彼は更新ノイローゼ患者だからそっとしてあげよう。
このページでは投稿記事も募集しております。
また、感想や出演交渉等も下記アドレスまでご一報ください。
6月13日
更新が滞っております。
まあ、毎度の筆不精、申し訳ない。
いい加減に更新しないと、そろそろ逮捕説が流れる頃かしらと不安になった。
今日ご紹介する一枚の画像。
元は我が家のポストに投函されていたチラシです。
手にとって凝視。
コレ↓。
「高級シルクシャツがこんなに安く買えるなんてビックリ!」
・・・・・・。
誰あろう、俳優:松方弘樹である。
カジキマグロを釣りに地球の反対側まで行ってしまう酔狂なジジイという印象しかない方は気の毒だ。
このひとは日本の仁侠映画黄金時代を支えた立派な花形スターである。
任侠。
まあ、その任侠の男がこの広告で「高級シルクシャツがこんなに安く買えるなんてビックリ!」とビックリしているのを見てぼくもびっくりした次第なのだよ。
ちなみに画像からは分からないが、件の高級シルクシャツ、通常価格3600円がいまならなんと2500円!
通常価格3600円でも普通に安いと思うが、更に1100円OFFだよ!
だからってちっとも欲しくないよ、弘樹!
「兄貴」としての何かに失格しているよ兄貴!
凄惨な事件が多く、考え事などして過ごす毎日。
もしぼくにも子供が生まれ、彼、彼女が「あいつ殺したい」、そんな言葉を呟やいたら、なんと答えればいい?
なにを教えればいいのだろう?
およそ10ヶ月ぶりくらいだろうか、一編の詩を紡いだ。
From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2004 06/08 07:28 編集
返信 針針先を数秒見つめてみる緊張の造成 |
6月2日
日々雑感
お久しぶりです。
あなたのソニマ!
前回の記事が5月18日ですからほぼ半月ぶりの更新です。
この間はね、ADSL回線業者の乗り換え時期でした。
溜めてきた話題は大小さまざまあります。
ただ半月ぶりのライティングですのでリハビリ優先。
小ネタばかりをばらばらと列挙します。
メロドラマ
29日、ペンギンハウス高円寺にお越しいただいた皆様ありがとうございます。
BBSにも書きましたがあの夜、メロドラマをお見せすることはできなかったと思っています。
ぼくが思い鳴らすメロドラマはもっと豊かな音楽です。
ただ音楽のアリバイ、音楽家のアリバイは音楽なのだよねえ。
今から脳みそ割りますからここに詰まっている音楽を楽しんでください。
パカッ!
どう、しびれる音楽でしょ?
↑な感じにはゆかない。
無念。
久しぶりに弾いたギターが気持ちよかった。
ぼくは調子がよいとき、ギター演奏の最中にぴょんぴょんと飛び跳ねる癖がある。
今回の企画のNNNの大村さんのサイトにあるメロドラマのステージ写真。
ぴょんぴょん跳ねているいる32歳がいる。
http://nnn.mond.jp/live/040529/040529.html
ぴょんぴょん跳ねている。
ビフテキ
最近、食べてないなあと思うのが「ビフテキ」。
ビーフステーキ。
ナイフでコキコキ切ると肉汁がジューッと流れ、そこに微かに牛の血が混じっていることに気づく。
肉の表面に浮かぶその血をナイフの先でそっと掬い上げる。
いまナイフの先端に血が浮かんでいる。
凝視する。
ナイフの先端に舌を当てる。
舌先に吸い付くように血が乗る。
昨夜、報せを聞いた猟奇殺人について考える。
ビフテキの話は、また今度ゆっくりさせていただきたいなあと、ちょと思う。
南米
テレビ番組「世界の車窓から」で紹介された南米を走る列車。
列車が運ぶひとびとの事情あれこれ。
南米という土地は大陸規模で田舎だな。
闇の方向に向かって、太陽の方向に向かって、いずれにせよ果てしない田舎だ。
ああ、なんか世界に潜り込みたいよ。
世界に飛び立つ・・・・・・じゃないんだ。
世界に潜り込みたいんだよ。
南米のどこの国だろう、あの湿原の背の高い植物の根元近くに潜ってみたい。
いま32歳。
人生はあと50年くらいしかないのかなあ。
うむ、残り時間なんてものは殆どないのだよ。
リハビリ完了
日々雑感
5月18日
イラクではサドル師の肖像を街角に貼るだけでアメリカなど侵略軍に逮捕されるという。
ぼくのサーバーは日本にある。
これまで隠しページであったそこに肖像を貼る。
政教一致体制を表明し蜂起した彼への支持、不支持、ぼくのこころ持ちは複雑だ。
ただ、貼ってみる。
併せて隠しページを今日より正式公開する。
イラクの壁に貼ることができない肖像。
すべての壁が不自由の隠喩とならないための微力。
↑、click it!!
picnic!!
目が覚めたらピクニックに行こう
軽いスニーカー履いてお気楽に行こう
疲れて脚が重くなったらきみがぼくの脚をマッサージする
脚が軽くなったらまたピクニックに行こう
軽いスニーカー履いてお気楽に行こう
世界はいつでもピクニックされる日を待っている
世界はいつでもぼくらにピクニックされる日を待っている
・・・・・・
いや、それは拡大解釈だみふねくん
まず戻って来い
きみはまず鞄に入るくらい小さくなりなさい
ピクニックうんぬんの話はそれからだ
anti jesus christ super lovers!!
NAKAO,Chisato +
5月6日
多事騒音
朗読会、第二回「溶鉱炉」が近づいてきました。
胃が痛い。
溶鉱炉の会場は著名な演劇人の方のアトリエです。
前回、初めて伺ったとき最初に驚いたのはアトリエに飾られた阿部薫の写真でした。
「ああ、ここでやっていたのか・・・・・・・」
このアトリエには阿部薫がいたのだ。
音を出していたのだ。
そのことが霊魂との出会いとして感じられた不思議な体験でした。
灰野さんもかつてここで演奏していたそうです。
ただ、基本的には演劇用のアトリエ。
いまここに立つ音楽家をぼくは知りません。
音楽との文脈の断絶が永くあったのだと感じずにはいられません。
演劇人や舞踏と音楽家の関わりというのは、相互補完するもの同士にこそある「役割の違いの自覚の強烈」があります。
祭式が執り行われるにあたって、舞踏と音楽、二者の役割が完全に独立していった。
この役割の独立過程に芸術家という社会層が初めて誕生したと遠い原始の闇を夢想します。
「溶鉱炉」会場との出会いから、阿部薫は悪しき伝説のようには思えなくなりました。
こんな素敵なスペースを放って置くのは音楽家の側の責任でもありました。
こうした生々しい現場に訪れずして「伝説」の中で語っているコト自体が滑稽かなと思うんです。
会場、空間自体にチカラがあります。
しばらくここで毎月パフォーマンスをします。
幸せです。
9日(日)18時から。
なかおちさとは20時以降の出演です。
私的なアトリエのために地図の公表ができません。
ご興味ある方はinfo@sonimage.ne.jpまでメールください。
追って詳細ご連絡いたします。
さて、ゴールデンウィークは楽しかったかい、坊ちゃん?
ゴールデンウィークってのは咳とともに金色の痰が出るからゴールデンなのかい?
「痰が出るのは風邪が治ってきた証拠」
いつも批判家で冷静なきみはそう言うんだろうな、きっと。
うん、確かに気管支炎みたく「出てこない小さな痰」のときの方が苦しいコトとか、不勉強で愚図なこのぼくもやっと分かるようになってきたさ。
でもね、痛みというものは毎回、それなりに痛いものなんだよ。
この前、ストレートパーマをかけたよ。
当日はいい感じだったんだけれど、翌日、目覚めて鏡を見たらなんだか迫力のないナマハゲみたいだったよ。
「それって要するに大木凡人みたいってことでしょ」
そうさ、そのとおりいつもクールだよ、まったくきみって奴はさ!
正直、許さねえ。
今まで黙ってきたけれどきみのママは出べそ。
今回のイラク邦人誘拐事件の推移を見て思うのは、事件発覚以来、政府はなんの有力情報も持っていなかったのに、怪しげな公安情報だけは盛んにリークされていたんだなということ。
「権力闘争」
この言葉が被抑圧階級の運動のことだけだと思っていると見逃してしまうのは、権力こそ日々、権力闘争を仕掛け続けているということ。
世論の推移も公安情報の効果の逃げ切り勝ちのよう。
2ちゃんねるのような媒体でこそこうした公安情報が垂れ流され続けた辺りに嫌な閉塞感が蔓延しているのを見る。
多事騒音
4月22日
小旅行はいつでもできる。
先週末は2週間に一度の通院。
薬剤性肝炎が深刻で(あ、すべて治療薬ですよ)血液検査で肝臓の動向を検査してもらう。
おお、今回の診察では少し改善された。
ホ。
付き添いのカノジョさまと病院を出ると伊勢佐木町商店街では野毛大道芸という催し。
大道芸人の方がいっぱい。
観客もいっぱい。
伊勢佐木町商店街は道幅が狭いのだ。
観客がいっぱい。
立ち止まって肝心の芸人さんを覗こうとするのだけれど運営の方がそれをゆるしてくれない。
「はい、どうぞとっとと通行して〜」
野毛山動物園に向かった。
永瀬正敏出演のCMで著名だと思うのですが、しかしズーラシアといったかな? 近年、新設の横浜市営の動物園に多くの動物が移されてしまった。
カノジョ様と道を行くのだけれど、正門の前でがっかり。
閉園時間だったよ。
仕方ないので近辺を歩く。
横浜市の貯水池そばで猫さんたちが戯れていた。
パシャ!
カメラ目線。
野良猫ではあるのだけれど、市の職員さんが綺麗なお水を与えたりして待遇はいいみたい。
野毛山という地名とおり小高い山の頂上。
ヨコハマをパノラマ全景できる。
小旅行はいつでもできる。
みふねはね、冬毛が抜けて少しスマートになったよ。
運命への挑戦
日々
このところ、なんとも頑固な頭痛に悩んでいる。
ある怯えからくる焦燥感があって、鼓動が乱れている。
ただ、内心にばかり関心を向けずに窓を開け放とう。
陽射しには屈託のかけらもなく、大気は壮観なまでに凶暴でいて、四月、あまりにもまぶしい。
ぼくの内心の怯えというものはひどく感覚的なものだと自覚している。
ある、ニュースがきっかけで震えだした。
2078. 家へ帰ろう なかおちさと@nakao chisato [URL] 2004/04/09 (金) 10:59サマワの人たちに無事に羊を届けた隊員の皆様、お勤め本当にご苦労様でした。 |
イラクでの邦人3名の誘拐事件。
いまは4月12日、日本時間午後1時。
この事件はいまだ解決に至っていない。
9日、午前11時前後、このサイトのBBSへの書き込みには、自分自身どうにも我慢ならないいやらしさがある。
自衛隊の撤退を促す主張と、人質が誘拐犯によって脅されている映像の並列。
ぼくはこの書き込みで「あたかも自分自身が誘拐犯と同調するかのように」もしくはずばり「誘拐犯のように」振舞っている。
('・c_・` )<ダメじゃん.....。
四月、季節は錯乱。
「苛酷な現実(これは同語反復である!)としての戦争、事実がもたらす苛酷な教訓としての戦争は純粋存在についての純粋体験として生起する(「全体性と無限 エマニュエル・レヴィナス 国文社」)」
それがために2004年の4月、ぼくの頭痛は陽射しのように威勢よくある。
「文化を体現するということは、運命を食らうということであり、認識によって運命を同化吸収することだ。それはまた、本が神を語り、自然や人間や死や運命を語るとき、そんなご託は嘘八百だと見抜くことでもある(「革命のメッセージ アントナン・アルトー 白水社」)」
誘拐犯たちからの日本政府への要求はイラクからの自衛隊の撤退だった。
引き換えにされたのは日本人3名の生命だ。
この要求に対して小泉純一郎内閣総理大臣の返答は「自衛隊の撤退はありえない」。
福田官房長官も「わが国には撤退する理由がありません」と発言。
こうした政府の判断をメディアは我先にと称揚した。
「テロに屈しないとする政府の毅然とした姿勢は評価に値する」
とまれ、この判断の評価が下されるのはこの事件が無事に解決したそのときだろうに。
ダッカ事件で赤軍派の服役囚を釈放した日本政府の判断には世界各国から非難を浴びた。
今回の政府の早期の判断はこうした非難への反省が活かされている。
今日の国際政治では「テロリストの要求に屈しない」というのが大前提だ。
こうした掛け声が事件発覚以来メディアから大量にあふれ出した。
この「テロリストの要求に屈しない」という判断は目に見える成果たるものをいま現在なにひとつ実らせていないという剥き出しの現実。
「自衛隊の撤退はありえない」とすることによって、テロリストとの交渉に、フレキシブル、柔軟な対応ができず、事件の解決は一向に見えていないというのが、4日後、きょう今現在のありのまま。
本が神を語り、自然や人間や死や運命を語るとき、そんなご託は嘘八百だと見抜くこと。
さて、運命への挑戦。
反テロという姿勢の正当性はいつの時代も自明なものだと信じたい。
ただ、反テロリズムを訴える言明がいつの時代も正当とは必ずしも限らない。
今日の世界で反テロリズムの急先鋒がイラク情勢を泥沼化するだけのブッシュ政権であるということを顧みる。
今日の反テロリズムは、もはや悪しき「反テロリズム原理主義」に堕落してしまったのだと感じないわけにはいかない。
「テロとの戦いは自由民主主義国家の宿命であり、運命である」
イラクで今現在アメリカ政府がこだわっているのは、主権移譲後のイラク政府をアメリカの傀儡政権、もしくは少なくとも親米的な政権にすること、その一点に過ぎない。
ブッシュ政権が口にする「テロとの戦い」というものの実際の容態と、ご託の自明性はなんて汚らわしいのだろう。
ブッシュ政権の施策のすべてがむしろテロを育てている現状において、彼らの「反テロリズム原理主義」は反テロリズムとしてはまったく機能していないのが現実なのだ。
堕落。
この「運命」の担い手を請け負う日本政府。
運命は「自明と信じられている<その場>」限りにおいて運命、宿命として機能する。
この疑わしい運命を自明なものとして理解しろとテロリストに「甘える」ことを恥じない日本政府。
政府は今回の事件での自らの無能ぶりがどうして根本的なものかということを一向に自覚できない。
自らが信奉する運命の運命性を疑う知性がない。
「自衛隊は人道復興支援のためにイラクに派遣しています」
人道復興支援、その実態は効率の悪い水汲みに過ぎない。
それでも「自衛隊の撤退はありえない」。
理由は「テロリストに屈してはならない」から。
固着した観念、予めの回答、以後の思考停止。
反テロリズムという名の「反テロリズム原理主義」は今日の社会の妖怪だ。
「文化を体現するということは、運命を食らうということであり、認識によって運命を同化吸収することだ。それはまた、本が神を語り、自然や人間や死や運命を語るとき、そんなご託は嘘八百だと見抜くことでもある(「革命のメッセージ アントナン・アルトー 白水社」)」
「テロリストに屈しないという政府の早期の判断は評価に値します」
事件解決への道の手詰まりといういま現在。
さきに引いたレヴィナスの言葉にはひとの聡明さを揺り起こそうとする前段がある。
以下。
「戦争においては、現実を包み隠していた言葉やイメージが現実によって引き裂かれ、赤裸で苛酷なこの現実がじかにつきつけられる(「全体性と無限 エマニュエル・レヴィナス 国文社」)」
今日、現実を包み隠そうとブッシュ政権が嘯く「テロとの戦い」という言葉やイメージが、現実のイラクでの「ベトナム化」によって引き裂かれているありさまをよく見よう。
そしてレヴィナスは続ける。
「苛酷な現実(これは同語反復である!)としての戦争、事実がもたらす苛酷な教訓としての戦争は純粋存在についての純粋体験として生起する。(「全体性と無限 エマニュエル・レヴィナス 国文社」)」
「テロリストに屈しないという政府の早期の判断は評価に値します」
なにも解決し得ないという苛酷な現実(これは同語反復である!)があるだけの現在において「評価」に満足げなこの国の政治家、テレビ番組司会者、批評家、新聞論説委員たち。
彼らが一様に拠る「反テロリズム原理主義」の、反テロリズムとしての機能の堕落。
運命の運命性における浅薄。
本が神を語り、自然や人間や死や運命を語るとき、そんなご託は嘘八百だと見抜くこと。
運命への挑戦。
賭けられているものは常にわれら人間の生命。
ぼくはテロとの戦い自体を疑うに至った。
/ベトナム化する(テロとの戦い、)イラク情勢/
四月の凶暴。
4月14日
テクスト「運命への挑戦」をひとまず書き終えて
上に掲載しているテクスト「運命への挑戦」にどうも自信がない。
ずばり「何書いてんだか、よく分かんない」。
こうした性格の書き物に固有の分かりにくさは、書き手の「頭の中でもやもやしていること」を無理に引きずり出そうとする必要があるときに生まれるのだろうなあ。
思想が手足まで行き届かないというか、生活の言葉にまで鍛え上げられていないのだ、きっと。
日々、鍛えなおすというか書き直してゆこうと思います。
要旨は「なんというか<大前提>が疑われていない状態ってホントにこわい。いま、この瞬間の与党政治家の頭の足りなさはソコに尽きる」ということです。
テクスト内の「運命」というのは「あたかも運命のように思われているみたいだけれど運命と断言するには弱すぎるだろ、その運命はよお」というようなショボイ「運命」のこと。
先日、夜更かしして「ベストヒットUSA」というテレビ番組を観ていたら、METALLICAの「ONE」のプロモーション・ビデオがオンエアされていました。
え? いまもスーパーバンドなので需要があるのは分かるけれど、なぜ?
