ、僕らはどこにも辿り着けない。行き交う人々と、直接の交渉など少しも持たない僕は、彼、彼女の風景の一点に過ぎない。朗々と長い息で歌われる音楽が、少しずつ現実の時間の流れをなし崩しにしてゆく。目の前の光の一切がいまは砂の塊となって、足元にこぼれ落ちてゆく。しかし、犯してしまった沢山の恥ずかしみのうちに身を隠していた、あの蒼白く揺らぐ奇妙な季節の終わりには、いつだってそうした不確かなものだけが、福音のように響きわたっていたのだ。


今日のサンクス・メールはゲルハルト・フックス氏のある休日の午後、もしくは割礼子さん。
出会いはね、ぼくの懐かしいJAZZハード・ロック・バンド「見送りの日」のSHOW BOAT公演での競演(対バン)。
当時、割礼少年(若かったんだよ、いまよりさ)だったぼくの目と耳を奪われました。
終演後に早速、接近。以来、今日まで交流が続いています。
割礼子さんの魅力は、歌世界の素晴らしさ、それとステージに立っているだけで醸し出されるカリスマ性。
「サボテンだらけの部屋」に出演していただいたときは調子が悪かったようですが、それはソレとして感動的なステージでしたよ。なんというか最後まで執念を捨てないその姿が本当に感動的でした。うん、ライブって生きるってことなんだなって実感させられました。これは蓄積や潜在能力の高さ、深さこそのなせる業ですね。
今年はレコーディング活動再開のニュースをポスト・ペットでいただきました。完成が楽しみです。
必聴のセカンド・アルバムは多分、献血劇場のサイトで入手できると思います。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kenketsu/
割礼子さま
「サボテンだらけの部屋」では、いつでも特等席をご用意させていただいておきます。これからもよろしくお願いいたします。


今日のサンクス・メールは現チヨコメイト、元チラリズムの雨宮まちさま。
もうかなり古いお付き合いです。ぼくがまだカールマイヤーをやっていた頃ですからね。そうとう昔です。
何度、競演したでしょうか? 数え切れない。
雨ちゃんの魅力はなんといっても「がんばるひと」の「がんばっている音」。これはライブでもデモ・テープでも存分に感じてしまうのです。あと、目の付け所っていうの? なにか視覚の死角あたりに動いているものをよく観察していますね。こうした特長は詩世界が一番分かりやすいですが、他にも色んな切り口で見せてくれるから「楽しい」。うん、いつも色々な苦労話を聞かされているので「楽しい」という言葉は難しい響きを持ってしまうのだけれど、このひとは最後にはすべて乗り越えてしまうすごいキャパシティがある人だから、終わってみたら「楽しい」が残る。素敵です。要するにかっこいいんだよなぁ。
お手製のwebページが秀逸です。音楽以外にまであふれる才能見せつけられては、ひたすら平伏。
http://www.geocities.co.jp/Milano/6721/
実はネ、カールマイヤーのLIVEをDAT録音したものを聴いて、冒頭の自分のギターに「おお、やるじゃん!」って思ったら、ソレ、チラリズムのステージだった。つまり雨ちゃんのギターを自分のギターと勘違い。ゴゴゴゴゴギーだから、ぼくかと思ったら、雨ちゃんなんだもの。いまのチヨコメイト、一度ステージを観ましたが、コードの取り方など凄い境地に達してますよ。どうしましょ。
そんな恵まれた才能を持ちながら、尚、どうしたらいい? って日々考えているこのひとは基本が偉いんだろうね。
がんばろうね、がんばってゆこうね。
なかおちさとから雨宮まちへ。


          少年ベックの教室

                                         なかおちさと

 ベックについて何かを語る勇気、きみに本当にあるのかい? 僕の中の嫌な奴がそう尋ねるんだ。

 BECK、ベック。彼の表層をなぞることは簡単だ。例えばベックの音楽は既に音楽それ自身が批評になっている、とかね。でもこれでは何故、僕らがベックを切実に求めているのかの説明にはならない。

 グランジの絨毯爆撃のあとに残された焦土。ヒップ・ホップカルチャーの浸透。切望されたアンチ・ヒーローのヒーロー、ベック。これくらいでOK? いやまだまだ足らない。批評的展望と飽くまでも個人的な無垢が結びついた現象がベック。そしてその現象は彼個人の脆弱な肖像とイコールで結び付いているのが奇跡。そう、そんな感じ。近づいてきた。

 そして僕はハイスクール時代の少年ベックと出会う。

 ソニック・ユース、プッシー・ガロア。いまやノスタルジックに語られるあの時代を彼は果敢に生きたのだろう。教室の中で彼と話の合う友人が何人いたのかは知らない。でも少年ベックにとってはソニック・ユースこそ本当の教室だったのかもしれないって思う。音を「表現」に変える魔法を彼はそこで学んだはずだ。

 さてブラインド・ウィリー・ジョンスン。今度はゴスペルだ。教会が今日の私を守ってくださったというゴスペルが何故、現代アメリカの白人少年の心を掴んだのだろう? 単なる消費を目的とした音楽から免れるには「祈り」がなくてはならない、何故なら本物の音楽の原初形態はすべて祈りだから。そして祈りは癒しを導く。イージーかい? でもウィリーのダミ声に魅せられる理由は何だ。それは彼の歌が魔術の一環であるからだと僕は思う。

 少年ベックはおそらく背中を丸めて午後の退屈な授業をやり過ごしていたのだろう。だって彼個人の内側に開けた教室の方が余程、奥深かっただろうから。陽溜まりの教室の隅で少年は音を、言葉を、胸のうちに密かに紡いでいた。それはつまり祈りだ。そして祈りにも批評性が求められる時代を僕らはベックとともに生きている。

 

 

上の文章は一九九八年度、ロッキン・オン社の入社試験のために書いた作文。
一応、この作文でぼくは一次試験を突破しました。
まあ、想い出深い文章です。最近の音楽リスナー同士の会話は本当に困難。
それぞれの趣向が色んな方向に拡散していて、話題の共通項を見出すのに随分と骨を折るものです。
そんなとき相手が洋楽を好むひとであれば、とりあえずBECKは好きかと訊ねてみることにしてます。
そして余ほど、気難しいやつでない限り、みんな口を揃えてBECKを賞賛するものです。
広範囲に散らばったリスナーを結びつける希有なアーティストとしてBECKはすごく貴重な存在だと思います。
でも、何故それほどまでにBECKが支持されるのか、実はぼくにも良く分からない。
彼のどこがいいのかについて他人に意見を求めてみても、返って来る言葉は「かっこいい」「かわいい」なんて殆ど感覚的なものばかりです。
多分、訊かれた相手も答えに困ってると思います。そこが「BECK現象」の不思議なところ。
「好きだ」を誰もうまく理論化できない。それが現象としてのBECKなのでしょう。


今日のサンクス・メールは山本精一さま宛て。
きっかけは灰野さんからの依頼だった「山本くんが僕とやりたいって言ってくれてるんだよ」。
灰野敬二と山本精一DUO!?
もう、それはそれは一音楽ファンとして熱狂した。
山本さんとの接触は、ぼくが横浜で、山本さんは大阪という地理的なハンディ・キャップがあって、結構苦労しました。
それでも自分も観たい企画なら、みんなも観たいだろうし、東京の音楽シーンにとってもエポックと成りうるその日のために毎日頑張りましたよ。
当日は、パラノイヤーのモリザネヒトミさんが、企画の大先輩として遊びに来てくださって随分、助かりました。
さて、当の山本さん。
なんか、変なパーカッション持って来てます・・・・・・。事前に聞いてない! のですが、対処は簡単でマイクを設置。
リハで軽く鳴らすんです。軽く鳴らしただけでハイ、OKです。
正直言いますとちいともOKとは思えない出音でした・・・・・・。
さて、本番。ううむ書きたいけれど今日は書かずにおこうというこぼれ話があるのですが、いやぁ、凄かった。
ギターを弾いている方はご存知かもしれませんが、山本さんはDRというメーカーの弦を使用。この日も本番前に新しい弦に張り換えていました。
このDRというメーカーの弦は、当時(去年の夏)としては、日本で手に入る弦では一番切れにくく、音の良い弦として知られていました。
なのに切れました。
ステージの後半は弦6本中、2本位しか残っていません。
それだけアタックが強い証拠。いや、全力で弾きまくった証拠です。
相手が灰野さんだからなのか?
ボアダムスのときも凄いですが、この日ほど、弦を切るために弾いているような弾き方ってしてないような気がします。
もう、それが感動的。
ついでに山本さん、ダイジョウブです。弦2本でもPAからの出音はバッチリ、大きな音でしたよ(卓のひとが即座に対応してくれたようです)。
灰野さんに弦2本で挑むギタリストの心境ってどんなものなんでしょう。とにかく「いいものを観れた」。
この日は企画者であるより、観客でいたかったなぁ。いまでも残る「伝説の一夜」でしょう。文句なく。
さて、当日、リハで叩いていた変なパーカッション。本番では一切使いませんでした。ああ、山本さんって。
また、企画の際にはよろしくお願いします。
かっこいいって、こういうあり方もある、そう教えてもらった大切な人です(つづく)。


今日のサンクス・メールはルインズ、吉田達也さま宛て。
ということは昨日↑の続きであります。
というのも灰野敬二+山本精一DUOと同日に競演していただいたので。
凄いでしょ? 知らなかった方?
灰野敬二+山本精一DUOだけでも凄いのに、当日、ルインズも一緒ですよ。
吉田達也さんは実に飄々として、本当に音楽、音楽が常に頭に詰まっているだろうなってひとでした。
交渉のときもお金の話より企画内容だったりして(ここだけのお話にしてください)。
例えばヘブンス・ドアのタム(ドラム・セットの一部)って胴が深いんですネ。
「本当は浅い方が好きなんだけれどナ」
はい、承知しております。本当にごめんなさい(実は、そのお話を聞くまで、ぼくは吉田さん自らドラム・セットを持ち込むのが恒例なんだと勘違いしていました)。
さて、昨日のこのコーナーで語れなかったこぼれ話を。
お客さんのみなさん!
あの日、灰野敬二、山本精一、吉田達也トリオが観られたのは、まったくの予定外だったんですよ!
ぼくは事前に、「まったくないもの」と聞かされていて、その通り時間組みをしていたのですが、
灰野さんと山本さんのリハーサルのときに、吉田さんが飄々とステージに上がって、
「あのう、叩かせてもらってもいいですか?」
いいいいいいいいいいいいいいいいいい、いい!
ぼくが歓喜した途端(ホントに間を置かず)に始まった壮絶なバトル!
はっきり断言します。
本番も凄かったですが、一発勝負に生きるあのひとたちのこと、このリハのときの方が、
さらに鳥肌モノでした!
ましてや、トリオはやらないと聞かされていた身だけにびっくり!
唖然、呆然。
あの日は実はそんな経緯があったんです。
それも吉田さんの飄々としたお人柄のおかげですネ。
もうひとつこのひとって音楽のひとだなって思ったのが、
「ルインズの演奏が終わった後に場内に流していたのはナニ?」
って聞かれたこと。
そのCDはぼくが持ち込んだ「未来主義とダダ(原題はどこの国の言葉か忘れたので邦訳)」。
吉田さんなら有効活用してもらえるだろうと、その場でお渡ししました。
お元気でしょうか?
企画の際にはまたよろしくお願いします。


