我ら、砂漠の生き物 編

いつまでもあると思うな親と更新

このページでは投稿記事も募集しております。
また、感想や出演交渉等も下記アドレスまでご一報ください。

info@sonimage.ne.jp


1月11日

美麗なフライヤー



かようなデザインのはがき大フライヤー。
イラストは深海魚の小野君です。
モデルはぼくです。
フ、こんなに痩せてない。


ソニマージュ・レコーズ
「サボテンだらけの部屋」

1月17日(土)ヘブンズドア三軒茶屋
開場 18:30 開演 19:00

前売り2000円 当日2300円

割 礼、みみのこと、L a L a



ヘブンズドア

03-3413-9331



この公演が終わると我が家にみふねが帰ってきます。
色々、テンパった&電波った事情で11月よりみふねは他家へ預けられていました。
あいつの「ナー、ナー」という声がないというのはホントに寂しいもので、ぼく自身の激太りの原因にもなっていました。
公演を無事終えて、またみふねとの暮らし再開とゆきたいものです。

みふねがいない間、発狂したぼくはあたらしい猫を飼おうと、実際に里親予約などしてしまいました。
名前までつけて!
名前「ライカ」。

ま、経済的な事情で多頭飼いなど無理と周囲から止められ、このこは見送り。
でもいまでも「ライカ」って名前の猫、かわいいと思うのです。

年末の特別番組「朝まで生つるべ」という番組。
笑福亭鶴瓶の司会でのトーク番組。
トークの合間に坂崎幸之助が往年のフォークソングを歌うという趣向。
♪いのーちはーひとーつううううううう♪
「教訓T 加川良」
すっげえええよかったぜ。

昨晩寝床で「五つの赤い風船」を聴いていました。
中学生の作文にメロディつけたような「血まみれの鳩が」はやはりつまらないです。
でも、中学生の作文にメロディつけたような「これがボクらの道なのか」はやはり大好きです。

結論はないです。

強いて言えば「音楽で普遍するのはサウンド」。
サウンドというのはメロディとはまた違うものですね。
同じく昨晩寝床で聴いたCHAOS UKも最高でしたから。
はい、CHAOS UKを聴いてから五つの赤い風船を聴きました。








12月31日−1月1日

中尾さんちのお肉入りメモ帖


ぼくの年賀状は元旦には届きません。


好きな作家


ヘンリー・ジェイムス、フランツ・カフカ、武田泰淳、アントニオ・タブッキ、須賀敦子、村上春樹、ポール・オースター、島尾敏雄、HPラブクラフト

節操がないあなたの2004年の運勢はなんとなく小吉。


2003年のベストライブ

灰野敬二&梅津和時DUO at  ドルフィー横浜
友部正人&大塚まさじ at どんすうぃんくとぅわいす追浜
三上寛&なかおちさと at アートファクトリ-東京


反省


2003年はバンド鳥を見たを「鳴らしきれませんでした」。
2004年は年初にL a L a東京公演、新ユニットLe Merodrame!! の始動などもありますが、鳥を見たも忘れずに鳴らします。
ぼくはこのバンドが大好きです。


後悔

2003年そのもの


回帰


カールマイヤー騒動がもたらしたもの

Voiceへの回帰、ホラー好きへの回帰、つまり怪奇なものへの回帰、駄ジャレ


浅川マキの大晦日公演5days at PITINN新宿

12月29日
3年ぶりに浅川マキステージを見ました。
「ひとり舞台」と名づけられた独唱、アカペラによる追加公演です。
正直、浅川マキののいまのバック陣は音痴な方が多いので、独唱で観られたこと至福でした。
美空ひばりの歌をステージでアカペラにて唄う彼女。
浅川マキによる美空ひばり。
そこに横たわる「歴史」というものは重いものです。
歳月というのは重いものです。
涙がコロコロと落ちました。
3年前に観た彼女よりも確実に年老いていました。
視力の衰えの痛々しい姿。
「このひとはそう遠くない日に死ぬ」
ステージで彼女は寺山修二の思い出を語り、今年逝去されたジョージ川口さんの話をしました。
死というのはいまだぼくには遠いもので、しかし自殺という観念に獲りつかれる日々。
自死というものは、その先に「何もない」故に、死そのものについて思うことはなく、しかし他者の死というものは、自身の「生」の中で出会い、その後の人生に他者の死はひそりと寄り添い続けて、不在こそが「在る」不思議へとぼくを吸い込む。
浅川マキ、このひともそう遠くない日に死ぬ。
もし、その日が来たらぼくのうちの何かもポキっと折れてしまうかもしれない。
「今日はあの子の亡骸に会いに来たのさセント・ジェームス医院」


やっぱり好きだった芸能人

吉岡秀隆


意外に好きであったことに気がつきだした芸能人

真鍋かをり、宮沢りえ


大晦日元旦のドサクサに紛れて好きであることをこの場を借りて告白したい芸能人


くりぃーむしちゅー


鉄人

タモリってきっと毎日大変で実は鉄人衣笠なみ


まあ別にどうでもよい


肉ノート

やはり内臓系が好き

自分に付着している肉、今年10キロ以上付着
内容物は100円アイス、パンにはやっぱりマーガリン


繰り返し

ぼくの年賀状は元旦には届きません


今年の一枚

「INOLVIDABLES Los Gatos (RCA)」
2003年新編集盤!
南米ものは空耳の嵐!

「HIGHWAY TO HELL AC/DC (EPIC)」
今年のものじゃないじゃん!

「BACK IN BLACK AC/DC (EPIC)」
AC/DC続くか!

「The Doors 30th ANNIVERSARY COLLCTION DVD (UNIVERSAL)」
2003年、過去の既発VIDEO数本分の映像が一枚のDVDへ。

「Cave Rock CROMAGNON (ESP)」
アナログ盤起こしのひどいマスタリングで発表された再発CD(もう10年くらい前?)を、今年自宅のPCでリマスタリングしてみました。
あらら、普通紙くっきりカラリオ!


一枚じゃない


最優秀家電

サイクロン掃除機
掃除機を変えた途端に、母親が掃除したように綺麗になって大喜び。
いま量産店の店頭にはサイクロン式しかないのね。


よいお年を!

2004年も友達でいてください。











なかおちさとソロ

年末グループ展 『楽園の記憶2』

東京アートファクトリー 12/22(月)〜28(日)
東京都港区西新橋2-13-8広瀬ビル2F TEL03-3597-8628
相原康宏 カミギシヒロシ 杉本陽介 伊藤洋子 もたいひでのり 立島夕子
桜井弘美 幸田典子 権藤武彦 山本亜矢子 美雪  yukari*hmnk

ライブパーティー12/28(日) 1ドリンク¥1000

 
出演 三上寛 なかおちさと てずるもずる

詳細など未定な箇所多いです。
アーティストとしての「賭け」として器楽を奏でるか、歌を志向するか、歌の補完物としての器楽か、器楽の補完物としての歌なのか自身に問いたずねる毎日です。

フロアに関しても未明です。

フロアは動きを規定します。

音を奏でる際に「動くこと」。

コトやモノがことやものと摩擦する、摩擦させる運動。
音はそこで鳴ります。
肉声、もしくは「歌という器楽」もまた観察しうる運動の結果です。
音を鳴らす最果てに動きがあるのではなくて、音楽の始原に動きがあり、動きを得て初めて音が鳴ります。

ただ、ヒトは考えます。
考える生き物であるために、自身の運動や動きに「てごころ」を加えることができ、今日の多彩な音楽が鳴ります。
動きを音楽としての最果ての線で延長すること、そんな発明に挑むこと。
それもまた「てごころ」。
「手心」と書きます。


年末グループ展 『楽園の記憶2』

実は、ぼくには楽園の記憶についての記憶がありません。

なので、記憶される楽園を表出、展示できたらいいと願います。



なかおちさと
(2003年10月15日)
 

http://www.sonimage.ne.jp/news2003.htm
↑click it!!

ページthe sonimage ep collection、1年振りの更新です。

「the guitar player」mp3.

(追加ノートは10月22日記事最下段をご参照ください)


12月28日



2004. 28日(日)東京アートファクトリー公演 なかおちさと [URL]  2003/12/27 (土) 13:32
12月28日(日)東京アートファクトリー 開場 18:00
三上寛、なかおちさとソロ、てずるもずる他

今年最後のライブになります。
当日は三上さんやぼくのようなミュージシャンの他に、パフォーマンスの方々などの出演もあります。

機材設営のためにぼくの出演は早くても19時(以降)かと存じます。何卒、宜しくお願いいたします。




当サイト、ADSL回線の乗換え(のせいでいまはダイアルアップ環境です・・・・・・トホホ)とレンタルサーバーの乗り換えのためにしばらく更新を休止せざるを得なくなりました。
皆様には大変申し訳ございません。過去記事などには通常通りアクセスできます。
2004年、大容量サーバーになっての再スタートを期します。
動画配信なども検討中です。
お楽しみに。

なかおちさと
(sonimage groupement!!)




再録

9月25日

遠い日のソロ・ワーク

12月28日、日曜日。
年の瀬押し迫る時期にソロ・ライブの依頼が入った。
立島夕子の参加するグループ展会場での演奏。
今年の最後の演奏はココで尽きるかなと、痛い緊張感を覚える。

年末グループ展 『楽園の記憶2』
東京アートファクトリー 12/22(月)〜28(日)
東京都港区西新橋2-13-8広瀬ビル2F TEL03-3597-8628
相原康宏 カミギシヒロシ 杉本陽介 伊藤洋子 もたいひでのり 立島夕子
桜井弘美 幸田典子 権藤武彦 山本亜矢子 美雪  yukari*hmnk
ライブパーティー12/28(日)¥1000(+1ドリンク

開場
18:00
 出演 
三上寛 なかおちさと てずるもずる 


クラリネットが鳴らない。
そんな夢を見た。
去年末、ペンギンハウス高円寺でのソロ演奏。
冒頭でクラリネットにて当日のテーマたるメロディを鳴らす予定だった。
クラリネットは鳴らなかった。
そのときの内心の焦燥感たるやもう滑稽なほどのシロモノで、事後の演奏は思い出したくない記憶になっている。
演奏後に吹き口をみると、リードが割れていた。

クラリネットが鳴らない。
そんな夢を見た。
今日の午睡。

今年の初頭にアルト・サックスを手にしたくなった。
大胆にも灰野さんに貸していただけないかとお願いした。
灰野さん所有のアルト・サックス。
阿部薫の遺品だった。
「阿倍の最後のアルトでね」
重いとか、想いとか。

借りられるはずもなく仕方なし、オークションにてヴィンテージのサックスを入手。
NYの楽器店のオリジナルのもの。
造りが安価だったのかもしれない。
修理に出さないと使えない。
銀色のカッコイイそいつは修理に出されることもなく、インテリアとして存在感を放っている。
重いとか、想いとか。

映画を観た。
さらば映画の友よ
1979年の日本映画で、川谷拓三、浅野温子。
パッケージには「日本版アメリカングラフティ」とある。

画にチカラがある。

画のチカラだけでは魅力は15分と続かない。
長々とどうでもいい話が続く。
要所要所での川谷拓三の演技の素晴らしさで映画に引き戻される。
しかしラスト30分。
もう驚愕するほどの緊張感だ。

冒頭15分、ラスト30分、そこだけ息をつかせぬ映画。

フィルムの中で、今は亡き川谷拓三が歌う。

グッドナイト グッドナイト ベイビー 涙こらえて 今夜はおやすみ おやすみ グッドナイト

この歌を覚えていたら、独り言を洩らすように口ずさむといいよ。
独り言を洩らすように口ずさむといいよ。
川谷拓三、1995年に没したこの名優を覚えていたら、彼のどうにも照れくさそうな笑顔。
あの笑顔から照れくさそうに洩れるこのフレーズを想像してみるといいよ。
素敵だと思った。
流行り歌には「理由」がある。

xxx :名無し音楽放浪の旅 :03/06/26 19:15 ID:xxxxxxx
N氏=年に数回趣味で音楽活動してる灰野さんファン兼スタッフ、でよろしいでしょうか?


文末の「?」に返答しようにも宛先は<名無し>。
言論の自由、反論の自由、言論の甘受、反論の甘受。
(もしくは近代市民的自由と併走する、しかしより起源の古い)
風評の自由、反証の自由、風評の甘受、反証の甘受。
それでもこの総括は非常に好意的に受け止めている。
まず発奮材料としてここまで言い切られると不思議と気持ちがいい。
表現者の内心は表現(と、プラス、不分の表現活動)そのものとは一致しないから、その通りな面がある。
ぼくは企画、ロケーションに拘り、そこに私財を投入して「場を確保する」。
私財には限りがある。ノルマなしの依頼でも意義を感じない場合は断り続けてきた。
この内情と、評価の差には変数もあり、因果もあるんだなと感じた。

(明らかに灰野さんを念頭において)千里、お前は俺から<終わらせる>ってことを学んだだろ? by三上寛」

堰き合うもの同士が着いたり、離れたり、しかしVajra(三上寛、灰野敬二、石塚俊明)の文脈、音脈の内実の豪華。

「千里、お前は俺から<終わらせる>ってことを学んだだろ? by三上寛」

エピソード:ある夜の灰野さんの公演で、ぼくは灰野さんに楽器の取替えを「急かした」といわれた。

xxx :はい :03/06/18 20:29 ID:???
灰野の後継者がいないって深刻な話をしておるのですよ。

いえ、以下まったくの持論申し訳ないです。

音楽史というのは本当に多様なキャストで、そこには教会の一楽師が果たした発明もあり、「音楽の前衛(*前衛音楽という呼称のものと重なり、しかしときに異なります)」には絶対性と相対性とのせめぎ合いがあります。
相対性の短期的な観測については日本の現状ではモーニング娘。や松浦亜弥だって登場するでしょう。
RADIOHEADだって無視できません。
少なくとも相対性のまったく短期的な観測に限っては無視し得ないです。

そして、もうひとつ。


多分「継承」と「後継(あとつぎ)」は違うということ。

例えば土着の直截な人間関係の中で「継承」された事例の多いブルースの伝播。
しかし師たるブルースマンの「後継」という事例はブルースがもっと後の時代に堕落してしまうまでは観測されていないと思います。

以下、加速します。


「継承」と「後継(あとつぎ)」は違うということ。
その違いに「絶対」が芽生える。

クラリネットが鳴らない 川谷拓三が歌う「グッドナイト グッドナイト ベイビー 涙こらえて 今夜はおやすみ おやすみ グッドナイト」この歌を覚えていたら独り言を洩らすように口ずさむといい「千里、お前は俺から<終わらせる>ってことを学んだだろ? by三上寛」音楽史というのは多様なキャストでそこには教会の一楽師が果たした発明もあり前衛音楽には絶対性と相対性とのせめぎ合いがある流行り歌には「理由」がある 灰野さん所有のアルト・サックス阿部薫の遺品だった「阿倍の最後のアルトでね」12月28日日曜日年の瀬押し迫る時期にソロ・ライブの依頼が入った立島夕子の参加するグループ展会場での演奏今年の最後の演奏はココで尽きるかなと痛い緊張感を覚える xxx :名無し音楽放浪の旅 :03/06/26 19:15 ID:xxxxxx N氏=年に数回趣味で音楽活動してる灰野さんファン兼スタッフ、でよろしいでしょうか?言論の自由、反論の自由言論の甘受反論の甘受風評の自由反証の不具風評の甘受反証の

クラリネットが鳴らない。

「グッドナイト グッドナイト ベイビー 涙こらえて 今夜はおやすみ おやすみ グッドナイト」



エコー。

「グッドナイト グッドナイト ベイビー 涙こらえて 今夜はおやすみ おやすみ グッドナイト」

















12月13日

お休みです。
ごめんなさい。
いま思うこと。
「立派に社会の役に立つような、そんな自分になりたい」。

1月17日(土)
ソニマージュレコーズ
「サボテンだらけの部屋」
ヘブンズドア三軒茶屋
割 礼
みみのこと
L a L a

深海魚の小野くんの絵をモチーフにしたはがきサイズのフライヤー。
1000枚パック。
週明けにも皆様のお手元に届くように頑張ります。
関係者の皆様、何卒、宜しくお願いいたします。



1988. やばいや なかおちさと@でぶ [URL]  2003/12/13 (土) 16:13
>皆様

年の瀬、年明け、あわただしく告知ラッシュ。
ありがとうございます。

ああ、私の体調ですが、ちょっと上なのに下り(擬音で書きますと「げーーーーーー、おえろおえろ、ふふふっふ」)「やばいや」。

今回の感染源と思われる方によりますと「この冬はインフルエンザに近い症状の風邪」の方が多いとか。

皆様もご自愛ください。

暑いのか寒いのかよく分かんないです。
外気のせいもあるのでしょうけれどねえ。

ぼくの経験ですとパブロンSGゴールドと、カネボウの漢方薬で麦門冬湯(「ばくもんどうとう」と読みます。気管支炎などに処方されます)がいいようです。
あと、お腹まわり、胃も腸も直撃します。
整腸剤必須です。

>たものきくん

え、今年は誰がステージスタッフなの?

オレは・・・・・・超悪性の風邪だぜ・・・・・・。

7日の公演は演奏中に「ワースト記録塗り替え」を予感したものでした。
ひとえに「音楽に対する恐怖心の欠如」と、ご来場いただいた方々には、深くお詫び申し上げます。

傷心と焦心にむせぶ中、Black Sabathのファーストアルバムを買ってみました。
以前にも所有していたのですが、マスタリングがひどくて売ってしまったもの。
数年前にリマスタリングされたアルバム。
新星堂はなにやら割引らしく、笑いながらレジへ。

ここのところ、ロックはまるで聴かず、前衛音楽やら、現代音楽、もしくは古楽ばかり漁っていました。
こころ急いてくる日々にときに華々しく、ときに沈鬱に鳴る音楽たちに身を埋めていました。

7日の痛い失態に、いま一度貪欲さを奮起させよう。
手にしたのがBlack Sabathのファースト・アルバム。

ロックって云うのは現代音楽だよと、きったない現代音楽だよと、祭れとBlack Sabathは、怠け者のぼくの頭を割りました。

28日は三上寛さんとの競演。

「八百屋の影で泣いている 赤子背負った泥棒よ キャベツひとつ盗むのに 涙はいらないぜ (三上寛の夢は夜ひらく)」

Black Sabathだよ!
このラインはBlack Sabathだよ!
オジー・オズボーンも三上寛もなんてえか、びっくり人間の世界だ。
ああ、いつだってもうびっくりだ。

「止むに止まれぬ事情」
鍵はそいつしかいないって思ってみよう。












未了

12月5日

年末、慌しくなってきました。
特にソロ公演が2回。
この頻度はなかったような気がします。

12月7日(日)BLOO MOON吉祥寺
「地下の花」-其の壱-

<出演順>

19:00  なかおちさと
19:45  静香
20:45  水晶の舟

問合せ tel 0422-22-6171(Bloo Moon)

開場  18時30分
開演  19時00分頃より
料金  1500円+飲み物代


武蔵野市吉祥寺本町1-30-16加藤ビル二階B号
分家スタジオの上


BBS覗いていただいた方はご承知かもしれませんが、12月7日、ぼく「土曜日」と思い込んでおりました。
実際は日曜日ですね。
コレ、土曜日の公演を日曜日と思い込んで、土曜日はおうちで練習。
翌日、ライブハウスの前で、「え、昨日?」てな、勘違いよりはいいのかもしれません。
でもね、切羽詰ったテンションの維持が一日長くなるというのも辛いものです。
多分、演奏内容も変わります。

ぼくはソロに限っては公演日が近づくと不眠になります。
象が倒れるような睡眠薬を飲んでも眠れません。
また、ごはんが食べれません。
パン一口、二口。
「あ、もういいや、ごちそうさま。え? いや、もうお腹いっぱいだから。うん、十分。いや、いいって! もう、お腹いっぱいだから、いいの! ほっといてくれよ! いや、だから大丈夫だってばあ」
ケンカ腰で「お腹いっぱい」を主張します。
そういえば最近お肉食べてないです。
SMAPが紅白歌合戦を辞退したそうで、白組の枠が余って関係者の皆様は困っているかと存じます。
オレ、大晦日スケジュール空けといたから。
ま、その前に大地震が来るし、富士山が爆発するし、第三次世界大戦が始まるし、日本からキリストの再来が現れるし、地上波デジタル放送が始まるし、内閣総辞職で解散総選挙ですけどね。

公演日12月7日(日)のぼく(水瓶座)の運勢です。

★総合運★
良い情報が入る暗示があります。今日もたらされる思いがけない話には、のってみて間違いないようです。


「良い情報」とは「思いがけない話」なのか・・・・・・・。
それではこころの準備が出来ないジャン。
やはり、本当に紅白歌合戦?
マジ?

