残り少ない刹那を胸にしてさ、編
気紛れの更新
投稿記事随時募集です。またご意見、ご感想、出演依頼なども下記アドレスへお願いいたします。
mailto:info@sonimage.ne.jp
続ソニマージュ・レコーズ
更新です。
ページ「プチ・そにまーじゅ・ぐるーぷまん」は、
「メリーに首ったけ」
に改題して新装。
小林雄二センセーとhis lover!!のお仕事に新作が追加です。
7月4日
マシーンを破損してしまったよ。ははは! おほほ! とほほ・・・・・・。
更新やレスができなくてごめんなさい。
ようやくいま復活。
もう詳しいことを書く気にはなれないけれど、マザーボードがいかれてね。
結局、急遽あたらしいマシンを購入。
資金はギターで作った。
売りに出かけた。
5本売って30万円つくった。
♪ドナドナドナドーナ♪
古いマシーンもマザーボードを換えれば使えるでしょう。
時間のある日に生き返らせます。
とてもいい日を過ごした。
6月25日のこと。
場所は横浜ドルフィー。
当夜のドルフィーは巻上公一&灰野敬二DUO。
実は仔猫の世話のために灰野さんのお手伝いは長期にわたってお休みしていました。
まったくみふねくんは手が掛かるニャア!
それでも「お留守番プレイ」を何度か重ねるうちに、みふねくんもたくましい生命力を結集してお留守番を覚えた。
ただね、
泣くんだよ。
正しい漢字では「啼くんだよ」。
ぼくが家を留守にする→置いてゆかれる→ご飯は? ご飯は?→寂しいよー→にゃあにゃあにゃあ。
↑これ、公式ね。
それでも「お留守番プレイ」で何時間か家を空けて、さあ、みふねくんは無事かい?
主人の心配など要らない。みふねはベッドの上で気持ちよく寝ていたりする。
ようやく灰野さんへのサポートに関して、みふねくんへの心配は要らなくなったんだけれど、さあ・・・・・・。
6月25日、来ていただいた方はお気づきになられたかもしれませんが、ぼくはPA。
前回の灰野敬二atドルフィー公演、あの共演が梅津和時さんの奇跡のライブのときも、ぼくはPA担当。
当日の模様は↓の方の記事を参照ください。
さて、今回!
灰野さんたら、当日の午後1時半に我が家の電話を鳴らす。
「今日、手伝ってくれないかな?」
あああ、いいですよ。みふねも手が離れたし。
「ハーディー・ガーディーを持っていくんだけれどね。(不失者の)小沢くんがトーンの設定を教えてくれたんだけれど、僕一人じゃ分かんないから、その設定を手伝って欲しい」
分かりました、いや、実は何を仰っていらっしゃるのか全然分からないのですが、トーンの調整? まあそのくらいなら、なんてことないんじゃないの?
つまり、今回はPAじゃないってことですね?
「イヤ! <手伝う>ってことはPAをやるってことだからね!」
・・・・・・・。
あああ・・・・・・。ライブのPAって当日の午後1時半に頼まれたりするものではないよね、フツウ・・・・・・。
フツウってやつはきっと違うよな? な? な?
でも、唐突なお手伝い、結果、引き受けてしまったのは、ぼくの意志の弱さだけではないのだよ。
実はドルフィーで、PAの実績をつむことは緊急課題なんだよ。
さて、ここからやっと、この文章の本題なんだよ。
散文って、核心からいちばん遠いと思われるところから始めるのが「プロ」ってやつなのさ!
以上、プロ仕様。
当日の客席にはギタリストの栗原道夫さんがいらしていた。
栗原道夫さんといえばYBO2、GHOST、WHITEHEAVEN、ゆらゆら帝国、The
Stars
etc.......。
日本のシーンの中で、繊細なトーンを奏で続ける貴重な存在。
ここ横浜ドルフィーで今月の18日に演奏をする。
デーモン&ナオミの来日公演最終日がここ。
栗原道夫さんはデーモン&ナオミのサポートで、信じがたいほど素敵なトーンを響かせるよ。
その記録はSUBPOPより「SONG
TO THE SIREN Damon&Naomi on tour with
Kurihara」を輸入CDショップで探して欲しい。
束の間、絹の布をそっとかけられて動けない、そんな一瞬が訪れるからね。
この栗原道夫さんの隣には、今回のデーモン&ナオミの来日公演の仕掛け人のひとり、OVERHANGPARTYの山崎巌さんがいらっしゃる。
栗原さん、山崎さん、そして18日当日もPAを担当予定のぼくとで軽い打ち合わせが事前に決まっていたんだよ。
灰野さんからのPAの依頼は、「ああ、あの小屋のPAに慣れるには丁度いいや」で、当日の午後1時半の急遽のお願いに「あ、いいですよ」。
公演はまずまずでした。
なにせ事前のサウンドチェックなんて10分程度なんだもの、仕方ないこといっぱいだったけれど、「やることはやった」。
お越しいただいた皆様、ありがとうございました。
灰野さんのギターの音が控えめだったのは「小屋の事情」です。残念です。もしくはごめんなさい。
終演後にはすぐにデーモン&ナオミの際のPAのやり方、役割について、「いま考え中です」。
栗原さん、山崎さんと打ち合わせ・・・・・・なんだけれど、栗原さんって根っからシャイなのでしょうか・・・・・・丁寧な言葉遣いで・・・・・・うつむいて話す・・・・・・。
胸を張って、栗原さん!