もう頭の中が?????????????????で溢れていたのですが、この「ONE」のプロモーションビデオは映画「ジョニーは戦場へ行った」のシーンを随所に挿入しているんですよね。
「ああ、イラク情勢への小林克也なりのアンチか!」
恐れ入ったのはこの選曲の意図だけではなくて、メタリカの演奏自体。
擬音で書くと。
ズズズズッズ! ズズズズッズ! ズズズズッズ! ズズズズッズ!
こんな感じのギターの音の重いながらしなやかな不思議。
ドラムはオンタイム、ジャストきっちしという感じでポコポコなのに、、リズムギターは頑張っているなあ・・・・・・。
実は高校生の頃、代々木体育館で彼らの来日公演を観たことを思い出しました。
素晴らしかったよ。
思い返したら「おれ、もう趣味疑われてもいいや。メタリカはアイドルだった。カミングアウトしよう」と勢い込んだ。
大学の頃、英語の授業でパスカルを読まされた。
フランスの哲学者の古典を日本語で読んで、日本語でレポートを書くと英語の単位が貰えるという変な講義だった。
あの頃はパスカルがのたまう「中庸」という概念を頭ごなしに否定した。
いや、内容はさすが古典、機知に富んでいて素晴らしい文章だったのだけれど、賞揚される「中庸」の概念に対して身構えしてしまった。
ぼくは何事も極端なものが好きだった。
「中庸」は中道と結ぶものだと曲解してしまった。
中道というのは「中道に極端に偏っているんだよ!」と、相対主義者の相対への絶対的な自負にうんざりしていた。
メタリカというバンドはどうにも可笑しくて、イントロはやけに美しいギターの調べ。
あらまるで高中正義のクソフュージョン聴いているみたい!
一転してズズズッズとへヴィなギターリフでやかましく! という白痴的な展開を多用するのが好きみたい。
しかしギターソロがメロディアスなのはいただけないなあ。
いかめしい面構えをしたおセンチさん。
多分、ロマンチストであり、ヘヴィ・ロックというものは元来ロマンチストでなければやってられないものなのだと思う。
気分がざらついているときにこそ、こうした極端な音楽はむしろ<癒し>のように心地よい。
こうした<癒し>は危険なものだろうと自覚する。
最近の癒し音楽は以下。
「RIDE THE LIGHTNING METALLICA (EPIC)」
高等教育を卒業したら見えないところに隠してしまいがちです。
しかし聴くときは必ず大音量で近所迷惑承知の上で聴こうではありませんか!
ときに開き直るくらいの度胸がないなら、それもまた大人失格。
「THE AMAZING BUD POWELL VOL.1 (Blue Note)」
麻薬中毒で浮き沈みが激しかった人生。
でも1951年のこの<極端>はAMAZINGにやかましい。
がんがんがんがんピアノを叩く。
「NEW ELECTRONIC MUSIC FROM LEADERS OF THE AVANT-GARDE VA. (SONY)」
ジョン・ケージの「変奏2」をデビッド・チュードアが演奏。
うるさいことこのうえない。
ジャケットが素晴らしいのでアナログ盤が欲しいです。
「KONTAKTE Karlheinz Stockhausen (wergo)」
シュトックハウゼンの1959/60年作品を、本人および上述のデビッド・チュードアなど、ろくでなしどもが集まって楽しくいじる。
キチガイというほめ言葉。
すべて幼稚というのはどれ程に肯定的なチカラに満ちているか! と驚かずにはいられない音楽たち。
ああ生半可な理知が一番仕事をしないのだろうなと自戒する。
でも生半可にも理知が染みてしまったならば、理知をたゆまず鍛え上げてゆこうとも思う、ぼくは優等生。
「王様は裸」
幼稚と理知の弁証法のモチーフ。
4月7日
深夜に地震があったのかい?
全然知らずに眠っていたよ。
昨秋の「マイ地震ブーム」は地震が来ないという身も蓋もない事情によって終了。
穏やかな天候が続く。
「お花見に行こうよ」
カノジョ様が誘うので花見に出かけた。
弘明寺という京浜急行沿線の町。
弘明寺については過去記事で何回か触れているのだけれど、記憶に間違いがあったようです。
まずこのお寺ができたのははるばるインドからやってきた偉い坊主が「ここにお寺建てるとインド人もびっくり。日本のカレーはインドのカレーとはまったく違います」と仰ったため。
時代は奈良時代!
ぼくはこの寺の成立を鎌倉時代だと思い込んできた。
ところが最近になってお寺の門前にある観音様が典型的な平安仏と聞いた。
しかしねえ・・・・・・。
奈良時代といえば関東なんて荒涼たる土地だろうにと思ってしまうのが大人の常識、バカの壁。
ただ奈良時代は「原型」になるものがあっただけだと解する。
正式な成立は1200年前と公表されている。
門にある観音様が平安様式なので、合点が行く。
ぼくが成立を鎌倉時代と誤解したのにも訳があって、弘明寺は鎌倉時代に源家累代の祈願所になっている。
この事実と混同していたようだ。
ときの権力たる源家がなにやら祈願するお寺。
なにを祈願したんだろうねえ?
観音様は重要文化財に指定されている。
平安様式の観音像&重要文化財指定。
しかし期待しないでほしい。
はっきりいって出来はけっしていいものではない。
なんというか造形が大雑把でさ、あんまり有り難味などを感じられないんだよ、この観音様。
古ければいいというものではないな、仏教美術は。
寺の裾には大岡川がある。
寺は小高い山にある。
寺の神秘性の根拠となる山、土地の繁盛には欠かせない河川。
河川は特に材木の運搬や染物文化の繁栄に役立った。
この川沿いに桜並木がある。
この桜並木は大岡川に沿って延々と続いていて、いまなお売春宿が並ぶ黄金町、日の出町辺りまで続く。
この売春宿の置屋さんで生まれたのが落語芸術協会会長の桂歌丸師匠。
師匠の自宅はこの川沿い近く。
他にも探偵濱マイクシリーズなどを観ていただければこの風情の一端を楽しんでもらえるかと思う。
空は快晴、花弁が日光を乱反射させる。
命を終えて散った花弁が川面に落ちて、そのゆるやかな流れに身を任せている。
弘明寺には秘仏がある。
男女混合の秘仏。
以前、テレビジョンで見た記憶があるのだけれど、ひどく小さなものだった。
美術的な価値は門にある重要文化財指定の観音像よりは、こちらのちいこい秘仏のほうが上。
さて、お花見コースを行く。
朝から食事していないので屋台でたこ焼きを所望。
「こういう大きなたこ焼きは味が結構微妙なことが多いのよね」
そんなことを呟きながらたこ焼きに串さすカノジョの目に飛び込んできたのが↓。
白鳥。
水の上は優雅な姿だけれども、水の下では必死に足をバタバタさせているあの白鳥である。
「白鳥って見たことある?」
ぼくはカノジョ様に訊いた。
「うん、免許を取りに新潟へ行ったときに」
首都圏市民にとって白鳥とは旅先で見かける鳥である。
我が家から徒歩20分ばかりの川になぜ白鳥がいるのか?