★恋愛運★
活動的な時なので、友人を誘って普段足を運ばないところへ出かけてみてください。新しい出会いがありそうです。


「普段足を運ばないところ」
ずばり吉祥寺!
毎度、迷子になります。
スターパインズ、マンダラ。
どちらも場所が分かりません。
ケータイでナビしてもらわないと無理です。
ああ、そういえば公演会場のBlooMoon、シラネエ!

★金 運★
金運はいつになく好調です。ギャンブルは恋人にアドバイスをしてもらいましょう。少ない額で大穴を当てられるかもしれません。


「いつになく好調」。
この「いつになく」が大きなお世話。
ギャンブルは中央競馬しかしませんので、「大穴」とは日曜日の競馬のお話ですね。
「大穴」って狙って買えるものではなく、マチカネフクキタルって名前のお馬はもう引退しちゃった?
ふうん、じゃあ、東京11レースは馬連「2-5」。

★仕事運★
仕事運は快調ラインへ急上昇。行動力、判断力に優れています。行動を起こす前に時間を確認するとラッキー。


音楽を「仕事」と呼ぶのに割り切れないひともいるかもしれない。
正にこの国の税制がその概念に則っていて、音楽家は公演日ごとの源泉徴収が1割。
音楽や演劇を「不労所得」、つまり労働として認めないがゆえに、その収入は「働かざるして得たもの」と見做される。
1割という税制は余りに不当だ。
この税金の負担は演奏家本人。
メジャー、インディペンデント問わず、演奏家本人の負担になる。
メジャー・アーティストの興行を担う「事務所」。
元はといえば手配師、辿ればすぐにヤクザに遡る。
ヤクザというのは元来、反体制であるべきだろうに、その組織構造はまるで権威的。
演奏家は国からの収奪と、興行事務所からの二重の収奪に遭う。
インディペンデントはその在り方から横断的な組織展開が出来ない。
ジャンルの垣根を超えて「横断的職業組合」を組織して対抗しようにも、地盤が貧弱。
地盤の貧弱さを、ぼく自らが嘆いていることに「甘え」を感じられる方もいるかもしれない。
でも、文化基盤を貧弱なものにし続けて、再生産しているのはこの国の税制。
この国の不当な税制は日々、貧弱な地盤からさらなる略奪を繰り返している。
構造は正に構造的に構造を再生産し続ける。
徴税の窓口は各小屋、ライブハウスであり、「日本は欧米と比較してライブハウスの質が悪い」と演奏家は嘆く。
確かに話題の次元によって様々な問題がある。
但し、払った税金の行方はライブハウスの店長の懐ではなく、国家の懐だ。
文化事業への国家による収奪。
この問題は毎度の国政選挙の争点だと信じる。

星の流れに身を占って、何処をねぐらの今日の宿。


自身を削って、星の流れの正体こそ見透かそう。















11月25日

告知

2004
年。
新しい音楽ユニットを立ち上げることになりました。
ユニット名

メロドラマ
(le merodrame!!)

フランス語で元々は「音や歌のついた劇」という意味です。
参加メンバーは立島夕子
(Voice&any instrument)、なかおちさと(many instruments,Voice&Vocal)が決定です。
まだまだお声をかけさせていただきたく思う皆様もいらっしゃいます。
いまこの原稿を書いているのは深夜なので電話できませんが、心の準備をよろしく
>ALL

最近は本当にネットばかり、マシンばかりと会話しています。
たまにみふねが話しかけてくるときに会話するくらいです。
それもこれも皆、カールマイヤーのせいです!
あなたね、どこからkarlmayer.mp3にリンクされているのか突き止めるために散々2ちゃんねるにアクセスしているうちに、オレ、2ゲットとかしちゃうようになっちゃったじゃねえか!
あ、なんかひとりしか書き込んでいない・・・・・・2とれるかも・・・・・・取れた!
やったよ母さん!
オレ、生まれて初めて2ゲットしたよ!
嬉しかったな。
ただ今、地震が頻発する関東地方で、カールマイヤーとは別に「地震に興味が沸いてきた」んです。
9月のある日、横浜のPC修理センターで働いていたときにある方から、メールが届きました。
「今日を軸にプラスマイナス2日以内、関東大地震が起こるんだって! (((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
旧Macからアクセスしているひとは半角カタカナとか読めるのかな? と心配なので、(((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル  をgifファイルにしてみました。
いや、その職場が大地震ではもう確実にペッタンコになりそうな建物で卒倒しそうになりました。
何日か過ぎた後に本当に関東地方に地震が!
「ヒエー! ちっちぇえええええええええええ!」
気管支炎の診察の帰りに寄った薬局は建物が玩弄でふらふらと足元が揺れた程度。
「ヒエー! ちっちぇえええええええええええ!」
しかし帰宅してネットに繋ぐと小さな地震ながら皆さん(((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
コレは非常に興味深い社会現象だと思い「地震に興味が沸いてきた」。
カールマイヤーのリンク先調べで没頭しながら毎日、2ちゃねるの地震板を読みまくりました。
最近のことです。
地震板の中の数あるスレッドの中に「地震」という名前のスレッドが立ちました。
2ちゃんねるのスレッドのタイトルは皆さん、すごく無駄に知恵を使いますよね。
なにか目立つ、しかも気の利いたタイトルにしようと一生懸命な人たちですね。
そんな中で地震板に「地震」というタイトルのスレッドです。
いや、もうなんかびっくりですね。
地震板に「地震」というタイトル。
それはもう本当に、ま、そこでなに話せばいいの? って感じじゃないですか!
でも全体として皆、地震について語っているんだから、本来、皆「地震」ってところで話せばいいんです。
しかし誰もアクセスしていなくて1さんしかいない。
「あ、2取れるかも・・・・・・」
取れたよ、うん、2、取れた。生まれて初めて取れた。感動した。
しかし程なくして書き込む人が他にいなくて消えてゆきました。
地震板というところの「地震」というタイトルのスレッドにひとがこない。
いいですか? 全体として皆、地震について語っているんだから、本来、皆「地震」ってところで話せばいいんです。
そこにひとがこない。
もうこれは地震並みに驚天動地の現象です。
不思議なパラドックスのスパイラル・マジックです。

(((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

あ、でですね今回のカールマイヤー騒動の中で、もう一度見つめなおすものを探せました。
反証記事で書きました「精神崩壊を目的とした実験音楽」「実験対象の度外れた曖昧さ、そこには予め実験可能性の領域などありません」、相変わらずです。
ただ、恐怖を覚えて迎えてもらう。
恐怖させるではなくて、結果として恐怖を覚えて迎えてもらうということ。
実験の主意ではなくて結果として。
恐怖するとひとは目を閉じます。
ただ目を閉じても恐怖たるものの外在は消えません。
日常を生きるうえではどうしてもひとは外在と折り合いをつけてゆきます。
暗闇の中で目を開く段階が次に待っています。
目を開いてみた恐怖は、最初の目撃で思わず閉じた瞼に焼きつくイメージとは少し違う親しさを帯びるかもしれません。
「知覚の扉」という言葉の替わりに、洒落て「近くの扉」という言葉をあててもいい。
いずれ開かれる扉。
認識の拡大。
それは連綿と続くひとの営み


カールマイヤーというバンドはぼくの経歴の中で唯一(
exカールマイヤー)、(ex)が付くユニットです。
元々はコウノアヤコが自分の「歌」を歌いたくて名づけたバンドでした。
ぼくはカールマイヤーでは一番最後に参加したメンバーです。
19歳のとき、学生運動で頓挫し、失恋に失意して横浜駅西口にある
YAMAHAのスタジオに貼られていたメンバー募集のチラシを見て、コウノアヤコの自宅に「募集広告を見ました」と電話をかけました。
学生運動の中で放擲したままだった音楽活動の再開が始まります。
当時のカールマイヤーはギター以外のメンバーが皆、女性でした。
「ギャルバン」という言葉があった時代です。
前任のギタリストの男性は解雇されたようです。
急遽、代役で石塚隆則がギターを担当していました。
正式なメンバーとしてのオーディションは一回で合格しました。
「弾きながらすごく動くのが、可笑しくて、皆で笑いを必死にこらえていた
 byコウノアヤコ」ので合格しました(ぼくは灰野さんを観る前からギターを弾くとき動いていました。灰野さんを初めて観たときは、あ、同じようにギターを弾くために動く人がいるんだ! と思ったものです)。

一番最後に加入したメンバーのぼくは不遜でした。
コウノアヤコが歌を歌いたくて始めたバンドをスポイルしてしまいました。
結果が「カールマイヤーep」です。
「カールマイヤーep」はコウノアヤコの天才が存分にスパークしています。
ただし、彼女は歌が歌いたかったからカールマイヤーという学生バンドを始めたんです。
「カールマイヤーep」などでのアヴァンギャルドは、後年ぼくのソロ、なかおちさとソロで継続させています。
石塚隆則は「いまやっているソロは結局、カールマイヤーじゃん」といいます。
なかおちさとソロと銘打つよりもカールマイヤーという名前で復活した方が一貫性というものがあります。
ただカールマイヤーはコウノアヤコが自作の歌を歌いたくて思いを託したバンドです。
ぼくが名づけたバンドではありません。
コウノアヤコのバンドです。
スポイルしてしまったのはぼくです。
故にカールマイヤーというバンドはぼくの経歴の中で唯一(
exカールマイヤー)、(ex)が付くユニットです。

「カールマイヤーep」のこのサイトからのダウンロードのカウントは総計して優に3万件を超しているはずです。
週単位で
2000件弱ですから。
また、違うアップローダでの二次配信を加えたらどんな数字になるのか分かりません。
一回きりの出荷ロット500枚のインディーズシーンだけでなく、メジャーシーンでさえもこの数字は難しいです。
勿論、無料で聴けるわけです。
「金払ってまで買う奴の気が知れない」
そうでしょうけれど、でもね万単位のダウンロードてのもあまり聞きません。
あと、二次配信に関してだけは、
「印税くれ!」
借金の穴埋めに使いたい。

恐怖されたものの正体は「女声」だったのではないかと疑っています。
女性の発声が恐れられた。

きっと時勢の変化やこの国の閉塞という外在的な根拠を持った事件、現象が起きた。
外在。
瞼の向こうでいまなにが起きているのか?
実は目を開いてよく見ないといけないのはぼくです。
捏造。
「精神崩壊を目的とした実験音楽」
悪意に恐怖を抱きました。
でも閉じた瞼を開いて、外在へ、親しみと抗いの両極に引き裂かれながら、
2004年新ユニット・メロドラマ(le merodrame!!)スタートです。
東京公演を皮切りに全国のハウスで会いましょう。

稀代の画家、女優、パフォーマーとして注目を浴びている立島夕子ですが、新ユニット・メロドラマではvoiceとなにか楽器に徹してもらいます。
彼女が電話の最中に話の流れで話題の歌を歌い始めました。
あ、フラットの地声に下とその下、そしてフラットに対してひとつ上の倍音が豊かだ。
目が覚める思いで即座に参加要請いたしました。

ぼくは破壊美にも上品さを求めます。
メルツバウ、非常階段、インキャパシタンツ、C.C.C.C。
美しい。
この上なく美しい。
一方で露悪趣味を剥き出し、垂れ流しにしているだけの最近のひとたちはぼくの敵です。
あるいは美術家たちの手慰み。
芸術家としてマルチたるためには、どの表現分野でも最良の仕事をする覚悟を持て!
勇気はあるか!

雑音音楽

雑音の解釈には様々な見解があります。
話題の次元も多元的です。
ただぼくは「雑なる音なんてものはない」と話題の多元性を無視して偏向します。
日常のアンビエントな音、車の廃棄音、カラスの鳴き声、みふねのおしゃべり。
そこにはすべて事情があります。
偶然という因子が掛かっていることと、その音の発生にひとというものの意図、主意がない、もしくは感じられないとき「雑音」とひとは急ぎ、情報認識の対象から抹殺します。
でも、すべての音の発生には事情があります。

意図されたものではない=雑音
「いまなにかが殺されていないか?」

雑音音楽

電子音発信装置にエフェクターを掛けて、人為的に発生させた音には尚更あからさまな事情があります。
「雑音じゃない」ところで「ノイズ」という新しい音楽が生まれた。
発祥は世界各地ですが、それを屹立としたものに仕上げていったのは、日本、この国の先達者たちです。
秋田昌美さん、JOJO広重さんありがとう。

voice。
シリアスなノイズバンドには、不思議なことに東玲子、日野繭子と優れた女声のvoiceパフォーマが必ずいました。
立島夕子の声には地声の下とさらにその下、もう一方でその上の倍音が響いています。
絶叫では発声が速すぎ、この資質がスポイルされるという印象を持ちました。
ゆっくりとした発声を聴きたいです。

PATTY WATERS
のファーストアルバムは、非常にゆっくりとした発声です。
その後、オノ・ヨーコやディアマンダ・ギャラスが開拓していった速い発声とは、おそらく「次元」において違う点があり、女声Voiceの歴史には一度、二度の飛躍の陰に、「寸断」された、しかも非常に巨大な「間隙」がある。
そこに重要な仕事があるのではと感じていました。
メロドラマ
(le merodrame!!)はその「寸断」「間隙」から始めて、未知へ行こうと思います。








le merodrame


2004年、スタート、

・・・・・・re-start・・・・・・







文責

nakao chisato

(le merodrame!!/ex.karlmayer)


 







11月20日

ソニビアの泉

ソニビアの泉へようこそ!
皆さんはソニビアという言葉をご存知ですか?
ソニビアとはソニマージュ・レコーズ特製のビール。
son-i-beer
かのSF作家、アイザック・アシモフはこんな言葉を遺しています。

「人間は無駄なビールの摂取で快感を得られる唯一の動物である」

多分、長い人生だったから、こんなことを言った一瞬があったかもしれない。
多分、あった。
あったんじゃねえの?
ま、いいじゃん、別にウソでも。

さて、今日はどんなソニビアが、あなたを「
へ?(「だから?」)と言わせてくれることでしょう。

↑、ソニビア。
こんな感じ。真ん中の絵は多分、伝説の動物、麒麟。


明日使える無駄なビール券があなたを待っているなら、オレにも少しは分けてくれ!
ソニビアの泉へようこそ。

ソニビア その1

19日、引き篭もりのなかおちさとが久しぶりに外の世界へ勇気を持って出てみたら、ターン式の携帯電話機が1円で売られているのを発見。
「え、これってもう1円投売り? マジっすか、カメラ付いてんですよね、コレ!?」
速攻で契約。
ホクホクしておうちに帰り、ケータイ・メールとやらを始めようと、まずアドレス登録をした。
「sonimage@・・・・・・ネ」
このアドレスは既に使われております。再度、別のアドレスをお選びください。
ウッソー!?
海外資本のプロバイダならばまだしもこの日本でオレ以外にこのアドレスを必要とする人間がいるのかあああああああ?

「・・・・・・普通にゴダールのマニアじゃない? きみ以外にもいっぱいいるし」

へ?

補足ソニビア

実はレンタル・サーバを借りている関係で「・・・・・・@sonimage.ne.jp」というメールアドレスが50件使える。
ある方に大量に余っているこの「@sonimage.ne.jp」アドレスを一個お譲りしたところ、約2名の知人が非常にびっくりしたといいます。
「え、てか、これソニマージュのドメインじゃない?」
その2名ともHIPHOPのコアなファンだったそう。
HIPHOPかあ・・・・・・
へ?
他に「・・・・・・@amt.com」というメールアドレスをお持ちの方がいらっしゃる。
余っているはずだからぼくにも分けて欲しい。
ああ、レンタルサーバのおまけ、そこにまつわる思わぬ恩恵よ。

ソニビア その2

12月7日、BLOO MOON吉祥寺というところで、久しぶりのなかおちさとソロがある。
共演者は静香、水晶の舟。
静香さんとの競演は久しぶりである。
ああ、三浦真樹さんやSEVENさん小杉さんも元気かなあ(
すごい鉄壁だよねバック)?
でも、ドラム入らないスペースでしょ? 今回の静香バンド、どんな編成なの?
答えは「ソロ」!
三浦静香さんおひとり。
もうこれはお話訊いた段階で鳥肌!
美しいぜ、絶対!
人間っていうのはなあ、ステージにあってそのLIFEたるLIVEを(嘘が混じろうとも)丸裸で提出しえるそこに感動があって、<(嘘が混じろうとも)>はLIVEたるLIFEのスパークを前に屹立として輝いていればそれでいいんだよ!

  
<出演順>
19:00  なかおちさと
19:45  静香
20:45  水晶の舟

● 12月7日 (日曜日)料金  1500円+飲み物代
問合せ tel 0422-22-6171(Bloo Moon)
開場  18時30分
開演  19時00分頃より
吉祥寺カフェ・バー
地下の花」-其の壱-
企画
武蔵野市吉祥寺本町1-30-16加藤ビル二階B号
         分家スタジオの上

12月は他に28日(日)、虎ノ門アートファクトリーでもなかおちさとソロがありますが、7日(日)と28日(日)では内容が異なります。
7日(日)の挑戦テーマは「弦楽器」です。
28日(日)はもう少し楽器の<範囲>を拡大いたします。
弦楽器への執念(7日)と、もう少し幅広い範囲の楽器への拡散(28日)。
そこへ31歳を過ぎ、最近になってやっと安定してきたVoiceから歌への橋渡しをご覧いただければと存じます。

この告知の、どこが、なにがソニビア?
器楽奏者としてスタートしたぼくがヴォーカルを単独で受け持つようになったのは、21歳くらいからではないでしょうか?
現在、31歳。
・・・・・・10年です・・・・・・。
へ、マジ?
「いや、ぼくはギタリストですから・・・・・・」はもういい加減に通用しないんじゃないの?
うた、練習してる?

ソニビア その3

先日、11日。
GHOST、久しぶりの国内単独公演が東京のプロフェッショナル・パーッカション・センター倉庫で行われました。
当日はビデオスタッフ。
さて、出かける前にもう一度、馬頭さんからのメールを読み直しとこう。
「中尾殿/METRONOMES

開場したら2階の倉庫で”きん”(仏具の鐘のおっきいやつね)を複数鳴らしてもらいたい。
開演ぎりぎり/馬頭の演奏開始ぎりぎりまでBGMとして。かぶっても別段問題無し。
ゆっくりと間を置いて。
当日案内と指導します。
もちろんヴィデオ作業に問題ないやり方を考えてもらいたい。
頼みますよ。質問あれば馬頭まで。

ばとう」

へ?

ここ当日まで読んでなかった・・・・・・仏具?
お仏壇の中にあるようなカナモノ?
もしかして「前座なかおちさとシークレット・パーカッション・ソロ?」
へ?