デーモン&ナオミの、特にナオミさんの方が日本の田舎に一度、遊びに行きたいそうで、来日に際して一泊温泉旅行をするのだとか。
デーモン&ナオミと日本の田舎っていうのはすっごく合うね!
きっと、いいインスピレーションを感じていただけるはず。
そうどこか「なにもない」ところと、デーモン&ナオミの音楽が始まる場所はすごく近い。
幽玄。
ドルフィー公演に関してのみ、ソニマージュ・レコーズ恒例のEメール予約をいたします。
7月17日24時まで受付です。
sonimage@v005.vaio.ne.jp
↑、クリックして、お名前と枚数のみ明記の上、送信してください。
また、デーモン&ナオミの日本公式サイトでも予約を承っています(こちらは全公演)。
詳細は↓から。
Welcome! Damon &
Naomi
これは山崎巌さんのお仕事で、とても素敵なサイトです。
実はマメに更新されているんですよ〜。すでにご覧になった方もまたどうぞ!
Eメール予約といえば7月12日(金)ヘブンスドアでのKNEAD(灰野敬二&RUINS)、JOJO広重、54−71も上記のメールアドレスで好評受付中です。
お名前と枚数だけを明記のうえ、送信してください。
(この間のマシン・トラブルで受信不能になった方がいらっしゃるかもしれません。いただいた予約には必ず返信をしております。返信メールが届いていないという方、お手数ですが再送信していただくか、当日、受付にお問い合わせください。よろしくお願いいたします)
ドルフィー、夜は更けて、さあ、もういい時刻だ。
図々しくも栗原さんのとても大きな車に便乗!
栗原さんらしいのは大きいのはサイズのみで、気に障るノイズは控えめなところ。
そんなクルマ。
それは演奏。
深夜の運転。
それも栗原道夫による演奏のようだった。
6月18日
なんだかとってもワールド・カップなサッカーですが、勝ったのはぼくで、みふねの負けでした。
気になるスマップ(中居正広)は3着でした(上手投げ)。
6月15日
猫のみふねは早起きで朝5時に目覚める。
みい、みい、みい、みい
ご主人のはずのぼくの顔を踏み潰して起こす。
ご飯をねだるのだよ。「ご飯の声」で鳴くのだよ、ご飯のときはいつもね。
それにしても朝5時だ。
幼くして、老人のような早起き。
こちらも早起きする。
最近はみふねに起こされなくても、この時間に目覚めるようになった。
こうして猫日記化するといけないね。
「また猫かよ」って感じ?
なんたっていま、サッカー・フィーヴァーだからな(でもあの「priceless」というのはどうもウソらしいよ)。
あと、みふねの表記問題ですが、「みふね。」と語尾に「。」を付けたことについて、「やめてくれない?」とカールマイヤーのKさんから苦情がきました。みふね本人のために心配頂いたようです。
カールマイヤーのKさんは話題の3代目AIBOを飼っている。名前を「ポロン」ちゃんという。
ひとの物真似をするそうだ。あと、空手チョップとかもするそうだ、AIBOのポロン。
そんなこと自慢されて、いったいなんと応えてあげていいのか、いまひとつ悩んでいる。
あと、3代目AIBOはイヌなの? クマなの? どっち?
カールマイヤーの(←くどいな)Kさんは動物好きの動物アレルギー。だからAIBO。
タイトル:「ポロンとボール」
確かにかわいいな・・・・・・。
みふねの「ふ」(↓の↓にみふねの「み」という記事があります。続きね)。
前回のあらすじは、ノラネコと思わしき近所の麗しい美ネコを捕獲しようと、そして飼っちまおうと思い立ったワタクシ。そこに飼い主登場で、「なんだきみは野良じゃなかったのニャア」と鳴いた泣いた、である。
ただ一度、ネコを飼おうとした決心は消えない。侘びた30歳独身男性の暮らしにネコを! (←なんだかとっても哀しいねえ・・・・・・)。
野良になったために、またひとに捨てられたためにその命が消えそうなネコたち。
そうしたネコを保護して、里親を募集しているひとたちがいるとネットで知った。
ぼくがアクセスしたのは、所沢の主婦の方たちの活動。
TKRねこクラブ
クリック! 里親を探している最中の可愛い猫たちがあなたを待っている。
みふねはこのネコたちの中の「No.61」だった。
まずはメールでコンタクト。
この活動をしている中心メンバーのIさんが、「一度見にきてください。写真のコたちの他にもいっぱいいますから」と仰って下さった。
ぼくの住む横浜と、Iさん宅の所沢。
この道中はなんというか「旅」だったな。
西武線・所沢航空公園駅。
所ジョージの初期の名曲に♪西武線沿線は、命の泉沸く。埼玉県にその名を残す、電気で動く汽車♪という歌詞があって、そのフレーズが脳みその中をエンドレス・リピートしてた。遠かった。駅前の文化がなんか違うし、灰野さんの家よりも遠い。やはり「旅」だ。
とっても閑静な住宅街。
メールとお電話でしかコンタクトしていなかったIさんがふらりと現れる。
Iさんという方についてお会いする前は、こうした活動をしているかただもの、「熱血正義の方」という印象があったのですが、違うのだ、実物は。
正しいことを当たり前にできるひとは、熱血する必要もなくて、どこかサラリとしているんだよな。そうだよな、人間ってのはさ!