噂でしかないのでしかないのだけれど、この白鳥は怪我をして迷い込んだらしい。
土地の人がこの傷ついた白鳥の面倒を看て以来、住み着いたのだとか。
ここ大岡川ではタマちゃんなる小汚いアザラシが迷い込んだこともある。
この川は高度成長期に汚れまくった。
コレラが発生して子供たちの水遊びが禁止された。
数年前、この付近に住む若い夫婦が生まれたばかりの子供をこの川に投げ捨てた。
数年前から続く町のひとたち主導の河川浄化。
白鳥のほかにも季節によってはシラサギが舞い降りる。
カワウ、カワセミ。
川の「有り難味」を愛そう。
「有り難いものとしての<自-然>」というのは言葉としての矛盾があるのだけれどね。
有り難いものへの畏敬はひとと川の繋がりを、もっと崇高なものに昇華すると思う。
それは古来よりの<自-然>たる自然ではない。
もっと21世紀的なひとの手によって恢復された自然であって、<自-然>ではない。
ひとはあたらしい畏敬を持って、この恢復された自然を愛するようになる。
川へごみを投げ捨てないでください。
川へ子供を投げ捨てないでください。
桜の花が散る。
幾雨を経て、次にくる季節の節目には、この川にアジサイの花が咲く。
4月2日
久しぶりにこのページ手を入れるいまは、2004年4月2日午前5時。
午前3時頃に不眠を訴える女性からメールが届いた。
「眠れないよ」
メール着信を伝える携帯電話のバイブレータ機能の振動で、ぼくも目が醒めた。
季節の変わり目というものがぼくはどうにも苦手で、身体、精神、情緒、およそ生活のすべてに失敗する。
4月2日、ここ関東地方は春の雨。
それも重い雨だ。
きっと湿度も2004年では最高の状態だろうなと、うん、ぼくも眠れなくなった。
この雨はきっと残り少ない命を謳歌しようと懸命に咲いていた桜。
桜の花弁を地に落とすだろう。
二年前に書いた詩のような書き物もこうした重たい雨の日に生まれたと記憶している。
再録
さくら 花 弁を 散 らしたの はオ レ 雨 風 四 月の
陽射し 世 界を 照 らすの はオ レ 太 陽 大 気 四 月の 凶 暴 非 道 な ( オ レと )エ ーテ ル の乱 交に
い まだ 注 げ四 月注 げ
この言葉たちの中で威勢よくあるオレの実際は、気管支炎による熱に疲弊するぼくが生んだ蒙昧、虚勢だ。
季節の変わり目ごとに律儀に身体、精神、情緒、おそよ生活のすべてを失敗するぼくに、世界は容赦なく更なる不幸を告げる。
パレスチナの武装勢力ハマスの精神的指導者と見られていたヤシン師。
イスラエル政府は国際法、もしくは国際法秩序というものを一切顧みることなく殺害した。
この後、イスラエルの虐殺行為を非難する声がパレスチナに限らず、国際法秩序の下に自国を参加させているあらゆる国々の、国民、国家政府から当然に沸きあがった。
心配したこの国の政府のコメントは、イスラエル政府への常識的な批判を含んだもので多少とも安堵した。
しかし、この国のテレビジョンを代表とするマス・メディアがこのニュースのバリューをあまりにも軽く見積もり、ぼくを憤慨させた。
NY世界貿易センタービルへの旅客機激突以来、パレスチナ情勢を伝えるNHKのニュースはイスラエル政府広報かと疑う。
特派員が無知なのだ。
偏向などというものではなく、単純に「勉強していない」からイスラエル政府機関からの請売りを垂れ流している。
イスラエル政府の行動は、引き続きテロとの戦争の継続を続けてゆくことは避けられないものだという固い決意に根ざしています。
戦闘機ごと敵の戦艦に突撃する神風特攻隊。
1972年、テルアビブ国際空港での(日本人たち)赤軍派による、航空機乗客への機関銃使用の無差別銃撃。
<「わたしたち」という日本人>と、今日のテロの「はじまり」。
再録
命 名
石に名を刻み
レバノンの
石
パレスチナの石
イスラエルのミサイル
銀色のミサイルと
ナイチン・ゲール
「本日未明、パレスチナ暫定自治区でパレスチナ民衆とイスラエル軍との間で衝突がありました。パレスチナ住民がイスラエル兵に投石。イスラエル兵数名が軽症を負いました。イスラエル側は強硬姿勢を崩さず、パレスチナ側との停戦合意を無視し、報復としてパレスチナ暫定自治区の数箇所を戦闘機により爆撃。この戦闘による被災者はパレスチナ側のみ
約
」
石に名を刻み
レバノンの
石
パレスチナの石
イスラエルのミサイル
銀色のミサイルと
ナイチン・ゲール
年老いた
ナイチン・ゲール
ふたたびの停戦合意
手を休める
その暇(いとま)
もう
何年も血を見てきたわ
私たちの土地に
彼らが爆撃を加えるたびに
私の病院は患者でいっぱいになった
ええ
何人も死んでいきました
家族も分からない子供たち大人たち
みんな病院の裏庭の共同墓地に眠っています
名前の分かるひとは
きちんと名を刻んでいます
名前も分からないひとには
「その者」と命名します
碑銘をご覧ください
ほら
その者
ここに眠る
と
あるでしょう
その者
ここに眠る
と
あるでしょう
石に名を刻み
石
レバノン
レバノン
パレスチナ
再録という営為は、過去の言葉、過去の認識の「現時点での追認」に過ぎない。
あたらしい認識と、あたらしい言葉の創設をぼくは急がなくてはいけない。
季節の変わり目ごとに律儀に身体、精神、情緒、おそよ生活のすべてを失敗するぼくは、異常なほどの読書熱に浮かされて活字を追う。
活字にして読むことができるもの。
それ自体は他者の過去の認識、他者の過去の言葉。
でも、過去のものでもいいんだ。
ぼくには初めての出会いだから。
過去の自分というもの程、自分にとって陳腐なものはない。
自分の言葉というものも本来的に陳腐だし、更に進めば自分というもの程くだらないものはない。
先月、いかりや長介というコメディアンが亡くなった。
コメディアンいかりや長介は電車の高架下に暮らすひとびとたちの苦労をスラップスティック喜劇にして茶の間に提出した。
高架の上を電車が通過するたびに、その下で暮らすひとびとの家が揺れ、家財道具が次々に壊れ、騒音で家族の会話は頓珍漢な様子。
このスラップスティック喜劇は「庶民の暮らしを馬鹿にしている」と酷評された。
喜劇のモチーフはすべて現実にある状況なのにと、元来、真面目な気質のいかりや長介は悩んだ。
喜劇に注文をつける「良心」はいまも各地の新幹線、高速道路、空港、基地での騒音問題に悩む住民にも同等の良心を注いでいるのかしらと疑う。
棒(スティック)で叩く(スラップ)、スラップスティックは現実のどこかしこでも見られる状況であり、スラップスティック喜劇に付着する暴力性に関しての批判が、さらに喜劇人を棒(スティック)で叩く(スラップ)おぞましい目茶苦茶。
季節の変わり目ごとに律儀に身体、精神、情緒、おそよ生活のすべてを失敗するぼくは、目の前の状況のすべては熱に浮かされたぼくの蒙昧であり、4月2日、今日の重たい雨と蒸した大気に荒れる風に、桜、サクラ、花弁たちが腐乱しているよ。
3月15-22日
3月20日午後0時半
↓・・・・・・。
この記事書いたのはボクじゃないですからね・・・・・・。
多分、近田春夫あたりが書いた記事を寝ぼけてコピペしちゃったんじゃないかしら・・・・・・・。
・・・・・・信じてください・・・・・・。
平川地チョーLOVE。
「桜の隠す別れ道 平川地一丁目 (Defstar CCCD Maxi Single)」
日本製アコースティック・ギターの老舗ブランドKYairiのギターを抱えた少年がレンズを見据えている写真。
HIT曲らしくテレヴィジョンでこの曲が一日に数回、それもサビにあたるラインが響いてくる。
このふたりの少年たちについてはこの記事を読まれている方々の方がぼくなんかより余程親しいかと思う。
ぼくはテレビ、ラジオを媒介とした音楽番組にはまったく馴染みがなく、この少年ふたりの素性について語るほどの知識は持ち合わせていない。
ただ連日テレビ番組の合間に流れるプロモーションフィルムと、そこで響くサビのメロディ、歌詞を含めたラインを繰り返し聴くうちに確信が芽生えてきた。
「この曲はここ数年の歌謡曲、ポップスのHITシングルの中では恐らく最上のものだろう」
アコースティックギターがサウンドの前面にて鳴る。
巧いわけでもなく、単調なコードストローク中心の演奏。
音色も特筆すべきほどいいものではない。
ただサビの部分を辿ってみた。
まずメロディを辿ってみた。
いい。
正直に書くと胸に響いた。
CCCD(CDとCCCDは別物と考える)のクレジットを確認した。
作詞作曲 林龍之介。
CCCDジャケット左側、KYairiのギターを抱えた少年。
ぼくはこの曲のなにが気に入ったのか分析的な言葉を書き連ねることに躊躇している。
ただ、その魅力は「近年にない哀切が滲むメロディライン」だけではなさそうだ。
なんというか譜面や記譜法での再現と、この曲の実際の演奏には著しい乖離が出現すると確信する。
この曲は譜面の上では4/4拍子で記譜されるが、しかしこの曲の実際のテイストは記譜し得ない。
ここで、もうひとりの少年、林直太郎の歌唱に耳を傾ける。
朗唱の発声法に固有の機能。
ヴァースからヴァース、小節から小節をなだらかに繋げる朗唱。
あたかもヴァース、小節そのものを無効にするような朗唱というものに宿るチカラ。
唐突に過ぎるけれど割礼の宍戸幸司の朗唱の真髄もまたこの辺にある。
勿論、林直太郎少年は13歳。
宍戸幸司という「にほんの歌」の系譜にその業績を刻む確信犯的なそのひとと比較することには無理がある。
ただ、ヴァース、小節の無効化を朗唱のチカラで達成するその点の一致。
また強調したいのはその朗唱と、ヴァース、小節の無効化の姿態が平川地一丁目というユニットでは自然に身についたものである点だ。
この特質では林龍之介少年の朴訥としたコードストロークも確実に貢献している。
露骨に書くと、ある種、音楽、音楽家としての稚拙さもまたこの曲の成功の要因だと思う。
ただ、様々な要因の末にできあがった曲がぼくにとって心地がいい、気持ちがいいものであること。
この国の普段はまったく一顧に値しないチャートで上位に食い込む在り様にどこか「安心」する。
♪いることが 当たり前 さよならするなんて まばたき程の 短い時間 三年は♪
サビに詠われる歌詞を確認すると、歌詞自体は寧ろヴァース、小節に縛られている印象がある。
なのに実際の演奏にはこうした印象を忘れさせるチカラがある。
にほんの歌のマジックが聴こえる。
流行歌に対する予断のために耳を塞いでいたら、この曲を素通りしていたかもしれないなと、一種、戒めのためにここ幾日かリピートし、またリピートしている。
16日午前11時
今日中にこのサイト「sonimage groupement!!」初の動画配信をしようかと思います。
実は2月の下旬にサーバーの管理会社を変えてみました。
高容量・低価格のところに移ったために、サイト自体の容量もボリュームアップ!
動画配信のチャンスです。
今回はQuicktime形式で配信いたします。
肝心のUPの時間は・・・・・・未明。
本日は少しい忙しいのだよ、失礼。
そりでわ、万事よろ。
15日午後3時
1と1/2.高橋尚子さん、アテネオリンピック女子マラソン代表選手落選。
まあ、ぼくはスポーツのことはあまりよく分かんないのですが素人にも分かるようにオバQにたとえると「Qちゃん、Qちゃんから劇画オバQへ」という感じでしょうか・・・・・・。
「劇画オバQ」のラスト近く、正太くんの奥さんの辛らつなQちゃん批判「Qちゃん食べ過ぎ」には返す言葉がないですものね。
幸せいっぱい土佐選手。
よかったね。
なんだか人生の端の方でいつも忘れた頃にあなたの顔がちらり。
↑スゴイヨネ。
ま、こうした結果が出た限り公約どおりぼくも今年いっぱい走りません。
よろ。
http://www.nikkansports.com/ns/sports/goto/2003/goto031119.html
↑click it!!
人生4,2195km(単位点ママ)。
我ら、負け組。
15日午後1時
1.アテネ・オリンピック
アテネオリンピック女子マラソン代表選考会の発表が15日午後3時に陸連を通じて発表されます。
今回の選考に関しては皆様も様々な視点でご意見をお持ちのことかと存じます。
ここで私も臓腑の淵から煮えたぎる思いを一言述べさせていただきたく存じます。
Qちゃんこと高橋尚子選手が選ばれなかった場合はぼくも今年いっぱい走りません。
よろ。
http://www.nikkansports.com/ns/sports/goto/2003/goto031119.html
↑click it!!
オリンピックを見越してのNHKの集金にも無論応じません(口座自動引き落としですが、口座に入金する気もないということです)。
断っておくけれど、この点はもうQちゃんとかOちゃんとか全然関係ないから。
あ、思い出したよ。
末娘の名前はP子!