今日のサンクス・メールは井内賢吾さま
このひとはあらゆるジャンル分けを無効にするひとですね。
一言でアシッド・フォークというのは惰性かな?
ともかく唯一無二の声ときたら、のうみそかき乱されます。
井内さんとの出会いはモダーン・ミュージックの生悦住社長直々のご紹介。
灰野さんと三上さんが初めてヘブンス・ドアに登場した日に遊びにいらしてくださいました。
その際に渡されたCD「あなたの狂気の春が咲く」がとてつもなく震えた!
冒頭からこの世のモノとは思えない声!
ううむ、と唸ったんです。
でも当時、ぼくはMC5ノリのガレージ・ハード・ロック・バンド(←なんだそりゃ?)をやっていたので中々、
企画をあわせることが出来ない。ううん、でも生の井内さんを観てみたい。
しばらく暖めていたアイディアが陽の目をみたのは、我がバンドが解散したから。
なかおちさとソロでしたら井内さんとの相性も良いだろうと。
うん、結果として井内さん大成功でした。
毎回、毎回、違う内容でライブをされるのもぼくと似ていて嬉しかったですネ。
ただ今思い返すと脂汗が浮き出ることが・・・・・・。
井内さんと共演された河端一さん、ごめんなさい。あのムジカ・トランソニックのギターの方とは露知らず。
さらにあの日、イヴェントが大赤字だったのがもっといけない。
食事代しか渡せませんでした。
ああ、ごめんなさい。
井内さんへ。
「サボテンだらけの部屋」は一種の文化事業とだけ捉えていた若き日は終わりました。
持続するための努力をこれから模索します。
よかったらまたご一緒ください。井内さんの声がない「サボテン」はなんだか寂しいです。
井内さんの声をまだ聴いたことのない方は上述のCD「あなたの狂気の春が咲く 井内賢吾」がお薦めです。


今日のサンクス・メールは芝門さま宛て
芝門さま?
ええ、この方は早川義夫の私設非公認サイトを運営している方。
その他に哀秘謡、60’Sキューティー・ポップなども扱っていますが、
芝門さん、本当のことをここに書きます(ドキドキ)。
ぼくは高岡早紀のコーナーを見て全幅の信頼を置くことができました。
これからは高岡早紀へのサンクス・メール(ごめんなさいshivaさま)。
早紀さま、あなたは本当にミュージシャンに恵まれていましたね。
アルバム「S’wonderful」のウィスパー・ヴォイスは日本であなたしか出せない、似合わない美しいもの。
あのアルバムはいまでもときおり聴いています。高橋ユキヒロの曲をつまみ食い。
なんて、具合にこんなところにも目をつけているんだっていうのが芝門さんの懐の広さ。
アドレスは、
http://www2u.biglobe.ne.jp/~asa-gao/index.html
です。
ぼくがこのサイトを始めた際に「ライブ・スケジュール」のようなコーナーを持たずにいようと誓ったのは、
芝門さんのサイトの方がずっと充実しているからです。
ぼくの企画の際なども問い合わせのメールなどを頂いて、ああ、本当にきちんとしたひとなんだって感心。
さらにBBSが活発なの。
特にGKplannningの金田さんや川口さん(ブルーム・ダスターズ)とバッタリ出会ったりして、
なんだか道端で遭遇したかのような心境になります。
芝門さん、これからも東京(に限らないか)アンダーワールド(に限らないか)のナビゲイターの先輩としてよろしくお願いします。
当面、友部正人さんの企画の進行具合は当サイトと芝門さんのBBSに限らせていただきます。


今日は年の瀬なので今年の私的音楽事情総ざらい。これは芝門さんのサイトで盛んな企画。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~asa-gao/index.html
そこでの私論をゆっくり説明。
ぼくの2000年発売のCDベスト3は「ライブ 哀秘謡」「nyc ghosts&flowers SONIC YOUTH」「Light Flight PENTANGLE」
他にも村八分のライブとかありますが、あれ、音悪くて全編聴いてないです。
今日は、巷では疎んじられそうな「nyc ghosts&flowers SONIC YOUTH」を。
まず冒頭のアンビエント・ギターによるアルバート・アイラーの「GHOSTS」解体が見事。もうこれだけでNO.1決定って感じ。SONIC YOUTHのお家芸のノイジーなギターなら全然感動しなかったと思うけど、もう一方、自主盤などで試行錯誤していたアンビエント・ギターでの挑戦はその心意気を買いたいネ。美しいです。
今回、サーストン・ムーアは冒頭曲とキム・ゴードンの曲で素敵な歌声を披露していますが、ちょっと控えめ。
反対に耳を引かれたのがリー・ラナルドのポエトリー・リーディング。
いやね、めずらしく日本盤で買ったので、彼らの詩世界に触れたのは今回が初めてなんですよ。もう13年来のお付き合いなのに。うん、いいですね、歌詞も。
「君は実のところ有名なのかい?
自分が求めていたものになじみはあったのかい?
今ならそのすべてを受け入れられるかい?
物語のあらゆる欠陥を穏便に埋められるかい?」
とくに最後のラインが素敵ですネ。
その他にも作品としてコンパクトに実にまとまりよくできていて、彼らの作品の中でもベスト3に入るかな。
「DAY DREAM NATION」「EVOL」と並ぶ。
うん、円熟期の名作ってところで、いいのでしょう。

 


サンクス・メール 静香さま
「閉鎖病棟の女神たち」に守られて、三浦静香のか細い声音は、しかし強い訴求力を持つ。
三浦真樹のギターが紡ぐ世界もまた美しい。
三浦真樹さんがぼくにくれた言葉を信じて、未だ音楽の淵に留まっている自分がいる。
「35歳(当時の真樹さんの年齢)にまでならないと音楽は分からないよ」
その通り、ぼくは日々音楽について分かってなかった自分に気づかされる。
ぼくが音楽を続けていられる大きな背骨は、真樹さんの言葉だ。
ぼくの宝物に、静香さんがくれたフォト・メールがある。
いまにも砕けてしまいそうな人形。人形作家として著名な三浦静香の手作りのフォト・メール。
痛いものと優しいもの、痛いからこそ優しさを希求するその人形の目が美しくて愛しくてたまらない。
静香のようなバンドを作りたい。
はかなさに消え入ってしまうその一瞬の美しさを切り取るような、そんなバンドを作りたい。
でも、静香にはかなわないだろうと思う。
予めの敗北宣言だ。
痛みを生きる過酷さは、ぼくが35歳になったら気づくだろう。
まだ7年もさきのこと。
次回「サボテンだらけの部屋」は静香を中心に組み立ててみたい。
本当に好きなんだ。あの世界、世界静か。


今日のサンクス・メール ゆらゆら帝国さま
ぼくは本当に幸運だったと思う。ゆらゆら帝国&灰野敬二の企画をやれたこと。
いまやフィッシュマンズもサニーデイ・サービスもいなくなってしまったオーヴァー・グラウンドにあって、
ゆらゆら帝国だけがぼくらの希望になってしまった。もうワクワクさせてくれるバンドはゆらゆらだけだ。
見送りの日というぼくのバンドを観に来てくれた縁で、キャプテン・トリップの松谷さんから坂本さんとコンタクト。
一時、灰野さんのオーストラリア・ツアーのために企画内容が変わりかけたとき、坂本さんはきっぱりと断言した。
「灰野さんと一緒じゃなければやらないです」
それは強い語調だった。姿勢のしっかりしたひとだと改めて感じた。
1997年11月1日。つい先日までメジャーでの1STのレコーディングをしていたゆらゆら帝国。
レコーディング後、初のライブというのも嬉しい。
内容をあとから追うと、1STアルバムの曲順通りにステージ進行。これは1ST発売後になって気付いたコト。
圧巻は最終曲「パーティはやらない」。
ラストの言葉がぼくを撃った。
「まつりは最初からなかったのさ」
祭りの主催者のぼくはこの一語に震えた。
いま日々を生きる上で思う言葉もこの曲に詰まっている。
「楽しいときにも、忘れちゃいないさ、終わりが来ることも、戻れないことも」
いつか楽しいときも終わるのだろうか? 
せめてひととき、ゆれていられるのはいまだけだ。


そのときなにが起こったのか、誰も知りえなかっただろう。1966年、’67年の英国だ。
THE CREATION。こんなにルーツの知りえないバンドはない。アメリカ大陸にはTHE SONICS(今後、取り上げます)などガレージ・バンドが揃う諸条件があったが、しかし。
THE KINKS THE WHOはいた。ストーンズもまた然り。ただ、それでもTHE CREATIONは伝統や下地といったものから隔絶した印象がある。
いまだ日本盤が出ていないのも仕方なし。補足する文体がないのだ。
いびつにちぎれまくったファズ・ギター。表面を取り繕っただけのヴォーカル・アンサンブル。
果たしてこの連中はどこまで確信犯だったのか?
バイオ・グラフィより太いベース・ライン、壊れたギターに答えを求めたい。
この英国で隔離されていた文体は、その後、アラン・マッギーによるCREATIONレーベルで花開く。
アラン・マッギーは「CREATION(創造)」より、「THE CREATION」こそを求めていた。
このレーベルに在籍していたRIDEがTHE CREATIONの代表曲「How does it feel to feel」を完全コピーしている。
決してカヴァーではない。完全コピーだ。
いま手に入るのはフランス盤のコンピレーションのみというのもおかしい。
いずれにしてもどうにも取り繕いのし甲斐のないファズ・ギターの上から、シュガー・パウダーを降りかけたこのバンドを記憶に留めていていて欲しいと思う。
隔絶した文体だからこそ。



今日のサンクス・メール 友部正人さん、その1.
生涯で一番幸せだった日曜日は、築80年で老朽化が進み、取り壊しが決まったアパートメント。その中庭で女の子とふたり友部正人さんのライブを聴いていた日。あの日曜日。
♪きみがニューヨークにいるのと同じように、ぼくは東京にいる♪
「遠来」の歌詞が東京の一角に響く。それはしたたかに育つ樹木のようにたくましい。
友部さんの視線がぼくと女の子を捉えた。
「夕暮れ」が歌われた。
♪髪の毛のまだ柔らかい男の子と女の子が、ふたり手を繋いで河原へ降りてゆくよ♪
ぼくの髪の毛は柔らかくなんかないんだけれど、ふたりに向けて歌ってくれたような気がして、それはその日を忘れ得ない一日にさせるには決定的だった。
演奏が終わってぼくと彼女は誰かと談笑している友部さんに近寄って、こう言った。
「あの、当たり前な表現しかできませんけれど、本当に素晴らしかったです」
小学生のような感想だ。
友部さんはぼくと彼女を見て、笑いながらこう言った。
「客席の真中にいたでしょ」
はい、客席の真中であなたの歌のひとつひとつを、
追いかけるように口ずさんでいました。
生涯で一番幸せだった日曜日。
今日のサンクス・メール。


今日のサンクス・メール 三上寛さん その1.
毎度「サボテンだらけの部屋」に出てもらうたびに、鳥肌の立つステージをして頂いています。
今日は「夢は夜ひらく」を。
こんな名曲を自身のイヴェントで歌っていただけるとは思いもしなかったです。
「サルトル、マルクス、並べても、明日の天気は分からねぇ。
やくざ映画の看板に、夢は夜ひらく」
こんな観察眼を三上さんはどうして手に入れられるのか、
凄いの一言ですネ。
ぼくはサルトル、マルクスの両方とも好きですが、確かに天気予報に頼らなくては、
明日の天気も分からない。
そして夢。
やくざ映画にこそ仁義を亡くしてこそ得られる夢がひらいている。
「サボテンだらけの部屋」
東京三軒茶屋の小さなハコ。
目は寛さんの巨躯に釘付けになりながら、震えていたのを思い返します。
三上寛さんへのサンクス・メール その1.