当たり前に正しいひとが当たり前であるのは、なんだか当たり前なんだな。
ひとに対して硬直した固定観念、人物像しか抱けていなかった自分にとっても反省した。
webにアクセスしていただいた方は分かると思いますが、イヌも保護されていて、Iさんのお家の玄関先にきりっとしているわけです。
さらに玄関をまたいでお邪魔すると・・・・・・。
実をいうと最初に驚いたのはひとの方のお子様がいっぱいいらしゃったこと。
なんだか小学生がいっぱいいたよ。
おお、ちびっこがいっぱい!
そのちびっこたちが囲んでいる食卓に、いるよ。あ、こっちのゲージの中にも小さな命たち。
わらわらいっぱいいるのだよ。
大きいの、小さいの、小さいの、小さいの、小さいの、小さいの、小さいの、小さいの、小さいの、小さいの、小さいの、なんか小さいの、どうにも小さいの、そんなの仕方ないじゃん小さいの。
で、こちらによちよちと近寄ってきて、ぼくと目が合ったのが、チャトラ色した小さいの。
そのチャトラ小さいのは近くにいたサビ色小さいのとケンカを始めた。
相手のサビ色小さいのはおとなしいコなのに、チャトラ小さいのは容赦なく噛みついたり、飛び回ったり。
みふねはそのときから既に三船、ミフネだった。
やんちゃな役でこそ存分に「自分たる」若き日の三船敏郎。
「静かなる決闘」「羅生門」「七人の侍」
みふね! みふね! みふね!
そう呼んだらぼくの瞳をじっと見る、嗚呼、このコはなんだかとってもみふね。
かくして、かつての「No.61」は、その小さな命まるごとみふねになったのさ。
みふねの「ね」に続く(いつかな?)
あと、ブランク長すぎで文章下手下手なので改稿すると思います。
ねむるときらきらひかるよ。
6月5日
いまのぼくはVAIOマシーン。windows2000環境。
こんなお話、ちいとも面白くないのだけれど、SONY製品なので主たるプロバイダにso-netが含まれている。
現在、主要な会社の諸々のサービスおいしいところどりで、色々な会社と契約しているのだけれど、このso-netの利点は?
あれ、なんだけっかなあ?
思い出したのがpostpet2001、ポスペな。
昔は大流行だったけれど、その後、皆さん使ってないでしょう?
使い勝手が悪すぎるものね。
ぼくのポスペはイヌで「しゃくなげ」。
仔猫の「みふね」同様、ネーミング・センスに賛否両論。
ああ、それで契約残していたのかと思い出し・・・・・・。
いま、ポスペを使っているのは割礼子さんだけで・・・・・・。
so-netならではのポスペ特典(お菓子とかアイテムが増えたような気がするな)が使えなくなるだけで、他のプロバイダでも使えるし・・・・・・。
契約している理由がポスペのためだけだと分かった途端、自分に激昂。
解 約。
解約プレイ。
で、唐突ですが、so-net解約記念に、
ソネット(三行×2+四行×2=14行詩)を書いてみようと想いましたが、
できませんでした 。
長くなってしまった所を削いで、短くソネットにしてみたら感動できなかったんだよな。
やっぱりso-net解約。
灼熱を予感させる 。
From nakao chisato at 2002 06/05 04:03 造 花病床には退屈が薫る 意識が明瞭であるときには できる限り書き物をする 私たちは造花を創る 灼熱を予感させる 六月の道のり パン屋でパンを買い お金の換わりに私たちは造花を置く 火傷痕が生々しい その皮膚がやわらかく生まれ変わるように 少女は千羽鶴を織った 私たちは未熟な造花を創る 未熟な造花は美しくない 成熟した生花は恐ろしく薫る 私たちの造花は芳しく 咲くことを知らない 病床の膿んだ退屈に 私たちは造花を創る 予め膿んだ しかし私たちは美しい期待を忘れることができない 生花、造花、区分けのつかない病症に、混濁、薫るのは、しかし生花、 しかし(それは)私たちの造花 |
特別な感謝を
そして朽ち逝けゆりの花
6月1日
ごく端的に。
自分が徹夜してしまうと、仔猫のみふねまで徹夜してしまうの法則を発見。
ちょっと反省。
灰野さんと7月のKNEAD at ヘブンスドア三軒茶屋公演についてお話。
対バンの要請がKNEADサイドからあって、この「選 考」に随分時間がかかっています。
ただね、なんとかなりそうだよ。
意外な感じはそんなにしないバンドになりそうです。
あと、「みふねって名前は変えようよ」なんて言い出しました、灰野さん。
ぼくのみふねはもはや「みふね」と呼べばニィと鳴きます。
「三船敏郎は大根役者だよ!」
分かってます!