更新作業のプレッシャーがひどく・・・・・・。
試しに↑のような小ネタを暫時UPしてゆくことにしました。
自然に時事に即した記事になることでしょう。
3月12日
こどもたちのための朗読会
恥ずかしながらここ数週間、頑固な風邪で臥せっております。
もはや「体質かよ!」という印象すら抱く気管支炎も顔を出します。
じんましんによる浮腫もぽつぽつと可愛らしげです。
鼻腔がキラキラ輝いています。
鼻水が滝のようです。
鼻の下にこの滝に打たれることで悟りを拓こうと沢山の修行僧が住むようになりました。
「修行するぞ! 修行するぞ! 修行するぞ!」
書いていることが致命的につまらなくなってきました。
それもこれも鼻が詰まっているからですヨ、ま、読者の方も配慮してくれないと・・・・・・。
実は2月の初旬くらいからこんな感じ。
情けない。
3月14日(日) 19時、都内某所。
朗読会「溶鉱炉」に参加いたします(観覧希望の方はメールいただきたく存じます)。
いま現在鼻声。
列車、テロル、スペイン、アルカイーダ、犯行声明。
ロイター通信のwebサイトに掲載された写真。
四肢が吹き飛んだ死屍
(の写真)。
健康であるというのはいまこの時代にあっては最小限の「責務」なのだと、自身の不覚を恥ずかしく思います。
再録
造 花
病床には退屈が薫る
意識が明瞭であるときには
できる限り書き物をする
私たちは造花を創る
灼熱を予感させる
六月の道のり
パン屋でパンを買い
お金の換わりに私たちは造花を置く
火傷痕が生々しい
その皮膚がやわらかく生まれ変わるように
少女は千羽鶴を織った
私たちは未熟な造花を創る
未熟な造花は美しくない
成熟した生花は恐ろしく薫る
私たちの造花は芳しく
咲くことを知らない
病床の膿んだ退屈に
私たちは造花を創る
予め膿んだ
しかし私たちは美しい期待を忘れることができない
生花、造花、区分けのつかない病症に、混濁、薫るのは、しかし生花、しかし(それは)私たちの造花
こどもたちのために朗読を企図するということ
Fake flowers(zohka)
boredom smells in the sickbed
when consideration is plain
i write as much as i can
we create fake flowers
feeling the scorch
on the way of June
at the bakery
put the fake flowers for some bread
miserable burn
as their skin is softly reborn
a girl created 1000 paper cranes
we create fake flowers
immature fake flowers are ugly
mature fresh flowers smell terribly
fake flowers we create do not smell
good
festered boredom in the sickbed
we create fake flowers
the world is already festered
but we still pray for the wonderful world
the flowers
/fresh/fake/vague/sickness/turbid/filled/good/smell
our fake flowers
/smell/fresh
(the fake
flowers are the fresh flowers we create for praying)
words dy
nakao chisato
2002-2004
3月1日
わたしの小さなノート
ネタがない。
日々の暮らしに切迫したものがまるでない。
感性が鈍磨している。
しかしいい加減このページを更新しないとそろそろ死亡説が流れる頃ではと心配する。
前言撤回。
ネタはある。
しかし情けなくなるほど小さいネタばかり。
更新予定の告知を含めて以下に列挙してみよう。
1.梅が咲きました。
毎年、咲く。
2.1月下旬に千葉県の千倉に小旅行に出かけました。
素晴らしい旅だったので繊細な筆致でしっかり書きたい。
3.追憶の1995年。
オウム真理教の元教祖麻原彰晃氏に求刑通り死刑判決が下された。
語ることは多い。
オウム真理教が醜悪なカルトとしての容貌を顕わにした発端たる坂本弁護士一家拉致殺害事件。
これぼくの地元の横浜市でのこと。
坂本弁護士が所属していた横浜法律事務所は非常に親切で、生活に身近な問題などある際には気軽に電話相談させていただいている。
またぼくは法学部にいたこともあり、早くからこの事件に関心を抱いていた。
法学部という空気の中では否応なしに向き合わざるを得ない問題だったと思い返す。
坂本弁護士一家拉致の事実が公表されたのが1989年。
ぼくは翌年の1990年に法学部入学。
法学部を志した当初は将来設計の中に弁護士という選択肢が確かにあった。
将来、いまのようなこんな駄目な大人になってしまうなんて18歳のぼくには考えられなかった。
この事件が示唆するものは様々あれ、弁護士という稼業は危険を伴うのでは? という観測が法学部一年生にとっては一番身に迫ったかなあ。
明くる年の1991年に坂本弁護士一家拉致事件の解決のために運動している卒業生、米倉勉弁護士(いまや著名な方)とお話しする機会に恵まれた。
1991年のちょうど今頃、3月のこと。
その当時、すでに米倉勉弁護士は「あれはオウムの犯行。当たり前じゃん」と強く断定していたのを思い返す。
坂本弁護士が所属していた横浜法律事務所はJR関内駅の近くにある。
ぼくが通院している病院も関内駅のそば。
関内駅横浜市庁舎方面出口で下車すると、拉致事件の情報を求める看板がいたるところにあった。
看板には事件解明のために尽力している方々の思いが強く滲んでいて、素通りできない迫力があった。
松本サリン事件の衝撃が鮮明だった頃、次いで京浜急行線日の出町駅(横浜市中区=ぼくの住む南区の隣)で「異臭事件」が起こる。
この「異臭事件」のせいで京浜急行沿線の駅は、いまなおゴミ箱が撤去されたままなのだよ。
不便極まりない。
この京浜急行線日の出町駅のそばにオウム真理教の教団支部がある。
現アレフ。
ただ今、この地で教団本部長の上祐氏が軟禁状態ときく。
テレビ映像で見かける茶色のマンション、あれがそう。
1995年という年は、阪神神戸大震災、間もなく地下鉄サリン事件とこの国の歴史を分かつ出来事が立て続けに起こる。
「歴史を分かつ」
日本人の危機管理意識の欠如というタームの登場は、今次の憲法改正動きにまではっきりと刻印を遺す。
分かたれたのは「日本国憲法」という日本国のアイデンティティ。
「戦後生まれた日本国憲法はGHQの押し付けによるもの」と語る口が、「だから押し付け憲法は改正しよう」と嘯く。
しかしいま日本政府に憲法改正を要請している最強の急進勢力はアメリカ合衆国政府に他ならないという矛盾。
論理整合性が欠如したままに議論だけが進んでゆく様は、1995年の混沌の後遺症そのものの姿のような気がする。
1995年の不思議の最たるものは、「え、ぼくは何していたっけ?」と我が身を振り返ると何も想い出せないところ。
ぼくの人生よりも世界の方が強烈な力を持っていたことの証だろう。
1995年、ぼくは何者でもなかった。
3 1/2.死刑制度廃止存続論議
麻原彰晃の弁護団は、法廷において麻原本人の弁護ではなく死刑制度の是非について問う戦術しか採れなかったという。
ときの政府の加減によって政治犯になりかねないぼくは、もしくは極貧生活の中でみじめなこそ泥になっちゃう予感がするぼくは予め死刑制度の廃止を強く訴えておかないと。
4.QUEENの凱旋です
テレビドラマ「プライド」という、どちらかというとそのドラマを観ている視聴者のプライドの方が問われてしまう番組の主題歌に故フレディ・マーキュリーのソロ作が採用されてリバイバル・ヒット(といってもこの曲は晩年の駄作。発表当時はそれほど売れていない)。
小学一年生の頃、NHK-FMの夕方にQUEENの特集番組が放送された。
ぼくはそのときの録音テープを正に伸びまくるほどに何度も何度もリピートした。
ブライアン・メイのギターの不思議な「音」が好きだった。
フレディ・マーキュリーのヴォーカルも好きだったけれど、ときにリードヴォーカルをとるロジャー・テイラーの声もかっこよかった。
(ロジャー・テイラーにはソロ作が数枚あって好盤だったのだけれど、一向に復刻CDが発売されない)
ベースのロジャー・ディーコン作の「地獄へ道連れ」のイントロのベースラインは小学生の感性には不気味だった。
メンバーの全員が優秀なポピュラー音楽の作曲家だった。
当時の日本の洋楽シーンでは「ミュージック・ライフ(シンコーミュージック刊)」三羽烏、QUEEN、KISS、CHEEP
TRICKの3バンドが全盛期。
中でもQUEENは読者人気投票不動の一位だった。
PUNKバンドは一般にTHE JAMくらいしか支持されていなかった。
(ULTRAVOXが「ミュージックライフ」誌の表紙を飾ったことを突然思い出した。今聴いたらどう響くかなあ)
QUEENのオリジナルアルバムライナーノーツは東郷かおる子、渋谷陽一、大貫憲章が交互に担当していた。
名盤「オペラ座の夜」のライナーは渋谷陽一。
名曲として名高い「ボヘミアン・ラプソディ」を初めて聴いた日本人、当時のQUEENの日本配給担当者が、一聴して落涙。
興奮してすぐに渋谷陽一に電話をかけたというエピソードなんてのも覚えている。
すべて小学生の頃の想い出。
「手をとりあって」
♪手をとりあって このまま行こう 愛する人よ 静かな宵に光を灯し 愛しき教えを抱き♪
アルバム「華麗なるレース」に収録されている小品「手をとりあって」。
上記の歌詞は実際に日本語で歌われている。
♪tewotoriatte konomamaikou aisuruhitoyo sizukanayoinihikariwotomoshi itoshikioshiewoidaki♪
確か「ミュージック・ライフ」二代目の編集長東郷かおる子が歌詞製作の際にお手伝いしているような記憶があるのですが、あ、目の前のボタンを押してください「へぇ」。
この曲が夢の中で鳴り続けて目が醒めた2004年2月の朝。
フレディ・マーキュリーは自身のHIV感染をカミングアウトし、尚且つ同じ病に苦しむ人々に向けてコメントを放った翌日に急逝。
小学生の頃にのめり込んだバンドということで、成長するにつれてぼくはQUEENを卒業したし、かつての愛好を恥ずかしいものとして積極的に隠してきた。
駄作アルバム「HOT SPACE」の出来が物議を呼んだその頃がお別れのときだったような気がする。
大仰なサウンドプロダクションは音楽へのロマン主義的アプローチ。
まあ、いまのぼくの音楽へのアプローチとは対極にある。
それがテレビドラマ「プライド」という、どちらかというとそのドラマを観ている視聴者のプライドの方が問われてしまう番組の主題歌に故フレディ・マーキュリーのソロ作が採用されてリバイバルされた2004年、夢の中で
♪手をとりあって このまま行こう 愛する人よ 静かな宵に光を灯し 愛しき教えを抱き♪というラインが鳴り続けてやまない。
夢の中でぼくはこの曲がQUEENのものだということを思い返せない。
目覚めてから数分後にやっと想い出せた。
・・・・・・ああああああああああああああああ、フレディの歌声だ・・・・・・。
フレディ・マーキュリーは自身のHIV感染をカミングアウトし、尚且つ同じ病に苦しむ人々に向けてコメントを放った翌日に急逝。
自分でも意外なほど神妙な気持ちで、昨今のリバイバル劇を見つめている。
5.BB
中尾 千里 様
ソフトバンクBB株式会社
代表取締役社長
孫 正義
【お客様情報流出に関するご報告とお詫び】
容疑者が保有していた情報につきましては、ソフトバンクBB株式会社が照合作
業を行った結果、誠に遺憾ながら中尾 千里様の情報に関しても
流出していることが判明いたしました。
当方の不手際により、このような結果となり、お客様に大変ご迷惑をおかけし
ておりますことを深くお詫び申し上げます。
ははは、まあそんなに気にするなよ!
どんまい!
・・・・・・。
容疑者4人のうち2人が創価学会の現役幹部と週刊誌報道。
よりによって今年の7月には参議院選挙じゃないか!
些少ではございますが、お詫びといたしまして、500円相当の金券等を郵送させていただきます。
大変お手数ではございますが、下記確認専用Webページにて住所の登録をいただきますようお願い申し上げます。
ご登録いただいた住所に500円相当の金券等をお送りさせていただきます。
なお、お客様のお手元到着まで1ヵ月程度のお時間をいただく場合もございますので、予めご了承願います。
去年末に解約済みなのだけれど、漏洩済みでもあったと・・・・・・ふ・・・・・・。
住所などの情報が漏れたというのに、新たに住所申告しなおせってか?
今回の事件は恐喝した犯人グループよりも、恐喝された被害者のソフトバンク社の方が叩かれるという「あたらしい社会の様相」を呈していて非常に興味深いのですが、まあ、まず犯人グループは極刑。
ソフトバンクは百歩譲って国営化。
あと犯人グループの後ろにいるひとたちに告ぐ!
500円あげるから出てきなさい。
隠している悪行まだまだいっぱいあるでしょ?
6.みふねは寒がり
この小ネタノートを書いている本日は雪。
我が家の猫のみふねが見当たらない。
必死に名前を呼ぶ。
「みふね? みふね?」
ぉうぉう。
毛布の中で丸まっていた。
7.梅が咲きました
梅は毎年必ず咲く。
その営為はひとを裏切ることがない。
「手をとりあって」
♪手をとりあって このまま行こう 愛する人よ 静かな宵に光を灯し 愛しき教えを抱き♪
2050. 更新に関して 管理人 [URL] 2004/02/25 (水) 10:21
>皆様
管理人のなかおちさとです。
只今ちと更新やレス、私信返信など遅れております。
先週よりメインマシンが故障、サポートセンターに入院中です。
環境が復活次第、再開いたします。
今しばらくお待ちください。
sonimage groupement!!
なかおちさと
フォークシンガー
最近、CD購入が思うままにならない。
生活費もギリギリの貧乏暮らし。
本来ならCDというものを買うことすら憚れる身の上。
ただどうしてもフランスの現代音楽家のピエール・アンリの仕事を追いかけなくては先に進めなくなっていた。
畜生、昔髄分集めたはずなのに誰に貸してしまったのだろう?
一枚もなくなっていた。
CD時代初期のリイシュー版が豊富だったから残念。
もう手に入らない。
Amazonを覗いてみた。
現代音楽に限らず、クラシック音楽なども輸入盤は廉価。
財布に優しい。
それでも探している音源はなかった。
こころ変わりが起こって妙な購買意欲が沸いてしまうのがネット・ストアの罠ですね。
「やぁ。 加川良 URC」
URCカタログのAvexよりの再発。
このアルバムは店頭でジャケット見てひとめぼれ。
でも財布はウスペラ・・・・・・フ・・・・・・・。
「加川良呼べないかな?」
ある年、ヘブンズドアの堀社長がぼくに連絡先を尋ねてきた。
加川良の連絡先・・・・・・。
高田渡さんの自宅の電話番号まで収録されているぼくのスーパーアドレス帳にも、加川良さんの連絡先は書いていなかった。
「加川良、すっごいかっこいいぜ。なにせあのひとはオレの人生を変えた人だからね」
ヘブンズドアの堀社長の出発点はフォークだったのかい?
今ではクアトロクラスのPAをあの狭い小屋で全快で鳴らしきる。
(当世)ハードコアロックのメッカだ。
加川良に徐々に引き込まれている。
2003年末の「朝まで生つるべ」という番組で坂崎幸之助が「教訓T」を歌った。
CM明けに「いまこの時期本当に大切な曲ですよね」といった鶴瓶の顔、口調はタレントの余裕など微塵もなく、在りし日をあの細い目をさらに細めて回顧していた。
海外現代音楽アルバムが廉価だったおかげで、「やぁ。 加川良 URC/Avex」を手に入れることが出来た。
寝る前に軽い気持ちで室内に流したのがいけなかった。
驚きで目が覚めた。
URCレーベルはシバというブルースマンなども輩出していたけれど、加川良のニセモノハウリングもいい。
バック陣は中川イサト一名だけれど鉄壁だ。
この人は「上手い」「巧い」と褒められるけれど、ぼくは中川イサトのそこらの芸当は「うるさい」と思う。
単純にポンーと爪弾く音こそがいい。
爪弾いた音そのものが単純にいいよ。
M3「フォークシンガー」
奴は俺の前から何年も前にずらかりやがった
遺して行ったのは「ヤング・ギター」っていう くさい本だけ
責めるつもりはないけど頭にくることは
俺をフォーク・シンガーなんて呼びやがったこと
曲冒頭からいいラインだ。
アルバムは小ホールでのライブ録音。
絵が浮かぶような素晴らしいライン。
それは上等なボードヴィルのよう。
「教訓T」で一挙に脚光を浴びたという逸話のためにぼくと加川良の付き合いはファーストアルバムだけだった。
このアルバム「やぁ。 加川良 URC/Avex」、サードアルバムいいね。
ファーストよりも個人的に好き。
三軒茶屋ヘブンズドア、堀社長はいつの頃からのファンなのだろう。
この作品は何歳で聴いたのかね?
高校生?
そう、高校生って言ったな。
好きだったんだろうな。
ゆずの影響で溢れ始めた街角の少年少女。
溢れあがったせいで高騰した中古ギター市場はいま暴落している。
M3「フォークシンガー」
あれから数年 あの街 この街 探したぜ
俺に恥をかかした奴を 殺すために
俺は一生かかっても奴を探し出してやる
俺をフォークシンガーなんて呼びやがった奴を
情景が浮かぶ歌詞には良質のサウンド作りがなされることが多い。
演奏も詩世界の構築に手を貸そうと執念掛けるものね。
そして舞台は正に上等なボードヴィルのようになる。
ボードヴィルってのは難しいんだ、でもこの国にしっかり根付いた大衆文化だから、その成功はこのアルバムのように凛としている。
2月12日
僕と彼女とみふねの生きる道
ここの所、長らく風邪でダウンしていました。
久しぶりに死ぬかと、僕はこのまま猫に見届けられて死ぬのだと覚悟しました。
思えば中身のない人生でした。
CDも出さず、著作も出せず、ぼくという存在が生きていたという証はこの世に一個もないなと思う39.5C。
一発逆転を狙って、やっと手に入れた浜岡原発の内部地図も、貧乏のためオークションで売ってしまいました。
びっくりするような値段がついてびっくりです。
幸いインフルエンザではありませんでした。
もうチョー高熱でしたので、きちんと病院で検査してもらいましたが「普通の風邪ですね」。
インフルエンザの検査ってしたことあります?