案内されてびっくりした。
でかいよ、仏具!
直径1メートルくらいあるんじゃないの?
「あ、これをね、ゆっくりコーン、コーンて鳴らして! こんな感じ。ゆっくりね」
依頼文<開場したら2階の倉庫で>、本当に在庫倉庫なのな! しかし3階!
プロフェッショナル・パーカッション・センターは普段はあらゆるパーカッションを揃えて販売していて、その在庫倉庫!
思い浮かべて欲しいのはお寺のご本尊の前にある黒褐色、鉄でできた<水鉢みたいな形のでかいやつ>。
アレが大は直径1メートル、中は直径80センチメートル、小は直径60センチメートルくらい20個くらい在ったかなあ・・・・・・。
うん、小さいのも<小さくない>んだよ。
リハが終わるとすぐに開場(あの日はリハが押しました)。
「じゃ、中尾君頼んだよ」
そう言われて3階に上がったら、ははは、真っ暗じゃん。
会場中、真っ暗にしなくちゃいけないから、在庫倉庫も真っ暗じゃん!
なにこれ?
あ、この辺ねと手探りで当の仏具を探し当て、はは・・・・・・叩くものを用意し忘れた!
なんで叩こうかな、この午後ティーの缶?
暗闇に目が慣れてくると、やっとマレット発見。
試しに手で探りながら仏具を叩いてみるコーン!
いや、これがさ、多分、客席には聴こえていないのだろうけれど、字で表すと「
コツコーーーーーーーーーーーン」て感じでね。
この最初の「
コツ」ってなに?
やばくない?
楽器というのは形が見えていると、「あ、ここを叩く、もしくは鳴らす(HITする)といい音が出る」と自然に分かるもの。
形を見れば分かる。
でも真っ暗、見えない。
だから叩いたときに余計な「
コツ」が鳴ってしまう。
コツ、コーーーーーーーーーーーーーーーン
あと、「前座なかおちさとシークレット・パーカッション・ソロ」なんてとんでもないね。
途中てかすぐに気づかざる得なかったけれど、この演奏って普通GHOSTのメンバーがやるものでわ?
鳥を見たのドラム山崎さんはGHOSTの2枚目と4枚目のアルバムで叩いているのだけれど、「ステージ前に円陣組んでね」。
いま、自分が鳴らしている音を聴きながら、楽屋で円陣組んで精神集中とかしてたらどうしよう?
邪魔じゃないかしら?
ふ、そもそも馬頭さんはぼくのなにを信じてこんな大役(?)をくれたんだろ?
もう細心の注意を払って鳴らすのだけれど、ただね、3個同時に鳴っているとき、その場の音場が鼓膜をびりびりてかぐわんぐわん圧迫する。
もう音圧の揺れで身体が倒れるくらいの共鳴。
あと、お店の社長に許可とってなかったみたいで、社長、血相変えて飛んできやがった。
「・・・・・・あ、効果でやれって言われてんです・・・・・・」
へ? あ、あ、そう・・・・・・」
事前の許可とってなかったのか!
ただ本当に貴重な体験しているなって感動。
仏具を叩き出して数十分、会場でGHOSTが即興演奏を始めたのに重ねて音を少しずつフェードアウトさせてゆくときのなんともいえない厳かな気分。
GHOSTという稀有なユニットはスピリチュアルなものへの畏敬に溢れていて、自分の叩いた仏具の音とメンバーの演奏がシンクロした瞬間に、ぼく自身が感じ取ったものこそが「GHOST」だった。
これこそGHOSTかあ・・・・・・という体感、多分、忘れない。
「前座なかおちさとシークレット・パーカッション・ソロ」なんてものでは決してない。
こういうのがGHOSTのGHOST?
ただね、終えた後も「どうだったのかなあ・・・・・・」とか「ダイジョウブだったかなあ・・・・・・・」そんな想いから逃れきれない。
終演後の片付け。
良かったよ、OKOK、完璧!
馬頭さんが背中をぽんと叩くように笑顔で言ってくれた。
うん、よし・・・・・・このひとは頼むのも軽ければ、OKも軽いんだ、きっと!・・・・・・分かんないけれど・・・・・・・。
当夜のGHOSTは栗原さん復帰で非常にヘヴィネス。
カルニヴァルのような賑わい、奔走。
また、公演ひとつひとつへの取り組みがインディペンデントでは破格の気合と人員配置の保障があって、これはね、寧ろ、これこそインディペンデント本来の在り方だと感動とともに実感させられました。

あ、まあソニビアね、上の記事もね・・・・・・。

今日お届けしたソニビアはどれも明日には早速忘れていそうなことばかりでしたね。





へ?



● 12月7日 (日曜日)料金  1500円+飲み物代
問合せ tel 0422-22-6171(Bloo Moon)
開場  18時30分
開演  19時00分頃より
吉祥寺カフェ・バー
地下の花」-其の壱-

企画
武蔵野市吉祥寺本町1-30-16加藤ビル二階B号
         分家スタジオの上


<出演順>
19:00  なかおちさと
19:45  静香
20:45  水晶の舟




よろしくお願いします。










11月13日

更新予定など

冷たい雨が都心を打つ夜、11日、GHOSTの国内公演にお越しいただいた皆様ありがとうございます。
スタッフながら、もしくはスタッフ故に貴重な体験をさせていただいた夜でした。
前回の公演では、栗原道夫さんがデーモン&ナオミのサポートに専念したために不参加。
久しぶりに観た(新宿ロフトでサバートブレイズの岡野さんがドラム。対バンはメルツバウ)栗原さん参加のGHOSTはヘヴィネス!

貴重な体験が多い故に、稿を改めて振り返らせてください。

12月、年の瀬にソロ・パフォーマンスが2件。
こちらも詳細は明日より。

まず、「次を語るための前仕事」GHOST国内公演が成功に終わりました。
昨年に懲りず、スタッフ参加要請いただいた馬頭様はじめGHOSTの皆様、ありがとうございます。そしてお疲れ様でした。








「カールマイヤーの亡霊」
補記
(11月13日)

上記文章執筆から1ヶ月強。
いまだ「イワク」が消費されるkarlmayer ep/カールマイヤー・ファースト。
いくつか製作、録音に関して補遺があります。
特筆したく思う点ではサンプリングという表現上の技法に関してと、実際のサンプラーの使用が混同されている問題です。
G/tapes/effectsとクレジットされるぼくは製作当時、貧乏大学生です。
本格的なサンプラーはまだ非常に高価でした。
サンプリングという表現上の技法と、実際にサンプラーを使うという製作過程は必ずしも一致するようなものではありません。
端的にいうとエフェクターやレコーダーの使用で擬似的なサンプリングは採用しましたが、サンプラーは使用していません。
また使用した機材はYAMAHAの4トラックのマルチテレコ。
当時の普及版です。
音質の劣化こそ心配し、オーヴァーダビングはご想像されているよりも遥かに少ないです。
ギターやベースに限っては一本、一トラックのみ。
ヴォーカルはステレオトラック×3回のセッション。
僅か3回の発声のみでこの多声的なヴォイス作品を創りえたことこそコウノアヤコの天才とその集中力の実証です。

最近は都市伝説としての通用力はなくなり、「都市伝説の実例」として挙げられるようになったこと、10月11日付記事「カールマイヤーの亡霊」の所期したものです。
一方で「たいしたことない」という主意の強調の際に、実際の製作過程とは異なる状況を設定しての極めて雑多な批判を見受けます。
「たいしたことない」
仕方なしです。
ただ、録音、製作過程に関して、実証性を欠いた雑多な類推で「たいしたことない」に関しては実証的なデータを再度、議論の渦に差し上げます。
使用機材はYAMAHAの4トラックマルチレコーダー。
MIXダウン用にSONYのDAT。
リヴァーブ、ディレイ機能のマルチ・エフェクター1台。
都市伝説というものはカールマイヤーepへはいまや実害を加えません。
「精神崩壊を目的とした正式な実験音楽」という雑多な括り。
その社会的暴力はこの社会で多少とも疾患を持つ方への排他的な暴力として稼動します。
一方、カールマイヤーepそのものを「精神崩壊を目的とした正式な実験音楽」として触れ回ることの通用力は、度重なる消費によっていまや陳腐化したと確信します。
現時点でカールマイヤーepへの実行力を伴う害とは、録音、製作過程に関して、実証性を欠いた雑多な類推で「たいしたことない」。
作品の成り立ちに潜むチカラの矮小化の方こそ辛いです。
ギターとベース、各一本、一トラックのみ。
ヴォーカルはステレオトラック×3回のセッション。

力を抜いて昔話を少しします。
1992年から1994年、カールマイヤーが生きた時代の音楽地図。
懐かしくお付き合いできる方は思い出してください。
ささやかな脳内ウォーキングです。

当時、コウノアヤコに強い影響を及ぼしていた女声のひとりにディアマンダ・ギャラスがいます。
特に1981-9年作品「Diamanda Galas THE LITANIES OF SATAN (MUTE)」。
タイトル名に顕著なように、当時のギャラスはスキャンダリズムへの過剰な傾斜が頂点でした。
今となっては、スキャンダリズムへの過剰な傾斜が後にこの女性の女声としての堕落を予感させますが、当時はまだ刺激的でした。


「Diamanda Galas THE LITANIE OF SATAN (RESTLESS/MUTE)」

1960年代後半のジャズ/ロックシーンの宝箱といまだ思うNYのESPレーベルのカタログの復興、大規模な再評価も訪れました。
ぼくをキックしたのが昨年、フェスティバルで30年の際月を経てファンの前に姿を現したPATTY WATERS。
彼女が1960年代に遺した「PATTY WATERS Sings (ESP)」「PATTY WATERS COLLEGE TOUR (ESP)」。
ぼくは彼女のファーストB面「Black Is The Color Of My True Love's Hair」に金縛りされたままです。
ぼくのソロパフォーマンスでのバック音源や、バンド鳥を見たでのピアノの多用はこの曲に金縛りされたまま、そのままの姿態です。
しかし男性にして男声のぼくに彼女の声は出せません。
また誰も出せません。


「PATTY WATERS Sings (ESP)」

1998年のBBCでのインタビューで上記のディアマンダ・ギャラスがPATTY WATERSをこう評しています。
「多分、あのひとだけが自分の肉声に、器楽奏者ができること以上の柔軟さを持ってやってのけたんだと思う。そんな歌い手は彼女しか知らないわ」
実は、カールマイヤーはPATTY WATERSの後にもうひとり、貴重な女声を知っていました。
TAMIA
彼女に関してのデータは少ないです。
いまも当時もCDでのリイシューはされていません。
カールマイヤーのメンバーはコウノアヤコの職場の同僚からアナログ録音を頂きました。
当時もいまも件のアナログ盤は万単位の額で取引されているかと存じます。
PATTY WATERSの作品、もしくは肉声は強烈な遺産ではありましたが、バックをJAZZ陣営のつわもの達がしっかりとサポートしています。
ピアノはBurton Greenのものです。
更にのちの「Diamanda Galas THE LITANIES OF SATAN (RESTLESS/MUTE)」は、エフェクター、SE、パーカッションの使用はありますが、その音楽としての真髄はほぼギャラスの女声のみに求められます。
バック陣にJAZZミュージシャンを従えて登場し、しかし楽器奏者の誰をも凌ぐ、VOICEという楽器を駆使したPATTY WATERS。
彼女の出現が1966年、ギャラスがシーンを席巻する1981-9年作品群。
そのギャラスに遥かに先立って全編女声のみで「小作品」以上のものを作り上げた女声、それが歴史にうずもれたTAMIAです。
実際に耳を傾けます。
その後のギャラスの先鋭的なヴォイスとは対照的に静寂な印象こそTAMIAの魅力です。
カールマイヤーのメンバーが当時、TAMIAに聴き入ったものは、その類稀な深い静謐さです。
またTAMIAのアルバムの音響は、カールマイヤーにとって、別の文脈でのアイドルだったチャールズ・ヘイワーズ/THIS HEATの残響処理の金属性に親しいものを感じました。
リピート、全編女声のみで「小作品」以上のものを作り上げた女声、それが歴史にうずもれたTAMIAです。
オノヨーコ、メレディス・モンクは小作品、もしくは「WORKS 小作品集」でのVOICE作品は残しましたが、アルバム一枚分に値する分量の「WORK」を、VOICEのみで成し得たこと、そしてそこに聴かれる静謐さ、そのオリジンは多分TAMIAという歴史に埋もれた女声です。

静謐さに傾斜するメンタリティ。
こうしたメンタリティの在り様について、当時のメンバーとどれ程、共有できていたか?
いまは遠く青白い季節のことです。
ただ、ぼくに限っては青白い薄明かりこそ、至高の輝きとして親しんだ20、21歳です。

余裕のあるときで結構です、カルマイヤーepを仔細に聴いてください。
「うるさいだけ」
仕方なしかも知れません。
途中、直感と確信を以って静謐に女声を潜ませようとするコウノアヤコの息を辿ってください。
それでもその劇的な箇所が聴こえないのは仕方ないことかもしれません。
ただ、仔細に声質まで変化させているコウノアヤコの微細の不思議を確認できる余裕がある人にこそ、異物を排斥しない成熟した民主主義社会の成員たることの証、その信頼を、ぼくは敬意を持って寄せさせていただきます。

人類はPATTY WATERSとギャラスとの溝を唯一埋める女声、TAMIAという女声を、将来に渡って劣化しないデジタルメディアへの変換さえしていません。
国内に限らず、人類規模でもPATTY WATERSの2作品は決して入手が楽なものではありません。
「これは音楽なの?」
カールマイヤーにそう尋ねる方にこそ、訴えがあります。

「音楽史への参加要綱は満たしています」

昔話には固有の若さがあり、影響を受けた先達の方への篤い敬意だけが露わです。
では、カールマイヤーのオリジナリティは?
もしくはカールマイヤーを「始原」「資源」とするものは?
まずVOICEの明証はその「声紋」そのものにあります。
そして、














未了

10月30日

木曜休診

慢性気管支炎という病気は奇妙なもので、「慢性」というだけあり、いつでも寄り添っている。
今日は少し調子がいい、咳もない。
外出しよう。
この季節の空気はカラカラに乾いていて肌触りが抜群。
もう少し遊んでいよう。
気がつけば咽喉奥が発火している。
慢性の疾病というのは時に陰に隠れる。
兆候が見られないためにその影を見落とす。
疲れた身体になったとき、陰から影が覗く。
瞬く間に全身を隈なく制圧する。
この際、症状は途端に「急性」の容貌へと変化する。

こうした記事は近隣の方を悩ませてしまう。
あなたの日記は身体に悪い。
いや、あの記事は嘘だからと笑い返す。
しかし自嘲のトーンには、自己弁護のトーンが倍音のように鳴る。
自嘲というものの「心むかい」と、自己弁護というものの「こころ向かい」は正反対な所期を抱いて、書記において失態を重ねることしばし。
自らの醜態を自ら笑うその実は、実体たる自らの非を茶化す。
自ら「言い分け」可能な対象として認知した瞬間、恥ずかしく笑いに包んだものの実体は、見事に「言い訳」へと変容している。
ここにもまた慢性疾患の影を見よう。

慢性の疾病というのは時に陰に隠れる。
兆候が見られないためにその影を見落とす。
疲れた身体になったとき、陰から影が覗く。
瞬く間に全身を隈なく制圧する。









お返事遅れまして、大変申し訳ないです、中尾千里です。
 
絵と写真どうもありがとうございます。
 
実はですね・・・・・・この絵、次回「サボテンだらけの部屋」のフライヤーに使わせていただけないかとお願いしたく、ご検討いただければ幸いです。
 
最近、気管支炎の治療のために仕事もできず・・・・・・いや、この治療生活というのは、そのまんま「引きこもり」の様態でして、生活様式が精神状態を規定、本物の引きこもりにさせてしまう。
 
どうにも情けない・・・・・・。










「アイラーのような音を出したい」
 
諸先輩への批判になりかねないのでこれまで公にしてきませんでしたが、多くのギタリストが何故、そう願いつつもできないのか? についてひとつヒントになる秘密を書いておきます。
秘密とはいえ実際には単純な傾向です。
 
「きちんと押絃していないから」
 
ノイジーなプレイ、フリーキーなプレイ、その際に超速度で左指を湧き出る音階に習って動かす。
その際に高速で動かした左指がきちんと指板上の絃を押さえ、右手が現在、左手
によって押絃されている絃をHITする。
この点ができていないと、音の粒立ちがどうしても平坦になる。
 
サックス・プレイヤーが繰り出すフリーキーな音の連発は、そのサックスプレイヤーがキーをすべて押さえ、さらに息を調節した結果で鳴っています。
 
ぼくは先日来、ピアニスト・ウラジミール・ホロヴィッツのプレイを改めて聴きなおして実感しました。
もうとんでもない速度での打鍵なのに、10本の指すべてが強弱を弾き分けている。この特徴ではグレン・グールドはホロヴィッツに遠く及んでいないと感じ入りました(それでもグールドの革命は別のところにあり、不朽です)。
 
ピアノは打鍵しなければ発音しない楽器。
サックスは押鍵しなければ発音しない楽器。
ギターは押絃しなければ発音しない楽器。
 
最近、発見した「the guitar player」というファイル。
敢えて昔のプレイをUPしたのは曲自体の出来は不出来ですが、「すべての音が押絃された結果」特有の粒立ちを聴くことができたから。
 


右手には情感との連動、強弱や時間軸での色づけをする余裕がまったくなかったようで「はあ、若いなあ」と思います。
ただ左手の押絃と、その絃への右手のHITは20歳代のプレイでは及第点かなあと、それはぼくは器楽奏者として、打鍵しないと発音しない楽器、ピアノを出発点としていることの証であり、「年を重ねて、ここから後退していたなんてことのないように」という自身への戒めのために、公開しておこうと思い立った次第です。
 
そして以下、先達者を挙げます。
 
ぼくは当時もいまも高柳昌行を愛し続けています。
 
押絃という基本をきちんとしているからこそ、彼はフリーキーなプレイでも生命の漲りに満ち満ちています。
 
高柳昌行が絶えず口にし続けた言葉は「アイラーに帰れ」です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
↑エラソー・・・・・・。
しかし、独身31歳引きこもり。
 
補足
 
「アイラーのように」に関しては
 
ピアノは打鍵しなければ発音しない楽器。
サックスは押鍵しなければ発音しない楽器。
ギターは押絃しなければ発音しない楽器。
 
「HOROWITZ  at Carnegie Hall  (CBS)」

「ALBERT AYLER QUINTET AT SLUG'S SALOON  (ESP)」

「高柳昌行 アングリー・ウェイブス  850113  (AKETA'S DISK)」
 
「何かを動作させると音が鳴るという素子の運動についての考察」に関して、ぼくと石塚にとって、カールマイヤー時代にヒントになった音響彫刻の記録。
 
「HARRY BERTOIA  unfolding  (PSF)」
 
現象という客体、何がしかの感動という主観。
その溝には跳躍課題がいっぱい。
ただ、感動という主観のありようは客体の音楽に刻まれている。
多分、粒立ちというものこそ音楽の生命の漲り、その痕跡たるものとして聴かれるものだと想う日々です。





以下はただの蛇足です。

昨今のカールマイヤーに関する騒動とその感想の中に「突如、何十本ものギターが鳴る」という実況がされていました。
実際はオーヴァーダビングなし1本のギターと1本のベースです。

こうした誤解なら嬉しい、うん。
カールマイヤーの10年後の実効力とはその点で、(予めメルツバウだけは免除された)「ノイズ批判」の生命力だったのかもと、色々落ち着く中で想い至ります。










↑エラソー・・・・・・。
しかし、独身31歳引きこもり。
NAKAO,Chisato
sonimage groupement!!
mailto:sonimage@v005.vaio.ne.jp
http://www.sonimage.ne.jp/index.html











木曜休診。

奢り、高ぶり、饒舌。
それもまた慢性化しうる疾患。

ただ、昂ぶり。
元気そうじゃん。
この写真に印画している演奏者。
彼に気管支炎を疑うひとはいないと想うよ。

生活、人生。
ぼくは陽光にもっと機会を与えていい。

組織せよ。

......peace......












木曜休診







 










 
pics in Summer 2003 SENDAI by IIJIMA, Ai 













「能書き上等。てか、たまには旨いもん食わせろ」



















10月22日

GHOST

1111日(火)にDAMON&NAOMI来日ツアー以来、久しぶりにGHOSTの国内公演が行われます。

http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~pochamal/
↑click it!!

ぼくは昨年のDAMON&NAOMIに引き続き、この公演のお手伝いもさせていただきます(ビデオ収録)。



2003年11月11日(火)
料金:前売り2,000円/ 当日2,500円
19:00開場 / 19:30開演
会場:Professional Percussion 倉庫

会場の地図

http://www.pro-per.co.jp/map/map.htm

前売りチケット予約はインターネットのみにて受け付けとなります。

(以下、リンク先より転載です)

下記メールアドレスへ御芳名、電話番号、人数を記入して送信して頂きますと、こちらから追って整理番号と詳細を返信致します。
当日の受け付けにて整理番号の照会とチケット料金を精算させて頂きます。
予約専用アドレス:
labilabi@jcom.home.ne.jp

さらに上記リンクをクリックして詳細を覗いてください。
前回の日本公演ではDAMON&NAOMIのサポートに専念していたギタリスト栗原道夫さんが復帰です!