でも、なんというかクロサワ作品で彼が演じた沢山の役。
「静かなる決闘」なんて、かっこいいじゃん!
ちなみに替わりに用意してくれた名前は、2匹目を飼える余裕ができたら・・・・・・。
灰野敬二命名のその名前とは・・・・・・!!!!!!!!!!!!
・・・・・・。
教えてあげません。
もったいぶってごめんな。
事情があって書けないという方が正しいです。
近々、シーンを激震させる話として、この名前が登場します。
それまではね。
あ、灰野さんはソニック・ユースにはあまり感心していないです。
それは教えてもいいですよね。
ぼくはソニック・ユース好き。
だから?
訊いている、ぼくの話?
灰野さん、ご自身、この夏で飼い猫だったシカちゃんの一周忌です。
もう一年ですか。
その喪が明けたら、また猫を飼いたいとか洩らしていたことがあったよ。
さて、端的に。
NARCISSE!!
クリック!
恋川春町さん、深町麦さんの文芸サイト、NARCISSE!!
なかおちさとさんのページができました。
ひゅう!
これは飽くまでもNARCISSE!!さまの管理下なのですが、ファイル自体はぼくがつくりました。
これまで未公開だった作品を、今回、一編だけ公開しています。
このページはね、このサイトからは隠しページとしてしか行けないようにします。
でも、骨を折って、その「穴」を探すのは徒労です。
だってわざわざこのサイトを隈なくあさっても、直接、簡単にNARCISSE!!さまにアクセスしても、同じファイルですから。
随時更新の予定ですが、このサイトではこの記事をもって最初で最後の紹介にします。
NARCISSE!!さまに見合うように作品を選別していますし、あくまでもNARCISSE!!の管理にあります。
ううんとね、「書いていて楽しい」ということがあって、気持ちがいいですね。
まめにアクセスしてみてください。
作品が増えているかもしれません。
かもしれませんかもしれません。
あと、このサイトのメールマガジン「ソニメール」を来週中にも配信予定です。
購読ご希望の方はメールをください(結構、来るもんなんですよ、希望メール)。
sonimage@v005.vaio.ne.jp
なんだか、告知の書き込みのように、とっても淡白な今日の文章は「ソニメール」のネタをどれにしようかと思案中のためです。
ごめんね。
いや、ホント、申し訳ないっす。
5月28日
日々雑感
↑、えええええええ? と思うのは本人のワタシ。
本当はDAMON&NAOMI速報かみふねの「ふ」を書く予定なのですが、ちょいと体調不良。
ある症状について調べてもらっている最中で、この過程が中々、大変。
大変なときは「日々雑感」で誤魔化す、ワタシ。
この「大変」で、一日一食しか食べないのに、もしくはそのために、動かない、動けないで、太りまくっています。
これは(高価な)コッコアポA錠(を買うだけのお金)がなくなったことが大きいのですが、あとひとつ!
ダイエットのために購入した「アブトロニック」君ですが、なあんかさあ、お腹に「できもの」ができちゃって。
「アブジェル」にかぶれたのかなあ・・・・・・下腹部にブツブツがいっぱいで、おええええええええええええ。
お腹にブツブツがある30歳、独身男性。
もしくは、
お腹にツブツブがある30歳、独身男性。
↑、どちらもちょっとというか、大幅に気持ち悪いよな。特に「ツブツブ」の方な。
で、使用を中止したら、あっという間に太りました。
「アブトロニック」君は便通にいいんです。
あの辺りの筋肉を鍛えてくれるのでね。
↑、の話しを友部正人さんの奥さんのユミさんにしたら「わたしなんかアブトロニックなんて使わなくても、便通凄いもん」と返された話しは報告済みです。
加えて、あの夜、居酒屋の打ち上げでユミさんは「アメリカの便座」のお話しをしていました。
「アメリカの便座って、アメリカ人の体型にサイズを合わせているでしょ? だからさあ、すっごい大きいのよ。わたし、何度も真中の穴に落ちちゃったもん!」
ふうううん、そうか。落ちちゃったのかあ、ユミさん。居酒屋での「便座トーク」はいいものだねえと刺身を摘まむ・・・・・・。
友部正人さんは日本でのお住まいは「賃貸」で、NYのお住まいは買ったものという不思議な環境なのだよ。
「アメリカにも家があるんですか?」の問いに、こうきり返す。
「アメリカにしか家がないんです」
日本では足腰軽く、色々なところに住みたいのでしょうね、旅人は。
でも、いましばらくはご近所さんでいて欲しいな。
当夜はディランUの大塚まさじさんもいらして、ユミさんは途端に大阪弁丸出しになってびっくりです。
友部正人 25歳「大阪へやってきた」
そのとき小野由美子 19歳。
「いきなり<トモくんのお母さん役>にさせられて、本当にだまされた」といまだに愚痴こぼす。