あれさあ、お医者さんがやおら超長い綿棒を手にするんですよ!
で、「かなり痛いですよ、プ!」とか言いながらぼくの鼻孔にそのナガーイ綿棒をヌーっと突き刺すんです。
で、綿棒の先についた鼻の奥の方の鼻水を検査するんです。
いや、痛いってのもあるのですが、「え、オレの鼻の穴ってこんなに深いの!?」。
自分の身体なのに未知なる深海魚とか潜んでそうな位深いのでもうびっくりです。
あと、医者にそのふかーい鼻の奥を綿棒ごときでひと突き刺される屈辱感といったらないですね。
インフルエンザではなかったのですが元からの気管支炎持ち。
咽喉の腫れは今も続いています。
まあ、久しぶりに長く辛い風邪ではありましたが、件の咽喉以外はやっと復調。
この間、去年から撮り貯めていたテレビ・ドラマなどまとめて観ました。
ぼくはテレビはニュース番組以外はあまりリアル・タイムで観ることがないんです。
この前、ライブの打ち上げで川口さんに「中尾君はタレントで云ったらどんなタイプの女性がいいの?」と中学生のような質問をされました。
真っ先に脳裏に浮かんだのは扇国土交通大臣と川口順子外務大臣のふたりをうまーい感じに足して2で割ったような変な化粧の女性でした。
実はアレ、和服姿の安藤優子だったのかもしれません。
たまにはドラマ、もしくは邦画なども観ないとね。
しかし鑑賞に堪えるようなドラマって少ないですね。
テレビ番組の録画はPCでやります。
ネットでクリック一発、録画予約完了。
僕のテレビはVAIOだ!
話題になりそうなドラマ番組はとりあえず録画してみました。
しかし鑑賞に堪えるようなドラマは少ないです。
特に「砂の器」。
あの松竹映画の名作をあんな酷いものにしたディレクターは砂の器になるべきです。
去年から話題の「白い巨塔(フジテレビ)」。
あともう一本、「僕と彼女と彼女の生きる道(関西テレビ)」。
鑑賞に堪えるドラマ番組が少ないからこそこの2本は貴重です。
「白い巨塔」は語りつくされている感もあり、割愛。
風邪が治り「僕と彼女と彼女の生きる道」を撮り貯めていた分全部見ましたがいいですね。
僕と彼女と彼女の生きる道
初回 「離婚の朝」 19.3%
第二回 「別れの理由」 18.9%
第三回 「悲しき抱擁」 18.0%
第四回 「愛おしい娘」 19.4%
第五回 「娘のために」 20.5%
初回だけ視聴率がよくて、後は下り坂という番組が多い中で徐々に視聴率が上がっているこの番組は支持のされ方にも好感が持てます。
詳しい筋書きは公式サイトでも見てください。
http://www.ktv.co.jp/bokukano/
ま、娘さんが逆上がりを特訓するんです。
それをパパの草g剛が見守るんです。
娘さん逆上がり成功!
パパ、草g剛号泣。
もうこのシーンの涙だけでご飯3杯食べれるね。
涙飯ね。
しょっぱいだろうね。
いや、あのさ、号泣って正に自然に涙あふれるじゃないですか?
その瞬間の描き方が嫌味なくいい感じでねえ。
で、そのシーンを見たときにふと思ったんですけれど、僕の父や母はぼくが逆上がりを決めたときは号泣してくれなかったなって。
いまそのこと思い出してムシャクシャしてきてですね、いまにも近くの学校のグラウンド行って逆上がりを一発決めてですね、それをデジタルビデオに録画して実家に送ろうと思うんですよ。
ちょっと母校まで逆上がりしてきます。
でわ。
ま、こんな夜中(午前3時)に学校に忍び込めるわけがない。
あと、昼間に忍び込んだらもっと不審がられそうだ。
いま、我々成人男女が安心して逆上がりを決められる空間はあるだろうか?
スポーツ・クラブ?
君は金払ってまで逆上がりしたいか?
そもそもスポーツ・クラブに鉄棒ってあるのか?
いま学生の諸君!
それも小学生、中学生、高校生の諸君!
この記事を読んでいたら、いまのうちに思う存分逆上がりしておきなさい。
学校を卒業したらこの社会に逆上がりさせてくれる鉄棒なんてそうやたらあるものではないんだ!
いまのうちに回っておきなさい。
グルグル回っておきなさい。
そしてその姿を君の肉親の方に見てもらいなさい。
「パパ、ママいまの見た! ホラ、ぼく、わたし、こんなにクルクル逆上がりできるの!」
パパ、草g剛号泣。
僕と彼女とみふねの生きる道
もしも、いつの日か、ぼくと彼女に子供が生まれたら、その子が初めて逆上がりに成功したら、自転車に乗ることが出来たら、Fのコードを抑えることが出来たら、「火の鳥 手塚治虫」を全巻読破したら、みふねが他人様につめ立ててごめんなさいと頭を下げることを覚えたら、恥ずかしげもなく、息子、もしくは娘の成長に号泣したい、草gくんみたいに溢れ零れる涙をひとみいっぱいに滲ませて号泣したい。
1月30日
ボウクウゴウ
(初稿は深夜から早朝に掛けての働かない脳みそで書かれたひどい悪文、多少訂正いたしました)
ぼくの棲む町は開発が遅い。
海抜が横浜市内で一番高い住宅地という事情もある。
加えて元からの地主たちが土地を手放さないでいた、そのことも大きい。
兎も角、ぼくの棲む町は開発が遅い。
28日、ふらり近所を巡った。
別に酔狂な散歩ではない。
寧ろ、緊急迫る用事で、ぼくはここ数年歩いていない道を辿ってまで用事を済ませなくてはいけない。
ここ数年歩いていなかった道。
その道は急勾配な坂に敷石で段を切る階段坂。
敷石には風格があり、しかし苔むして、一層、気持ちが悪い。
ともかく上等な石ではない。
苔むした無数の敷石で段組まれた階段坂。
この道を選択することは地慣れした大人、それも男性ばかりで、その他の大勢の住民たちは忌避していた。
昨日は緊急の用事だった。
急がなくてはいけない。
最短距離を辿るしかないなと苔むす階段坂に向かった。
拍子抜けした。
思春期の記憶にべっとりとまとわりついているあの苔むした敷石は除去されていた。
敷石を埋めていた地肌はアスファルトで覆い隠されていた。
綺麗な施工で、いやここがあれ程、薄気味悪かった坂道。
忌避していた坂道とはどうにも思えない。
開発が遅いこの町の一角が手入れされている。
住民の大勢が気味悪がっていた階段坂がやっと「手入れ」されていた。
でも、ぼくは開発が遅いからこそこの町が好きで、こうした「手入れ」を歓迎できない。
ワイシャツにスーツ、ネクタイ姿の紳士が、測量機材に目を押し当てて作業員たちに指示を与えたり、考え事をしていた。
測量の矛先はこの町の古くからの地主さまが所有していた、いや放っておいたままの土地だった。
ぼくの幼少から何十年に渡って遊ばせていた土地を、とうとう処分する気になったのか?
もしくは代替わり?
アスファルトで綺麗に整地された階段坂を降りる、登る。
降りる、登るしながら実感した。
やはりどんなに「手入れ」されてもこの道はひとを不安にさせる。
アスファルトで化粧してもこの坂に連なる道から感じる陰気な雰囲気はそう簡単に消えてはくれなかったようだ。
坂を登り降りしているときにその雰囲気は、やはりどこか怖いものだった。
急勾配に階段坂を備え付けたそもそもの発想が異常なのかもしれない。
これほどの急勾配な地形を無理に階段坂に変えるそもそもの発想が信じられないもの。
多少は迂回して緩やかな道を造った方が余程親切だ。
階段から転げ落ちるようなことがあったら大変なことになるよ。
三十路を超えたいいおっさんのぼくが思うのだから、子供連れの親御さんはもっと心配だろう。
ましてやベビー・カーの使用なんて現実にはまったく考え得ない。
相変わらず「おんなこども」を排斥する。
もと苔むした敷石が剥き出しの地肌に埋め込まれていた、粗野な階段坂。
地主様は遊ばせておく土地に困らない様子だった。
ろくに手も入れないために木々は恐ろしく聳え立ち、立派なみどり。
この付近を歩くとそのみどりの濃さにびっくりしたものだ。
土壌が豊かなのだろう、砂が香り立つ。
みどりが放出する香りもまた濃厚だった。
いま、その薫りはアスファルト舗装で消えている。
地主様が何十年も放っておいた木々もまた根こそぎ伐採されていた。
消えたものはそれだけではなかった。
かつて、この階段坂は緑濃く、街灯や月の光も遮っていた。
単純に闇が濃かった。。
その階段坂に、もうひとつ恐怖を抱く要素があった。
洞穴。
階段坂の麓付近に、赤土むきだしの小さな洞穴があった。
自然に造られたものではなかった。
防空壕だ。
戦中、防空壕に使われていた洞穴が確かにそこにあって、土地と人との関係の結びに歴史というものが横たわっていた。
防空壕はどこ?
階段坂を登る足をしばし休めた。
麓の方を振り返って望んでみた。
かつて防空壕があった土壌剥き出しの急斜面もまた「手入れ」され、アスファルトで塞がれていた。
いま、この国はまた戦争を始めた。
しかし避難すべき防空豪はぼくの棲む町から消えてしまっていた。
いま、この国は先の大戦と同じくまた侵略勢力として、占領軍として他国に軍隊を派兵している。
テロ組織の報復宣言がこの国にも向けられているというのに、ぼく、ぼくらには逃げ込む防空壕がない。
防空壕がない。
防空壕がない。
「防衛庁長官」は、多分、防衛の対象を忘れている。
ボウクウゴウがない。
LaLaの新作CD-Rの製作を開始しました。
LaLaは毎回の練習スタジオで5曲、6曲と「新曲」を作ってしまいます。
基本的にはライブが魅力なバンドと思われがちですが、当人たちにとっては本番のステージよりもスタジオでの演奏の方が快心のものが多かったりします。
そのスタジオでのセッショントラック、8時間弱の記録を素材にして新しい作品を作る所存です。
これに伴い過去のCD-R作品も会場販売だけではなくて、身近なショップで入手できるようにしようかなと、やっと思い立った次第です。
また、お約束していたソロ・アルバム、去年末の多忙につき滞っていましたが、3月頃から山崎巌さんのアトリエで録音開始。こちらは裏が銀色。きちんとプレスされたCD作品です。
ソロと並行して鳥を見たの作品造りも行います。
心配しておりました立島夕子も先日退院いたしました。
メロドラマ(le merodrame!!)も起動です。
元気に行こう。
なかおちさと
1月12-17-19-21日
晩鐘、種を蒔く人
17日、ヘブンズドア三軒茶屋「サボテンだらけの部屋」。
このイヴェントを迎える前にページを改めました。
「晩鐘、種を蒔くひと 編」
スタートです。
イヴェントの数日前から、ぼくの胸の内になんとも知れない恐怖感が憑きまとっていました。
胸の内でトクトクと音を立てて沸く不安、焦燥。
まるで戒厳令下のように街に人影がまばらです。
朝も、昼も、夜も、街にひとがいない。
その光景が呼び起す沈鬱な、しかしいま名前を与えられない未明たるなにか。
この国の「気運」と「気」それ自体。
おぞましいものとの寄り添いは、何処までもおぞましいです。
違和感の増幅は、そのことを認識した日が祝日「成人の日」であったことも大きいでしょう。
例年だったら羽織、袴、スーツ姿の新成人たちで溢れていた、そんな成人の日なのに街には華やぎというものがなかったコト。
ぼくの住む横浜だけの話ではなく、新宿に住まう知人の話も「街にひとがいない」。
成人の日自体の変容もあるのかもしれません。
新成人の数は年々減少傾向にあります。
また寒さ。
今年は冬型の気圧配置が崩れて、関東地方南部では逆に寒気の吹き込み、降雪など寧ろ厳しい冬の様相を呈しています。
恐慌。
日経平均や円相場の持ち直しなどが新聞の見出し、ニュース番組に踊っても、事実、ぼくの生活は貧しいです。
実体経済というのは巨大で複雑な様々な相、層の重なり。
株式市場の持ち直しなんてものが実体経済そのものの恢復に寄与するにはもっと持続性が必要です。
タクシー運転手が嘆きます。
「最近は本当に道が空いているねえ。皆、お金ないから外で遊ばないんだろうね」
与党が提出する予算案の財源。
その約半分は借金です。
予算案に占める財源の赤字。
割合では日本が世界一です。
イラク戦争に膨大な戦費を投じるアメリカが抜くか抜かないかという状況です。
イラク。
2004年1月19日。
陸上自衛隊、イラク占領の治安統治のために先遣隊を派兵。
現地時間19日午後9時サマワに到着。
「アクチュアルに」
世界情勢、国内情勢、議論や実戦がひとを分かつとき、ぼくは胸の内で「アクチュアルに」と呟き漏らすようにしています。
それは束の間でも覚醒作用があります。
びんた、ひとつ。
アクチュアルにあろうとすると、「国際貢献」「人道支援」「憲法改正」、こうしたタームへの賛否、論争そのものの観念性が気になって仕方がないです。
今次の問題は何なのか?