ご存知とは思いますが「次の国内公演はいつか分からない」GHOSTです。

「次の国内公演はいつか分からない」と言われ続けて久しいうちに、ある女性がうっかりGHOSTという名前で活動し始めてしまっ(略)。

ちなみに馬頭さんは今回の公演に際して周囲にとっては「予想された混乱」が起き、初めて「(The Other)GHOST」
を知ったようで、それはさぞかしGHOSTのGHOST(←うまくもなんともない上に不快極まりない)。

あと20日足らず、この公演の告知をしなくてはいけない。
しかし忘れてはいけないのが次回のソニマージュ・レコーズ企画!


1月17日(土)

ヘブンズドア三軒茶屋
ソニマージュ・レコーズ「サボテンだらけの部屋」

出演

割礼、みみのこと、
LaLa

開場 18:30 開演 19:00
料金 前売り¥2000 当日¥2300

ご予約 03-3413-9331(ヘブンズドア) sonimage@v005.vaio.ne.jp(ソニマージュ・レコーズ)

フライヤーの原稿になる画像がなくて困ってます。
いや、隠し玉があるのですが、肖像たる肖像が「肖像権にうるさい我が
LaLaのドラマー」。
困っていたら↓こんなものを見つけました。




ご覧頂いたものは1990年代の御品。
いまは画家として活躍中の石塚HBS隆則画伯がまだ商業デザイン会社で働いているときに作られたものです。
いわゆる「コレはいい仕事ですねえ」です。
しかし
「WEDESDAY(原文ママ)」・・・・・・惜しい! 意味不明!

「なんでガンダムなの?」
ぼくは画伯に尋ねました。
「LaLaってガンダムみたいじゃん」
画伯はそう答えました。
「・・・・・・ニュータイプってことだな・・・・・・」
ぼくは自分にそう言い聞かせました。

更にご注目いただきたいのが画面左上の印です(拡大↓)。



これこそソニマージュ・レコーズのロゴです。
初紹介になりますが、これこそ正式なロゴです

デザインは同じく石塚HBS隆則。

「なんでタコなの?」
ぼくは画伯に尋ねました。
「え、ゾウじゃないの?」
当時の見送りの日、ドラマーの長尾歩が尋ねました。
「いや、これは火星人だよ」
画伯はそう答えました。
「え!? 石塚、火星人信じてるの!?」
ぼくは画伯の度外れたイマジネーションを絶賛し、しばらくイジメのネタに使いました。
「石塚は火星人信じてるんだよね?」
それこそ何度も何度もしつこく尋ね返しました。
いま火星人が俺の中で熱いんだよ
画伯きっぱり居直る。
しかし、居直ったところでなにがどう熱いのやら。

ま、フライヤー自体は格好よくても、書記内容は過去の遺物でして
LAMAMAなんて、もうすっかり文化が亡くなった小屋には二度と出ません。

コント「赤信号」のリーダーには青信号を出し続ける
LAMAMAですが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTに、演奏後「練習が足らない」とミもフタもない赤信号を出したという逸話がありました(発言の背景に「育ててやった」という含みがあるようで嫌なの)。

不失者がギター・アンプ
Marshalの真空管を飛ばしたとき、小沢さんが得意の電工技術で自らきちんと直したにも関わらず、その上で更に「修理代」を請求してきたという逸話については立場上書いていいのか、いけないのか、大変苦慮いたしますが、まあ、しっかり巻き上げら(略)。

この
LAMAMA公演以外にも、当時のLaLaのフライヤーはすべて石塚画伯が担当していました(件のデザイン会社を退社するまでです。それ以降はぼくが担当)。
さりげなく「当時」と書きましたが、この「当時」が果たして正確には1990年代のどの年に当たるのかさっぱり覚えていません。
ぼくの指、手と足合わせて20本、それでも足りないカウント199?年。
よく考えたら199?年で19th FEBRUARYが「WEDESDAY(原文ママ)」な年な訳ですが。

次回「サボテンだらけの部屋」フライヤーは来週、このページで発表いたします。

今日の記事の肝心の部分は冒頭の
GHOST日本公演に関しての叙述に帰します。
繰り返しになりますが「次の国内公演はいつか分からない」
GHOSTです。
ギタリスト栗原道夫さんが国内公演復帰です。

改めて、




http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~pochamal/

↑、click it !!








「the guitar player」mp3」のノート

Vanilla recordsよりカールマイヤーのカセット作品2作「カールマイヤーep(カールマイヤー・ファースト)」「カールマイヤーの世界」が再プレスされるようです。
(詳細については伺っていないのですが、再プレスというよりは受注生産という形に近いかと存じます)

http://vanilla.vis.ne.jp/cgi/shop/index.html

いずれにしても正規な形での流通で今次の妙な風評が絶えてゆけばと願う一方で、11年前の試行錯誤の記録が再び世に出ることに関して大いなる不安があります。
実は「カールマイヤーの世界」は、ぼくにとってはセカンド・エディションになります。
最初に作成された音源は、当時、メンバーの意向により没になりました。
ボツ、未発表(発売元のヴァニラ・レコードにも渡していない)音源にも聴き所があります。
「カールマイヤーの世界」にしても「カールマイヤーep(カールマイヤー・ファースト)」にしても、ぼくは選曲ミスを犯していると確信する次第です。

今回の「騒動」に際して、改めて当時の音源を洗い直したところ、アナログ・テープにしか保存されていないライブ音源を見つけました。
カールマイヤーの音源ではなく、カールマイヤー時代のセッション・ワークです。
10年前のアナログ・テープ。
音質劣化は必至と想い、この度デジタル・マスタリング。
ただ、肝心のマスター音源がアナログ・テープのため、固有のノイズがあります。
またブーストされたようなノイズもマスター・テープに起因します。

セッションの相手はLaLaの初代ドラマーでもあった長谷川”ダボ”俊通。
後にザ・サーフコースターズ脱退後のベーシスト佐藤トモとシュガー&マーシャンズというバンドで活動。

ただし、このmp3ファイルは更に前史。

10年前の即興演奏ですが、当日の内面の焦燥は昨日の事のように覚えています。
年長のダボの指定で足元にはペダル1台、ギターはアームレスのGibson SG。
年長者に「試されている」という意識。
思うようなフィードバックが得られない。
理想の音は雅楽に聴かれるような澄んだ、しかし雪崩れながら変調してゆくロングトーンなのにと、想いを聞いてくれないRoland社のギターアンプJazzChorus-120相手に苦戦。
実演奏中、こうした「理想の音」に自縛されたままというのは年若い故です。

ただ「演奏情報の過剰こそ知覚を広げる」という、今日のソロワークに引き継いでいる賭け。
この賭けには成功しているかなと、この若いギタープレイヤー、横浜ローカルでしか活動していなかったギタープレイヤーを記憶しておこうと思います。

こういう演奏こそハードコア音楽と信じていた、そんな時代の10分間。
まったくの即興演奏にて作曲された10分間です。


http://www.hatena.ne.jp/1061908552

上記サイトに、「ヴァン・ゴッホ アントナン・アルトー」の簡単な書評ページ「評伝の精神態様」へのリンクをいただいたようです。
多数のアクセスありがとうございました。
このページを改めて読み返すと「若書き」にして稚拙と落胆いたすしだいで、期待されて読まれた方には申し訳ないという思いもあります。
「アルトーかぶれ」だったぼく自身の一時期を一度ひとつの小さなファイルに結晶させたかったその時期のものです。
掌編にして小片。
説明不足には甚だしいものがあります。
また季節次第に書き直せたら、もしくは新しいファイルを編みなおす日が来ればと存じます。
いずれにしてもありがとうございました。


10月8日

カールマイヤーの亡霊


以下の記事はページ「the sonimage ep collection」内に書き下ろすことを目的としたものでしたが、長文ゆえ、まずこちらに掲載いたします。


3)karl mayer ep.mp3

カールマイヤーの歴史的な音源。
1992年夏、横浜=横須賀を中心に活動していたYSRというレーベルの「10枚限定シングル」という企画のために製作、録音、発売。
その後、1993年に、当時、暴力温泉芸者やC.C.C.C、山本精一などを擁していた京都のヴァニラ・レコードより再発。
世界配給された両面合わせて僅か10分のカセット・テープ作品のA面。
ヴァニラ・レコード初の「売れれば売れるほど赤字になる作品」として発売されたが、メンバー当人が日本国内で見かけたのは明大前の「モダーン・ミュージック」のみ、その割にNYから反響があったりの不思議な存在でもある。
ヴァニラ・レコードにメールで取り寄せ可能とのこと。

kohno ayako(Vo.)
isizuka takanori(B.)
nakao chisato(G./tapes,effects)

ヴォイス・パフォーマンスの可能性をあらたに切り拓いた記念碑的労作。



*

このmp3ファイルに関しての都市伝説の流布について、概要などやっと把握できました。

ぼくがこの都市伝説に接したきっかけは、大多数の皆さんと同じく、ネット媒体「2ちゃんねるの怖い話」での紹介記事からです。
(当サイト使用のログ解析のリンク元レポートにネット媒体「2チャネルの怖い話」が登場しました)

また去年、2002年のヴァージョンと、今年、2003年のヴァージョンの違いについても把握しています。
以下は2002年のものではなく、2003年のものについての考察と反証です。

「カールマイヤーep」という怖い音楽がある。

その曲は、

1

「精神崩壊を目的とした実験音楽」


であり、

2

「この曲を聴いて実際に自殺したひとがいる」

らしい。


*


音楽においての「実験」とは製作段階以前の音楽家の企みに帰します。
この企みは飽くまでも主観のひとつの在り方です。
実際に鳴り、鳴ってしまったものとは音楽家の主意主観を考慮した「実験音楽」という術語に帰するものではなく、単純に「音楽」という結晶物です。

音楽とは実際の空間において生起し、生起したものであり、このmp3ファイルのように客観的に実在するものです。
客観的に実在するものであるからこそ、聴くものの主観において様々な解釈、再解釈の領域が生まれます。

2002年頃より流布し始めた作品「カールマイヤーep」に関しての都市伝説の伝播は、そうした解釈、再解釈がネット媒体に於いて過剰に増幅された産物かと存じます。

音楽家の実験精神を音楽そのものの中に100パーセント結晶させることは非常に困難です。

この作品を実際に録音制作したのは1992年、ぼくが20歳のときです。
もちろん若い野心(実験精神)はありました。
但し、近年の都市伝説に謂われる様な「精神崩壊を目的とした実験音楽」の製作という企図はありません。

ヴォイス・パフォーマンスの可能性をあらたに切り拓いた記念碑的労作。

ヴォイスというのは正に音楽史へのvoice、肉声の再獲得です。

こうした試みは第二次大戦後は1960年代後半から「Patty Waters SINGS (ESP)」、「TAMIA 1st.」、オノヨーコ、メレディス・モンク、そして1992年に於いてまだディアマンダ・ガラスが「現役の音楽家」として君臨していました。

その他にも有名無名様々なひとびとがこのリストに連なり、こうした先達の方々への一定のリスペクトが当然にフィードバックされているものです。

また、こうした先達の方たちには更なる先達がいます。
大戦前にはダダイズムや未来主義の中で様々な先駆的音源が記録されています。
実際「カールマイヤーep」の音源をREMIXした10分強の曲で、ぼくはダダイズムと未来主義の記録からサンプリングをしています(
カセット作品「カールマイヤーの世界」のラスト10分に収録されているものです)。

そしてより古く、さらに世界中でいま尚響く様々な「声明(しょうみょう)」。
近いところでアジアを参照します。
日本国内では真言宗声明に震えます。
韓国の巫女、シャーマンの声に眩暈を感じます。
チベット各地、各寺院、各宗派の声明には肉声の重なりによる声明。
驚きを禁じえないチカラに満ちています。
ただしこうした様々な声明は、元来、宗教に帰するものです。
音楽家の耳にとっては宗教に帰する音楽ともいえます。

「宗教に帰する音楽」は「音楽に帰する音楽」とは<類型>において異なることを再自覚します。

作品「カールマイヤーep」は「音楽に帰する音楽」での肉声の奪還に主眼がありました。
また先達との区分に関しての年若い野心がありました。

先達との区分に関しての年若い野心

その野心に関して論述することは避けます。
年若い野心ゆえに年若かったものであり、11年後、2003年にいるぼくには恥ずかしいものです。
ただいずれにせよこうした主眼とか野心は飽くまでも音楽家の「主観」です。

一度、この世界に生起し、客観的に実在する作品「カールマイヤーep」は、カールマイヤーの野心、実験精神という音楽家の主観とは違う次元で「鳴ります」。
まず世界で鳴り、次にお聴きいただいた皆様のこころという部位で鳴ります。
そこで鳴るものについては当時のメンバーの誰しもの主観や野心を乗り越えて鳴ってしまうものです。

ただし、最近の都市伝説(
2003年のもの)に関しては、製作に携わった本人として反証の必要を感じます。

1
「精神崩壊を目的とした実験音楽」


崩壊した精神というのは現実に於いてどのようなものでしょうか?
その具体的な態様とは精神に疾患をもつ様々な個人に帰するものであり、その態様や病症は個々まちまちであり、「精神崩壊」という括り方自体が非常かつ非情な社会的暴力です。

個々様々な「精神崩壊」について実験を企図するには、個々様々なひとびとと、個々に向かい合って鳴らすしか実験の在り様などないでしょう。

(そんな実験など「してはいけない」)

崩壊する原因や因子は個々の精神によって様々です。
余りにも大雑把な括り「精神崩壊」という言葉、書字。
実験対象の度外れた曖昧さ、そこには予め実験可能性の領域などありません。

別ページ「ソニマージュ・レコーズ」に「狂気を引きずり出す」という趣旨の記事を書いたことがあります。
しかし「狂気」というものは「精神崩壊」とは違い、むしろ崩壊していない強固ななにものかです。


2
「この曲を聴いて実際に自殺したひとがいる」


ここから先はもう音楽に関しての考証の範疇を超えます。

「カールマイヤー」
この単語を検索マシンにかけます。
すると恐らく3〜5件のカールマイヤーにHITします。
ひとつはカールマイヤー織りという毛布の生産に携わったカールマイヤー(社)。
(綴りはKarl Mayer)
ふたり目は20世紀初頭の映画脚本家、カールマイヤー。
(綴りはCarl Mayer)
3番目は「カールマイヤー」という日本のバンド。
(英字表記はKarl Mayer)

他に18世紀ドイツの喜劇俳優カールマイヤーなど。

以上のリストの内、実際に自殺と関わりがあるのは2つ目、20世紀初頭の映画脚本家たるカールマイヤーです。

綴りの違いに注目してください。
カールマイヤー織りのKarl Mayer。
映画脚本家のCarl Mayer。
日本のバンドカールマイヤー、英字表記 Karl Mayer。

1
「精神崩壊を目的とした実験音楽」

日本のバンド・カールマイヤーが遺した「Karl Mayer ep」はこうした触れ込みでネット上に流布。
色々な方が各々、別のwebスペースにこの曲のmp3ファイルをアップロードしました。

(このサイトへのリンクではなくて別のサーバー数箇所にアップロードされたものが広まりました)

この触れ込みに呼応した方々が、恐らくはカタカナ表記「カールマイヤー」でweb検索。
映画脚本家「カールマイヤー」に関する記事にHIT。
彼についての記事には確かに自殺という単語が踊っている。
この際に「Karl Mayer」と英字表記で検索していれば、自殺というキーワードにはHITしなかったでしょう。

2
「この曲を聴いて実際に自殺をしたひとがいる」

都市伝説の真相に関しては、都市伝説の考証家の皆様にお任せいたします。

表題
「カールマイヤーの亡霊」

亡霊の正体はKarl Mayerではなく、Carl Mayer。
彼の消息に関しては「カリガリ博士」に尋ねてください。


http://www3.justnet.ne.jp/~akiko-s/recom/vol1/vol_1/caligali.html





文責

なかおちさと
(ex.karl mayer - G/tapes/effects)







参考資料

webサイト「sonimage groupement!!」ログ

解析対象期間:
2003年 9月29日(月) 06時37分 〜 2003年10月06日(月) 05時39分
(6.96 日)

リクエスト成功件数: 37,703
上記の日別平均: 5,417
ホームページへのリクエスト成功件数: 3,208
上記の日別平均: 460


(ネット媒体「2ちゃんねるの怖い話」での紹介記事以降)


補記
(11月13日)

上記文章執筆から1ヶ月強。
いまだ「イワク」が消費されるkarlmayer ep/カールマイヤー・ファースト。
いくつか製作、録音に関して補遺があります。
特筆したく思う点ではサンプリングという表現上の技法に関してと、実際のサンプラーの使用が混同されているようです。
G/tapes/effectsとクレジットされるぼくは製作当時、貧乏大学生です。
本格的なサンプラーはまだ非常に高価でした。
サンプリングという表現上の技法と、実際にサンプラーを使うという製作過程は一致しません。
端的にいうとエフェクターやレコーダーの使用で擬似的なサンプリングは採用しましたが、サンプラーは使用していません。
また使用した機材はYAMAHAの4トラックのマルチテレコ。
当時の普及版です。
音質の劣化こそ心配し、オーヴァーダビングはご想像されているよりも遥かに少ないです。
ギターやベースに限っては一本、一トラックのみ。
ヴォーカルはステレオトラック×3回のセッション。
僅か3回の発声のみでこの他声的なヴォイス作品を創りえたことこそコウノアヤコの天才とその集中力の実証です。

最近は都市伝説としての通用力はなくなり、「都市伝説の実例」として挙げられるようになったこと、10月11日付記事「カールマイヤーの亡霊」の所期したものです。
一方で「たいしたことない」という主意の強調の際に、実際の製作過程とは異なる状況を設定しての極めて雑多な批判を見受けます。
「たいしたことない」
仕方なしです。
ただ、録音、製作過程に関して、実証性を欠いた雑多な類推で「たいしたことない」に関しては実証的なデータを再度、議論の渦に差し上げます。
使用機材はYAMAHAの4トラックマルチレコーダー。
MIXダウン用にSONYのDAT。
リヴァーブ、ディレイ機能のマルチ・エフェクター1台。
都市伝説というものはカールマイヤーepへの実害を加えません。
「精神崩壊」という雑多な括り。その社会的暴力はこの社会で多少とも疾患を持つ方への排他的な暴力として稼動します。
カールマイヤーepへの実行力を伴う害とは、録音、製作過程に関して、実証性を欠いた雑多な類推で「たいしたことない」。
作品の成り立ちに潜むチカラの矮小の方こそ辛いです。
ギターとベース、各一本、一トラックのみ。
ヴォーカルはステレオトラック×3回のセッション。