今日のサンクス・メール 三上寛さん その2.
ぼく自身のステージが終わった後に、三上さんがこう仰ってくれたこと、忘れません。
「いやぁ。今日、きちんと(なかおちさとのステージを)観て、はっきりと分かりました。
この表現はあなただけのものです。言葉の選び方といい、すべて本物です。
これまでよく貯めてこられましたね」
もうびっくりしました。
コレは単なるぼくの自慢話ではないです。
ぼくは上手くいったステージの度に「凄かった」「びっくりした」「格好良かった」
という素朴な感激の言葉を頂いてきました。
素朴な感激。
それはそれで嬉しいものですが、
三上寛さんのように、
ぼく自身が本当に狙っていた表現を、
ねらいどおりの言葉に直して提出してくれたひとは、
これまで三上寛さんだけです。
すっごい光栄と、もうひとつ、
やはり、このひとは語れるひとだと。
そして確かな観察眼がそれを支えているのだと確信させられた一夜。
忘れることなどできません。
三上寛さんへのサンクス・メール その2.


今日のサンクス・メール カールマイヤーさま
カールマイヤー? って方はモダーン・ミュージック(明大前)か、京都のヴァニラ・レコーズに問い合わせてみて。
当時、暴力温泉芸者を擁していた京都のインディー、ヴァニラ・レコーズが赤字覚悟でリリースして本当に赤字になってしまった、いわくつきのユニット。
女性ヴォーカリスト、男性ギタリスト、ベーシストの3人編成。
その上、各自がパーカッションをやっています。
代表作はカセット・テープ「カールマイヤーep」。
この作品は論を待たない名作です。
ぼくの友達の入院患者が病院で聴いて恐れをなしたそう。
そう、狂気に引き込まれるようにして怖いんです。
もうひとつの作品こそ、いま再評価してほしいもの。
カセット・テープ「カールマイヤーの世界」
「カールマイヤーep」は3分間勝負なのですが、こちらは60分もの。
当時、ヤマハの4チャンネルのアナログ・マルチ・テープ・レコーダでできることをすべてやり尽くしています。
時間軸を縮めたり、伸ばしたりで、本来そこにあったけれども、そのままの形ではなかったものを、
見事に引き出しているんだな。
このユニットのギタリスト兼テープ編集者がぼく。
ええ、ぼく。
売れなかったけれどノイズ関係の方の記憶に残っていて、
いまでも時々、
「なかおさんってカールマイヤーのなかおさんでしょ?」
って言われて、出演交渉などがスムーズにゆくのが嬉しいです。
ただ本当に誰か発掘、再評価して欲しいな、
だって、ホントに「いいんだもの」。


「sonimage records」にて不失者のファーストのレヴューがやっと終わった。なんて文章を書き始めたところに今、灰野さんから電話が掛かってきた。「明日、ローディーお願いしていいかな?」。閑話休題。
ぼくは灰野さんの音楽を言葉に直す困難に挑んだ。挑んだつもりが、今のところ完敗だ。
実況と印象批評だけなんて淀川長治の映画批評みたいだ。
それでもぼくはこの困難に挑みたい。相手は音楽なのだ。音楽史上の先端にあろうとも、相手は音楽なのだ。
どんな言葉で補足するか? 角度をどう挑むか? 分からないが、いずれ批評と切り結ぶ「一瞬」があるはずだ。
「一瞬」。それは絶対に一瞬だ。一瞬に過ぎない。
そこを掴まえたい。
ぼくは次世代に灰野敬二を伝え残さなくてはならない。
音楽が、音楽を途切れさせる前に。
批評家としてではない。
一介の音楽家としてだ。


魔法の話は止めよう。音楽なのだから。
灰野敬二の黒人音楽嗜好で一番最初に名前が挙がったのは、ブラインド・ウィリー・ジョンソンだった。
ぼくが上述の「少年ベックの教室」で触れている彼だ。
ただ、魔法の話は止めよう。
まずウィリーを聴いて一番に惹かれるのはドコ?
声だ。あのささくれだった声。
しかし円環を描くうた、あれはなんのためなのか? 魔法の話は止めておきたい。
ちょうどいいサイズの言葉は「信仰心」だと思う。
そしてときにウィリーときたら円環を打ち破る。信仰心でたおやかに作り上げた円環を信仰心でまたひとたび、切り裂いてみせる。ゴスペルは実は信仰そのものになる。
だから、魔法なのだ。音楽にとって、信仰心という魔の法則に乗っ取ったもの。
音楽だけで語ろうとすると、簡単に壁に打ち当たってしまう。
生きるための信仰。
生きるために紡がれた音楽。
ひざまずく必要はない。ただ目を閉じて、日々を生きる糧としたい。
だから、ぼくらはブラインド・ウィリー・ジョンソンと手を切ることができない。


今日のサンクス・メール 割礼さま その2.
「空中のチョコレート工場」
相変わらず、ぼくは途方に暮れたとき、割礼を聴く。10年前の仕草となにも変わらない、ネ?
パーティー会場にひとり、誰に微笑みかけていいのか分からない、そんなときの切なさとか。
喧騒の街中を、チラシ配り、ティッシュ配りを、よけて足早に駆け抜けるときとか。
誰かから電話があったら、電話に出るの辛いよって気分のときとか。
10年前から変わらずに割礼はぼくの、そしてみんなもそうと願うときの、密かな抜け道のように、ほの暗い入り口であり続けてくれる。
「眠っているのか? 走っているのか? 頭が止まらなく 君に会いたい (中略) 夜を身にまとって 君のいない明日に行こう (HOPE)」
「君に会いたい」「君のいない明日に行こう」
どちらも「分かるんだ」。
ふたつ、ときを、ひとを、同じくしてある「気持ちの不思議」。
割礼はいつもそれを歌に直してくれる。
かってのように時間軸を自在に操る魔術、そのあり方が変わったんですね、宍戸さん?
新メンバーとの結束の固さを、ぼくは間近で見ました。
音楽ではオンで進むのに、「気持ち」に触る詩が、相変わらず時間軸をなしくずしにする不思議。
ぼくはここにいたい。いつまでもという訳ではなくて。
例えばパーティー会場で話し相手が見つからないときとか、自分の微笑が歪んでないか気にしてしまう夜とか。
そんなときにはここにいたい。
時間軸「割礼」。


どうしても心弱いときがあって、そんなときは甘いものに手が伸びるように、シュガー・パウダー・ミュージックに頼る。
THE LEFT BANKEはその最たるもの。疲れに良く効いてくれる。
このバンドの稀有なところはメンバー全員がルックスだけでモデルにだって合格! って感じなのに、さらにシュガー・パウダー中のシュガー・パウダーってくらいに極上な音楽を残したところ。
この頃のイギリスは、本当に離れ小島にこそ素敵なものがあるんだよね。発掘が大変で仕方がない。
さて、シュガー・パウダー・ミュージックとぼくが呼ぶポップスの一形態。
このバンドに関しては、
前半期は特にその傾向が強い。
反面、後半期は「サージェント・ペパーズ症候群」に呑まれてしまっている。
「サージェント・ペパーズ症候群」はオリジナリティを求めて、みんな横並びのものを造っている、
そんなどうしようもなさが漂う。
THE LEFT BANKEもその例外ではない。
ただ横並びではあっても聴くものがないわけじゃない。
好みは分かれるにせよ、前期、後期ともにどちらも内容においては詰まっている。
オリジナル・アルバムは二枚、こちらは国内盤が出ています。
でもお買い得で、お薦めなのは1966年から1969年までの完全収録盤。
これは輸入盤になりますがポリグラム傘下のマーキュリー・レコード発なので見つけやすいと思います。
うん、今日、こころ、少しダメだったんだ。
ありがとう。


友川かずきさんを最初に触れたのは、PSF盤でリイッシュー発売された「無残の美」。
震え、搾り出す歌声にすぐさま飲み込まれた。あまり語られることがないけれども、ギタリストとしても命削っている音。こんな音出せるものではない。
「無残の美」について、心弱い今日、なにが語れるものか?
ぼくが間近で友川さんを観たのはライブ会場ではなくて、川崎競馬場で重賞レースが行われた「平日」。ぼく自身もなんであんな所にいたのか? 明確な理由は分からなくて、一種の「依存」に身を呑まれていたときだった。友川さんはぼくと同じ予想屋から予想を買って、すばやく場内に消えた。一瞬だったけれどそのとき放たれていた勝負師のオーラ、忘れられないな。
先日、横浜でのライブの際、ぼくは友川さんにある企画の依頼(内容はまだ発表できません。ごめんなさい)を携えて会いにいった。予め「話す予定」でライブに行くときって緊張感も普段と違うもの。
でも、友川さんは非常に気さくだった。また、いつものようにすでにお酒を嗜んでいた。見知らぬぼくに優しい。
お酒、友川さんは照れ隠しに「緊張をほぐすため」と言っているだけで、本当はそこから搾り出すものに賭けていると、マネージャさんが教えてくれた。
ぼくに優しい。どんなに厳しい歌でも、友川さんはぼくに優しい。友川さんはお酒から搾り出せるものに賭けている。だからか?
来春、録音のCDに灰野さんが参加するという話が「偶然」まとまった。
本当のサンクス・メールを書き綴ると思う。今日から。


ここから2001年、21世紀だけれど、まだ20世紀の忘れ物について書かなくてはいけないって。
リアルタイムでの日本のオーヴァー・グラウンドのものの中で一番の宝石について書くよ。なんだか泣けそうだよ。
フィッシュマンズ「空中キャンプ」。
ポリドール移籍第一弾のこのアルバムは、それまでのフィッシュマンズにかけらだけ見えた美しさを、それ自体宝石のように「輝くもの、そのもの」に変えた。
アルバム冒頭のギター・トーンから足が地平を離れる気がする。
例えばその成果をリー・スクラッチ・ペリーのダブの手法に求めて、なんたらの影響なんて言う連中は気づけばいい。
それはそうかもしれないね。でも、リー・スクラッチ・ペリーがこんなにジャスト・サイズの感動をくれるかな、果たして?
それにしてもフィッシュマンズの本質は「変わってゆく様、そのもの」。
以前、キャプテン・トリップのかかしと打ち上げしたとき、当時のかかしのベースの方が「昔は、普通のバンドだったよ」と言っていたのを覚えている。ぼくも「空中キャンプ」から遡っていったからかもしれないけれど、「空中キャンプ」はやはりエポックだ。
最終曲が素晴らしい。一生、こんなところにいたい。
「夜明けの街まで歩いていったら、
こんなにも綺麗なんだね。
なんにもない。
ぐるっと見渡せば、
イライラも歯がゆさも」
ダブのためではないダブってこんなにも素敵なんだね。
もう心ゆれる新曲は聴けなくなってしまって、だから、ぼくはこの曲を繰り返し繰り返し回しつづける。