14日にデンマーク軍が発見した糜爛性ガス迫撃砲弾。
砲弾から科学性物質は発見されなかったと続報。
イラク、フセイン政権による大量破壊兵器開発に対する軍事的制裁。
今次の戦争の大儀の崩壊については論を待ちません。
崩壊を訴える言説そのものが人口に触れ過ぎて陳腐化しそうな程の勢いです。
普遍的な「国際貢献」「人道支援」「憲法改正」、こうした「大きな議論」発動の機会では元々ないのだと想う次第です。
今次の戦争に軍人を派兵することの是非、それ自体に固執しようと想います。
テロルの標的となるだろう日本では、まるで戒厳令下のように街にひとがいないからです。
16日、立島夕子が入院しました。
ぼくの携帯電話の留守電に前日、彼女の肉声が残されています。
取り急ぎ、まず用件を残す声。
地声に付着する倍音が複雑に震えた波長を伝えます。
イヴェントの数日前から、ぼくの胸の内になんとも知れない恐怖感が憑きまとっていました。
胸の内でトクトクと音を立てて沸く不安、焦燥。
まるで戒厳令下のように街に人影がまばらです。
朝も、昼も、夜も、街にひとがいない。
その光景が呼び起す沈鬱な、しかしいま名前を与えられない未明たるなにか。
この国の「気運」と「気」それ自体。
おぞましいものとの寄り添いは、何処までもおぞましいです。
陸上自衛隊、イラク占領の治安統治のために先遣隊を派兵。
現地時間19日午後9時サマワに到着。
ページを改めました。
日記というのは日を記す、当たり前ですね。
日を記す。
ページを改めました。
晩鐘、種を蒔くひと 編。
ミレーの「種を蒔く人」。
ゴッホの模写による「種を蒔く人」も想い出します。
種を蒔く人の画面上の位置はどこまでも力強く映るように配慮された作者の恣意。
ただ種を蒔いている人の思惟にフォーカスを当てるのではなく、どこまでも肉体たるものを描くことに専念。
でも、あの絵を見てひとは何故「ひとが種を蒔くこと」の意義について、つまり肉体性に在る以上の「或る」「在る」に考えをめぐらせるのだろう?
また、「ひとが種を蒔くこと」の意義というのが、ひとの肉体と同質の、少なくとも近質の強固さを持つこと、改めてそのことに想いをめぐらせます。
この絵の表出と鑑賞の仕組みはどんなに不思議で複雑なものだろう?
ページを改めて最初の日付けは1月12-16-17-19-21日とします。
なんとも歯切れが悪いです。
最初の日付はぼく個人が街の異変を自覚した今年の成人の日です。
16日、立島夕子入院、17日、イヴェント。
19日は第二次世界大戦敗北後、日本国が初めて本格的な軍隊海外派兵が展開した、恐らく現代日本史、世界史に特筆される日です。
21日は、現時点では未明の闇の中です。
日増しに肥えてゆく暗澹たる気分。
日々の流れは不断です。
ただ、そうした悠久の時の流れの中で、日記というものは長い長い時間の中の一日をさらに刻み込んでカットアップします。
フォーカスとエディットを決定するのは筆者です。
この冬は寒いです。
この冬はひどく寒いと震える生活人がこの日記ページの筆者です。
この冬は寒いです。
この冬が寒いです。
まるで戒厳令下のように街に人影がまばらです。
この冬が寒いです。
晩鐘、種を蒔くひと 編。
.......start......
1月11日
美麗なフライヤー
かようなデザインのはがき大フライヤー。
イラストは深海魚の小野君です。
モデルはぼくです。
フ、こんなに痩せてない。
ソニマージュ・レコーズ
「サボテンだらけの部屋」
1月17日(土)ヘブンズドア三軒茶屋
開場 18:30 開演 19:00
前売り2000円 当日2300円
割 礼、みみのこと、L a L a
ヘブンズドア
03-3413-9331
この公演が終わると我が家にみふねが帰ってきます。
色々、テンパった&電波った事情で11月よりみふねは他家へ預けられていました。
あいつの「ナー、ナー」という声がないというのはホントに寂しいもので、ぼく自身の激太りの原因にもなっていました。
公演を無事終えて、またみふねとの暮らし再開とゆきたいものです。
みふねがいない間、発狂したぼくはあたらしい猫を飼おうと、実際に里親予約などしてしまいました。
名前までつけて!
名前「ライカ」。
ま、経済的な事情で多頭飼いなど無理と周囲から止められ、このこは見送り。
でもいまでも「ライカ」って名前の猫、かわいいと思うのです。
年末の特別番組「朝まで生つるべ」という番組。
笑福亭鶴瓶の司会でのトーク番組。
トークの合間に坂崎幸之助が往年のフォークソングを歌うという趣向。
♪いのーちはーひとーつううううううう♪
「教訓T 加川良」
すっげえええよかったぜ。
昨晩寝床で「五つの赤い風船」を聴いていました。
中学生の作文にメロディつけたような「血まみれの鳩が」はやはりつまらないです。
でも、中学生の作文にメロディつけたような「これがボクらの道なのか」はやはり大好きです。
結論はないです。
強いて言えば「音楽で普遍するのはサウンド」。
サウンドというのはメロディとはまた違うものですね。
同じく昨晩寝床で聴いたCHAOS UKも最高でしたから。
はい、CHAOS UKを聴いてから五つの赤い風船を聴きました。
12月31日−1月1日
中尾さんちのお肉入りメモ帖
*
ぼくの年賀状は元旦には届きません。
*
好きな作家
ヘンリー・ジェイムス、フランツ・カフカ、武田泰淳、アントニオ・タブッキ、須賀敦子、村上春樹、ポール・オースター、島尾敏雄、HPラブクラフト
節操がないあなたの2004年の運勢はなんとなく小吉。
*
2003年のベストライブ
灰野敬二&梅津和時DUO at ドルフィー横浜
友部正人&大塚まさじ at どんすうぃんくとぅわいす追浜
三上寛&なかおちさと at アートファクトリ-東京
*
反省
2003年はバンド鳥を見たを「鳴らしきれませんでした」。
2004年は年初にL a L a東京公演、新ユニットLe Merodrame!! の始動などもありますが、鳥を見たも忘れずに鳴らします。
ぼくはこのバンドが大好きです。
*
後悔
2003年そのもの
*
回帰
カールマイヤー騒動がもたらしたもの
Voiceへの回帰、ホラー好きへの回帰、つまり怪奇なものへの回帰、駄ジャレ
*
浅川マキの大晦日公演5days at PITINN新宿
12月29日
3年ぶりに浅川マキステージを見ました。
「ひとり舞台」と名づけられた独唱、アカペラによる追加公演です。
正直、浅川マキののいまのバック陣は音痴な方が多いので、独唱で観られたこと至福でした。
美空ひばりの歌をステージでアカペラにて唄う彼女。
浅川マキによる美空ひばり。
そこに横たわる「歴史」というものは重いものです。
歳月というのは重いものです。
涙がコロコロと落ちました。
3年前に観た彼女よりも確実に年老いていました。
視力の衰えの痛々しい姿。
「このひとはそう遠くない日に死ぬ」
ステージで彼女は寺山修二の思い出を語り、今年逝去されたジョージ川口さんの話をしました。
死というのはいまだぼくには遠いもので、しかし自殺という観念に獲りつかれる日々。
自死というものは、その先に「何もない」故に、死そのものについて思うことはなく、しかし他者の死というものは、自身の「生」の中で出会い、その後の人生に他者の死はひそりと寄り添い続けて、不在こそが「在る」不思議へとぼくを吸い込む。
浅川マキ、このひともそう遠くない日に死ぬ。
もし、その日が来たらぼくのうちの何かもポキっと折れてしまうかもしれない。
「今日はあの子の亡骸に会いに来たのさセント・ジェームス医院」
*
やっぱり好きだった芸能人
吉岡秀隆
*
意外に好きであったことに気がつきだした芸能人
真鍋かをり、宮沢りえ
*
大晦日元旦のドサクサに紛れて好きであることをこの場を借りて告白したい芸能人
くりぃーむしちゅー
*
鉄人
タモリってきっと毎日大変で実は鉄人衣笠なみ
*
まあ別にどうでもよい
*
肉ノート
やはり内臓系が好き
自分に付着している肉、今年10キロ以上付着
内容物は100円アイス、パンにはやっぱりマーガリン
*
繰り返し
ぼくの年賀状は元旦には届きません
*
今年の一枚
「INOLVIDABLES Los Gatos (RCA)」
2003年新編集盤!
南米ものは空耳の嵐!
「HIGHWAY TO HELL AC/DC (EPIC)」
今年のものじゃないじゃん!
「BACK IN BLACK AC/DC (EPIC)」
AC/DC続くか!
「The Doors 30th ANNIVERSARY COLLCTION DVD (UNIVERSAL)」
2003年、過去の既発VIDEO数本分の映像が一枚のDVDへ。
「Cave Rock CROMAGNON (ESP)」
アナログ盤起こしのひどいマスタリングで発表された再発CD(もう10年くらい前?)を、今年自宅のPCでリマスタリングしてみました。
あらら、普通紙くっきりカラリオ!
*
一枚じゃない
*
最優秀家電
サイクロン掃除機
掃除機を変えた途端に、母親が掃除したように綺麗になって大喜び。
いま量産店の店頭にはサイクロン式しかないのね。
*
よいお年を!
2004年も友達でいてください。
11月25日
告知
2004年。
新しい音楽ユニットを立ち上げることになりました。
ユニット名
メロドラマ
(le merodrame!!)
フランス語で元々は「音や歌のついた劇」という意味です。
参加メンバーは立島夕子(Voice&any instrument)、なかおちさと(many instruments,Voice&Vocal)が決定です。
まだまだお声をかけさせていただきたく思う皆様もいらっしゃいます。
いまこの原稿を書いているのは深夜なので電話できませんが、心の準備をよろしく>ALL
最近は本当にネットばかり、マシンばかりと会話しています。
たまにみふねが話しかけてくるときに会話するくらいです。
それもこれも皆、カールマイヤーのせいです!
あなたね、どこからkarlmayer.mp3にリンクされているのか突き止めるために散々2ちゃんねるにアクセスしているうちに、オレ、2ゲットとかしちゃうようになっちゃったじゃねえか!
あ、なんかひとりしか書き込んでいない・・・・・・2とれるかも・・・・・・取れた!
やったよ母さん!
オレ、生まれて初めて2ゲットしたよ!
嬉しかったな。
ただ今、地震が頻発する関東地方で、カールマイヤーとは別に「地震に興味が沸いてきた」んです。
9月のある日、横浜のPC修理センターで働いていたときにある方から、メールが届きました。
「今日を軸にプラスマイナス2日以内、関東大地震が起こるんだって! 」
旧Macからアクセスしているひとは半角カタカナとか読めるのかな? と心配なので、をgifファイルにしてみました。
いや、その職場が大地震ではもう確実にペッタンコになりそうな建物で卒倒しそうになりました。
何日か過ぎた後に本当に関東地方に地震が!
「ヒエー! ちっちぇえええええええええええ!」
気管支炎の診察の帰りに寄った薬局は建物が玩弄でふらふらと足元が揺れた程度。
「ヒエー! ちっちぇえええええええええええ!」
しかし帰宅してネットに繋ぐと小さな地震ながら皆さん。
コレは非常に興味深い社会現象だと思い「地震に興味が沸いてきた」。
カールマイヤーのリンク先調べで没頭しながら毎日、2ちゃねるの地震板を読みまくりました。
最近のことです。
地震板の中の数あるスレッドの中に「地震」という名前のスレッドが立ちました。
2ちゃんねるのスレッドのタイトルは皆さん、すごく無駄に知恵を使いますよね。
なにか目立つ、しかも気の利いたタイトルにしようと一生懸命な人たちですね。
そんな中で地震板に「地震」というタイトルのスレッドです。
いや、もうなんかびっくりですね。
地震板に「地震」というタイトル。
それはもう本当に、ま、そこでなに話せばいいの? って感じじゃないですか!