力を抜いて昔話を少しします。
1992年から1994年、カールマイヤーが生きた時代の音楽風景。
懐かしくお付き合いできる方は思い出してください。

当時、コウノアヤコに強い影響を及ぼしたのがディアマンダ・ギャラスです。
特に1989年作品「Diamanda Galas The Divine Punishment&Saint of Pit (MUTE)」。
タイトル名に顕著なようにスキャンダリズムへの過剰な傾斜が頂点でした。
今となっては、スキャンダリズムへの過剰な傾斜が後にこの女性の女声としての堕落を予感させますが、当時はまだ刺激的でした。
1960年代後半のジャズ/ロックシーンの宝箱といまだ思うNYのESPレーベルのカタログの復興、大規模な再評価も訪れました。
ぼくをキックしたのが昨年、フェスティバルで30年の際月を経てファンの前に姿を現したPATTY WATERS。
彼女が1960年代に遺した「PATTY WATERS Sings (ESP)」「PATTY WATERS COLLEGE TOUR (ESP)」。
ぼくは彼女のファーストラスト「Black Is The Color Of My True Love's Hair」に金縛りされたままです。
ぼくのソロパフォーマンスでのバック音源や、バンド鳥を見たでのピアノの使用はこの曲に金縛りされたまま、そのままの姿態です。
しかし男性にして男声のぼくに彼女の声は出せません。
また誰も出せません。
1998年のBBCでのインタビューで上記のディアマンダ・ギャラスがPATTY WATERSをこう評しています。
「多分、あのひとだけが自分の肉声に、器楽奏者ができること以上の柔軟さを持ってやってのけたんだと思う。そんな歌い手は彼女しか知らないわ」
実は、カールマイヤーはPATTY WATERSの後にもうひとりだけ、貴重な女声を知っていました。
TAMIA。
彼女に関してのデータは少ないです。
いまも当時もCDでのリイシューはされていません。
カールマイヤーのメンバーはコウノアヤコの職場の同僚からアナログ録音を頂きました。
当時もいまも件のアナログ盤は万単位の額で取引されているかと存じます。
PATTY WATERSの作品、もしくは肉声は強烈な遺産ではありましたが、バックをJAZZ陣営のつわもの達がしっかりとサポートしています。
ピアノはBurton Greenのものです。
更にのちの「Diamanda Galas The Divine Punishment&Saint of Pit (MUTE)」は、全編がギャラスの女声のみです。
バック陣にJAZZミュージシャンを従えて登場し、しかし楽器奏者の誰をも凌ぐ、VOICEという楽器を駆使したPATTY WATERSの出現が1966年、ギャラスの1989年作品、バック陣営なし全編女声のみ。
全編女声のみで「小作品」以上のものを作り上げた女声、それが歴史にうずもれたTAMIAです。
その後のギャラスの先鋭的なヴォイスとは対照的に静寂な印象こそTAMIAの魅力です。
カールマイーのメンバーが当時、TAMIAに聴き入ったものは静謐さです。
またTAMIAのアルバムの音響は、後にチャールズ・ヘイワーズ/THIS HEATの残響処理の金属性に親しいものを感じました。
リピート、全編女声のみで「小作品」以上のものを作り上げた女声、それが歴史にうずもれたTAMIAです。
オノヨーコ、メレディス・モンクは小作品、もしくは「WORKS 小作品集」でのVOICE作品は残しましたが、アルバム一枚分の分量のWORKを、VOICEのみで成し得たこと、そしてそこに聴かれる静謐さ。

静謐に傾斜するメンタリティ。
この点においてメンバーとどれ程、共有できていたかいまは遠く青白い季節のことです。
ただ、ぼくに限っては青白い薄明かりこそ、至高の輝きとして親しんだ20、21歳です。

余裕のあるときで結構です、カルマイヤーepを仔細に聴いてください。
「うるさいだけ」
仕方なしかも知れません。
途中、直感と確信を以って静謐に女声を潜ませようとするコウノアヤコの息を辿ってください。
その劇的な箇所が聴こえないのは仕方ないことかもしれません。
ただ、仔細に声質まで変化させているコウノアヤコの微細の不思議を確認できる余裕がある人にこそ、異物を排斥しない成熟した民主主義の成員たることの証、その信頼を、ぼくは敬意を持って寄せさせていただきます。

人類はPATTY WATERSとギャラスとの溝を唯一埋める女声、TAMIAという女声を、将来に渡って劣化しないデジタルメディアへの変換さえしていません。
国内に限らず、人類規模でもPATTY WATERSの2作品は決して入手が楽なものではありません。
「これは音楽なの?」
カールマイヤーにそう尋ねる方にこそ、訴えがあります。

「音楽史への参加要綱は満たしています」

昔話には固有の若さがあり、影響を受けた先達の方への篤い敬意が露です。
では、カールマイヤーのオリジナリティは?
もしくはカールマイヤーを「始原」「資源」とするものは?
まずVOICEの明証はその「声紋」にあります。
それと、














未了












9月25日

遠い日のソロ・ワーク

12月28日、日曜日。
年の瀬押し迫る時期にソロ・ライブの依頼が入った。
立島夕子の参加するグループ展会場での演奏。
今年の最後の演奏はココで尽きるかなと、痛い緊張感を覚える。

年末グループ展 『楽園の記憶2』
東京アートファクトリー 12/22(月)〜28(日)
東京都港区西新橋2-13-8広瀬ビル2F TEL03-3597-8628
相原康宏 カミギシヒロシ 杉本陽介 伊藤洋子 もたいひでのり 立島夕子
桜井弘美 幸田典子 権藤武彦 山本亜矢子 美雪  yukari*hmnk
ライブパーティー12/28(日) 1ドリンク¥1000
 出演 三上寛 なかおちさと てずるもずる 


クラリネットが鳴らない。
そんな夢を見た。
去年末、ペンギンハウス高円寺でのソロ演奏。
冒頭でクラリネットにて当日のテーマたるメロディを鳴らす予定だった。
クラリネットは鳴らなかった。
そのときの内心の焦燥感たるやもう滑稽なほどのシロモノで、事後の演奏は思い出したくない記憶になっている。
演奏後に吹き口をみると、リードが割れていた。

クラリネットが鳴らない。
そんな夢を見た。
今日の午睡。

今年の初頭にアルト・サックスを手にしたくなった。
大胆にも灰野さんに貸していただけないかとお願いした。
灰野さん所有のアルト・サックス。
阿部薫の遺品だった。
「阿倍の最後のアルトでね」
重いとか、想いとか。

借りられるはずもなく仕方なし、オークションにてヴィンテージのサックスを入手。
NYの楽器店のオリジナルのもの。
造りが安価だったのかもしれない。
修理に出さないと使えない。
銀色のカッコイイそいつは修理に出されることもなく、インテリアとして存在感を放っている。
重いとか、想いとか。

映画を観た。
さらば映画の友よ
1979年の日本映画で、川谷拓三、浅野温子。
パッケージには「日本版アメリカングラフティ」とある。

画にチカラがある。

画のチカラだけでは魅力は15分と続かない。
長々とどうでもいい話が続く。
要所要所での川谷拓三の演技の素晴らしさで映画に引き戻される。
しかしラスト30分。
もう驚愕するほどの緊張感だ。

冒頭15分、ラスト30分、そこだけ息をつかせぬ映画。

フィルムの中で、今は亡き川谷拓三が歌う。

グッドナイト グッドナイト ベイビー 涙こらえて 今夜はおやすみ おやすみ グッドナイト

この歌を覚えていたら、独り言を洩らすように口ずさむといいよ。
独り言を洩らすように口ずさむといいよ。
川谷拓三、1995年に没したこの名優を覚えていたら、彼のどうにも照れくさそうな笑顔。
あの笑顔から照れくさそうに洩れるこのフレーズを想像してみるといいよ。
素敵だと思った。
流行り歌には「理由」がある。

xxx :名無し音楽放浪の旅 :03/06/26 19:15 ID:xxxxxxx
N氏=年に数回趣味で音楽活動してる灰野さんファン兼スタッフ、でよろしいでしょうか?


文末の「?」に返答しようにも宛先は<名無し>。
言論の自由、反論の自由、言論の甘受、反論の甘受。
(もしくは近代市民的自由と併走する、しかしより起源の古い)
風評の自由、反証の自由、風評の甘受、反証の甘受。
それでもこの総括は非常に好意的に受け止めている。
まず発奮材料としてここまで言い切られると不思議と気持ちがいい。
表現者の内心は表現(と、プラス、不分の表現活動)そのものとは一致しないから、その通りな面がある。
ぼくは企画、ロケーションに拘り、そこに私財を投入して「場を確保する」。
私財には限りがある。ノルマなしの依頼でも意義を感じない場合は断り続けてきた。
この内情と、評価の差には変数もあり、因果もあるんだなと感じた。

(明らかに灰野さんを念頭において)千里、お前は俺から<終わらせる>ってことを学んだだろ? by三上寛」

堰き合うもの同士が着いたり、離れたり、しかしVajra(三上寛、灰野敬二、石塚俊明)の文脈、音脈の内実の豪華。

「千里、お前は俺から<終わらせる>ってことを学んだだろ? by三上寛」

エピソード:ある夜の灰野さんの公演で、ぼくは灰野さんに楽器の取替えを「急かした」といわれた。

xxx :はい :03/06/18 20:29 ID:???
灰野の後継者がいないって深刻な話をしておるのですよ。

いえ、以下まったくの持論申し訳ないです。

音楽史というのは本当に多様なキャストで、そこには教会の一楽師が果たした発明もあり、「音楽の前衛(*前衛音楽という呼称のものと重なり、しかしときに異なります)」には絶対性と相対性とのせめぎ合いがあります。
相対性の短期的な観測については日本の現状ではモーニング娘。や松浦亜弥だって登場するでしょう。
RADIOHEADだって無視できません。
少なくとも相対性のまったく短期的な観測に限っては無視し得ないです。

そして、もうひとつ。


多分「継承」と「後継(あとつぎ)」は違うということ。

例えば土着の直截な人間関係の中で「継承」された事例の多いブルースの伝播。
しかし師たるブルースマンの「後継」という事例はブルースがもっと後の時代に堕落してしまうまでは観測されていないと思います。

以下、加速します。


「継承」と「後継(あとつぎ)」は違うということ。
その違いに「絶対」が芽生える。

クラリネットが鳴らない 川谷拓三が歌う「グッドナイト グッドナイト ベイビー 涙こらえて 今夜はおやすみ おやすみ グッドナイト」この歌を覚えていたら独り言を洩らすように口ずさむといい「千里、お前は俺から<終わらせる>ってことを学んだだろ? by三上寛」音楽史というのは多様なキャストでそこには教会の一楽師が果たした発明もあり前衛音楽には絶対性と相対性とのせめぎ合いがある流行り歌には「理由」がある 灰野さん所有のアルト・サックス阿部薫の遺品だった「阿倍の最後のアルトでね」12月28日日曜日年の瀬押し迫る時期にソロ・ライブの依頼が入った立島夕子の参加するグループ展会場での演奏今年の最後の演奏はココで尽きるかなと痛い緊張感を覚える xxx :名無し音楽放浪の旅 :03/06/26 19:15 ID:xxxxxx N氏=年に数回趣味で音楽活動してる灰野さんファン兼スタッフ、でよろしいでしょうか?言論の自由、反論の自由言論の甘受反論の甘受風評の自由反証の不具風評の甘受反証の

クラリネットが鳴らない。

「グッドナイト グッドナイト ベイビー 涙こらえて 今夜はおやすみ おやすみ グッドナイト」



エコー。

「グッドナイト グッドナイト ベイビー 涙こらえて 今夜はおやすみ おやすみ グッドナイト」









9月16日

......
THIS HEAT,THOSE HEAT......

あなたが無事でいてくれたらと祈念します。

9月8日、我が家のネコ、みふねが入院した。
「尿石症」
それは人間でいうところの尿管結石に似た病気で、尿毒症などの合併症状で、この病気で死にいたるオスネコは多いという。
前夜の7日は楽しみにしていた友部さんの横浜公演で、しっかりと前売り券を購入したいたけれど、みふねの様子がどうにもおかしい。
何度もトイレに向かっては真剣な顔で排泄行為する。
ただ、可笑しなことに、行為後のトイレを何度見ても肝心の、そう、肝心だなんて可笑しなくらい大袈裟な表現なんだけれど、肝心の排泄物がない。
こんなことは彼、みふねの生涯でただの一度もない。
またトボトボとトイレに向かう。
神妙な面持ちでじっとしている。
いや、頑張って排泄しようとしている。
でも肝心の排泄物はついに顕れない。
近隣のどうぶつ病院。
もう診察時間は終わっていたものの電話で問い合わせてみる。

「尿石症の可能性がありますから、すぐに連れてきてください」

病院ではみふねの尿管に「人口の尿管(材質は何だろう? ともかく不思議なものだ)」、カテーテルを挿す。
先生の尽力のおかげで人口尿管(カテーテル)の先から、やっと尿が溢れた。
そのときのぼくの安堵、それは一種の「温度」を持ったなにものかで、それはぼくの平熱よりも少し熱いもの。

翌日に病状が悪化。
みふねはいくら頑張っても自力での排泄が困難になっていた。
入院が決まった。

イスラエル軍がガザ市でミサイル攻撃、ハマス創設者が負傷(ロイター)

 [ガザ 6日 ロイター] 
ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ガザ市で6日、イスラエル軍のF16戦闘機がミサイル攻撃を行い、イスラム原理主義組織ハマスの精神的指導者アハマド・ヤシン師が負傷した。

 ヤシン師は手と肩に軽傷を負ったが、攻撃の直前に狙われた建物から脱出したため、命に別状はなかった。

 この攻撃で、子ども6人を含むパレスチナ人約15人が負傷。抗議行動がガザ各地で行われ、数万人が参加した。

あなたが無事でいてくれたらと祈念します。

我が家でのみふねの不在。
それは書き残すに値する静か。
ある夜にはPCのディスプレイの変化で床に微妙な陰影の歪みが走った。
ゆらりと黒いものが床を走るように見えた。
ぼくはその黒いものをみふねと直感した。
みふねはどうぶつ病院の中、人口尿管をつけ、血尿を、そう血尿を垂れ流した日もあったと聞いている。

9月14日、みふね退院。
残念ながらこの病気、症状、シンドロームに「完治」を得るには手術に賭けてみるしかない。
尿管を短くするために泌尿器への外科手術を施すという。

「手術費は20万円くらいを覚悟しておいてください」

ぼくの思考は直線を延ばす。

完治への希望。
完治への希望。
完治への希望。

直線。

ある類の愛は、どこまでも生活の実践と、実戦の確かさ、硬度を備えていて、その性質、そのために生活を対象化できない異様の中、砂/嵐、放擲されるぼくは、家族への愛というどこまでも生活の実践と、実戦の確かさ、硬度を備えていて、そのために生活を対象化できない異様の中、砂/嵐、放擲される。

2003年9月11日

外務省幹部の自宅に爆発物が仕掛けられた。
テロと見られる。

爆発は事前に防ぐことができたが、治安維持に責任を持つ石原慎太郎東京都知事は、テロに至る経緯に関して一定の「理解」を示す応援演説。
首都東京の治安維持に責任を負う立場の知事の資格に関して内外からの批判が膨れ上がる。

日頃から「日本人の危機管理意識のなさ」を説く都知事自身が、その危機管理能力への無能ぶりを示した。

あなたは無事ですか?

ある類の愛は、どこまでも生活の実践と、実戦の確かさ、硬度を備えていて、その性質、そのために生活を対象化できない異様の中、砂/嵐、放擲されるぼくは、家族への愛というどこまでも生活の実践と、実戦の確かさ、硬度を備えていて、そのために生活を対象化できない異様の中、砂/嵐、放擲される。

......
THIS HEAT,THOSE HEAT......

(未了、改稿予定)











9月6日

日々雑感

通勤電車の中で「存在と時間 マルティン・ハイデッガー ちくま学芸文庫」をゆっくり読んでいます。
恥ずかしながらこの名著、ぼくは現在進行形にて初読です。
この本は「読む人」は10代後半から20歳代に読み、「読まない人」は多分、一生読まない、そんな本です。
ぼくはその10代後半にてハイデッガーのナチス関与を実証的に明かした著作がベストセラー。
この頃には教え子のハンナ・アーレントの尽力を以ってもハイデッガーへの信頼は債務超過の状態にありました。
その後も幾度も証拠が重なる重なるその内に「読んではいけない本」という印象を深く不覚。
関係ないですが「深く不覚」とか「カフカ負荷付加」って感じ。
通勤電車の中でこそ、「存在と時間」は深く負荷付加です。
この著作の魅力が分かりました。
「人間を鼓舞する」チカラに充ちています。
現存在=人間たるとはいかなることか?
ああ、ちっぽけな私もこんなに深い探求の対象となりえるのか!
この「!」が洗礼のようです。
同じくドイツにてカフカが描いた頑強な官僚社会の出現。
そいつを一種の頑強な人間復興=ルネサンスで乗り切れると思わせたのかもしれない。
だから、通勤途中に深く過負荷付加で、疲れて帰宅する列車の中でも深く過負荷付加です。

9月よりフルタイムワーカになってしまいました。
経営不振が囁かれる某PCメーカの修理センターで働いています。
この会社の製品はいかに壊れやすいか?
それが毎日届けられる大量の不良品の数で知ることができます。
あまりに不良品が多いので月曜日から土曜日まで修理センターを動かさなくてはいけなく、また従業員も月曜日から土曜日までフルに出勤します。
休みは神様が地球や人類を造るのを怠けた日、日曜日だけです。

修理センターというところは面白いもので、ひとつの棟に修理工場と修理品発送、修理品入庫、修理受付のための事務処理のオフィスが混在しています。
ただ修理サービスというのは企業にとっては積極的に価値を産み出す場所ではありません。
必然的に前向きたる何ものかが抜け落ちた不思議な場所です。
それはまた作業に従事しているすべてのひとが何ものかを欠いたまま生活している場所でもあることを実感させられます。

壊れたものを治そうとすることに懸命。
でも壊れないように根本から創造する空間とは宿命的に違うんです。
この修理センターの従業員は、ミステイクというものに関して、予めの用意をしています。

「俺たちは人間なんだから誰だって何だって間違うことはあるさ」

働き始めて間もないのに、この言葉をもう何度も聞きました。
修理センター。
修理センター。
修理センター。
修理センター。
修理センター。
修理センター。
修理センターの空調はどうも非効率で毎日大量の汗を流しています。
一日の労働日につき1kgと律儀に体調が減ります。

通勤電車の中で「存在と時間 マルティン・ハイデッガー ちくま学芸文庫」をゆっくり読んでいます。
そんなぼくの存在と時間に潜在するチカラはいま修理センターでいつも消費されて、







消費されて堪るか、
いつも修理不可能な、しかし可能なる選択肢として絶対絶命な、、

絶体絶命な即時と即自する存在と時間の一瞬一瞬、でも、ぼくは確認と反省と決断を、ひどく、著しく、怠け過ぎてはいないか、、






通勤電車の中で萎れてはいけない、有機態の勇気。

日々雑感









8月29日

LaLa
仙台ツアーレポート
<序>

日付は7月26日。
この日、仙台市の中央にあるライブハウス「enn」で、LaLaとしては初の国内遠征公演があった。
ぼくはその出来事の中心近辺にいたお陰で、当夜のライブ映像を繰り返し見ることができる。

フィルム再生を繰り返しているうちに「ライブ映像」という言葉から、ライブという言葉が持つ本来の緊張感が少しずつ洗われてゆく。
目撃から鑑賞へと、熱いものから醒めたものへと、再生という行為の温度が変わってきたのだなと思う。
そろそろレポートの第一稿くらい書けるかもしれないと、賭けをしてみる気になってきた。

イヴェント「音の解体」の主催者、バンド深海魚の小野くんの言葉に<この間の「音の解体」でママとLaLaのLIVEは仙台で今までなかったようなLIVEの金字塔を打ち立てたようなLIVEだったと僕は思っています。
(ennのスタッフの朱美さん今回のLIVEの件で大分お世話になった「今までにないLIVE」とおっしゃってくれました)>というのがある。
いささか大袈裟のように感じていたものだけれど、再生されるフィルムの中にその一瞬が収められていることに気づいた。

LaLaが演奏を開始した途端に座りながら鑑賞していたお客さんが立ち上がった。
LaLaが演奏を開始した途端にお客さんが一歩と二歩と足を動かし、ステージに近寄って行く。

この光景はステージ上で正にその瞬間を観ていたのだけれど、1ヶ月を経てフィルムで再現されると、意味づけが変わってくる。
ステージ上では、こうした光景は「手応え」として把握される性格のもの。
この「手応え」は残り数十分間のこれからのパフォーマンスでの関心事に過ぎない。
でも、1ヶ月を経て再生されるその瞬間には、なにかもっと長い時間、歴史での関心事に変わる。
先日、みみのことの川口さんと電話でお話「どうなの仙台って、<こういう音楽>への関心ってあるのかな?」と質問されたとき、正にこの瞬間の映像が浮かんだ。

LaLaが演奏を開始した途端に座りながら鑑賞していたお客さんが立ち上がった。
LaLaが演奏を開始した途端にお客さんが一歩と二歩と足を動かし、ステージに近寄って行く。


これは多分、「LaLaだけの問題」ではない。
ステージ中にLaLaの演奏に身体を揺らし続けてダンスを魅せてくれるひとが必ずいる。
本当に美しい。
ぼくらはその光景をいつもの「手応え」として把握して、残り時間にヒートを維持する。
でも、1ヶ月を経て再生されるその瞬間には、なにかもっと長い時間、歴史での関心事に変わる。
踊ってくれているのはいつも同じ人たちではない。
毎回、「LaLaの音楽は踊れるモノ」と発見してくれるひとたちが身体を揺らしてくれる。
想い出したエピソード。

横須賀に「かぼちゃや」というクラブがある。
このハコでの「ザ・サーフコースターズ vs LaLa」という企画。
今回のenn(仙台)のスペースの1/3にも満たないフロアに100人以上の人がすし詰め状態。
「皆、サーフコースターズのお客さんだからね」
そんな気持ちで臨んだステージ。
前座たるLaLaが演奏を開始した途端に当時の言葉でいう「モッシュ」が始まった。
米兵たちや、米兵が持ち込んだ文化に囲まれて育った若い人たち。
彼らが壮絶なモッシュで迎えてくれたときの感動を忘れられない。
演奏後にフロアをふらついていると、ビール瓶片手に「You're Great!!」と連発するアメリカ兵たちがいた。
そのアメリカ兵の傍らには日本人のカノジョがいて、「絶対、またヨコスカに来てね」と微笑む。
彼らのLaLaへの理解は「モッシュ」だった。
それはなんて爽快な解答なんだろう!