でも、なんだかあんなカップルは素敵だよ。なにせ話題に尽きないもの。
いま、PCに向かってタイプしているぼくの膝元で、「みふねはねているよ」。
友部正人の「ユミはねているよ」は、お子様が生まれる前のふたりだけの瞬間を残しておきたかったのだとか。
「みふねはねているよ」は、ダイエット再開。「アブトロニック」君、明日からの準備はいいかい? を残しておきたい。
日々雑感は毎度、筆が荒れるな。
久しぶりに観念詩を書きました。
出来は不出来。
体調って怖いね。
あと、いつもお世話になっているそして朽ち逝けゆりの花
ぼくの詩をまとめたページを作っていただきました。
報告遅れてごめんなさい。
「Lesson2」という素敵なページです。
洸本ユリナさま、いつもありがとう。
あ、みふねが起きた。
あ、また寝るのかい。
うううん、きみはまるで仔猫。
日々雑感。
From nakao chisato at 2002 05/27 21:37 真 夜端的に真夜 無駄のない 群青と灰 |
5月25日
更新が遅れています。
毎度の体調不良です。
それと、仔猫と正面から向かい合い、暮らすようになってから、このページを書く習慣が日々から抜け落ちてゆくのを感じます。
ダメだね。
この間、BBSが荒れ模様で、色々な方からご心配いただきました。
特に私生活にかかわる重い事柄をBBSに書くことで、「不測の悪意」の攻撃対象になるということに多くの良心的な立場の方からご意見をいただきました。
この点に関して、私信でご本人にお伝えしたところ、「ダイジョウブです」。
「日本の福祉はどのように駄目かという事を、ケースワーカーの件をあげて皆に訴えたかったのです」
色々なサイトにそれぞれのBBS。
現場の声を書き込めるBBSとして、このサイトのBBSが機能してもいいと、管理人として思います。
その他に普通に文化的な告知が混ざって・・・・・・うん、それでいいじゃないか。
ただ、明らかな「荒らし」には、ぼく、管理人はケース・バイ・ケースながらも、王道の「放置プレイ」で対処するつもりです。
みふねは寝ているよ。
以下、続くからね。
5月14日
「みふね。」の「み」
本当は書かなくてはならないことは山のようにあるのだよ。
まずは「サボテンだらけの部屋」のレポート。
さらにDAMON&NAOMI日本公演の詳細などな。
たださ、仕方ないんだよ、書きたいんだよ、猛烈に、モーレツにさ!
つまりはだ、失敗したんだよ、下の記事のネコの「誘 拐」。
本当に誘拐にいったんだ。
そしたら、いつものところにカレ(orカノジョ)がいて、しめしめとほくそえんだのだよ。
小一時間ほど、カレ(orカノジョ)とじゃれた、遊んだ。
煮干を揚げるとにゃあと鳴く(でも、あんまりあげてはいけないんだってな、煮干)。
お腹を見せて、わあわあ、きゃあきゃあなんてな。
もうすっごいはしゃいださ、ぼくがね・・・・・・。ネコもはしゃいでいたけれど。
ひと懐っこいのだなあ、このコは。
ただね、あと一歩の壁をどうしても感じてしまうんだ。
誘拐袋だってキチンと用意してあったさ!
「ほぼ日永久紙袋」の黄色いバック。
そこにね、放り込みたいのだけれど、どうしてもあと一歩及ばず。
無理やり抱きすくめると、嫌がられてしまう。
それでも小一時間は遊んだ。遊んだ。楽しくネ。
この間、ネコ語で「にゃあにゃあ」と鳴きまねしたり、ネコと一緒に道に寝転がったりするぼく(30歳、独身男性)を見る通行人の目。
そんなもの気にしない、気にしない。
しかし、さて誘拐袋に入れてやろうとすると、抵抗する。
いや、抵抗するのは当たり前なんだけれど、その「質」が普通の抵抗と違う気がするなあと思うのだ。
ふたたびじゃれる。
ぼくはあらゆるネコ語を駆使してカレ(orカノジョ)と会話し、ボディ・ランゲージの交換をするのだ。
が、
飼い主登場。
さっきまでじゃれていたぼくを置き去りにして、飼い主さん目掛けてまっしぐらに突進!
おお、お前は飼い猫であったのかあああああああああああああああ・・・・・・。
路上で座り込み絶望した(30歳、独身男性)。
あのさあ、飼い主さん。
家ネコは外に放つと寿命が縮まるって知ってる?
色々な危険があるんだよ、交通事故とかさあ・・・・・・・。
それに、もうあのネコに名前を付けちゃったんだぜ、オレ。
「みふね。」
世界のミフネ。
クロサワ映画の中でスクリーンを縦横に飛び回る、あの若き三船敏郎の「みふね。」
なんでミフネにあやかったかというと、「としろう」の方にあやかってしまうと、「なかおとしろう」と、なんだか普通な人の名前になってしまうからだ。
試しにこんなアナウンスを想像しよう。
場所はちょいと大き目の病院。
「中尾敏郎さん、4番の診察室へどうぞ」
な?
普通だろう?