このコーナーであまり手に入りにくいアルバムは紹介しない方がいいとは思っている。
それでもそうした禁忌を踏み越えるアルバムがある。
浅川マキ「STRANGER’s TOUCH (東芝EMI)」もそうした一枚だ。
1989年、浅川マキ25枚目のオリジナル・アルバム。
ぼく自身、一番好きな曲「都会に雨が降る頃」が初収録されたのがこのアルバム。同じ録音は「DARKNESS T」でも聴けるので安心していただきたい。
それにしても浅川マキほど歌に憑依できる日本の女性シンガーは稀だろう。
特にこのアルバムでの淺川マキは一種の高みに到達している。
なぜいま手に入りにくいCDなのか分からない。ただ、あまりに多くの曲が名演なので「DARKNESS」シリーズに数多く収録されている。
それでもこのアルバムの価値は変幻自在な浅川マキの姿。
浅川マキ自身がライナー・ノーツで述べているように一本の映画を見たような印象が残る。
男と女の様々な場面が想起される。
ゲスト陣のプレイも素晴らしい。
どこかに眠っていたら即入手する価値があると思う。


浅川マキの話は尽きない。
好きな曲を挙げたらキリがない。また、その分、「分からない」曲も多い(ぼくは嫌いという言葉はあまり使わなくて「分からない」といいます)。
ただ一度、頭に染み付くともう歌が口許をついて出そうになる。
裏窓
「裏窓からは あたしが見える
三年前はまだ若かった
裏窓からは
しあわせそうな ふたりが見える」
ここでの「重さ」のある声をなんとたとえよう?
重いのではなくて、「重さ」がある声。
地声にすでに付着している
その微かなヴィブラートは、聴くものの心象風景をも揺らす。
裏窓がバタと揺れるのが分かる。
一昨年。アルバム発表から引退したと近所のCDショップの店長が寂しそうに言っていた。
本当なのか? いまだに疑いたい自分がいる。
幸いなことに、旺盛とは言わずとも、ライブ活動からは隠遁していない。
聴けるのはいまだけだ。


浅川マキのことを書くと歌に憑依できる日本の女性シンガーについて触れたくなる。
今日、書いてみたいのが中島みゆき。
まずその大きな欠点をひとつあげつらいたい。
中島みゆきってサウンド・プロダクションは可哀想な位にひどい。
同じくらいの大御所の矢野顕子があれだけ頑張っているのだからと力が入る。
でも、ここで捨てきれないのが中島みゆきの魅力だろう。
歌の力はやはりすごいもの。
恥ずかしいけれど先陣を切って宣言。
<疲れているときに「ファイト!」を聴いて泣くのは日本人なら当たり前だろう>
「ファイト! 戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう」
今度ステージでカヴァーしようか? いや少し冒険か。
「狼になりたい」もいい。
「狼になりたい ただ一度」
その通りだ。その歌詞のとおりに歌う。こんな当たり前が実は難しい。
不思議なのは、最近の曲の方が絶叫系のうたになっている点。
逆に衰えを隠すためなのかな?
という勘ぐりをしたくもなる御歳ではあるけれど、それでも最近の説教型歌唱法(?)の方が断然、心に痛い。
実はベスト・アルバムばかりで生半可な知識。
それでも魅力は否応なく伝わります。自分がサウンド・プロダクションを手がけられたらなんて無茶な夢想をしたくなる。
ベスト・アルバム「大銀幕 (ポニー・キャニオン)」でまた泣く(←普通な選択でごめんなさい)。



残された者たちは色んな話をする。26歳の呟きを洩らしたまま消えてしまったニック・ドレイクについて。
ぼくもまたそのひとりだ。
出会いはまだ浅い。ベスト・アルバム「The Way To Blue」発表日からだから。でも、その日から一週間と経たず、コレクションはすべて揃った。
3枚のオリジナル・アルバムと1枚の未完成録音。
ベスト・アルバムは国内盤がでていない(今、現在)。その他は国内盤が手に入るはずだ。余程の英語力があるひと以外は国内盤をお薦めします。ニック・ドレイクの詩世界を存分に味わって欲しいから。
「何も答えてはくれない時がぼくに呼びかける
ここにとどまるように
ハローもなければグッバイもない
立ち去るにしても立ち去りようがない」
これは「TIME OF NO REPLY」の一節にして、彼の遺言のようでもある。1974年11月24日、坑鬱剤の多量摂取で彼はこの世界から立ち去る。
残されたものたちは色んな話をする。
自殺説、一種のドラッグ死など。
ただぼくは素朴な説をとりたい。彼は心安く深く眠りたかっただけだったと。
鬱病に悩んでいた彼だ。音楽界での評価は高くても、彼の歌声はクラブの喧騒にかき消される毎日。
だから、だから警察は自殺と断定した。
それでも「立ち去るにしても立ち去りようがない」と呟き歌ったニック・ドレイク。その不器用さは自殺にも不器用だったと思う。思いたい。その晩、ただ深く眠りたかっただけ。だから坑鬱剤の入眠効果に頼った、それだけだ。
彼の歌声は死後、さらに評価を増す。
一度触れて欲しい。一度触れたら分かる。
ニック・ドレイクの歌声は、
立ち去るにも、立ち去りようがない。



最近の愛器、Baby Sitarは少し自慢したくなるもの。
ギターとは似て異なる。
高い音、シャリシャリしながらうねる不思議な音塊が自慢。
でも弦の数、チューニングなんかは同じだからギターの練習にもなる。
実はネ、企画が倒れて出演者に満足されなかったとき、ギャラの替わりに譲ろうかと思うんだ。
灰野さんが関心を持ってくれている!
でも手放さないで、自分の歌を紡いでいきたいのだよ。
ホントはさ。
シャリシャリしながら不思議に動くんだよ、
音の塊がね。


昨年末に目に飛び込んできたニュースで感慨深かったのが「サニーデイ・サービス解散」。
うん、もう限界だったのだろうと思う。
昨年の「LOVE ALBUM」は使いまわしと疲弊の証。その気配がチラチラしていたから。
原点回帰なのか細野晴臣の「恋は桃色」のカヴァーは良かった、ケレド。そう「ケレド」が付きますね。
「フリッパーズ・ギター症候群」のいちバンドから貪欲に新しい地平を探っていったひとたちの姿とはやはり違っていたと思う。
個々の作品にはそれなりの思い入れがあるので、今日は「LOVE ALBUM」の話に絞らせてくださいね。
まるでメジャー・セカンドの「東京」収録曲かと思われるような曲がオン・パレード。
最初はやはり寂しかったな。
多分「勇ましさ」に欠けていたのだと思う。
ライブでの曽加部恵一のギターの凄まじさ、知っていました?
結構、というか圧倒的にいいギターを弾くんですよね。特に「はちきれる」ときのギターが良い。
そのイメージが「LOVE ALBUM」では目立たないような気がしてね。
うん、あと繰り返しになるけれど「らしさ」を詰め込んだら、却って「らしさ」が消えてしまったなんてね。
以上、悪口ばかり。
ただね、いいアルバムなんだよって180度違う見解をしてみせたりして。
「東京」の頃の薫りが立ち昇ってきていい感じだって、そんな見解もできる。
曽加部恵一というパーソナリティは「サニーデイ・サービス」では仕事を終えたのだろう。
最後は原点へと回帰してみせた、そんないいアルバム。それでいいのかもしれない。
「LOVE ALBUM」。聴く価値があるかどうかはもう各自の判断ですネ。
かくいうぼくは、いま傍らのCDウォークマンで廻しています。


AGE28
忘れたいものがたくさんある。そんなときは忘れられないひとに会いたくなる。
CDショップでも心境は一緒。ただし、チャートに入っているもので心動くのはマドンナの新譜だけ。
FAUSTのBOX! いいけれどBBCセッション以外全部持ってるしねって、横浜にできたばかりのタワレコを歩く。
道は邦楽コーナーへ。
「SUNNYDAY SURVICE  FUTURE KISS」
出てたの知らなかった。幼稚園でライブか、5曲入り。いいね。
まだ初回得点がもらえたのも嬉しいやら寂しいやら。
2000年12月6日の発売らしい。
知らなかった。もう新譜なんて出ないと決め込んでいたからだ。
疲れて帰宅。
ターンテーブルにのっけた
(我が家のCDプレイヤーはSONYの名機、ターンテーブルにのっけるのと同じワクワクがあるのだよ)。
幼稚園の先生の素敵なMCからライブが始まる。
「スロウライダー」。
ああ、この曲がこんなに懐かしいものに、欠かせない過去になっているよなんて驚きだよ。
「へーい どんこうれっしゃ
へーい とっきゅうれっしゃ」
曽加部のカッティングは肩肘張らないもの。
↑「はちきれるときのギターがいい」なんて失礼。これもいいよ、今日は。
わ、「びんぼう」やってるよ、原点回帰は変わらないか。
ラスト曲は「NOW」。
「いつだってぼくはみちまちがって けんとうはずれのばしょにたどりつく」
聴き終わった瞬間に、頭からリプレイ。
繰り返し繰り返し聴いてやる。
忘れられないひとに出会ったんだ。
放さないよ。
いまは。
いまは、
AGE28


AGE28
U-19、20歳以下音楽そのものを否定する気は毛頭ないけれど、上等なU−19が欲しい。
この国の音楽はみんなU−19で規格統一されているから、AGE28もU−19にお世話にならなきゃいけないから。
フィッシュマンズもサニーデイ・サービスもいなくなった今、こころ揺れるのは「ゆらゆら帝国」だけ。
最近では「ゆらゆら帝国で考え中」があった。
名盤「太陽の白い粉」の後としては、昔ながらのゆらゆら帝国で攻められて、少し意外。
それでもU−19のすべてがここまで「録音」に拘っていてくれたら、この国も少しは変わるだろう。
プロデューサーはいつもの通り、元WHITE HEAVENの石原洋。
ギスギスした音作りがいい。
「ゆらゆら帝国で考え中」か、確かに考える場所はゆらゆら帝国しか残されていない。



音楽雑誌を買わなくなって久しい。音楽以上の情報、バイオグラフィーを必要とするアーティストが少なく感じ始めたからだと思う。
音さえあればいい、なんて。
ただ、こうしたコラムを書くようになって真剣にデータの必要を感じるようになった。
書きたくても「いい」だけで終わりそうだ。
Idaというバンドもそうしたひとたちの一群。当初は輸入盤だけだったけれど、いまでは日本盤が出るに至っている。
詳細なデータはそこに揃っているだろう。
男ふたり、女ふたりのユニット。
ニューヨークを拠点にしている。
幽玄の境地へ行きたいのだろう、アコースティック・ギターの音色にリヴァーブが掛かって綺麗。
コーラス・ハーモニーも男女が交錯する形。
やはり作為から「どこか朧なもの」を志向しているのだと思う。良質なポップ・ミュージックだ。
「初期のジョニ・ミッチェルは好き?」と尋ねたら、「もちろん」と答えるだろう。
こうしたバンドは過去にもいくらでもあったが、それでも耳を傾ける価値はあると信じる。
2000年発表。デビュー・アルバム「will you find me Ida」。



レイラはサン・フランシスコに生まれ育った。
AOLのチャットで知り合って、近所のトミーズ・カフェで友達と一緒に飲んだ。
いまはNOVAの先生をやっているんだって、いまでも時々AOLにONすると彼女に会える。
話は音楽のコトになった。トミーズ・カフェは洋楽オンリーのお店なので。
レイラはイエロー・モンキーのファンで、店の音楽に馴染めずにいたんだ。
へんなの。
ぼくの友達がビーチ・ボーイズが好きと言ったら、レイラは顔をしかめた。
大嫌いだって、ビーチ・ボーイズ。
サン・フランシスコに生まれ育ったらそんな気持ちを抱くのも当たり前かもしれない。
事実、中後期のビーチ・ボーイズを支えたのは、海を隔てたイギリスのファンだった。
去年、夏の終わりごろに一部の作品がリイシューされたので、一番、宣伝文句の大袈裟なのを選んで買った。
「SUNFLOWER THE BEACHBOYS」
1970年の作。
もはやジャンル分け不要の音楽。
完成度と安定度の高いこと。
サン・フランシスコでは初期の作品しか聴かれないのかな?
初期もいいけれど、中後期の良さを知っている日本の音楽市民でよかった。
レイラ、元気?