イヴェント「音の解体」は、仙台市のタウン誌(オールカラーの分厚い立派な雑誌で驚いた)で事前に紹介されていた。

記事
「この音世界は、他のバンドでは体験できない!」
独自のスタンスで活動し、一部でカリスマ的人気を誇る二バンドが東京から登場。1つは、東京のアンダーグランドシーンで最重要ギタリストの一人と注目されるなかおちさと率いる3ピースバンド、LaLa。もう1つは、灰野敬二や三上寛と自主企画イヴェントで共演するなどそのユニークな活動が注目を浴びている、ママ。迎え撃つ仙台のバンドは、深海魚、ドロノフネなど…

キーワードを拾う。
東京」「アンダーグラウンドシーン」「迎え撃つ」「仙台

タウン誌が独自に執筆したこの記事の「底」には、「対決/対立」の図式が前提とされている。
実際を端的に書く。
フロアにて心配される摩擦はなかった。
摩擦を予め封圧しえたのは、多分、音の力だ。

LaLaが演奏を開始した途端に座りながら鑑賞していたお客さんが立ち上がった。
LaLaが演奏を開始した途端にお客さんが一歩と二歩と足を動かし、ステージに近寄って行く。

前座たるLaLaが演奏を開始した途端に当時の言葉でいう「モッシュ」が始まった。
米兵たちや、米兵が持ち込んだ文化に囲まれて育った若い人たち。
彼らが壮絶なモッシュで迎えてくれたときの感動を忘れられない。
演奏後にフロアをふらついていると、ビール瓶片手に「You're Great!!」と連発するアメリカ兵たちがいた。
そのアメリカ兵の傍らには日本人のカノジョがいて、「絶対、またヨコスカに来てね」と微笑む。
彼らのLaLaへの理解は「モッシュ」だった。
それはなんて爽快な解答なんだろう!


このふたつの公演でのフロアの反応にはなにか共通項がある。
これから少し公演を記録したフィルムには収まりきらなかった記憶までも再生してみよう。

そうした再生行為が終わったとき、ぼくは次のツアーについて考え始めていると思う。

この項、続く。






8月23日

日々雑感

BBSにてお知らせいたしましたが、2004年1月17日(土)にソニマージュ・レコーズ主催「サボテンだらけの部屋」を開催いたします。
場所はヘブンズドア三軒茶屋です。
現在決定している出演者は割礼、みみのこと、LaLa。
出演を快諾していただいた皆様に感謝いたします。
詳細は未定な部分が多く、しばらくお待ちいただけたらと思います。

鳥を見たとなかおちさとソロについては年内の公演を構想中。
鳥を見たについてはなんと! 練習をしてステージに臨む予定です!
これまではまったく打ち合わせなし本番一発でしたが、「作曲」について目覚めてしまいました。
ああ年内にあと2回くらい公演をしたいなあ→場所は?→対バンは?
???????????
発熱。
・・・・・・

更新の遅れ申し訳ございません。
創作の軸がいま音楽にジャスト、きっちり照準ぴたり。
書き物が下手になってしまいました。

音楽家一般に当てはまることかもしれませんが、音楽に没入しているときというのは本当に厄介。
なにが厄介かというとぼくの周りでなっている音、または音楽が聴こえ、更にぼくの中からも様々な音、音楽が世界にあふれ出ようと必死。
とにかく音にせよ音楽にせよ、外からも内からもガンガン響いていて「うるさい」。
「うるさい」というのは本当にうるさくて、これはたまったものじゃありません。

以下は最近のヘビーローテーションです。

ティム・バックリーいっぱい、セロニアス・モンクいっぱい、GURUGURUいっぱい、SKIP JAMES(ブルースマンです)、PAPPO'SBLUES「71/75」(アルゼンチン1970年代初期のハードロックバンドです。知らなくてもいいです。探さなくてもいいです)、ブリジット・フォンテーヌの3rd.「BRIGITTE FONTAINE」、アルバート・アイラーいっぱい、特に「BELLS(ESP)」、ALAN SONDHEIM「T'Other Little Tune(ESP)」、BOB JAMES TRIO「EXPLOSIONS(ESP)」、富樫雅彦「RINGS」、AC/DC「ギター殺人事件」「バックインブラック」、ペンタングル、フェアポート・コンヴェンション、リチャード・トンプソン、アン・ブリッグスなどブリティッシュ・トラッドいっぱいすぎ、恥ずかしいから小さなフォントでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTいっぱい

さて、こう並べると、皆さんはこれらの音源(CD)をとっかえひっかえプレイヤーに入れている姿をご想像されるかと思いますが、違います。

「脳内ヘビーローテーション」です。

「脳内ヘビーローテーション」とは、ああ、ホラ! バーとか行くと業務用100〜500枚収容のCDチェンジャーってあるじゃないですか? あのランダムに100枚単位のCDが聴ける奴ね。
アレの「脳内ヴァージョン」です。
つまり「脳内CDチェンジャー」です。
脳みそが室内や野外の風景に触発されて勝手にCDをチョイスしてくれて鳴り出します。
スウィッチが入る瞬間には特有の音がします。
カチッ!

おお、ZEPPの「コミュニケーション・ブレイクダウン」だ!

幻聴?

いえ、病理学上の幻聴とはまったく関係ないです。
しかしコミュニケーションは確実にブレイクダウンします。
どういう訳かヴァーチャル・サラウンド機能です。
また富樫雅彦「RINGS」ですと、平均して3分に1音くらいしか音が鳴りません。
困った名アルバムです。

あ、いま「♪大きな空に梯子をかけて♪」に変わりました。
これってなんて曲名でしたっけ?

大きな空に梯子をかけて、コミュニケーション・ブレイクダウン! トレイン、トレイン、走ってゆけ、トレイン、トレイン、どこまでも、鳥よ此処へ、バックインブラック、バックインブラック、

空調が何層もの重なりをなして低く、高く、多方向から鳴り続けています。



日々雑感






背景画像を変えました。
幼少、4歳くらいの中尾千里。

「リンクは途切れないだろう」
新着2件です。
割礼子改め、虹野礼子さんのバンド
ラジオの様に
真摯な議論が交わされる掲示板サイト
Forest
今後とも宜しくお願いいたします。
こちら「sonimage groupement!!」はリンクフリーです。
相互リンクをご希望の方はメールなどください。






8月15日

更新↓




手は携えた病理に歓んだまま皺を刻み続けては黙祷される日を日々日常に引き込もうとしている。


8月15日


ひとは怖いものと手を携える夜がある。
床はコルク地。
壁は昔ながらの漆喰。
物入れには襖。
一年前の仔猫の尿臭がこびりついて消えてはくれない。
馬鹿げたPCシステムを築き上げたために空調を激しく動かす。
24時間と少し空調を激しく動かすとモーターがコト切れそうに悲鳴した。
この部屋の気狂いじみた不調和がオゾンへの攻撃について意図させる。
スウィッチを入れる。
親指力強くスウィッチを入れる。
部屋が軋む音がする。
部屋と部屋とを結ぶ廊下が軋轢の発生源であってここはかつての家人たちの足音をぼくの耳元で反復増幅させる。
家人たちのかつての足音なのでその音は軋んでいる。
家人がいる日には登校を拒否し得ない心境に追い遣られる。
学校に行こうと久しぶりに通学路を踏む。
幾度となく立ち止まりぼくは熱に問いかける。
いま何度ある?
37度少しという答えを期待する。
こめかみ辺りから額にかけて発火する。
ぼくは本当に熱が出る。
安心して家路を辿り今日の不登校を宣言しようと勲む。
勇んだ手で鍵を開けてひとり。
家人はいない。
コルク地を踏む柔らかい摩擦音が耳に癇癪する。
毎日を再生するように留守中にオフにしていた空調のスウィッチを入れるために親指に力を与える。
毎日を再生するようにベッドに倒れ込む。
証拠が必要なので体温計を噛む。
37度4分。
ぼくは実によくできたマシンだとぼくをスウィッチで切る。
家人が帰るとき不登校の理由を申告しないといけない。
毎日を再生するように家人の足音にだけは耳をそばだてたままに眠る。
毎日を再生された部屋では幾度となく空調の音が軋む。
オゾンへの攻撃を止めない。
オゾンへの攻撃は頑なに止めない。
オゾンが足らない。
オゾンが足らない。
オゾンが足らない。
家人がタタと廊下を過ぎ行く音に言い訳をする。
37度4分。
37度4分。
37度4分。
炎天下の中今年もこの日をだらしなく臥しながら迎える。
堪え難きを堪え偲び難きを偲び。
臥しながら直立する小国民たちが俯いているモノクロームの静止画。
堪え難きを堪え偲び難きを偲び。
モノラルスピーカの反復増幅に聞き入る。
軋んだ音がぼくの耳音で反復増幅して家人のすすり泣く声を拾う耳。
あなたという児はどうして今日も学校へ行かなかったのどうして?
あなたという児はどうして今日も学校へ行かなかったのどうして?
あなたという児はどうして今日も学校へ行かなかったのどうして?
人殺しの教師の教え子にはなりたくないからです。
体温計の数値を見てください。
もう一度発火する。
37度4分。
噛んだ体温計を口元から取り出す際にもう一度数値を確認する。
熱だ。
ぼくの熱だ。

ぼくは病理と歓んで手を携える。

病理と携えたぼくの手が空調のスウィッチを押す。
モーターが軋む音がして家人はせわしなく廊下を行き来してモノラルスピーカが堪え難きを堪え偲び難きを偲び小国民たちはその精魂を地に臥したまま直立不動で俯きながらすすり泣く声を上げて静止画に焼きついて再生すると燃え失せるせいでオゾンが足らない人殺しの教師の教え子にはなりたくないオゾンが足らない人殺しの教師の教え子にはなりたくないオゾンが足らない人殺しの教師の教え子たる小国民たちはその精魂を地に臥したまま直立不動で印画したまますすり泣く音を上げて家人がぼくに問うあなたという児はどうして今日も学校へ行かなかったのどうしてもう一度発火するの?
37度4分。
噛んだ体温計を口元から取り出す際にもう一度数値を確認する。
熱だ。
ぼくの熱だ。
ぼくは病理と歓んで手を携える。
手は携えた病理に歓んだまま皺を刻み続けては黙祷される日を日々日常に引き込もうとしている。
ひとは怖いものと手を携える夜がある。
手は携えた病理に歓んだまま皺を刻み続けては黙祷される日を日々日常に引き込もうとしている。


















世界時間2003年8月15日
















特別な感謝を、




8月6日

語り部=かたりべと呼ばれる武田さんという老齢の女性の語り。
教室は武田さんの語りだけがとつとつと、その口から流れ落ちて、耳を傾けるものは誰しもが言葉を発し得ない、隙間を埋められない語りと「その日」の有り様に神経の痺れを甚く感じ、










いまはまだ真昼のはずなのにね、リョウセン、稜=線、そう、地平線が赤く、赤くてね、そう、夕陽みたいにね、真っ赤でね、あのう、皆さんはね、あのう、夕陽というとね、皆さんはね、綺麗だとか、美しいだとか、皆さんは、そう、想われるのでしょうね、でもね、わたしはね、あのう、あの日以来、夕陽が怖いんです、怖くて、もう、仕方がないんです、夕方に、は、いつもね、あの日のことを、それこそね、毎日、毎日ね、あのう、想い出だしてしまってね、あのう、あ、わたしは本当に夕陽が怖いんです、怖くて仕方がないんです、あ、あのう、あのう、見えますか、みなさん? わたしの足元です、よく見てください、焦げてなくなったひとたちの手がいまもわたしの足を握って放さないんです、これ、分かりますか、みなさん、あのう、あのう、本当に本当に放さないんです、死んでしまったひとたちの手がわたしの足を、その、その、その手がみなさんに見えませんか、本当に見えませんか、わたしは土を踏むごとに、わたしの足を握って放さない、あのう、あのひとたちの手で、あのう、本当に痛いんですよ、そのう、そのことを考え始めてしまうとわたしは一歩たりとも前に進むことができないんです、これは、これはね、本当のことなんです、あのう、あのう、信じてくださいますか、みなさん? わたしの足元には無数の死んでしまったひとたちが横たわっていて、わたしはどんな土地を歩くにも、屍、無数の屍を踏んでしまっているのだと思うと、あのう、あのう本当に歩けなくなってしまうんです、本当に信じてもらえますか、みなさん? わたしは屍、シカバネ、もう本当に、その、そのひとたちはどんな風に死んでいったのしょうか? 理由も分からずに殺されてしまうということはね、本当に、あのう、あのうどんなねえ、気持ちなんでしょうか? 生きていたときはどんな暮らしをしていたのでしょうか? わたしはたまたま幸運な形で生き残ったに過ぎません、一瞬、わずか十秒の間に街がね、街じゅうが、あのう、あのうなんて申し上げればいいのでしょう、ああ、この、この声が聞こえませんか、みなさん? わたしにはいっぱい、たくさんの声が聞こえます、たくさんのひとたちの声です、うウうウ、うウうウ、あのう、あのう、わたしの足をその声が掴んでね、放さないんです、わたしは本当に歩くのが怖いんです、死んでしまったひとたち、殺されてねぇ、しまった、ひとたちのうえを踏みつけて歩くんですよ、あ、あ、あの本当に見えませんか、みなさん? この無数の手や声がわたしの足元に見えませんか? あのう、あのう、これは本当に本当のことなんですよ、みなさん、わたしは歩くのが怖いです、わたしは歩くのが怖くなってしまいました、本当に、それは、あのう、あのう、あのう、あのう、あのう、あのう、あのう、手です、みなさん、殺されてしまったひとたちの手です、手です、どんな手だか分かりますか、みなさん? 黒焦げてね、黒焦げてしまってね、あのう、あのう、もうそれは浮腫んでいるなんてお話ではないんですよ、黒く、黒くてねぇ、あのう、その手がいつでも、いつまでもわたしの足を、あのう、あのう、わたしは屍のうえを歩いているんだと思うと、いろんなひとたち、殺されてしまったひとたちの手が見えるんです、みなさんには見えませんか? あのう、あのう、











語り部=かたりべと呼ばれる武田さんという老齢の女性の語り。
教室は武田さんの語りだけがとつとつと、その口から流れ落ちて、耳を傾けるものは誰しもが言葉を発し得ない、隙間を埋められない語りと「その日」の有り様に神経の痺れを甚く感じ、その言葉の切れ切れたる息遣いは、指示内容の切れ切れたる有り様に付随するものなのかと、
神経の痺れを甚く感じ、










あのう、あのう、わたしは屍のうえを歩いているんだと思うと、いろんなひとたち、殺されてしまったひとたちの手が見えるんです、みなさんには見えませんか? あのう、あのう、










あのう、


あのう、その躊躇にも似た言葉の正体、指示内容は、言語が十全に機能し得ない、言葉というものの臨界から発せられて、正に、あのう、たるその日の状況を正確に描写している、伝えているのだと、語りと「その日」の有り様に神経の痺れを甚く感じ、その言葉の切れ切れたる息遣いは、指示内容の切れ切れたる有り様に付随するものなのかと、
神経の痺れを甚く感じ、

ぼくの想像は、ぼく自身の「創造」の言葉を隈なく制圧する。























8月5日

カールマイヤーの亡霊
<序>

冷夏から一転、各地で猛暑。
ここ関東地方のみならず、北半球全域で猛暑。
地球温暖化の兆候が取りざたされる2003年の夏。
NASAがオゾン層は回復しつつあると報告。
しかし日本を含む世界各国の研究機関がこの報告を否定。
「オゾン層は確実に減少している」
NASAの報告には京都議定書を一向に批准しないアメリカ合衆国の身勝手な政策を援護するような「世論操作」という印象、疑惑をも増幅させる。
とはいっても猛暑。
ぼく自身もクーラーをフル稼働させてしまう。

('・c_・` )<ダメじゃん.....。

この国、日本の夏の風物に怪談話という文化が脈々と継承されている。
暑い夏の夜には恐怖で背筋を凍らせよう。
ぼく自身、怪談話が大好き。
エドガー・アラン・ポー、HPラブクラフト、スティーブン・キングその他、アメリカ文学の中の恐怖譚が大好き。
ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」などは、「恐怖譚」、その「語り」への開眼で、多分ぼくの人生を早い時期に変えてくれたとも思う。
「恐怖譚」と書いて「きょうふタン!」などと読むと更に可愛い。
「ねえ、きょうふタン! 今日はどんなことがあったの?」
ううん、可愛い。
多分、昨今よく耳にする「加護タン」「辻タン」とかいうひとたちより可愛いのではとさえ思う。
最近訪れた仙台市の名物は、「牛タン」。
LaLaの他のメンバー2名と、その他同行の方々はこともあろうにライブ前に牛タンを食べに行った。
お、俺はなあ、ライブ直前は食事を摂らないことにしてんだよ!
「すごい美味しかった。君も来ればよかったのに」
ああ、幻の牛タン。
あと、モグタンというのもいるけれど、今日の話題は飽くまでも「恐怖譚」だから本筋とは一切関係ないので省略する。

最近、ブックマークしたサイトに「現代奇談」というのがある(リンクフリーだそうなので貼らしていただく)。
サイト内容は「都市伝説」の紹介と解説。
奇談(怪談)の前に「現代」と前置きされているように、第二次世界大戦後の都市伝説を集めている。
このサイトでは、現代の怪談の伝播は、その多くが「マス・メディア」、さらに「web」「チェーン・メール」が媒介になっていることを解き明かしてくれる。
お話の伝播というのは、学術界では「口承(口伝え)」ばかりがフィールドワークの対象となっていた。
ぼくの兄は現在、立命館大学で非常勤講師。
大学院での研究は日本各地の口承伝説の採取。
沖縄の口承伝説、出雲の口承伝説、大和の口承伝説で「倭」を解こうとしていたのかと思う。
ただ、戦後日本を、もしくは大正から昭和、昭和から平成の「日本」の奇談、怪談、都市伝説の流布には「書籍」「新聞」「ラジオ」「映画」「インターネット」をも採取してゆかないと解明できない。
現代奇談」、そのサイト名の印象とは趣旨が異なっていて、幾つもの奇談は何に由来して、どのように伝播したか? というアプローチ。
オカルトへの否定のトーンに背筋がぴしっと緊張していて興味深い。

このサイトの存在を知ったのは「sonimage groupement!!」採用のログ解析「リンク元レポート」。
これ↓。
http://osi.cool.ne.jp/cgi_bin/Child_Tree/cbbs.cgi?mode=one&namber=4103&type=0&space=0
このサイトに備えられたBBSがぼくのサイトへのリンクを記述していたため。
古い記事は読めなくなるようで、仕方なし転載させていただきます(記事中に「sonimage groupement!!」への直接リンクが貼られていたり、記事の引用もあるので「お互い様」で許してください)。
件名「怪音ファイル」というやりとりです。

怪音ファイル

★1

投稿日/ 2003/06/27(Fri) 20:39:21
ネットで「karl mayer ep.mp3」という怖い音声ファイルを拾ったのですが、これは一体どういうものなのでしょうか?(検索しても出てこなかったので・・・。)
女の人の笑い声とも叫び声ともつかない不気味な声が延々と流れる、という内容なんですけど・・・。

ご存知の方がいましたら、教えてください。

★2

投稿日/ 2003/06/27(Fri) 21:17:12
Googleにて「karl mayer ep」で検索した所
http://www.sonimage.ne.jp/ep.htm
というHPがヒットしました、
カールマイヤーの歴史的な音源。らしいです・・・

たぶん同じだと思われるmp3が置いてあったので
自分も聴いてみたのですが、たしかにめちゃくちゃ不気味ですよね。

★3

投稿日/ 2003/06/28(Sat) 20:19:23
おお!これです。これと同じ音源です!
しかし・・・やっぱりこれ、凄く怖いですよね。

どうもありがとうございました。

ああ、あの、何ていうかあなたたち・・・・・・。

恐ろしいことに、この書き込みがあってから「karl mayer ep」へのアクセスが急増。
2003年 7月14日(月) 06時32分 〜 2003年 7月21日(月) 05時59分 (6.98 日). のログ解析、サイト「sonimage groupement!!」内「ファイル別リクエスト」の報告では、とうとう「karl mayer ep」のリクエスト(ダウンロード等)件数が458件に膨れ上がる。
なんとこのサイトでの「
リクエスト件数 第一位」を獲得!
いいですか、僅か1週間で
458件です。
本サイトの「現代奇談」のアクセスカウンタは50万HIT。
メガヒットサイトの威力とは凄いねえ。
さて、この件にて一番の怪異を指摘します。

「カールマイヤーep (カールマイヤー・ファースト vanilla record)」の世界配給での出荷本数は300です

ひええええええええ、キャ→!!!!!!!!!!!
実際の出荷数を(僅か一週間の統計でさえ)上回ってしまったじゃないか!