なので、ミフネの方にあやかって「みふね。」。
↑この最後の「。」が必要かどうかはいまだに悩んでいる。
昔、表記問題という事件を起こしたことがある。
「ソニマージュ・レコーズ」と名乗っていたのだけれど、「ソニマージュ」はジャン・リュック・ゴダール監督の造語。
フランス語でson(音)image(映像)を続けたもの。フランス語の場合、recordsの語尾sは発音しない。
なので、フランス語のメソッドに従うなら「ソニマージュ・レコード」がホント。
この「ソニマージュ・レコーズ」と「ソニマージュ・レコード」どちらにするかで大騒ぎしたことがある。
今回はみふね。の語尾「。」。
この「。」の習慣は最近のぼくの傾向なようだ。名前の後に「。」を付けたがる。
あるひとから指摘された。
「モーニング娘。を意識しているのでは?」
がーん!
そうか、モーニング娘。だったのか!
つんくの日本洗脳作戦恐るべし。
というか、言葉遣いにおいてつんくと同じレベルであった自分に愕然とした。
しかしね、みふねと書くより、みふね。とした方がなんかいいかなって。さらに勢い余って「みふね、」にしたい気もする。
あ、で、そうそう、あの可愛いネコはひとさまのものだったのだよ。
絶望したぼくに救いの手を差し伸べてくれたサイトがあった。
TKRねこクラブ
所沢市を中心に、捨てられていたねこなどを保護して里親を募集しているサイトなんだ。
こうしたサイトは他にもあるよう。
ぼくは「みふね。」と出会うためにアクセスした。
いたんだよ!
みふね。! みふね。!
↓
3月下旬、生まれたばかりなのに、捨てられていたんだって。
捨てられていたんだって。
捨テラレテイタンダッテ・・・・・・。
「みふね。」の「ふ」につづく。
5月7日
日々雑感
あのね、本来ならば5月1日の「サボテンだらけの部屋」のレポートを書きたいところ。
でも、ぐっと我慢。
今回、会場販売で去年のL a L aのライブ音源を収録したCD-Rを販売しました。
中身は去年のもの。
先日、ご覧になった方は、そのCD-Rの内容と、今回のL a L aのパフォーマンスとにギャップを感じたことでしょうね、多分。
「いま」「これから」のL a L aは、いっぱいの可能性で変化し続けるでしょう。
「去年のL a L aだよ」
だから、CD-Rのタイトルは端的に「L a L a 2001」としました。
ただね、装丁には自信があるんだ。
すっごい美麗だと思う。
購入された方はご存知のとおり、ぼくが猫ちゃんに手を振っている写真。
実は、いま扉のミューズを一度クリックするとその写真が現れる。
あの写真を元に作ったもの。
で、猫。
あの猫さ、野良なのか、飼い猫なのか分からないのだけれど、駅に向かう途中にパタリと出会う。
写真では分かり辛いと思うけれど、あの猫、なんと目がブルー。
とても綺麗な青。
ぼくにも良くなついてくれて、首のあたりをサワサワしてあげると、よろこびの声をあげる! 激カワイイ!
そして、悪魔のぼくは思うのだ。
「ああ、このまま誘拐したい」
でもさあ、ぼく、ぼく自身も満足に飼えないんだよ。
♪僕はびんぼう! びんぼう! ひまだらけ♪
さあ、皆さんもご一緒に歌いましょう!
まあ、そんな訳で誘拐について躊躇している毎日なんだけれど、こんなページを見つけました。
リンク・フリーとあります。
冒頭だけ引用ね。
あとはリンクを貼りますので、最後まで読んで欲しいのだな。
http://www3.famille.ne.jp/~phkimura/cin/cin_hisan.html
ねこを飼ってくれる人を大至急さがしています。
余りにも無責任な人間のために未だ寒い北海道の夜を何日か解りませんが小さなダンボ−ルの中で生き抜いた2匹です。
当方で飼えると良いのですが、ペット禁止のアパ−トの為飼う事ができません。
ねこが捨てられていた場所は岩内からニセコ神泉沼方向に向かう道道沿いにあるクレイルというチ−ズ工場の側にある公衆トイレの前です。
鳴き声がダンボ−ルからするのでびっくりして開けてみると、そこはまさに地獄でした。
私が確認しただけでも2匹は死んでおりウジが沢山湧いて、1匹は顔が血だらけ
あと、もう一つあったウジの固まりも恐らく小猫だと思います。
手と足を突っ張ったまま、横たわり、口は開いたまま未だ目も開いていない様な、ネコに沢山のウジが集っていました。
最初は、どのネコが生きていてどのネコが死んでいるのか
区別も付きませんでした。
ただ、ただ、なにがなんだか訳もわからず箱の中から、顔中が血だらけの衰弱したネコと
外傷は無いが衰弱いているネコの2匹を箱から出しました。
後は先に書きましたように手後れでした。
普通であれば、自分がネコを飼える状況でない事を考えてその箱の中を確認した段階で、5匹が元気に鳴いていれば「かわいそうになぁ」と思うだけで、誰かが拾ってくれる。と思いその場から離れると思うのです。
しかし、今回は考える余裕など全く無かったのです。
まさに、今、ここにある生命が死に向かっているのです。
ウジの沸いたその子ネコたちが現実です。
確実に、先に遺った兄弟たちの後を追うのが解るのです。
なにがなんだか解らないまま車を小樽方向へ走らせ
余市町内の獣医を尋ねて
止血注射と恐らく、栄養剤だと思うのですが注射してもらいとにかく暖める事。とアドバイスをいただき今にいたっております。
なにしろ、目も開かないうちから捨てられたようでミルクを飲ませるのも一苦労です。
顔が血だらけだったネコは目の下が腫れて鼻からの出血でした。
原因はもちろん不明です。
長くなりましたが上記の理由にて困っています。
どなかたネコを飼ってくださる方いらっしゃらないでしょうか?