2000年の初め、パティ・スミスの呪詛的なヴォイスにやられたように、
今年も耳に突き刺さる声に震えている。
「Tom McRae」
日本盤が出ているので詳しいことはそこに記されているだろう。
ただ輸入盤にも歌詩がきちんと書かれている。「読む」に値する歌詞だ。
「ぼくなら月に行っちまったよ、みんなにそう伝えてくれ (2nd law)」
まだ幼さが残る青年の声は震えている。
ジャケット写真はモノクロームの彼の横顔。
サウンド・プロダクションも控えめで心地よい。
しばらくの間、エレクトリック・ギターを弾くニック・ドレイクとひとは称えるかもしれない。
それもあながち間違いではない。
ただ、やがては、彼の名前「Tom McRae」として記憶されるだろう。
いくつなんだろう、この声の持ち主は?
執拗なまでに緊張感が張り詰めたサウンドとその緊張感に見合う搾り出されるようなヴォイス。
いまのぼくには、男、バイオ・グラフィはそれしか分からないけれど、恐ろしい吸引力だよ。
大人が納得できるU−19。
早めにチェックしておいた方がいいようだ。
2000年暮れのデビュー・アルバム。


去年、この世を自ら去った、ひとりのアマチュア・ミュージシャンがいた。
JAZZをやっていて、ベーシスト。
ぼくとは近所のバーでのつきあいでしかなくて、そのひとの演奏をきちんと見られなかったことがすごく悔しい。
生前、JAZZの話になった夜、ぼくはフリー・ジャズが好きでという話になった。
「フリーもね、定型を一度きちんと極めたひとでないとね」
彼の返答はよく聞かれるもの。そして実際、その通りなのは、フリー・ジャズの発生そのものの歴史から来ている。
NYだけではない、日本でもフリー・ジャズ発生の歴史はブルー・ノートを一度、極めたひとたちが新たな方向性を求めて作り上げたものだ。
証言となるアルバムがある。
「銀巴里セッション 高柳昌行・新世紀音楽研究所」。
実際には新世紀を見ずして死んでしまった高柳昌行が、イギリスのトラッド・ミュージックの名曲「グリーン・スリーブス」に挑んでいる。
この演奏は至高の輝きを放って止まない。
普段はシャンソン喫茶の銀巴里で、ジャズマンたちは麻薬との縁切りを宣言するためにこのライブを行った。
山下洋輔や菊池雅章、富樫雅彦の顔がある。四グループのセッションをオムニバス形式で一作に纏めたものだ。
どの演奏もみなブルー・ノートに忠実だ。
色々な顔があるが、やはり高柳昌行の「グリーン・スリーブス」こそ、歴史的資料価値だけに留まらないなにものかを内包して美しい。
落涙した。
死んでしまった、/彼/ぼく/の、
AGE28


さかなのことを書こうとすると、どうしても思い出の話になる。
現在進行形のユニットに対してすごく申し訳ないけれど。
さかなを教えてくれたのは当時の女の子だ。
年上の彼女は素敵なものばかりを持っていた。
「マッチを擦る さかな」
アブストラクト、抽象的で形なんていいじゃんなんでも、
形にならなくてもいいじゃん、
「マッチを擦る」という短時的な一瞬を切り取ると音楽はそうなるんだね。
当時、すでに次作にあたる「水」が発表されていたけれど、
ぼくには「マッチを擦る」の方が魔法に思えた。
なのに、発売枚数のためか?
ぼくが「マッチを擦る」を手に入れられたのはずっとあとのこと。
探しているときには見つからなくて、諦めかけた頃に二束三文で売られていた。
きっと「水」が好きだというひともいるだろう。
沈み込むことのできるほど大きな空間が、あそこにはあるものね。
でもね「マッチを擦る」場所には、ほんの僅かな土地と時間への愛惜というのがあって、
そいつはどうにも捨てきれないものだったりする気持ち、
分かってもらえるでしょうか?
さかな
「マッチを擦る」
「水」
どちらを貴重に思うかは、それぞれ、そのとき、あなたは
どんなところにいたのか?
どんなときにくつろぎを覚えたか?
ということ。
さかなのことを書こうとすると、どうしても思い出の話になる。


友川かずきはトム・ウェイツのことを知っているだろうか?
今日、友川のCDを聞きながら、マネージャさんの言葉を思い返す。
「友川さんはお酒のことを照れ隠しに、緊張をほぐすためと言っていますが、実はお酒から生み出されるものにすごい拘っていらっしゃって」
トム・ウェイツの「アルコールは脳みそに一発、一発、銃弾を埋め込むようなものだ」という言葉を思い返す。
あまり呑めないぼくはどちらの言葉もあまり理解が行かない。
今日は三上寛さんとのカップリング「御縁 (PSFD−49)」を聴いた。
パチスロの当たり外れで「いったいぜんたいなんなんだ!」と叫ぶ男がいる。
笑おうにも笑えない自分がいる。
迫力?
生の横溢?
酒以外にもギャンブルもまた依存の対象に思える。
そこから誰のものでもない歌が生まれる。
依存の果てからだ。
それは、
信じられない。


age28

復帰後の早川義夫に「花のような一瞬」というピアノ弾き語り作品がある。ミニ・アルバムとでも言おうか。
いまの早川義夫にとやかく言う声は多い。でもね、彼の人生なんだもの。
彼の人生の結果こうなった。それは尊重すべきことではあれ、揶揄すべきことではない。
他の誰にだってどうしようもないことだったんだ。
ぼくはMDウォークマンに早川義夫を入れて散歩に出掛ける。
長い散歩道も気にならない。待ち合わせの駅も気にならない。
町風景。車窓の風景。列車の中。見えているもの。
近親相姦。不実な愛。見せられてしまうもの。
早川の歌は視覚に訴えるから散歩道が妖しく楽しくなる。
ピアノのペダルを踏む音が生々しい。
往来でひょいと首筋をすくめたぼくを他人は不思議に思っただろうか?
どうしようもないのだもの。
どうしようもないよね。
「花のような一瞬 早川義夫 (ソニー・レコーズ)」


AGE28
信じられない失態や失恋が続いて心というものが形をなさなくなってしまった。
本当に優しい音楽を求めてCDラックに並ぶ背表紙を見つめていると、
巨大なマスター・ピースに出会った。
CDをPLAYで部屋中に音を注いでみると楽園が覗いた。
「shleep  robert wyatt (ビデオアーツ・ミュージック)」
眠ってもいないのに、眠っているような、そんな気分だよ。
ロバート・ワイアット、言わずと知れたソフト・マシーンの名ドラマー。
悪ふざけが好きだった彼が、こんなにも落ち着いた音楽を志向するようになったのは、
事故による下半身麻痺。
ドラマーだった彼にとって下半身麻痺とはなんて残酷な現実だろう。
以来、彼の音楽は深化を遂げる。
ときに鬱の底を彷徨いながら。
それでも1997年作の「shleep」は鮮やかな色彩で奏でられる。
奏でられる、ただ夢だけが。
ただ夢だけが。
夢といったって、夜に見るあの夢。
あの夢のことだけなんだ。


今日はなんだか座っ派な気分なので、「ホントは怖くないフランク・ザッパ その1」です。
フランク・ザッパとは出会いが大事。
下手に現代音楽バリバリなのとこんにちはしてしまうと心臓が縮みます。
まずはいつも慣れているロックに近いものにしましょう。
「近い」そうです。ロックそのものなんておめでたい作品はザッパにはありません。
あくまでも現代音楽なのです。
現代音楽というと腰が重くなりそうですが、現代音楽の大半は音楽の遊戯性に頼ったものです。
だから遊び心で楽しみましょう。
で、詰まるところの入門編は「FREEK OUT! FRANK ZAPPA」。
これはデビュー・アルバム。
ビートルズだけが革命家なんて幻想は軽く吹っ飛びます。
のっけからストーンズの「サティクファクション」をパクリ。
その曲以外は実況も面倒な位ひねていて楽しい。
ただしこんなんザッパにはほんの初歩の初歩。
まずはこのアルバムでいい出会いを!
「ホントは怖くないフランク・ザッパ その1」でした。



もうダメだ。「入手しやすいモノ」なんて禁忌に縛られたら何も書けなくなってしまった。
「You Used To Think ERICA POMERANCE ESP」
1968年の録音だが、時代が移ろってもいまだ新鮮。バック陣は後にオクトパスというバンドに結集するが、エリカ嬢の声はこのアルバムでしか味わえない。
いまESPレーベルの作品は新譜では入手が非常に困難。中古で足を使って探してもらうしかないが、その価値は充分ある。
冒頭から、左右両スピーカを揺らすエリカ嬢の声。バック陣の演奏はアコースティックなのに、グルーヴ感抜群。
この鮮烈な印象は一度聴いたら忘れ得ないだろう。
その他の曲はスピードを少し落としてアコースティックに鳴らされる。
バック陣も面白いが、よく聴き込むと
ギタリストは伝統的なブルース・ノートに忠実だったりするので、革命の種はやはりエリカ嬢のヴォーカルに求められる。

上のジャケットを手がかりに東京中を捜しあぐねて欲しい。
「場を変える音楽」というものがあるとしたら、この作品だ。


2002年11月17日
付記

近年、入手が困難だったESPレーベルの作品群がオランダ経由で復刻され、発売にいたっています。残念ながら、いまのところ前回の大掛かりなレーベル全体のリイシューの際にあった国内盤での発売はされていません。
今日現在、確認できるカタログにはアルバート・アイラー、SUN-RAのESPでのすべてのアイテムと、エポックとして記憶される若干のJAZZアーティストのアルバムの再発です。
ROCKでもGODZなどはすでに復刻発売されています。
近い日にこの作品がまた店頭に並ぶ日が来れば、足を運べば、誰にとっても入手できる日が来れば、その日、「開く扉」がある。
そう信じています。
上記の記事を書いてからもう数年経ちます。
いまこの部屋にエリカ嬢の声が乱反射します。
このひとは「鼻歌をなんとも堂々と霊感を交えて歌い上げる」、だから情念に限りなく近いうたを身を震わせながら歌った。
拙い表現ですね。
ただ、たとえばブルースとは元々、(奴隷)労働中の鼻歌こそが始原でした。
鼻歌というものには実ははかりしえない可能性がある、そんなことを感じることしばしです。
今回、復刻されるESPカタログは、幸いなことに大きな輸入盤取り扱いのお店で入手できます。