録音は1992年夏、秋に10枚限定アナログ・シングル盤(てな企画の一環にて)リリース。
より大規模なヴァニラ・レコードからの発表は翌年1993年。
2003年、10年後のリヴァイバル、「復活」。

しかし、「
ネットで『karl mayer ep.mp3』という怖い音声ファイルを拾ったのですが、これは一体どういうものなのでしょうか?」って、まず管理人、てか、メンバーの俺に尋ねろよ!
自分も聴いてみたのですが、たしかにめちゃくちゃ不気味ですよね
当事者にとっては10年後のリヴァイバルの方がよっぽど意味不明で不気味だよ!

かくして眠れるカールマイヤーの亡霊が、ぼくやメンバー・コウノアヤコ(voice)、装丁の写真協力キクチアキラ(LaLa/鳥を見た)など当時の関係者の前にふと甦った
(しかしベースの石塚HBS隆則画伯はPC未所有なので知らないかもねえ・・・・・・)
肝心なことは「鮮やかに甦った」というよりは、「
なんだか不気味に甦っちゃったみたい」ということだ。
いったいどういうことだ?

(「騒ぎ」は収まったようなので実はもうどうでもいいのかもしれないけれど、)
この項、続く
(くだらない前置きが長すぎちゃったの)。





7月31日

スケッチ

仙台から帰ってきました。
イヴェント「音の解体」 at enn 仙台へのLaLa出演。
ひと息、ふた息と呼吸をしては、仙台市の空気と、この部屋の呼気の湿度、馨りの違いを思います。

BBSでのリクエスト、ありがとうございます。
仙台公演の反応も踏まえて思うのは「LaLaばかりが何故もてる?」。
誇大妄想とも言いますが・・・・・・。
ただ、ぼくの中でのなかおちさとソロ、鳥を見た(
、あと、休止中ですがバンドの方の「見送りの日」)が嫉妬します。
実際に動員という「数字」でも10〜15名位の差があることに神経質になったり。

公演に先立って地震についてご心配いただいたようです。
公演後のレポートについてこの点に触れなければいけないのは正直、気が重いです。
いま、宮城県北部を中心にして起こっている「地殻変動」というのはなにやらとても大きなものを予測させます。
2日間だけの「訪問者」、旅行者のぼくが語る言葉はどうにも軽いです。
被害に遭われた方々や、これからの予測や対策に耳を傾けてください。
敢えて語弊を来たす言葉で書きます。

ぼくや、LaLaは地震の被害には遭っていません

公演明けて翌日、広瀬川の辺でボーっとしていました。
「広瀬川、流れる岸辺、思い出は帰らず」
かつてのヒット・ソング「青葉城恋歌」の冒頭です。
曲名もメロディも記憶に瑕疵あり。
うろ覚えで、この後のフレーズはまったく知りません。
実際の広瀬川はしかし素敵でした。
前日の雨が激しかったこともあり、流れは勢いを増し、恐らく普段より水も濁っているだろうなと思います。
ただ、本来は清流であることを感じさせてくれる川です。
「青葉城恋歌」
このおそらくは、最初はローカル・ヒットだった曲が、どうやって全国に伝播したのか?
山間を流れる川という「既視」。
この曲がヒットした昭和年代後半、ひとが望郷する際に広瀬川というのは「未知の川」ではなかったのだろうと、実際の流れを見て染みてくるものに身を洗います。

仙台市中心部の街中の看板には日本語、ハングル、中国語が併記されています。
ぼくの住む横浜でも日常の風景です。
マフィアたちの匂いがします。
ぼくの住む横浜でも日常の風景です。
ただ清流は市内にはないなと羨みます。
箱根、丹沢山脈方面に赴かないと、清流はないなと思います。
神奈川県でやっと完結する、補完できるものが、仙台市内ひとつで巡れる。
そしてあの乾いた空気は仙台市内の特有のもの。

三上寛さんが以前に、東北の文化、分化について「北海道の手前で留まった人たち」「海を渡らずに本州に留まった人たち」という言葉を繰り返して説明していました。
だから「面白いだろう?」と・・・・・・。

仙台市内では行き交う人たちがときに異国の言葉で話していました。
「異国の言葉」と思ったぼくは、あまりに鈍感です。
朝鮮語も広東語も北京語も、もう古くから「この国の言葉」です。
ソビエト連邦の崩壊後は、ロシア語もこの国の言葉に仲間入りです。
それは仙台に限らないなと、横浜を思い出します。
大岡川の川辺ではポルトガル語もいまだ健在です。
ただ、横浜に比べると仙台市はほんの少し、ロシア語の比率が多かった。
相対的な違いと、絶対的な違い。
日々、この「雑居」におおらかでいられたら、この国の文化を「きちんと楽しめる」はずです。

(いまのこの国の排外主義者たちは、その実際において悪しき理想主義者の見本)

1)

「青葉城恋歌」
このおそらくは、最初はローカル・ヒットだった曲が、どうやって全国に伝播したのか?
山間を流れる川という「既視」。
この曲がヒットした昭和年代後半、ひとが望郷する際に広瀬川というのは「未知の川」ではなかったのだろうと、実際の流れを見て染みてくるものに身を洗います。

2)

朝鮮語も広東語も北京語も、もう古くから「この国の言葉」です。
ソビエト連邦の崩壊後は、ロシア語もこの国の言葉に仲間入りです。
それは仙台に限らないなと、横浜を思い出します。
大岡川の川辺ではポルトガル語もいまだ健在です。
ただ、横浜に比べると仙台市はほんの少し、ロシア語の比率が多かった。
相対的な違いと、絶対的な違い。
日々、この「雑居」におおらかでいられたら、この国の文化を「きちんと楽しめる」はずです。

ここに3)の1/2を足します。

居酒屋にて、三上寛さんが傍らの弟子筋の方に語りかけた言葉です。
「インドに行ってきたって? 色々なとこへ行くことだな。でもな、それは必ずしも<世界を股に駆けろ>ということじゃないぜ」
三上さんはこの後、屋久島の樹齢7000年といわれる屋久杉の前で歌を歌ったことを話してくれました。

ここに3)の2/2を足します。

仙台市内にある伊達政宗の墓所「瑞鳳殿」へ向かうまでの道のりに聳え立つ、恐ろしいまでに幹の太い杉の樹を前にしての震撼、その忘れられない波動をどうやって伝えよう?

ロードマップというものは、その実態としては、事後から回想した際に初めて描けるものではないかなと、仙台から帰ったいま思います。
未明と既視。
交錯を渡ろう。
次は西へ向かいます。








nakao chisato
( L a L a )









(公演内容のレポートは当日の記録を冷静に見聴きしてから書きます。興奮が邪魔をして上述のごとく、切れ切れの文章しか書けないようです)













7月25日

直前手記
(第五夜)

仙台市付近でまた大きな地震。
さらに畳み掛けるかのように余震。
「旅支度」は終わりました。
パジャマを鞄に詰めてみる。

旅支度のついでとばかりに衣装を探す。
ハウスダストが舞って、発疹がいくつも両腕に咲く・・・・・・。
ああ、こんなチビTを着れた時代もあったねえ・・・・・・。
15kgオーヴァー。
生涯で一番重い体重での発車。

想うことは、24時間後にはステージはすでに終わっているのだということ。
どうにも不思議な心境。

今年は、恒例だったテラヤマ新聞の青森バスツアーがない。
2年前、三上寛さんが新宿で言ってくれたことを思い返す。

「これからはさあ、アルバイトしてさ、色んなところに演奏しに行くといいよ」

貴重なアドバイスを2年も不義理にしていたんだなあ。
あるひとから言われたことがある。
「まだ横浜から出ていないんだけれどねえ、すごいミュージシャンがいてねえ。ファンなんだ」
三上寛さんがどういう訳か京都の拾得で、その方にそんな話をしていたという。
「まだ横浜から出ていないんだけれど」

うん。

「今年は東北に行きました」
そう報告すれば、三上さんも喜んでくれると思う。

昨日、父親が電話口でぼくに尋ねる。

「最近、小説は書いているか?」

「いや、小説はいまは書けなくなっている」

正直に申告する。

「いや、実はリクエストがあってな。あの三上寛さんとの旅行な? 三上寛という人間を慕って、一緒に旅する青年っていうのを書いてみて欲しいというか、読んでみたいんだ」

呼吸ひとつ。
忘れていたファイルがあった。
タイトルだけは決まっていたものの、書き出しの部分で頓挫したままの小説。
ファイル名「ひらく夢などあるじゃなし」。

散文というのは観察眼の在り方からして、詩的言語や散文詩で用いる書き口と違うもの。
日々、事物と認識との切り結び方がまるで違う。
さて、父の珍奇な要望に何て答えようか?
父は父でぼくの知らない三上寛を知っているのだと思い知る。

まずは、

「行ってきます」








採録
(2001年8月12日14時39分)

From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2001 08/12 14:39

手紙

手紙
適度な
硬さを
持った
手紙

お元気ですか? この土地は寒いです。一年中、田園に飲まれ、田園に死すという飾り言葉も嘘ではなかったようです。この土地で夢を、大志を抱くのは罪びとだけです。そうした人間は田園に飲まれまいと、やがてこの寒い土地を裏切るからです。この土地では才あるものはみな罪びとなのです。それでも彼、彼女はこの土地を愛しています。赦し難く。目の前の海が、この土地、この国が島国であることを来るものに教えてくれます。

手紙
適度な
硬さを
持った
手紙

その土地は寒い、田園、才あるものはみな罪びと、

必要なラインだけを拾う
そして類推する
その土地の在り処を−

ひとと手紙の付き合い、は、
想像力のレッスン
大切なのは硬度−

才あるものはみな罪びと

そこにアウト・ラインを引いてみる
それからようやく手紙の消印を確かめる

今日

手紙

「ひ/きょう」

烙印
されて
いた

旅人は秘境に行ったのか
卑怯に赴いたのか
手紙とはいつも「非/今日」

才あるものはみな罪びと

アウト・ラインを辿りなおす













行ってきます







7月24日

直前手記
(第四夜)

以下、前日の手記より。

頭部に鈍い痛みがある。
血の塊がそこで滞っているような痛み、しびれ。
この塊は時に折、疼く。
疼いた瞬間、意識が遠のく。
足元がふらつく。
痛んだ箇所をてのひらで包むと、そこは熱い。

・・・・・・風邪でした・・・・・・
早朝から「スッコーン」という軽快な擬音とともに発熱。
ぼく、昨日は「頭の病気」かと思っちゃった。
風邪でした。
日中は万事、お休み。

仙台公演以後の音楽活動については明日以降に(もしくは公演終了後に)書きます。
関係者と鍵を握る影のドン山○巌さんとロードマップつくりしないと(○など伏字を使う必要はまったくないですが)。

冷夏という予測が飛び交います。
一時は東京電力の原子力発電所事故隠しから由来する、夏の電力不足への懸念と「猛暑」という予測が暗い世相を、さらに暗くさせてくれました。
しかし、ここにきて「夏休みなのに寒いですね」などと職場の方と話しています。
冷夏というのも暗いイメージを呼び起こしますね。
猛暑でも冷夏でも世相は暗いのかしら、オレの性格が暗いのかしら?

ページ「見送りの日」も6ページ目。
タイトル「我ら、砂漠の生き物」。
この言葉がポンと浮かんだのは「テロルと戦争 スラヴォイ・ジジェク 青土社」と記事中にあります。
記事にして、アップロードして思うことは、「あ、別にこの本を強くお奨めという訳ではないですよ」みたいな気持ち。
ジジェク(zizek)は慣れないと読みづらく、またうねうね遠回りする割には強引な結論だったり。
真摯だったり、ときに不真面目に思えたり、いまだ得体の知れない人です。
一方、同じ日に読んだ本に「心と戦争 高橋哲哉 昌文社」という著作があります。

高橋哲哉さんはジャック・デリダの、翻訳、解説本など多数です。
でも、ジャック・デリダのような難渋さはこの本からは一切感じません。
むしろ直截に結論をぶつけてくる著作です。
横浜駅東口にある朝日カルチャーセンターでの講座、数回分をテープ起しして加筆したもの。
教育基本法がいかにして、踏みにじられてきたか、危機に陥っているか?
その緊急レポート。
貫かれているのは「こころという領域こそ、国家が侵してはいけない場所」という認識。
教育基本法の基礎理念の徹底した擁護。

知り合いの女性に、小学校の先生がいます。
彼女の部屋のドアには教育基本法の一部が手書きで貼ってあるんです。
毎日、学校に行く前に必ず目を通して「音読」できるから、彼女はドアに教育基本法を清書した紙を貼っているのと言います。
なんかすごいひとだなと、わっと涙零れたことを思い返します
(なんか疲れていたんだろうな、人間ってものに・・・・・・)。
学級崩壊が社会問題として注目されたその年に教師になった、まだ歳若い人。
ぼくはそのひとにも希望を読み、教育基本法にもいまなお有効な希望を読むことができたことを思い出します。

元気であるといい。

北朝鮮からの挑発に、北朝鮮への、または在日朝鮮人への挑発で返す人がいます。
政府与党の要人、マス・メディア、東京都知事だけではなくて、多くが匿名の市民であることに、おえええええええ。
吐き気がします。
没落する日本の「下を向いて歩こう」。
その実、ひょっとしてコイツら、無自覚に「アメリカがやっつけてくれる」みたいな気分でいるんじゃないの?
日本人として深刻に感じるのは、北朝鮮の事情ではなくて、日本の現状の異常。
冷夏、まったくの冷夏。

「心と戦争 高橋哲哉 昌文社」
この著作が迂回を経ずに堂々と結論を並べる表現の在り様。
読後の想いは独特に不安定なものでした。
現実界の砂漠へようこそという張り手を顔に浴びたからです。

('・c_・` )

芸術の未知なる表現の発明。
発明品の浸透。
他者への、他者との歓待を媒介にして広がる伝播、継承という芸術の交換、交歓の在り様。
この在り様には、「在る」に値するものが「在る」、その確信が在ります。
未知なるギター表現を鳴らそう。

「現実界の砂漠へようこそ」

我ら、砂漠の生き物。



添付ファイル

教育基本法

第二条(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。


第十条(教育行政)
 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。

注釈(管理人)
第十条中の「不当な支配」とは具体的には国家権力の教育への全面的介入「皇民化教育」との断絶。
よって教育は国家権力からの相対的な自律をして、「国民全体に対し直接に責任を負つて行われる」。
このラインは教育行政が直接に責任を負って運営されるという、教育行政の設計図です。
教育行政の主体は本当に、さまざま多元的に運営されています。
教育文化省だけに収斂されるものではありませんし、またピラミッド型の構造でもありません。
近年(中曽根政権以来ですから、ずいぶん昔からですが)の臨時教育審議会など政府の責任によって設置された諮問機関の各種答申なんてものは、実際の教育行政に反映、介入されることなくあるのが、教育基本法が本来定めたるところです。
答申ははなから「0点」です。

使用上の注意

.....管理人は法学部を卒業するのに7年も掛かっています......

('・c_・` )<ダメじゃん.....。







7月23日

直前手記
(第三夜)


頭部に鈍い痛みがある。
血の塊がそこで滞っているような痛み、しびれ。
この塊は時に折、疼く。
疼いた瞬間、意識が遠のく。
足元がふらつく。
痛んだ箇所をてのひらで包むと、そこは熱い。

LaLa仙台公演の最終リハーサルが終わりました。

スタジオを出ると冷たい雨。
寒いくらいの大気。
痛んだ箇所をてのひらで包むと、そこだけが熱い。





明日にも自衛隊のイラク派遣が与党三党によって強行採決されると、まるで他人事のようにこの国のマス・メディアは伝えます。
戦前を生きる決意など用意していない夜。
私信より抜粋、失礼します。

CANというバンド名の由来の<一説>に、C(communism),A(anarcism),N(nihilism)の頭文字の組み合わせという説があります(他にも諸説紛々なのが実際ですが)。

ただ、おかしな点はA(anacism)とN(nihilism)それぞれの思想「内容」を丁寧に熟慮考察すると、人文思想、政治思想としては、実際はまったく両立不可能なものと見受けられる点です(nihilismを謳うものがanarcismへの賛同を示した<時期>があったことは否定し得ない(例えば「ドフトエフスキーが描いたナロードニキ」など)にしても、両者を根本から見つめ直すと両立不能という観察結果。

アナキズム(無政府主義)は政治思想としてはユートピア思想です。
無政府な状態でも、社会が円滑に動いてゆく。又は、寧ろ、無政府、権力からの圧力から解放された人類は、そうした社会だからこそ「本来の人間性」を発揮できるだろう。
 
この際に「無政府な状態でも、社会が円滑に動いてゆく」ときに期待される人間像「本来の人間性」というのは?
 