小樽市、札幌近郊でしたらすぐにつれていきます。
ps、もしこのネコを捨てた方が読んでいましたら、
上記があなたのした事の結末です。
誰かが拾ってくれるなどという事はほとんど無いはずです。
わたしだって、全部が元気に鳴いていたら拾っ来る事はできませんでした。
あまりにも悲惨な状況で見ぬふりができなかっただけです。
その証拠に2匹か3匹か区別も付かないほどの亡骸でした。
みんな、誰かが助けると思って行き過ぎるのです。
あなたは直接殺すよりひどい事したはずです。
順番に自分の兄弟が狭く暗い箱の中で死んで行くのです。
決して許される事ではありません。
辛うじて助かった2匹も行く先が無く泣いています。
ずっと、ずっと泣いています。
ええええんん、おいおいおいおい、しくしく。
コレを読んで泣かないやつはきっと猫になります、注意。
上述のとおり、続きがあります。
もっと泣いてしまうよ。リンクを飛んで読んでね。
これ以上、人間の身勝手で猫ちゃんを不幸にしてはいけないよ〜(なんだか、人格変わっていますかね、ぼく?)。
http://www3.famille.ne.jp/~phkimura/cin/cin_hisan.html
こころを決めたよ、オレ!
ちょっと、あの猫、誘拐してきます。
猫に関しては権威のリ○ルドさま。
色々、ご相談しますので、よろしくお願いします。
尚、CD-R「L a L a 2001」は「いまのL a L aとは違う」ことをご承認の上、web販売をいたします。
近日、詳細情報をアップします。
よろしこ。
4月30日
もの狂いながら4月も末日だ。
いま、アブトロニックに揺られながら、コレを書いている。
先ほどまでL a L aの練習。
のちに居酒屋で最終ミーティングという名の食事会。
飲んで食った。
その食べ物、飲み物の消化が済まないうちに、アブトロニックでお腹をシェイクしているところ。
なんだかとっても気持ちが悪い・・・・・・おえええええええええ。
アブトロニックといえば、先日、友部正人さんの奥さん、写真家の小野由美子さんに「なかおくん、ダイエットに成功したんじゃないの」と言われ、「ええ、アブトロニックはバカにできませんよ〜。アレ、便通が良くなるんですよ」と返した。
ユミさん「あら、あたしなんかアブトロニック使わなくても便通すごいわよ! 多い日なんか一日に2回もしちゃうもん!」
アブトロニックのお話が、一瞬にして便通トークに変わってしまいました。
まあ、それはそれとして、もの狂いながら4月も末日だ。
明日、5月1日は、約半年振りのソニマージュ・レコーズ「サボテンだらけの部屋」atヘブンスドア三軒茶屋です。
この日はね、なんとOVERHANG PARTYが新編成初日なんだよ!
つまり「この前、法政大学で観たばかりだから」なんて消極的な態度は通用しないのだな。
あと、残念なコトではありますが、割 礼は5月1日のこの日の公演を境に、しばらくライブ休止。
以降は宍戸幸司ソロとなってしまいます。
もろもろ、応援のほど、よろしくお願いしますね。
5月1日(水)ヘブンスドア三軒茶屋
ソニマージュ・レコーズ「サボテンだらけの部屋」
open 18:30/start
19:00
出演:割 礼、OVERHANG PARTY、みみのこと(川口雅巳、西村卓也、志村浩二)、L a L
a(なかおちさと、きくちあきら、つのだのぶき)
前売り¥2200 当日¥2500
お得な前売り券は、お名前と枚数のみ記入のうえ、
mailto:sonimage@v005.vaio.ne.jp
まで、送信してください。本日の24時まで受け付け予約できます。
L a L aは最終リハの際になかおちさと転倒。
ぼくは練習でもステージと同じくらい動き回るの。
アブトロニックなの。
SHAKE!!
よろしこ。
4月20日
今夜はね、追浜の小さなBARで、友部正人20人限定ライブなんだよ。
ひひひ、贅沢でしょ!