このミニ・アルバムとのお付き合いはどの位になるのだろう?
ホント気まぐれにターン・テーブルに。
結構、飽きないものだと驚いた。
久しぶりの出会いでも新鮮だったんだ。
この再会で、しばらくヘビー・ローテーションになるかも知れない。
後に「KIDS」のサウンド・トラックで著名になったこのTHE FOLK IMPLOSION。
発足当時は元ダイナソーJRのベーシスト、ルー・バロウの新ユニットとして紹介された。
音楽の内容は・・・・・
昔、グランジ・ロックという言葉がなかった頃、
関東圏では「ジャンク・ミュージック」という造語で
ソニック・ユースからスティーブ・アルビニまで括られていた。
ダイナソーJRもまたそう。
後にグランジやオルタナティブという言葉で統一されたけれど、
このユニットの場合、ジャンク・ミュージックという言葉の方がよく似合う。
22分の間に14曲も詰めてくれる。
さらにいまだにジャスト・サイズの感動(?)をくれる。
当時はヴィニール盤だけだったけれど、いまではCD化もされてます。
国内盤は出てないけれど、比較的に探しやすいはず。
ジャンクです、ジャンク。


今日はね、スマップ。うん、IMEが一発変換する(ちょっと驚き)このスマップ。
ぼくはスマップの「曲」の重要さに気づくのが遅すぎたよ。
歌謡曲ってその時代時代を映すものなんだけれど、その王道を行っているのがもちろんスマップなんだなって。
若いエナジー炸裂! なら「ダイナマイト」「青いイナズマ」
もうこれ色んなアレンジ可能でぼくは爆音ギターでかき鳴らしたい。MC5かブルー・チアーって感じに。
好対照なのが「夜空のムコウ」「らいおんハート」。
こちらは時代を映しているかどうか怪しい、けれどいいメロディに歌詞も恵まれていて、サウンド・プロダクションもばっちし。小田和正(オフコース)が「(歌謡曲では)十年に一曲の名曲」と「夜空のムコウ」を称えた。
叙情派ニュー・ミュージックの大御所でなくとも、そう考えてしまう(宇多田ヒカルはまだ完成しえていない)。
個人的にはね爆音で鳴らすのが目に見える「青いイナズマ」かな。
それと「夜空のムコウ」「らいおんハート」。
「夜空のムコウ」が大作って感じで、「らいおんハート」は素敵な小品。
さて、以上のコラム(コラムだったのか!)、本人たちの歌唱力を度外視しています。
歌唱力チェックします? 一位キムタク 二位シンゴ 三位ゴロー 四位ツヨシ 五位ナカイ
ハイ・・・・・・誰に訊いても同じ順番ですネ。
「あの頃の未来に僕らは立っているのかなあ」
いい。
いいね。


今日のサンクス・メールは元CCCC、現Mne-micの日野繭子さま。
日野さんをライブで初めて観たのが灰野敬二さんとの共演atSHOW BOAT高円寺。
CCCC時代でまだ半裸でパフォーマンスをされていた頃。
毅然とした姿が、言葉の本来の意味でのエロスとしっかり切り結ばれていて、
いまでもその映像が頭に残っています。
「サボテンだらけの部屋」でもMne-micで迫力のあるライブを行ってくれました。
迫力と貫禄。
そうですね、きっとこのふたつの言葉が似合うのではないでしょうか。
華奢な体つきなのにステージ上での存在感の大きさときたら!
実は三上寛さんは女優時代の日野さんをご存知だそうで、でもいまの姿を間近に見たことがないそう。
いつか同窓会イヴェントを行います。
普段から、さっぱりとしたお姉さん的な人柄で、つい甘えてしまい、ギャラ・・・・・ごめんなさい。
Mne-micでのエピソードは、リハーサル中に外音(そとおと=客席に聴こえる音)を確かめにフロアへ。
そこで「もっと、もっと音量上げてください! お客さんかえちゃってもいいですから!」
その話を後から聞いた主催者のぼく。
いやあ、「らしくて」気持ちがいいエピソードです、本当に、本当に。
また近いうちにお電話差し上げます。よろしくお願いします。
なかおちさとより日野繭子さまへ


34歳の若さでNYのイースト・リヴァーに溺死体となって浮かんでいたアルバート・アイラー、
1970年11月25日のことだ。
先立つこと6年前、フリー・ジャズ革命前のアイラーの演奏を聴きたい。
1964年2月24日、NYアトランティックスタジオでの録音。
一曲目から美しい。
「ゴーイン・ホーム」
スピリチュアルに忠実な彼の音。
音、そう音が素晴らしい。
深い。こんなにも深さのあるサクソフォン演奏は稀だ。
高柳昌行はことあるごとに「アイラーに戻れ」と言った。
高柳でなくても、「ゴーイン・ホーム」、この演奏の傍に戻りたい日がある。
慈愛を深く包んだ音楽の奇跡。
革命以前のアイラーにも触れて欲しい。
忘れられない家、こころというものの住み処になるはずだから。



時代はあまりにさりげなく忘却という仕草をぼくに強要する。
シンセサイザーと打ち込みに明け暮れていた日々があった。
そのとき、例えばThe Orbの新譜が出れば必ず手にしていた。
時代はすり抜けた。知らぬ間に。
もはやCHILL OUTはとっくの昔に死語になっていて、そのことを気にするものはもうフロアにはいない。
一昔前だったら系統だって紹介されていたThe Orbの偉大な祖先も、いまでは隔絶した文体になっている。
それでもときに思い返したように手にとってはCDのプラスティック・ケースの重量だけを確かめるアイテムが在った。
TANGERIN DREAM「ALPHA CENTAURI」。
タンジェリン・ドリームの2ND?
もはやぼくの中でも古い知識は隔絶してしまった。
このアルバムの不可解なところは秩序だった背景に、秩序を免れた音響が鳴り響いて、
修復不可能なまでに渾然としている点だ。
形あるものと形を志向しないものが重なり合うことを知らずに延々と演奏される。
隔絶したのも無理がないと思う。
輸入盤でしか手に入らない。それも粗悪な装丁だ。解説どころかクレジットもない。
それでもときに手を伸ばす。
もはやロックとは言わないだろう?
現代音楽かゴミだ。
正直、距離を測りかねるこのアルバム。それでも手にする価値はある。毎度ながら隔絶した文体だからこそだ。
思考が錯乱する、その歓喜だ。
「ALPHA CENTAURI」
原初、ただそれだけを実現したかったのだろう。
同じく無秩序ともいえるアモン・デュールと違い、
カルニヴァル的な祝福という色彩からも隔絶している。
極論すれば「ひとに幸福を授ける音楽」ではないのだ。
屑か、稀有な作品か
この隔絶した文体が将来的に再び編まれることがあれば、
後者、稀有な作品として聴き継がれるだろうが。
成り行きを見守っているのは自分だけのような気がしてならない。



age28
こんなage28になるなんて想像すらできなかった。
年末、ふとした好奇心から「希望 山崎ハコ」のマキシ・シングルを購入した。
引きこもりのひとへの応援歌として、「進ぬ 電波少年(日本テレビ)」内の企画に使われたものだ。
購入の動機は単純な好奇心。
手にした当時もあまりピンと来るものではなかった。
CD店の店長も「イメージと違いますねえ」と笑っていた。
それでも幾月かが過ぎて、こころ疲れたいま。
この歌が自分でも心配になるほど心に染みる。
以前、歌に憑依できる日本の女性歌手として浅川マキや中島みゆきを紹介したけれど、
山崎ハコか。
忘れがちなシンガーだけれど実力は確かだった。
age28。
ブレイク・スルーはあともうすぐ。
今年のうちにぼくはオーヴァー・グラウンドに飛び出せるという確信が、不確信を招き寄せる。
こころが眠りたがっている。
考えるな! と。
曲を素直にいいとは言えない冷静な自分がいて、
やはり歌に憑依する力、その困難さが身に染みるのだろう。
最初はただの好奇心だった。
age28
夜明け前。


2000年は思うように新譜どころかCDを買い漁れなかった。
理由は大半がプーさんだったのと、グールド熱で資金配分のかなりがグレン・グールドに注がれたから。
グールドにしてもテロニアス・モンクにしても、音楽というか目の前の楽器との関係をかのように結べたら! と心底、鍛錬の必要を感じる。
テンポ云々の前に、目の前の音楽や楽器との関係が自在であることの方が大切なのだろう。
グールドといえばバッハ弾き、あとベートヴェンのソナタ集が著名で、かのアルバム群についても触れておきたいのだけれど、今日は異色な取り合わせに思えるモーツアルト盤を!
まず冒頭からクールでいながら生命感みなぎる演奏に度肝を抜かれる。こんなモーツアルトなら大歓迎だ。
うん、実は普段は嫌いなんです、ぼく、モーツアルト。下手な人がモーツアルトやると最悪でしょ?
でもグールドなら聴けてしまう。贔屓の引き倒しだけではアレルギーは治まらないもの。やはり秘密があるのだろう。
グールドは無調音楽も得意としたという。実際、ビデオにも残されていて、大胆な演奏をする。
そのグールドが合目的な音楽の代表モーツアルトに競り勝つ!
このアルバムは非常にカラフルだ。1965年から67年のスタジオ録音。
タッチの強弱も絶妙。テンポ云々の話はこの辺りの大切な話を流してしまう。
すべては目の前の音楽と楽器をいかに自分のものにしえたかの証から派生するように思える。
つまりタッチの話もテンポの話も並列の次元のお話で、大元はいかに音楽と、それに付随する楽器との関係を切り結んだか? にあるような気がする。
いまだグールドを耳にしていない方にはやはりバッハをお薦めしますが、バッハは聴きましたけれどという方! カラフルなこのアルバムの至福をどうぞ! あとぼくと同じくモーツアルト・アレルギーの方にも、このアルバムなら安心してお薦めできますね。
「モーツァルト グレン・グールド ソニー・クラシカル」



相手はローリング・ストーンズだ。
本来ならば系統だって説明した方がいいのかもしれないし、将来的にはそうするかもしれない。
それでもこの「ディッセンバーズ・チルドレン」は不思議に思える。
なぜ、このような楽曲に結晶したのかが不明であったりする。
時期としてはこれまでのカヴァー路線とオリジナル路線が渾然一体となって交わるころ。
「ひとりぼっちの世界」や「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」が、
このアルバムを不朽のものにしているが、A面にあたるカヴァー楽曲がまた不思議。
まずはメタリックなナンバーで幕を開ける。
この曲を聴いていると、このアルバムに「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」が入っているなんて信じられない。
続くチャック・ベリーの曲のグルーヴィーなこと!
本当にベースはビル・ワイマンなのかな?
とにかく「とっちらかった」印象のA面。
それが、オリジナル曲の混じるB面になると途端に制御された印象になる。
それにしてもこのアルバムは
「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」に尽きる。
年長の兄を持ったためにませていたぼくは小学校2年生でこの曲を知った。
美しさに落涙した。
ビートルズのバラッドだけが美しいなんて神話から、ぼくという子供は早く自由になれた。
いま哀秘謡で灰野さんがカヴァーしているこの曲。
灰野さんは出掛ける前に自宅の猫に
「今日はみんなを泣かしてくるからね」
といって部屋を出るという。
そのとおりぼくらは涙を流す。
誰も知らないだろうエピソード。
全編を通じて若い男たちの不器用さが愛しいこのアルバム、やはり、
マスト!