アナキズムという政治思想は、「本来の人間性」について人文思想としては性善説を無自覚に前提、下敷きとしています。
 
なのに、先進資本主義諸国で、アナキズムというものが「なにか恐ろしいもの」のように勘違いされているのは、実際の権力との関係と「ソビエト革命」「冷戦時代」。
また出自的にはブルジョア革命によって没落することが必至な貴族階級や、そこに寄生していたあらゆる<作者>階層が、自己を自己によって「虚無」にしたという事実。
長い歴史の中の一旬に固有なのものとして生まれ落ちたものです。
 
反体制、もしくは反権力のユートピア思想、アナキズムが、実際、パンク世代ではシド・ヴィシャス(悪徳)をステッカーにして商品化されたこと。
これは反権力を謳うものも権力との関係で決した「ムード」に稚拙に乗じてしまった滑稽な例です。
 
PUNKとアナキズムの関係は、ここのところThe CLASHの足跡を楽しく辿りなおしています。
 
「あなたが音楽によって伝えたいことってなんでしょうか?」
 
ジョー・ストラマーの答えは以下です。
 
「善行に励み、悪徳は避けろ、人間らしく生きろ、他人の苦しみに同情を持て、人生に耐え、人を理解することに努めよう。あえて言葉にしろって言われるとそういう感じだね」
 
アナキズムが期待する人間像とは、本来はこの回答に簡潔に言われているようなものと、ぼくは考えます。
TheCLASHだけがなぜ大きな成功を得たのか?
掲げたもの「反権力」から希求される「無権力」状態での人間像を理解していたイデオロギー面での一貫性。
音楽の拡大の「施行」の在り様も、「人を理解することに努めよう」に忠実であったからかなとボンヤリ考えます。
 
とは言え、ぼくはアナキストではないです。
 
晩年のエンゲルスは、社会主義下の行政府として郵便制度みたいなものを想像してみるといいのではという「提案」をしたためています。
アナキズムがやはりユートピア思想に終わる所以は、「では実際に郵便制度のようなものはどうするの?」と尋ねれば、アナキストは解答に詰まるでしょう。
 
ただ、さきのジョー・ストラマーの言葉に、レヴィナスの次のような言葉(要約です)を重ねてみます。
 
「道徳を疑えと言えば、誰しもが賛成するでしょう。さて、その一方で戦争状態にあるときこそ、道徳というものこそが、全くその機能を止揚される瞬間はないということを一方で顧みてください」
 
いまだ戦禍にあるという<いま>、この視点で「続・ソニマージュ・レコーズ」に何事か書いてみようかと思います(どうしてこの国の歳若い発現者、発言者たちは、いまこの戦禍にあっても「頽廃」という言葉を光り物のようにジャラジャラと得意気に魅せては、短直な自己完結に満足しているのだろう?)。

リピート、

道徳を疑えと言えば、誰しもが賛成するでしょう。さて、その一方で戦争状態にあるときこそ、道徳というものこそが、全くその機能を止揚される瞬間はないということを一方で顧みてください

リピート、












7月22日

直前手記
(第二夜)

LaLa仙台公演の曲目、曲順がほぼ決まりました。
23日に最後のリハーサルです。

今回の公演に際して、ぼくには多少の悩み事があります。
使用するギターのことです。
以下は読まなくてもいいですよ。
うむ。

今回の仙台公演にはepiphone社のCASINOというギターを使う予定でいます。
このギターはビートルズにてジョン・レノンとジョージ・ハリスン両名の使用で有名です。
「レヴォリューション」のフィルムでジョンが抱えている木目の大きめなギター。
↑、分かるかなあ。

元々はポール・マッカートニーが使用(ポールは元々ギタリストでした)。
非常に気に入ったので、ジョン、ジョージにお奨め。
やはりリンゴ・スターには内緒というか、話をする気にもならなかったようです。
ジョンもジョージも即座にお気に入り。
特にジョン・レノンは彼のトレードマークになった位、惚れ込みました。
上述の「レヴォリューション revolution」フィルムで、彼が弾いている木目の明るいCASINO。
ジョン・レノンは元々、濃い目の塗装だったCASINOの表面を自分で紙やすりで磨ぎました。
下地がむき出しになって、あの明るい木目のギターになりました。

塗装を紙やすりで剥ぎ落とすと、音質がよくなるという神話があります。
多分、本当に「音の抜けがよくなる」可能性があります。
ま、しかしジョンがそんなことのためにギターの塗装を剥いだのか?
それともラリって頭がおかしくなった夜にやってしまったのか?
真相は多分、本人に訊いても分からないと思います。
死んじゃいましたからね。
ただ、ビートルズ、それもジョン・レノンと同じ仕様にすることに熱心なマニアは、わざわざ濃い塗装のCASINO、それも20万円以上のモノを購入して、ジョンと同じように自分で紙やすりで塗装を剥ぐといいます。
バカにつける薬はないというのは本当ですね。

このCASINOというギター、ビートルズのトレードマークでありながら、およそ「カラフルなPOP」に向く音ではありません。
ジョン・レノンがこのギターを愛した理由は、どう弾いてもブルース向きの音が出るところだろうと思います。
ぼくがこのギターを手にしたのは去年のこと。
どうした理由か分かりませんが、「急に欲しくなり」オークションで買いました。
商品が無事に到着してジャラーンと鳴らした音にびっくり。
アンプを通していない素の音がやたら大きいんです。
アンプを通してジャラーン。
ああ、もっとびっくり。
小さなアンプなのに音が飛び出してくる勢いの凄さときたら!

すっかりこのギターの虜になったぼくは、鳥を見たの最初のセッションでこのギターを使用。
CD-R「鳥を見た」所収のギターは全編このギターです。
すっかりこのギターの虜になったぼくは、鳥を見たの最初のライブでこのギターを使用。
弾き始めて数分にて弦が切れました。
持ち替えたギターは1969年製のGibson SG special。
The WHOのギタリスト、ピート・タウンゼントの使用で有名です。
まあ、当然いいギターです。
購入価格もCASINOとはケタが違います。
しかし、持ち替えた途端に「ああ、伸びが足らない」。
もう愕然としました。
すっかりこのギターの虜になったぼくは、鳥を見たの2回目のライブでもこのギターを使用。
途中で気が変わって1973年製のFender STRATCASTERに持ち替えました。
ぼくの使用で有名なギターです。
まあ、当然いいギターです。
価格もCASINOとはケタが違います。
しかし、持ち替えた途端に「ああ、伸びが足らない。ってか、音出てるのか?」

まあ、くどくどとどうでもいいことを書いてきて、さて、今回何を戸惑っているのか?
CASINOというのは上述のように並み居る名機をも凌ぐ音を出してくれるのですが、←この「並み居る名機をも凌ぐ音」を容易く出してくれる点が悩み。
「どう弾いても音抜けがいい」
この点で過剰すぎると「なんとなく自分のプレイが巧くなったような気がしてしまう」罠があります。
それは罠です。
錯覚です。
しかしこの錯覚によって、ぼくのギターはブルース、ジャズ、ファンク何でも来い状態でご機嫌たらありゃしない!
うむ、ブルース、ジャズ、ファンク。

ブルース、ジャズ、ファンク。

「PUNKがないね・・・・・・」

ぼくは15歳の頃、ヤマハのバンド・コンテスト(10代の部)神奈川県大会で「最優秀ギタリスト賞」というものを戴いたことがあります。
当時、著名な審査員の方(いま「堂本兄弟」って番組でベース弾いているひと・・・・・・吉田?・・・・・・名前忘れました、失礼)から、表彰状とTシャツをいただいたのを覚えています。
本当にいい迷惑です。
ああ、そのとき弾いた曲はSEX PISTOLS「Anarchy in UK」でした
(ぼく、ひょっとしたらいまでもこの曲、弾けそうな気がするの・・・・・・)
これは俗に言う「受賞曲」って奴でしょうか?
ああ、その頃、キクチアキラは「天才たけしの元気が出るテレビ」の「早朝ヘビメタ」で、長髪を空に向かって逆立ててはギターを弾きまくっていました。
元X-japanのHIDEが死んだときは、関係者トーンで「あんまり、いいひとじゃなかったけどねえ」とぽつり洩らしました

LUNA-SEAと対バンすることが多かったのか、大金持ちになった河村隆一の話題になったとき、キクは「隆一くん、逗子の海岸で一緒にバーべキューしたこととか覚えてくれてるかなあ?」とぽつり洩らしました。
あ、そうそう! キクと初めて逢ったときの話題なんて「東芝EMIでレコーディングしたとき、ジュリー(勿論、沢田研二だ!)とエレベーターで一緒になってねえ」とか言ってたぜ!
酔っ払うと必ず昔の自分のプロモーション・ビデオを引っ張り出して、再生しては爆笑してるぜ!
驚いたか、諸君!

1)ぼくは15歳の頃、ヤマハのバンド・コンテスト(10代の部)神奈川県大会で「最優秀ギタリスト賞」というものを戴いたことがあります。

2)LUNA-SEAと対バンすることが多かったのか、大金持ちになった河村隆一の話になったとき、キクは「隆一くん、逗子の海岸で一緒にバーべキューしたこととか覚えてくれてるかなあ?」とぽつり洩らしました。

きみなら人生、どっち選ぶ!?
隆一くん、今でも覚えてくれているなら、「これ、タクシー代に」とかいって万札を無言で握らせてくれそうだぜ!

CASINOは非常にふくよかな音がします。
ふくよか故にブルース、ジャズ、ファンク。
「おっさんくさいなあ・・・・・・」
PUNK、16年後の岐路。
さて、武器としてどうやって磨こうか?

迷いや悩みというのは、音楽でも生活でも乗り越えるコトを要求してくる課題であって、多分、未来、決定、可能性は、その「乗り越え」の姿態の如何によって、








ジョン・レノンはCASINOという楽器を、より「自分だけのもの」にするために、塗装を紙やすりで剥ぐという行為に出ました。
それはジョンがビートルズでの実験の在り方を少しフェイズさせたかった頃のエピソードです。
「シンプルにロールするバンド、シンプルにロールさせるバンド、ザ・ビートルズ」
日常の生活人としてはブラック・パンサー党との交流が盛ん。
さて、来る革命に「IN? OUT?」という迷いを、しかし鼻歌のようにシンプルにロールさせた乗り越えの姿態。
当時、ジョンが抱えていた塗装を剥いだCASINOは、殊に特別な呼称を持ちます。








Revolution CASINO













25時05分
(未了)



ごめんなさい











7月21日

直前手記
(第一夜)

仕事中に突如、視界がぐんにゃりしてLaLaの演奏が始まる。
LaLaは夢うつつを行き交う視界の中で、しかしグングンと進む。
脳内にてLaLaが演奏を始めると、ぼくは仕事する手がどうにも覚束なくなる。
いま、LaLaが面白い。

7月26日の仙台公演が近づいてきた。
いまだ曲順などを煮詰めている最中。
LaLaの通例のスタジオ練習は「リハーサル」というものからひどく遠い。
ツノダノブキがカンとスネアを叩き出すと、ギターとベースが追いかける。
キクチアキラがベースラインをいじりだすとギターとドラムが音を重ねる。
ナカオチサトがあたらしいリフを模索していると、ベースとドラムが抜き去るような形相で応戦する。
1回の練習で「あたらしい曲」が5曲、6曲とその場で生まれる。

作曲者のクレジットにはメロディの創作者が名前を刻む。
そんな風潮にぼく自身も毒されていた時期があって、そうした時代には「先導」という力みが生じていた。
音楽がどこで生起するものか?
ブラインドな偏向があった。

ドラム、空間、時間、3次元に打点を遺す。
ベースライン、空間、時間、3次元に持続する。
ギター、空間、時間、3次元に拡張する。
揺るぎない3次元。

3次元という奴はなんて揺るぎないのだろう。

仕事中に視界がぐんにゃりしてLaLaの演奏が始まる。
LaLaは夢うつつを行き交う視界の中で、しかしグングンと進む。
脳内にてLaLaが演奏を始めると、ぼくは仕事する手がどうにも覚束なくなる。
3次元という奴はどうしてこうにも容易く揺らいでしまうのだろう。
いま、LaLaが面白い。


いま、LaLaが面白い。
(第二夜へ続く)








7月12日

日々雑感

中東和平へのロードマップが固有の困難を抱えながら曲折している一方で、7月8日記事で喧伝した、このサイト(またはソニマージュ)のロードマップもまた曲折する。
しかしこのサイトのロードマップなんて中東和平への道筋と比較すると「コンマ×コンマ」の「些事×些事」に過ぎません。
・・・・・・当たり前ですが・・・・・・。

ああ、しかしいまは吉岡くんに釘付けだ。
テレビドラマ「Dr.コトー診療所(フジテレビ系列)」の第二回放送の録画再生を一時停止しての執筆&ページごと更新中の只今なのだよ。
ああ、吉岡秀隆以外にも的確に思える豪華キャスティング。
しかし他の役者がせりふを吐くその最中でも、ぼくの目はその役者たちの横、後ろの吉岡くんの演技に釘付けだ。
もう「北の国から」はいいや。
うん、もういいや。
今回の「Dr.コトー診療所」は、さしずめ「南の国から」だ。
(ぼく、↑「さしずめ」という日本語の使い方がどうにもよく分からないです)
うん、ロードマップももういいや。
いま吉岡くんが困った顔しているところで一時停止中だから、ロードマップはその後ね。

本日はL a L aのスタジオ練習です。
7月26日仙台公演に向けてのリハーサル。
リハーサルを終えてから何事かを書こうと思います。

プラス。
崩壊した我が家のPCですが、悪戦苦闘(パーツばらして組み立てなおし)の末、10日未明に復活いたしました。
復活したからにはあたらしい環境でページ仕切り直しです。

ページ見送りの日「我ら、砂漠の生き物」編。

♪アア、貴方の傍で暮らせるならばアアアン、辛くはないわアアン、この東京砂漠ウウウウウウ♪

(↑、この歌の曲名ってずばり「東京砂漠」でしたっけ? あと歌っていたグループの名前、なんていったか覚えています?)
(あ、↑覚えていなかったら別にどうでもいいです)
(あと、この曲のmp3ファイルも要りません)
(さらにカラオケでは絶対に歌わないでください)
(ええ、歌ったら絶交です)

しかし砂漠での生活はぼくの心身に著しいダメージを与えています。
常軌を逸して増える体重(MAX、無限大)!
ポテトチップスしか食べてしないのにどうして太るのかなあ 、父よ 、母よ 、

・・・・・・

(T_T)





「テロル」と戦争 スラヴォイ・ジジェク 青土社
この厄介な書物には、次のような副題が添えられています。

「現実界の砂漠へようこそ」

映画「マトリックス」で吐かれる台詞からの引用です。
時代と併走するフィクション。
仔細なマーケティング研究ではじき出されたハリウッド映画。
こうしたフィクションの中で「現実界の砂漠へようこそ」という、当の現実界においては何とも< 倒 錯 >した台詞を、しかし正気を取り戻すための張り手としてしっかりと現実界へ奪い返すこと。
この乱暴を決行する批判家スラヴォイ・ジジェクを、昨夜、読書という行為で歓待しました。

一向に明けない梅雨 。
潤 沢 に 注 ぐ 雨 。
雨 、
しかし 、砂 漠 。

改めて 、

現実界の砂漠へようこそ 。






我ら、砂漠の生き物

我ら 、
( 決して陥落しない ) 砂漠の生き物 


......start.....












7月8日

日々雑感

今日までと今日からのロードマップ。

詩篇「ペスト禍」以降、このページの更新が遅れています。
ごめんなさい。
BBS「足跡ぺとり帖」までチェックいただいた方にはお目に触れているかもしれませんが、中々、波乱に満ちた日々が続いています。

隣町にちょっと病院で診てもらった方がいいなと思える野良猫を保護しようとした際に、両手首を引っ掛かれ、更には噛みつかれ、手がパンパンに腫れあがりました。
何らかの細菌が入り込んだのでしょうね。
素手で保護しようとしたのがそもそもの見識のなさ。
軍手や長袖での防備は当たり前だよなと、更にその子を怯えさせてしまったのかと非常に反省しきり。
幸い破傷風は免れました。

ただね、このパンパンに腫れた手で、証券会社のPC端末のLAN設定という仕事をしていまして、入力項目の多さと、端末台数の多さで、今度は腱鞘炎が発生。
楽器を弾く男性特有のしなやかな手が、どうにも体育会系のごつい手のよう。
拳骨を作ろうと指を全部折り曲げると非常に痛い。

またメインマシンがシステムフォルダへのウィルス侵食で崩壊・・・・・・。
復旧の目途が立たないのは、作業する手がパンパンに腫れて疲弊していることと、HDDっていうのは本当にダメージに弱いですね。
以前のような環境への復帰は望めないかも・・・・・・。
メーカ製のPCなため、修理に出すと、メーカより「法外な修理費」を請求されそう。
ぼくは自作PCもあるくらいなので、「修理くらい自分でやれる」つもり。
なので、修理費というもの自体が法外に感じられて仕方なし。

で、ご安心いただきたいのはレンタルサーバー側で、このサイトのウィルス・チェックサービスをしていただいております。
ウィルス感染はまったくないようです。

↑愚痴が多いね、どうにも・・・・・・。
運勢やジンクスなどはこれっぽっちも信じない頑なな唯物論者ですが、「偶然の失態、不幸の重なり」には独特のラインが生活の中に侵入しているのは認めます。
ああ、正に「ペスト禍」。

詩篇「ペスト禍」に関しては大阪府池田市在住の父よりFAXをいただきました。

神経の崩落の予感。
その切迫感が詩のリズム(萩原朔太郎の「竹」のような)を作り出していてよいと思います。
みふねの不可解な病床も作者の不安の投影であり、さらにそのみふねの不可解が作者の神経に投影して不安を増幅させる・・・・・・。
そこのところがよく書かれていると思います。
ただ、「ペスト禍」というタイトルは意図が判然としないのですが・・・・・・。

息子(といっても親離れ、子離れ済みですが)の詩に「神経の崩落の予感」を読み取りながら、冷静な批評眼を最後まで貫く(ただ萩原朔太郎の「竹」を引き合いに出すなんて、それ父自身の趣味嗜好じゃん!)。
中々、珍しい父親だと思うなあ。
最後のラインの、 ただ、「ペスト禍」というタイトルは意図が判然としないのですが・・・・・・。
ああ、そんなものかと。

ロードマップを作ります。

3日後くらいにL a L a仙台公演について詳細と現況などを書きます。
また「続・ソニマージュ・レコーズ」に、バンドTHE CLASHを軸にした(ロンドン)パンク・ムーブメント概論を書こうと意欲いっぱい。
また、仙台公演以降のスケジュールについて、多少書きます。
あとね、とびきり美味しいネタを拾いました。
鮮度のいい時期に書いておきたいものです。

明日、明後日は大手人材派遣会社との「契約社員誓約手続き」。
これつまり派遣会社の登録スタッフではなくて、「契約社員雇用」への昇格。
待ち受けているのは仕事内容の増大。
ああ、「当社会末端労働者と音楽貴族の両立は可能か?」なんてことも書きたいものです。

サイト更新を怠っていても変わらずにアクセスいただいているようで、大変うれしく、同時に責任もまた痛く感じます。


sonimage groupement!!
管理人
nakao chisato














6月19日


↑、更新、クリック!



From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2003 06/18 10:11

ペ ス ト 禍


父よ 、母よ 、

強い焦燥感 、突然に噴き出す 、

( なにものからも )

飛び降りたい 、気運 、今日 、それとの密会 、

度々の 、

ささやき 、

モウ( そろそろ ) 、イインジャナイノカ?

飲んだ水さえ 、直後に吐き下してしまう 、飼い猫 、

みふね 、

病院へ行こう 、ぼくと 、

病院へ行こう 、ぼくと 、

あたらしい猫砂を買って 、清潔な 、

清潔な 、

歩き出すことさえも 、いちいち躊躇うくせに 、

つまらない常識など 、潰せると想っていた 、

ぼくが生きていた時代の流行歌で 、

その俗謡は 、

父よ 、母よ 、

滞り 、足踏みする 、

( 結論というものの遥か手前で )

滞り 、足踏みする 、

ただ 、その無様を 、

無様な歌手が謡い 、

無様 、

父よ 、母よ 、

ぼくが生きていた時代の流行歌で 、

今日は 、

飼い猫を動物病院に連れてゆき 、

彼 、みふねが 、

水 、胃液 、

内容のない 、吐瀉物を 、

かくかくと 、足崩れ 、

水 、胃液 、

内容のない 、吐瀉物を 、

かくかくと 、足崩れ 、

咳するように 、

吐いては 、午睡に堕ちる 、

飼い猫 、みふね 、

病院へ行こう 、ぼくと 、

病院へ行こう 、ぼくと 、

あたらしい 、猫砂を買って 、清潔な 、

清潔な 、

滞り 、足踏みする 、

ただ 、それだけの 、

具体 、  

内容のない 、吐瀉物を 、

消毒用アルコールで 、湿らせた 、

ペーパーで 、拭い去る 、機運 、

父よ 、母よ 、

モウ( そろそろ )イインジャナイノカ?

生命というものが 、それ自体 、死病のように 、

生命というものが 、それ自体 、死病のように 、

生命というものが 、それ自体 、死病のように 、

通院という 、プログラムが 、

かくかくと 、足崩れ 、

生活を 、

仕切る 、今日の 、

仕組まれた 、

密会 、

内容のない 、吐瀉物を 、

咳するように 、

かくかくと 、足崩れ 、

消毒用アルコールで 、湿らせた 、

ペーパーで 、拭い去る 、今日の 、

( かの俗謡が頭蓋の淵で盛る程にリピートを仕組まれている )

無様 、

父よ 、母よ 、

生命というものが 、それ自体 、死病のように 、

また 、この国に 、

( この国の )

夏が来ます 。
















特別な感謝を 、













...enter,please...






1)過去記事 ぴかぴかの方舟に雨、
2)過去記事 三日後の太陽に期するもの、
3)過去記事 残り少ない刹那を胸に、
4)過去記事 ロンドン・コーリング! ロンドン・コーリング!
5)過去記事 セピアにしてはいけないものを、