でも全体として皆、地震について語っているんだから、本来、皆「地震」ってところで話せばいいんです。
しかし誰もアクセスしていなくて1さんしかいない。
「あ、2取れるかも・・・・・・」
取れたよ、うん、2、取れた。生まれて初めて取れた。感動した。
しかし程なくして書き込む人が他にいなくて消えてゆきました。
地震板というところの「地震」というタイトルのスレッドにひとがこない。
いいですか? 全体として皆、地震について語っているんだから、本来、皆「地震」ってところで話せばいいんです。
そこにひとがこない。
もうこれは地震並みに驚天動地の現象です。
不思議なパラドックスのスパイラル・マジックです。
あ、でですね今回のカールマイヤー騒動の中で、もう一度見つめなおすものを探せました。
反証記事で書きました「精神崩壊を目的とした実験音楽」「実験対象の度外れた曖昧さ、そこには予め実験可能性の領域などありません」、相変わらずです。
ただ、恐怖を覚えて迎えてもらう。
恐怖させるではなくて、結果として恐怖を覚えて迎えてもらうということ。
実験の主意ではなくて結果として。
恐怖するとひとは目を閉じます。
ただ目を閉じても恐怖たるものの外在は消えません。
日常を生きるうえではどうしてもひとは外在と折り合いをつけてゆきます。
暗闇の中で目を開く段階が次に待っています。
目を開いてみた恐怖は、最初の目撃で思わず閉じた瞼に焼きつくイメージとは少し違う親しさを帯びるかもしれません。
「知覚の扉」という言葉の替わりに、洒落て「近くの扉」という言葉をあててもいい。
いずれ開かれる扉。
認識の拡大。
それは連綿と続くひとの営み。
カールマイヤーというバンドはぼくの経歴の中で唯一(exカールマイヤー)、(ex)が付くユニットです。
元々はコウノアヤコが自分の「歌」を歌いたくて名づけたバンドでした。
ぼくはカールマイヤーでは一番最後に参加したメンバーです。
19歳のとき、学生運動で頓挫し、失恋に失意して横浜駅西口にあるYAMAHAのスタジオに貼られていたメンバー募集のチラシを見て、コウノアヤコの自宅に「募集広告を見ました」と電話をかけました。
学生運動の中で放擲したままだった音楽活動の再開が始まります。
当時のカールマイヤーはギター以外のメンバーが皆、女性でした。
「ギャルバン」という言葉があった時代です。
前任のギタリストの男性は解雇されたようです。
急遽、代役で石塚隆則がギターを担当していました。
正式なメンバーとしてのオーディションは一回で合格しました。
「弾きながらすごく動くのが、可笑しくて、皆で笑いを必死にこらえていた byコウノアヤコ」ので合格しました(ぼくは灰野さんを観る前からギターを弾くとき動いていました。灰野さんを初めて観たときは、あ、同じようにギターを弾くために動く人がいるんだ! と思ったものです)。
一番最後に加入したメンバーのぼくは不遜でした。
コウノアヤコが歌を歌いたくて始めたバンドをスポイルしてしまいました。
結果が「カールマイヤーep」です。
「カールマイヤーep」はコウノアヤコの天才が存分にスパークしています。
ただし、彼女は歌が歌いたかったからカールマイヤーという学生バンドを始めたんです。
「カールマイヤーep」などでのアヴァンギャルドは、後年ぼくのソロ、なかおちさとソロで継続させています。
石塚隆則は「いまやっているソロは結局、カールマイヤーじゃん」といいます。
なかおちさとソロと銘打つよりもカールマイヤーという名前で復活した方が一貫性というものがあります。
ただカールマイヤーはコウノアヤコが自作の歌を歌いたくて思いを託したバンドです。
ぼくが名づけたバンドではありません。
コウノアヤコのバンドです。
スポイルしてしまったのはぼくです。
故にカールマイヤーというバンドはぼくの経歴の中で唯一(exカールマイヤー)、(ex)が付くユニットです。
「カールマイヤーep」のこのサイトからのダウンロードのカウントは総計して優に3万件を超しているはずです。
週単位で2000件弱ですから。
また、違うアップローダでの二次配信を加えたらどんな数字になるのか分かりません。
一回きりの出荷ロット500枚のインディーズシーンだけでなく、メジャーシーンでさえもこの数字は難しいです。
勿論、無料で聴けるわけです。
「金払ってまで買う奴の気が知れない」
そうでしょうけれど、でもね万単位のダウンロードてのもあまり聞きません。
あと、二次配信に関してだけは、
「印税くれ!」
借金の穴埋めに使いたい。
恐怖されたものの正体は「女声」だったのではないかと疑っています。
女性の発声が恐れられた。
きっと時勢の変化やこの国の閉塞という外在的な根拠を持った事件、現象が起きた。
外在。
瞼の向こうでいまなにが起きているのか?
実は目を開いてよく見ないといけないのはぼくです。
捏造。
「精神崩壊を目的とした実験音楽」
悪意に恐怖を抱きました。
でも閉じた瞼を開いて、外在へ、親しみと抗いの両極に引き裂かれながら、2004年新ユニット・メロドラマ(le merodrame!!)スタートです。
東京公演を皮切りに全国のハウスで会いましょう。
稀代の画家、女優、パフォーマーとして注目を浴びている立島夕子ですが、新ユニット・メロドラマではvoiceとなにか楽器に徹してもらいます。
彼女が電話の最中に話の流れで話題の歌を歌い始めました。
あ、フラットの地声に下とその下、そしてフラットに対してひとつ上の倍音が豊かだ。
目が覚める思いで即座に参加要請いたしました。
ぼくは破壊美にも上品さを求めます。
メルツバウ、非常階段、インキャパシタンツ、C.C.C.C。
美しい。
この上なく美しい。
一方で露悪趣味を剥き出し、垂れ流しにしているだけの最近のひとたちはぼくの敵です。
あるいは美術家たちの手慰み。
芸術家としてマルチたるためには、どの表現分野でも最良の仕事をする覚悟を持て!
勇気はあるか!
雑音音楽
雑音の解釈には様々な見解があります。
話題の次元も多元的です。
ただぼくは「雑なる音なんてものはない」と話題の多元性を無視して偏向します。
日常のアンビエントな音、車の廃棄音、カラスの鳴き声、みふねのおしゃべり。
そこにはすべて事情があります。
偶然という因子が掛かっていることと、その音の発生にひとというものの意図、主意がない、もしくは感じられないとき「雑音」とひとは急ぎ、情報認識の対象から抹殺します。
でも、すべての音の発生には事情があります。
意図されたものではない=雑音
「いまなにかが殺されていないか?」
雑音音楽
電子音発信装置にエフェクターを掛けて、人為的に発生させた音には尚更あからさまな事情があります。
「雑音じゃない」ところで「ノイズ」という新しい音楽が生まれた。
発祥は世界各地ですが、それを屹立としたものに仕上げていったのは、日本、この国の先達者たちです。
秋田昌美さん、JOJO広重さんありがとう。
voice。
シリアスなノイズバンドには、不思議なことに東玲子、日野繭子と優れた女声のvoiceパフォーマが必ずいました。
立島夕子の声には地声の下とさらにその下、もう一方でその上の倍音が響いています。
絶叫では発声が速すぎ、この資質がスポイルされるという印象を持ちました。
ゆっくりとした発声を聴きたいです。
PATTY WATERSのファーストアルバムは、非常にゆっくりとした発声です。
その後、オノ・ヨーコやディアマンダ・ギャラスが開拓していった速い発声とは、おそらく「次元」において違う点があり、女声Voiceの歴史には一度、二度の飛躍の陰に、「寸断」された、しかも非常に巨大な「間隙」がある。
そこに重要な仕事があるのではと感じていました。
メロドラマ(le merodrame!!)はその「寸断」「間隙」から始めて、未知へ行こうと思います。
2004年、スタート、
・・・・・・re-start・・・・・・
文責
nakao chisato
(le merodrame!!/ex.karlmayer)
11月13日
更新予定など
冷たい雨が都心を打つ夜、11日、GHOSTの国内公演にお越しいただいた皆様ありがとうございます。
スタッフながら、もしくはスタッフ故に貴重な体験をさせていただいた夜でした。
前回の公演では、栗原道夫さんがデーモン&ナオミのサポートに専念したために不参加。
久しぶりに観た(新宿ロフトでサバートブレイズの岡野さんがドラム。対バンはメルツバウ)栗原さん参加のGHOSTはヘヴィネス!
貴重な体験が多い故に、稿を改めて振り返らせてください。
12月、年の瀬にソロ・パフォーマンスが2件。
こちらも詳細は明日より。
まず、「次を語るための前仕事」GHOST国内公演が成功に終わりました。
昨年に懲りず、スタッフ参加要請いただいた馬頭様はじめGHOSTの皆様、ありがとうございます。そしてお疲れ様でした。
「カールマイヤーの亡霊」
補記
(11月13日)
上記文章執筆から1ヶ月強。
いまだ「イワク」が消費されるkarlmayer ep/カールマイヤー・ファースト。
いくつか製作、録音に関して補遺があります。
特筆したく思う点ではサンプリングという表現上の技法に関してと、実際のサンプラーの使用が混同されている問題です。
G/tapes/effectsとクレジットされるぼくは製作当時、貧乏大学生です。
本格的なサンプラーはまだ非常に高価でした。
サンプリングという表現上の技法と、実際にサンプラーを使うという製作過程は必ずしも一致するようなものではありません。
端的にいうとエフェクターやレコーダーの使用で擬似的なサンプリングは採用しましたが、サンプラーは使用していません。
また使用した機材はYAMAHAの4トラックのマルチテレコ。
当時の普及版です。
音質の劣化こそ心配し、オーヴァーダビングはご想像されているよりも遥かに少ないです。
ギターやベースに限っては一本、一トラックのみ。
ヴォーカルはステレオトラック×3回のセッション。
僅か3回の発声のみでこの多声的なヴォイス作品を創りえたことこそコウノアヤコの天才とその集中力の実証です。
最近は都市伝説としての通用力はなくなり、「都市伝説の実例」として挙げられるようになったこと、10月11日付記事「カールマイヤーの亡霊」の所期したものです。
一方で「たいしたことない」という主意の強調の際に、実際の製作過程とは異なる状況を設定しての極めて雑多な批判を見受けます。
「たいしたことない」
仕方なしです。
ただ、録音、製作過程に関して、実証性を欠いた雑多な類推で「たいしたことない」に関しては実証的なデータを再度、議論の渦に差し上げます。
使用機材はYAMAHAの4トラックマルチレコーダー。
MIXダウン用にSONYのDAT。
リヴァーブ、ディレイ機能のマルチ・エフェクター1台。
都市伝説というものはカールマイヤーepへはいまや実害を加えません。
「精神崩壊を目的とした正式な実験音楽」という雑多な括り。
その社会的暴力はこの社会で多少とも疾患を持つ方への排他的な暴力として稼動します。
一方、カールマイヤーepそのものを「精神崩壊を目的とした正式な実験音楽」として触れ回ることの通用力は、度重なる消費によっていまや陳腐化したと確信します。
現時点でカールマイヤーepへの実行力を伴う害とは、録音、製作過程に関して、実証性を欠いた雑多な類推で「たいしたことない」。
作品の成り立ちに潜むチカラの矮小化の方こそ辛いです。
ギターとベース、各一本、一トラックのみ。
ヴォーカルはステレオトラック×3回のセッション。
力を抜いて昔話を少しします。
1992年から1994年、カールマイヤーが生きた時代の音楽地図。
懐かしくお付き合いできる方は思い出してください。
ささやかな脳内ウォーキングです。
当時、コウノアヤコに強い影響を及ぼしていた女声のひとりにディアマンダ・ギャラスがいます。
特に1981-9年作品「Diamanda Galas THE LITANIES OF SATAN (MUTE)」。
タイトル名に顕著なように、当時のギャラスはスキャンダリズムへの過剰な傾斜が頂点でした。
今となっては、スキャンダリズムへの過剰な傾斜が後にこの女性の女声としての堕落を予感させますが、当時はまだ刺激的でした。
「Diamanda Galas THE LITANIE OF SATAN (RESTLESS/MUTE)」
1960年代後半のジャズ/ロックシーンの宝箱といまだ思うNYのESPレーベルのカタログの復興、大規模な再評価も訪れました。
ぼくをキックしたのが昨年、フェスティバルで30年の際月を経てファンの前に姿を現したPATTY
WATERS。
彼女が1960年代に遺した「PATTY WATERS Sings (ESP)」「PATTY WATERS COLLEGE
TOUR (ESP)」。
ぼくは彼女のファーストB面「Black Is The Color Of My True Love's Hair」に金縛りされたままです。
ぼくのソロパフォーマンスでのバック音源や、バンド鳥を見たでのピアノの多用はこの曲に金縛りされたまま、そのままの姿態です。
しかし男性にして男声のぼくに彼女の声は出せません。
また誰も出せません。
「PATTY WATERS Sings (ESP)」
1998年のBBCでのインタビューで上記のディアマンダ・ギャラスがPATTY WATERSをこう評しています。
「多分、あのひとだけが自分の肉声に、器楽奏者ができること以上の柔軟さを持ってやってのけたんだと思う。そんな歌い手は彼女しか知らないわ」
実は、カールマイヤーはPATTY WATERSの後にもうひとり、貴重な女声を知っていました。
TAMIA
彼女に関してのデータは少ないです。
いまも当時もCDでのリイシューはされていません。
カールマイヤーのメンバーはコウノアヤコの職場の同僚からアナログ録音を頂きました。
当時もいまも件のアナログ盤は万単位の額で取引されているかと存じます。
PATTY WATERSの作品、もしくは肉声は強烈な遺産ではありましたが、バックをJAZZ陣営のつわもの達がしっかりとサポートしています。
ピアノはBurton Greenのものです。
更にのちの「Diamanda Galas THE LITANIES OF SATAN (RESTLESS/MUTE)」は、エフェクター、SE、パーカッションの使用はありますが、その音楽としての真髄はほぼギャラスの女声のみに求められます。
バック陣にJAZZミュージシャンを従えて登場し、しかし楽器奏者の誰をも凌ぐ、VOICEという楽器を駆使したPATTY
WATERS。
彼女の出現が1966年、ギャラスがシーンを席巻する1981-9年作品群。
そのギャラスに遥かに先立って全編女声のみで「小作品」以上のものを作り上げた女声、それが歴史にうずもれたTAMIAです。
実際に耳を傾けます。
その後のギャラスの先鋭的なヴォイスとは対照的に静寂な印象こそTAMIAの魅力です。
カールマイヤーのメンバーが当時、TAMIAに聴き入ったものは、その類稀な深い静謐さです。
またTAMIAのアルバムの音響は、カールマイヤーにとって、別の文脈でのアイドルだったチャールズ・ヘイワーズ/THIS
HEATの残響処理の金属性に親しいものを感じました。
リピート、全編女声のみで「小作品」以上のものを作り上げた女声、それが歴史にうずもれたTAMIAです。
オノヨーコ、メレディス・モンクは小作品、もしくは「WORKS 小作品集」でのVOICE作品は残しましたが、アルバム一枚分に値する分量の「WORK」を、VOICEのみで成し得たこと、そしてそこに聴かれる静謐さ、そのオリジンは多分TAMIAという歴史に埋もれた女声です。
静謐さに傾斜するメンタリティ。
こうしたメンタリティの在り様について、当時のメンバーとどれ程、共有できていたか?