向井千恵さんへのサンクス・メール
実は身近な女性アーティストで、向井さんほど尊敬しているひとはいない。
普段の本人はなんというか面白い方(失礼)なのだが、ひとたびステージに上れば神々しい輝きを放つ。
観たことはないが、オノ・ヨーコが「才女」だったときってこんな風なのだろうと思わせる。
ヴォイスは母性のきらめき。
胡弓は母性のさざめき。
ライブ・ハウスは子宮になる。
向井さんのパフォーマンスの最中、ぼくらは子宮内に留まっているような、そんな錯覚を抱く。
ぼくがベスト・パフォーマンスを見せた日にも「サボテンだらけの部屋」に出演してもらった。
向井さんの演奏も、
その日のぼくのベスト・パフォーマンスを超えるような迫力で、その日一日は本当に素晴らしい日だった。
ぼくと向井さんには共通項が在る。
シンバル・パフォーマンスだ。
ぼくもシンバル・パフォーマンスをするが、時期的にはもちろん向井さんの方が大先輩にあたる。
ぼくは特別、向井さんの影響でシンバル・パフォーマンスを始めたわけではないが、
あの業の音響的と視覚的な効果に惹かれあうところに、
向井さんのパフォーマンスがしっくりくる内在的な要因がぼくの中にあるのだろう。
これからも機会をともにできると信じています。
音楽を途切れさせないために。
なかおちさとから向井千恵さまへ


相手はニール・ヤングだ。本来なら系統的に辿るのが正しいのかもしれない。
なんて、さてこのアルバムに関してはファンの間でも評価が分かれるところがぼくには不思議だ。
ギター弾きなら必ず憧れるだろう。ディレイをたっぷりかけて画像を見ながら一発録音。
この場合普通、指癖が出るものだ。
ニール・ヤングもそうだろう。このアルバムでも同じパターンが繰り返される。意図的というよりは指癖だ。
この指癖でこのひとの音楽嗜好が分かる。
伝統的なブルース・ノートに近いようでいて、実際は少し、いや多分に違う。
やはりフォーク、トラッドでならした腕なのだろう。
過去の作品のフレーズが思わず顔を出してしまうのもまた愛嬌だ。
また左手ばかりに気を取られていると、右手を聴きそこなう。
いい右手、ピッキングだ。
強いばかりではない。強弱に不器用な滋味がある。
ニール・ヤングやルー・リードは演奏者としての評価が追いついていない。
よく言われることだが、このアルバムを聴いても同じ感想を抱かざるを得ない。
いい音だ。
エンドレス・リピートで浸っていたい。
このアルバムを嫌うニール・ヤングのファンは、ニール・ヤングのその他のアルバムでも、
ニール・ヤングの「なにか」を聴いていない。
そんな気がする。


「マン・レイの涙をジャケットにする勇気」、それはどんな自信に支えられているのだろう!
そしてそんな企てが成功するということはどんなにか奇跡的なことなのだろう!
「MORE SAD HITS DAMON&NAOMI」。
来日公演の直前に空中分解してしまったGALAXY500。
ベーシストだったナオミとドラムだったデーモン、ふたりが1992年に届けてくれた宝石。
一曲目から落涙する。
あの世界が戻ってきた! って落涙する。
GALAXY500は日本ではギターのディーン・ウェアハムが中心人物のバンドだと思われていて、実際もその通りだったのだろうけれど、ナオミとデーモンの嗜好がGALAXY500で果たしていた重大な役割というものを、
ぼくらは「MORE SAD HITS」に至って知ることになる。
マン・レイの「涙」をジャケットにあしらったこのアルバム。
郷愁感と浮遊感。
GALAXY500の重大な秘密が全開で繰り広げられる。
プロデューサーのクレイマーのお陰からか? きっとそれだけではない。
つまり水中にエコーするようなナオミの声はナオミにしか出せない。
GALAXY500の秘密のうち、郷愁と浮遊感を支えていたのはこのふたりだったという証拠。
10年後でも色褪せないこの世界。
つまり「マン・レイの涙をジャケットにする勇気」、それはどんな自信に支えられているのだろう!
 そしてそんな企てが成功するということはどんなにか奇跡的なことなのだろう! 
輸入盤でしか手に入らない日本の貧困。それでも輸入盤取り扱いのお店なら探しやすいはず。
それは聴かれている、聴かれつづけている、その証拠。マスト!



我らがSPACEMEN3が音楽史に足跡を刻むとしたら「dreamweapon」だけだ、
そう嘯(うそぶ)く人間は音楽史を点としてしか捉えていない。
ひとと音楽の付き合いは点(パンクチュアル)なものだけでなく、面であったり、線であったりすることを忘れている。
音楽史的にはゴミとされるSPACEMEN3の1stを聴こう。
ここにはやりかけ、やりのこしの仕事が、残骸がキャッチーなナンバーの後ろに隠れている。
ソニック・ブームの、ジェイソンの音響への挑戦はこの作品ですでに始まっている。
やりかけたまんまシュガーパウダーをまぶして出来上がり。確かに安い音楽だけれど、捨ててはいけないだろう。
懐かしくも音楽史には名前を残さないLOOPとともに、
’80年代後半のイギリスのダーク・サイケ・バンドとして、彼らは名前を轟かせた。
SPACEMEN3!
日本のダークな音楽史と合わせてこのアルバムを揺らしてごらん!
分かりやすいのだ、日本のダークなシーンにとって、このアルバムは!
踊れる。造作もなくこの音楽で踊ることが出来る。
「dreamweapon」だけで良しとする日和見主義の評論家はそれでもステップを刻めないだろう。
刻む気もない?
そうかもしれない。ひとと音楽の付き合いが点の彼らには線を描けない。
幼さにこそその後の豊饒の芽がある。
テキサス・サイケの影響が濃厚。
とにかく、彼らがその出発点でなにを見ていたのかよく確認しておくこと位、まっとうなリスナーの仕事だと思う。



好きな女性シンガーと問われれば、真っ先にアン・ブリッグスの名前を挙げる。
ブリティッシュ・トラッド・フォーク・リヴァイバルの先駆者だった彼女の記録は思いのほか少ない。
1971年にファースト・アルバム(今作)、1972年にセカンドアルバム「森の妖精 CBSソニー」、他に未完成の3RDアルバムがある。日本で気軽に手に入るのはセカンド「森の妖精」。足を使えばその他の作品も日本盤が出ている。
まずしいこの国でも切実に求められているのだ、彼女の声が。
ぼく自身すべてのアルバムが好きだけれど、特に基本的に無伴奏で歌われるこのファーストアルバム(違うジャケットの外盤があります)は、疲れたこころに優しい。
いまも部屋全体にこのアルバムを流して至福のときに包まれている自分のこころ模様を眺めては安心する。
その声は儚いものの静かにしっかり屹立している。こんな現象は稀だ。
遠く英国のトラッド音楽がなぜ日本のぼくに優しいのだろう。それもまた不思議。
英国トラッドならなんでもいただくがアン・ブリッグスとの接触のあり方は、他のアーティストと少し違う。
使いたくない言葉だけれど「別格」の扱いになる。
こころが疲れているのだ、身体がひとときの癒しを求めているのだ。
そこにアン・ブリックスが手当てをしてくれるような気がする。
けっしてヒーリング音楽として聴いているのではない。
あんな安手な音楽を超えた芳醇があるし、安手な付き合いを許さない神々しさがある。
英国の労働者のために彼女は歌った。
秘密は案外、簡単な仕組みで、しかし真似できない人材がそこにいたのだろう。
ただしその引退は早かった。
彼女にとって英国のシーンの何がいけなかったのか? すべては伝説の中で囁かれている。


中期ビートルズを髣髴させるような、っていうかそのまんまじゃんって位良質なソフト・サイケバンド登場。
ただしU-19です。
元クリエイションのアラン・マッギーが目を付けただけあって、なんか昔のRIDEに似ていますね。
3ピース・バンドで録音は1999年7月なのに、見つけたのは今日。2000年発売。
色々とあったのでしょうか?
録音にあまりお金を掛けられなかったようですね、そこが可愛いと言えば可愛い。
甘い甘いソフト・ロック・
惜しいのはギターの歪がもう少し抑え気味だったら良かったってこと。
レパートリーは色とりどりで、考えて作ってありそうです。
CD店の試聴機の中に入っていたら聴いてみてください。
1曲目は特に鮮烈ですよ。
「oranger」
↓これはセカンドで別に1STが出ているようです。





いずれ発売されるだろう友川かずきのアルバムに灰野敬二のゲスト参加が正式に決定した。
友川かずきには異色作が数枚ある。
「夢は日々元気に死んでゆく PSFD−96」もそうした一枚だろう。
大半の曲で英詩に挑戦しているのだ。
英出はマネージャの大関直樹さんで、ぼくの大学の5年ほど先輩にあたる。
友川かずきのこの挑戦は成功に終わっていると思う。
友川の楽曲、そして歌を含めた演奏力の確かさが浮き上がるからだ。
友川かずきは歌詞の鮮明さばかりに目を耳を奪われて、例えばギタリストとしての、ヴォーカリストそれ自体(詩が付随しないそれ自身)の資質などは目立たない批評があまりに多かったような不幸がある。
この「夢は日々元気に死んでゆく」での英詩は果たして「英詩そのものとして」機能しているのか?
ネイティブではないぼくには分からない。どうあがいても出自はジャパニーズ・イングリッシュだものね。
ただそうしたものは「贅肉」のお話だと思う。
一個の独立した音楽として立派に屹立しているし、歌を含めた演奏者としての、または作曲家としての資質を目の前に突きつけられる。
個人的には大好きな一枚だ。ただ惜しむらくは収録曲の少なさ、収録時間の短さであるように思える。
つまりもっとここにもっと居たいぼく自身がいるのだと思う。
英詩と日本語詩の交わるタイトル曲であり長尺の「夢は日々元気に死んでゆく」の迫力たるや!
ラストを飾る曲「娘のカノン」が日本語詩なのが、このひとの歌詠いとしての資質をさらに浮かび上がらせる仕掛けになっている。素敵だ。
灰野敬二のゲスト参加はDUOなのか? バンド参加なのか? 
2001年2月22日、今日、電話で問い合わせる予定だ。


三浦真樹さんが裸のラリーズ繋がりの山口富士夫さんと知り合いになった頃、「こんなにギターの上手い人は初めてだ」と、いつもの真樹さんより少しテンション高くぼくに教えてくれたことを思い返す。
去年の暮れ、「Live '72 三田祭 村八分」が発売され話題になった。ぼくも発売後すぐさま手に入れたが、当時は巷でよく指摘されるようにブートレッグまがいの音質に閉口したものだった。
それが、最近になってやたらと聴きまくるようになったから不思議だ。
京大西講堂に較べて柴田和志の歌がバックの演奏から自在になっていることに気づかされる。そこに惹かれる。
ローリング・ストーンズへの憧れは全編に渡って感じられるにしても、村八分はオリジナル性に訴える。
秘密はやはり柴田和志のうただろう。
上手いのではないか? あまり言われることではないが、そんな角度から眺めてみたい。
朗々と歌い上げている最中に突如、「あ」と叫ぶ柴田和志。
演奏をよく聴いて欲しい。確かにそのとき「あ」を埋め込む音の隙間があることに注意したい。
彼は音楽の秘密を知っている?
きっとそうだと思う。
柴田和志、そのあまりに早い死が悲しい。
もうひとりの雄、山口富士夫のプレイは当時の日本にしては画期的だったろう。強烈なフィードバック!
ちなみにこのアルバム、マスター・テープの保存状態が悪いために、テープが伸びきっているのが伺える。
もう少し豊富な資金があれば、音質面の問題は回避できたかもしれない。貴重な記録なのに、この国の貧困。
村八分、バンドには忘れがたい素晴らしい人材が揃っていたのにと、誰を恨めばいいのか?


「渚にて」渚にて
実はアルバム装丁の見事さが、逆にぼくに「ここにどんな音楽が詰まっているのか?」を分からなくさせて、この名盤を実際に聴いたのは去年の暮れのことだ。なにか、今日こそ買わなきゃなって気になったんだよ。何度目かに店頭でジャケットを手にとっては、さよならしてきたけれど、その日は本当に歯車がうまく噛み合ったようにジャケットが手になじんだ。CD時代に新譜でここまで装丁に力を入れる姿は、それ自体が大切なことだと思う。ただ中に詰まっている音楽が想像しづらかった。
自宅にてターン・テーブル(我が家のCDプレーヤーはSONYの名機でターン・テーブルと言うに相応しい仕組みになっている)へ。最初は戸惑った。想像の範囲を超えでた音だったから。それでもいま、今日、3ヶ月の月日を経ると、一曲一曲に思い出さえ滲むようになっているから不思議だ。幻惑は渚にて。
サウンド・プロダクションへの執着が凄まじい。インディーズでこれができるとはどんなに大変な苦労と決意が要ることだろうか。
現在進行形のユニットであることが嬉しい。まだ一緒に歩めるってことだから、渚にて歩めるってことだから。渚にて、なんて秀逸なユニット名だろう。
MDに落として散歩に出かけたい。
それはどんなに素敵な散歩だろう。景色と音楽の相関はどんなだろう。
明日、渚にてを歩む。


いま石塚隆則画伯から電話。
「横浜山手のゲーテ座にエンケンが来るんだって、行かない?」
行くことにした。
遠藤賢司といえば今年初頭を騒がせたあのep(?)「エンヤートット」にまだ触れていなかった(邦楽は当面、ジャケ写載せない意向なので、紹介が難しいんです)。
内容と言えば帯の文句、クラフトワークの如き「和太鼓リズム」N・ヤングの如き「轟音エレキ」K・エマーソンの如き・・・・・・ソレ、そのまんまのような気がして、しかし違うな、きっと。
垂れ流しといえばその通りだろう演奏だ。なのに、一種の統制を感じるのは和太鼓リズムの延々ループのお陰か?  いや、多分もっと秘密がある。
クラフトワークよりクラウス・ディンガーを思い起こす和太鼓リズムって、そんな細かい違いではない。全体の印象がアレ、THIS HEATの音響に似ていませんか? そういえばTHIS HEATにもキーボードを垂れ流すメンバーが居る。
大いなる実験精神の結晶という点でも似ている。多分、垂れ流しなのに統制の要素を感じるのは、THIS HEATのように音響面ですべての楽器が、同じ志向を求めているからだろう。
しかし、誰それに似ているというのは帯の文句(如く)に引きづられてのこと。結果、何にも似ていない遠藤賢司サウンドに結晶している。どこまでもやるあのひとのコトだから、ここまでやれた。そんな感じがします。印象批評でごめんなさい。相手がでか過ぎる。ところで「ゲーテ座」はぴあ発売もないそうで、楽しみ。



まだロビン・ヒッチコックの洗礼を浴びていない?
それじゃ、本当にかっこいいロックを知っているとは言えないよ。
このアルバムSOFT BOYSってロビン・ヒッチコックがソロになる前に組んでいたバンドの3rdアルバムにして解散作品。
「UNDERWATER MOONLIGHT」
売れなかったんだろうね、幸薄いバンドにばかりいい仕事をするRYCOから再発されている。
でもここにはロックもあればロールもある。ポップに花開く楽曲が眩暈するほど詰め込まれている。
聴かなきゃダメ! 人生を無駄に楽しく過ごしたいならね。
一曲目のタイトルが「I WANNA DESTROY YOU」。「殺してえ」ってタイトルなのにポップなコーラス・ワーク。
そうした困った資質がポップに歌われる。
ところが見せかけのシュガー・パウダー音楽じゃなくて、一本しっかりした骨があるから余計に始末に負えない。
アルバム・タイトルの「UNDERWATER MOONLIGHT」は伊達じゃない。
水面下の月光。
このアルバムの楽曲すべてをただしく表わしているようだ。少しの夜風に揺らぎさざめく光のような楽曲たち。
ちなみに歌詞はしっかりとした詩だ。
RYCO盤ならではのボーナス・トラックがまた音楽の宝箱。
名曲「BLACK SNAKE DIAMOND ROCK」。馬鹿なタイトルでしょう? その通り馬鹿なんですよ。
でもね、ロックが至高の捻じれ具合でロールしているんだ。
愛すべきならず者ロック!
日本盤が出ています。


一昨日、2001年3月20日、友川かずきさんの新譜の録音が終わった。
灰野さんも2曲参加。友川さんは大喜びで「あんたは気ちがいだ」「あんたのやっているのは音楽じゃない」など滅茶苦茶を言っていたそう(酔ってなかったかな?)。
新譜のタイトルには「エリセの目」というのが予定されているという。この「エリセの目」はすでにライブで聴いた。素敵以外の形容詞が思い浮かばない。何にせよ今回の作品は友川さん自身にも相当な自信作らしい。
今日は「空のさかな 友川かずき PSFD−8003」を一曲一曲逐一聴いてみたい。名曲揃いの名盤だもの。
マンドリンの美しいイントロに誘われて始まる「またこん春」、歌詩はしかし重い。ライブでも観たがすごい気迫で歌う友川かずきが居る。
「夢の町の人々」歌詞が秀逸。萩原朔太郎の「猫町」を歩いているような上品なシュール。こんな町は素敵だろう。この町の所在地は友川かずきの脳内だ。
次の「心優しきろくでなし」は友川かずき自身を重ねて聴いてしまう。実は彼がひとを見るその目だ。それが優しいのだろうと逆に解釈する。ぼくにとっては名曲で、ライブで聴いてみたい。石塚俊明のドラムもすごい迫力だ。
金井太郎氏のギターで始まる「時代を担う子供達」。金井さんの丸いトーンでの達者なプレイが印象的な小品だ。
続く「いくつになっても遊びたい」は友川の自叙伝のようであり、これからも生きる決意の表明であって、印象的なのは「いくつになっても遊びたい」という呟きのイントネーション。不思議な諦観が泳ぐ美しい曲。ギター・プレイヤーとしての友川かずきの素晴らしさも味わえる。
続く「空と手をつないだ男」のギター・カッティングの凄まじいこと。ライブでも凄い迫力だったのを覚えている。ギターだけではない、全身からヴォイスを振り絞っていた。
「間違いだらけの人生」はユーモア溢れる小品。
「空のさかな」、後に次作「赤いボリアン」でもセルフ・カヴァーされる、こんな滅茶苦茶な歌詞なのに、これほど切ないのは何故だろう? 石塚俊明のプレイも本気。すべて張り詰めた空気の中で、歌われる題材は競輪に身を削る男たちの哀歌だ。
この「空のさかな」を乗り越えてくる作品とはやはり恐ろしい。仮題「エリセの目」。一日でも早く耳にしたい。


新世紀といっても20世紀の負の遺産の狭間に鳴り響くロックがある。
SANULLIM
お隣の国、韓国のロックバンドだ。
その音はこの国、日本のシーンにとっても衝撃的だ。
まるで裸のラリーズのようなのだ。
僅かな英文のライナー・ノーツには1977年、韓国学生運動の高揚の中で結成。
韓国ロックの黎明のバンドとして、すでに十数(16?)枚のアルバムを残しているというが、
なにせ韓国盤。
ぼくが入手できたのはこのベスト盤1枚だけだ。
それでもその印象たるや凄まじい。
これ以上ないというくらいに掛かるヴォーカル・エコー!
腰の座った反復ベース!
楽曲もヴァラエティに富んでいて、不思議なくらいポップな曲もまたいい。
韓国の国内事情の中、輸出されていないのだろうか?
それとも輸入されていないのだろうか?
日本で普通に見かけることはない。
輸出か、輸入の問題か? どちらにしてもこの豊穣な音楽にとって失礼極まりない。

韓国における日本文化の解禁よりも先に、
ぼくら日本人が韓国をもっと知っておかなくてはいけなかった。

マスト!




モンキーズの初代プロデューサー、ドン・カシューナーは、いまはっきり自分の居場所がなくなったことを知り、
失踪。
音楽の女神はモンキーズに微笑んだ。
ヴォーカル・パートを埋めればいい、逆にいえばそれしかできない日々がやっと終わった。
今作、3枚目のオリジナル・アルバムはメンバーが一緒に演奏した最初で最後の記録になった。
その後の作品でもメンバーは自演するが、他のセッション・メンバーとともに自分の曲を演奏した。
その点でこのアルバムは貴重だ。
邦題「ヘッドクォーターズ〜灰色の影」
原題「HEADQUATERS」
邦題は原題のカタカナ表記の後に「灰色の影」と続く。
理由は簡単だ。
この収録曲「灰色の影」はシングル・カットもされずに、しかし愛された。
作曲は珠玉のソロ・アルバムを残すバリー・マン、そしてシンシア・ウェルチだ。
それにしても編曲が素晴らしい。もちろん編曲はメンバーだ。
中心人物はマイク・ネスミスとピーター・トーク!
なんとこの素晴らしいイントロのピアノはピーター・トークが書き、弾いた。
歌詞も秀逸。
「若かった昨日の世界、人生なんて子供にも遊べる単純な遊びのようなものだった。
でも今日というこの日には、昼間も夜もない、闇も光もない、黒も白もなくて、
あるのはただ灰色の影だけに成り果ててしまったんだ」
人生を3分間でこれほど簡略に言い当て、歌い上げる詩はまるでアズ・ティアーズ・ゴーバイではないか。
イントロの悲しげなピアノはピーター・トークのもの。
彼はこのアルバムでのグループの一体感がその後は得られなくなったことをいちばんに嘆いて、
一番最初に脱退する。
モンキーズはピーター・トークの悲しみだ。
今日という視点から昨日を思い返し、昨日という世界から失われた今日を思う、
悲しみの旋律、「灰色の影」のピアノだ。

RHINO盤のボーナス・トラックはグループ理解に欠かせない。


 


20世紀のソニマージュ・レコーズの歩みを刻んだ「CD−R」製作。もちろん普通のCDプレイヤーで聴けます。貴重な音源豊富。装丁美麗。あの方、この方をうならせたあの名曲の数々。あげます、どこかで・・・・・・次のライブ会場かな?