いまは遠く青白い季節のことです。
ただ、ぼくに限っては青白い薄明かりこそ、至高の輝きとして親しんだ20、21歳です。
余裕のあるときで結構です、カルマイヤーepを仔細に聴いてください。
「うるさいだけ」
仕方なしかも知れません。
途中、直感と確信を以って静謐に女声を潜ませようとするコウノアヤコの息を辿ってください。
それでもその劇的な箇所が聴こえないのは仕方ないことかもしれません。
ただ、仔細に声質まで変化させているコウノアヤコの微細の不思議を確認できる余裕がある人にこそ、異物を排斥しない成熟した民主主義社会の成員たることの証、その信頼を、ぼくは敬意を持って寄せさせていただきます。
人類はPATTY WATERSとギャラスとの溝を唯一埋める女声、TAMIAという女声を、将来に渡って劣化しないデジタルメディアへの変換さえしていません。
国内に限らず、人類規模でもPATTY WATERSの2作品は決して入手が楽なものではありません。
「これは音楽なの?」
カールマイヤーにそう尋ねる方にこそ、訴えがあります。
「音楽史への参加要綱は満たしています」
昔話には固有の若さがあり、影響を受けた先達の方への篤い敬意だけが露わです。
では、カールマイヤーのオリジナリティは?
もしくはカールマイヤーを「始原」「資源」とするものは?
まずVOICEの明証はその「声紋」そのものにあります。
そして、
未了
10月30日
木曜休診
慢性気管支炎という病気は奇妙なもので、「慢性」というだけあり、いつでも寄り添っている。
今日は少し調子がいい、咳もない。
外出しよう。
この季節の空気はカラカラに乾いていて肌触りが抜群。
もう少し遊んでいよう。
気がつけば咽喉奥が発火している。
慢性の疾病というのは時に陰に隠れる。
兆候が見られないためにその影を見落とす。
疲れた身体になったとき、陰から影が覗く。
瞬く間に全身を隈なく制圧する。
この際、症状は途端に「急性」の容貌へと変化する。
こうした記事は近隣の方を悩ませてしまう。
あなたの日記は身体に悪い。
いや、あの記事は嘘だからと笑い返す。
しかし自嘲のトーンには、自己弁護のトーンが倍音のように鳴る。
自嘲というものの「心むかい」と、自己弁護というものの「こころ向かい」は正反対な所期を抱いて、書記において失態を重ねることしばし。
自らの醜態を自ら笑うその実は、実体たる自らの非を茶化す。
自ら「言い分け」可能な対象として認知した瞬間、恥ずかしく笑いに包んだものの実体は、見事に「言い訳」へと変容している。
ここにもまた慢性疾患の影を見よう。
慢性の疾病というのは時に陰に隠れる。
兆候が見られないためにその影を見落とす。
疲れた身体になったとき、陰から影が覗く。
瞬く間に全身を隈なく制圧する。
「能書き上等。てか、たまには旨いもん食わせろ」
10月8日
「カールマイヤーの亡霊」
以下の記事はページ「the sonimage ep collection」内に書き下ろすことを目的としたものでしたが、長文ゆえ、まずこちらに掲載いたします。
カールマイヤーの歴史的な音源。
1992年夏、横浜=横須賀を中心に活動していたYSRというレーベルの「10枚限定シングル」という企画のために製作、録音、発売。
その後、1993年に、当時、暴力温泉芸者やC.C.C.C、山本精一などを擁していた京都のヴァニラ・レコードより再発。
世界配給された両面合わせて僅か10分のカセット・テープ作品のA面。
ヴァニラ・レコード初の「売れれば売れるほど赤字になる作品」として発売されたが、メンバー当人が日本国内で見かけたのは明大前の「モダーン・ミュージック」のみ、その割にNYから反響があったりの不思議な存在でもある。
ヴァニラ・レコードにメールで取り寄せ可能とのこと。
kohno ayako(Vo.)
isizuka takanori(B.)
nakao chisato(G./tapes,effects)
ヴォイス・パフォーマンスの可能性をあらたに切り拓いた記念碑的労作。
*
このmp3ファイルに関しての都市伝説の流布について、概要などやっと把握できました。
ぼくがこの都市伝説に接したきっかけは、大多数の皆さんと同じく、ネット媒体「2ちゃんねるの怖い話」での紹介記事からです。
(当サイト使用のログ解析のリンク元レポートにネット媒体「2チャネルの怖い話」が登場しました)
また去年、2002年のヴァージョンと、今年、2003年のヴァージョンの違いについても把握しています。
以下は2002年のものではなく、2003年のものについての考察と反証です。
「カールマイヤーep」という怖い音楽がある。
その曲は、
1
「精神崩壊を目的とした実験音楽」
であり、
2
「この曲を聴いて実際に自殺したひとがいる」
らしい。
*
音楽においての「実験」とは製作段階以前の音楽家の企みに帰します。
この企みは飽くまでも主観のひとつの在り方です。
実際に鳴り、鳴ってしまったものとは音楽家の主意主観を考慮した「実験音楽」という術語に帰するものではなく、単純に「音楽」という結晶物です。
音楽とは実際の空間において生起し、生起したものであり、このmp3ファイルのように客観的に実在するものです。
客観的に実在するものであるからこそ、聴くものの主観において様々な解釈、再解釈の領域が生まれます。
2002年頃より流布し始めた作品「カールマイヤーep」に関しての都市伝説の伝播は、そうした解釈、再解釈がネット媒体に於いて過剰に増幅された産物かと存じます。
音楽家の実験精神を音楽そのものの中に100パーセント結晶させることは非常に困難です。
この作品を実際に録音制作したのは1992年、ぼくが20歳のときです。
もちろん若い野心(実験精神)はありました。
但し、近年の都市伝説に謂われる様な「精神崩壊を目的とした実験音楽」の製作という企図はありません。
ヴォイス・パフォーマンスの可能性をあらたに切り拓いた記念碑的労作。
ヴォイスというのは正に音楽史へのvoice、肉声の再獲得です。
こうした試みは第二次大戦後は1960年代後半から「Patty Waters SINGS (ESP)」、「TAMIA 1st.」、オノヨーコ、メレディス・モンク、そして1992年に於いてまだディアマンダ・ガラスが「現役の音楽家」として君臨していました。
その他にも有名無名様々なひとびとがこのリストに連なり、こうした先達の方々への一定のリスペクトが当然にフィードバックされているものです。
また、こうした先達の方たちには更なる先達がいます。
大戦前にはダダイズムや未来主義の中で様々な先駆的音源が記録されています。
実際「カールマイヤーep」の音源をREMIXした10分強の曲で、ぼくはダダイズムと未来主義の記録からサンプリングをしています(カセット作品「カールマイヤーの世界」のラスト10分に収録されているものです)。
そしてより古く、さらに世界中でいま尚響く様々な「声明(しょうみょう)」。
近いところでアジアを参照します。
日本国内では真言宗声明に震えます。
韓国の巫女、シャーマンの声に眩暈を感じます。
チベット各地、各寺院、各宗派の声明には肉声の重なりによる声明。
驚きを禁じえないチカラに満ちています。
ただしこうした様々な声明は、元来、宗教に帰するものです。
音楽家の耳にとっては宗教に帰する音楽ともいえます。
「宗教に帰する音楽」は「音楽に帰する音楽」とは<類型>において異なることを再自覚します。
作品「カールマイヤーep」は「音楽に帰する音楽」での肉声の奪還に主眼がありました。
また先達との区分に関しての年若い野心がありました。
「先達との区分に関しての年若い野心」
その野心に関して論述することは避けます。
年若い野心ゆえに年若かったものであり、11年後、2003年にいるぼくには恥ずかしいものです。
ただいずれにせよこうした主眼とか野心は飽くまでも音楽家の「主観」です。
一度、この世界に生起し、客観的に実在する作品「カールマイヤーep」は、カールマイヤーの野心、実験精神という音楽家の主観とは違う次元で「鳴ります」。
まず世界で鳴り、次にお聴きいただいた皆様のこころという部位で鳴ります。
そこで鳴るものについては当時のメンバーの誰しもの主観や野心を乗り越えて鳴ってしまうものです。
ただし、最近の都市伝説(2003年のもの)に関しては、製作に携わった本人として反証の必要を感じます。
1
「精神崩壊を目的とした実験音楽」
崩壊した精神というのは現実に於いてどのようなものでしょうか?
その具体的な態様とは精神に疾患をもつ様々な個人に帰するものであり、その態様や病症は個々まちまちであり、「精神崩壊」という括り方自体が非常かつ非情な社会的暴力です。
個々様々な「精神崩壊」について実験を企図するには、個々様々なひとびとと、個々に向かい合って鳴らすしか実験の在り様などないでしょう。
(そんな実験など「してはいけない」)
崩壊する原因や因子は個々の精神によって様々です。
余りにも大雑把な括り「精神崩壊」という言葉、書字。
実験対象の度外れた曖昧さ、そこには予め実験可能性の領域などありません。
別ページ「ソニマージュ・レコーズ」に「狂気を引きずり出す」という趣旨の記事を書いたことがあります。
しかし「狂気」というものは「精神崩壊」とは違い、むしろ崩壊していない強固ななにものかです。
2
「この曲を聴いて実際に自殺したひとがいる」
ここから先はもう音楽に関しての考証の範疇を超えます。
「カールマイヤー」
この単語を検索マシンにかけます。
すると恐らく3〜5件のカールマイヤーにHITします。
ひとつはカールマイヤー織りという毛布の生産に携わったカールマイヤー(社)。
(綴りはKarl Mayer)
ふたり目は20世紀初頭の映画脚本家、カールマイヤー。
(綴りはCarl Mayer)
3番目は「カールマイヤー」という日本のバンド。
(英字表記はKarl Mayer)
他に18世紀ドイツの喜劇俳優カールマイヤーなど。
以上のリストの内、実際に自殺と関わりがあるのは2つ目、20世紀初頭の映画脚本家たるカールマイヤーです。
綴りの違いに注目してください。
カールマイヤー織りのKarl Mayer。
映画脚本家のCarl Mayer。
日本のバンドカールマイヤー、英字表記 Karl Mayer。
1
「精神崩壊を目的とした実験音楽」
日本のバンド・カールマイヤーが遺した「Karl Mayer ep」はこうした触れ込みでネット上に流布。
色々な方が各々、別のwebスペースにこの曲のmp3ファイルをアップロードしました。
(このサイトへのリンクではなくて別のサーバー数箇所にアップロードされたものが広まりました)
この触れ込みに呼応した方々が、恐らくはカタカナ表記「カールマイヤー」でweb検索。
映画脚本家「カールマイヤー」に関する記事にHIT。
彼についての記事には確かに自殺という単語が踊っている。
この際に「Karl Mayer」と英字表記で検索していれば、自殺というキーワードにはHITしなかったでしょう。
2
「この曲を聴いて実際に自殺をしたひとがいる」
都市伝説の真相に関しては、都市伝説の考証家の皆様にお任せいたします。
表題
「カールマイヤーの亡霊」
亡霊の正体はKarl Mayerではなく、Carl Mayer。
彼の消息に関しては「カリガリ博士」に尋ねてください。
http://www3.justnet.ne.jp/~akiko-s/recom/vol1/vol_1/caligali.html
文責
なかおちさと
(ex.karl mayer - G/tapes/effects)
参考資料
webサイト「sonimage groupement!!」ログ
解析対象期間:
2003年 9月29日(月) 06時37分 〜 2003年10月06日(月) 05時39分
(6.96 日)
リクエスト成功件数: 37,703
上記の日別平均: 5,417
ホームページへのリクエスト成功件数: 3,208
上記の日別平均: 460
(ネット媒体「2ちゃんねるの怖い話」での紹介記事以降)
From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2003 06/18 10:11
父よ 、母よ 、
強い焦燥感 、突然に噴き出す 、
( なにものからも )
飛び降りたい 、気運 、今日 、それとの密会 、
度々の 、
ささやき 、
モウ( そろそろ ) 、イインジャナイノカ?
飲んだ水さえ 、直後に吐き下してしまう 、飼い猫 、
みふね 、
病院へ行こう 、ぼくと 、
病院へ行こう 、ぼくと 、
あたらしい猫砂を買って 、清潔な 、
清潔な 、
歩き出すことさえも 、いちいち躊躇うくせに 、
つまらない常識など 、潰せると想っていた 、
ぼくが生きていた時代の流行歌で 、
その俗謡は 、
父よ 、母よ 、
滞り 、足踏みする 、
( 結論というものの遥か手前で )
滞り 、足踏みする 、
ただ 、その無様を 、
無様な歌手が謡い 、
無様 、
父よ 、母よ 、
ぼくが生きていた時代の流行歌で 、
今日は 、
飼い猫を動物病院に連れてゆき 、
彼 、みふねが 、
水 、胃液 、
内容のない 、吐瀉物を 、
かくかくと 、足崩れ 、
水 、胃液 、
内容のない 、吐瀉物を 、
かくかくと 、足崩れ 、
咳するように 、
吐いては 、午睡に堕ちる 、
飼い猫 、みふね 、
病院へ行こう 、ぼくと 、
病院へ行こう 、ぼくと 、
あたらしい 、猫砂を買って 、清潔な 、
清潔な 、
滞り 、足踏みする 、
ただ 、それだけの 、
具体 、
内容のない 、吐瀉物を 、
消毒用アルコールで 、湿らせた 、
ペーパーで 、拭い去る 、機運 、
父よ 、母よ 、
モウ( そろそろ )イインジャナイノカ?
生命というものが 、それ自体 、死病のように 、
生命というものが 、それ自体 、死病のように 、
生命というものが 、それ自体 、死病のように 、
通院という 、プログラムが 、
かくかくと 、足崩れ 、
生活を 、
仕切る 、今日の 、
仕組まれた 、
密会 、
内容のない 、吐瀉物を 、
咳するように 、
かくかくと 、足崩れ 、
消毒用アルコールで 、湿らせた 、
ペーパーで 、拭い去る 、今日の 、
( かの俗謡が頭蓋の淵で盛る程にリピートを仕組まれている )
無様 、
父よ 、母よ 、
生命というものが 、それ自体 、死病のように 、
また 、この国に 、
( この国の )
夏が来ます 。
1)過去記事 ぴかぴかの方舟に雨、
2)過去記事 三日後の太陽に期するもの、
3)過去記事 残り少ない刹那を胸に、
4)過去記事 ロンドン・コーリング! ロンドン・コーリング!
5)過去記事 セピアにしてはいけないものを、
6)過去記事 我ら、砂漠の生き物、