有事法制が気になって本当に仕方がない。
田中康夫長野県知事に耳を傾ける。
以下、ソースは「ASAHI.COM」。
長野県の田中康夫知事は18日の定例会見で、国会に提出された有事法制関連3法案について「冷戦時代の攻撃を想定し、極めて時代遅れだ」と強く批判した。首相の地方自治体への指示権を盛り込んでいる点にも「国と都道府県の関係を踏みにじろうとしている」として、法案阻止に向けた行動を呼びかけた。
田中知事は法案について「古文書が宝物として見つかったかのように提案された」と指摘。「一国の首相が、『すべての有事に対応できる』などとおっしゃるに至っては噴飯もの以外の何物でもない」と語気を強めた。
さらに、「阪神大震災や地下鉄サリン事件など日本が経験した真の有事については、いまだ議論すらない」などと述べ、「個人としても知事としても同じ思いの多くの人と行動を起こしていきたい」と語った。
(20:55)
果敢だ。
でも、こんなニュースもある。
アフガニスタンに続き、イラクへの軍事行動を想定している米軍が、自衛隊のイージス艦やP3C哨戒機のアラビア海への派遣を日本政府に打診していることが18日わかった。複数の政府関係者が明らかにした。 |
musicians4peace
ぼくの名前が反映された。
その「責 任」について深く考える。
キング・レコードが「世界宗教音楽ライブラリー」というシリーズを発表している。
世界中のあらゆる宗教音楽をCD50枚に纏め上げた。
「あらゆる宗教」というところの今日性とは? てね。
いくつも収穫があったのだけれど、その中に、「バリ・ヒンドゥー教の儀礼」が音響的に可愛くて。
ガムランがカランカランと鳴るんだ。
カランカランと鳴る、そんな一編の詩ができた。
詩人と責任について考えた。
今回は特別な感謝を、NARCISSE!さまと、ジェーン・E・ハリスン女史へ。
ハ リ ス ン 女 史。
芸 術 に つ い て 祭 式 と の 連 関 に 気 づ い た ら き み の 季 節 だ
彫 像 の 彫 る と い う こ と
其 の 祈 り し か し 労 働 に 気 づ い た ら き み の 季 節 だ
ガ ム ラ ン の 鳴 ら す と い う こ と
其 の 鳴 ら す し か し 労 働 に 気 づ い た ら き み の 季 節 だ
詩 人 と い う
社 界 層 に 位 置 す る
織 れ
い ま だ 臆 せ ず に
織 れ
其 の 労 働 は 眠 ら ず に 眠 ら な い 詩 を 織 る だ ろ う
い わ え、
祝 お う。
( 其 の 詩 の 発 明 を こ そ )
4月16日
きっかけは一通のメールだった。
差出人は5月1日(水)ヘブンスドア三軒茶屋「サボテンだらけの部屋」でご一緒する、OVERHANG
PARTYのドラマー、山崎さん。
メールの内容は「サボテンだらけの部屋」についてのものではなくて、DAMON&NAOMI(ex.GALAXIE500)の再来日に関してのこと。
このページ「見送りの日」に、横浜のドルフィーでの灰野敬二&梅津和時DUOのレポートを書いた。
その日、山崎さんは客席でご覧になって、このドルフィーが非常にお気に召したとかで、なんとDAMON&NAOMIを、ここに呼ぶのだとか。
ついては、あの店のPA、その他について教えてくれませんか?
そんな内容の一通のメール。
まずDAMON&NAOMIの再来日の報に驚いたし、メール末尾に「サポート」のお願いがあって嬉しさのあまり、風邪で寝込んでいるカノジョさまを起こして自慢してしまったよ。
日程は以下のよう。
7月12日(金) 京都 <磔磔>
7月13日(土) 大阪 <難波ベアーズ>
7月15日(月) 名古屋 <Tokuzo>
7月16日(火) 東京 <Star Pine's cafe>
7月18日(木) 横浜 <ドルフィー>
東京、京都、名古屋公演は5月12日よりチケットぴあで発売開始。
実はね、正直に告白するとDAMON&NAOMIの初来日をぼくは見逃しているんだ。
彼らの来日を知ったのは、もうツアーが終わった後、月刊「ギター・マガジン リットー・ミュージック」のライブ・レポートだった。
その後に、新宿ロフトでGHOST、MERZBOWを観にいった後の打ち上げに合流。
DAMON&NAOMIの前座がGHOSTだったって、当時のサポート・メンバーの固本正美ちゃんが嬉々としてぼくに自慢するものだから、余計に悔やんだよ。
ちょうど現在「続・ソニマージュ・レコーズ」のトップ記事は「ON FIRE GALAXIE500」。
さらにさかのぼって、ページ「ソニマージュ・レコーズ」には「more sad hit DAMON&NAOMI」について書いてある。
今回の彼らの来日にも、GHOSTの馬頭さんがサポートしているとか。
お久しぶりです。
昔ネ、何度も出演交渉でお電話させていただいたんだよ。
なにせ、当時の馬頭さんのカノジョさまは、LaLaのベース、キクや石丸伯爵の友達だった。
馬頭さんのお話がぼくの周囲からパタっと途絶えてしまって久しい。
そこに今回のお話。
そうさ、DAMON&NAOMIの「playback singers RYKO」は馬頭さんの存在なくしてはあり得なかったって、本人たちが証言している。
さらに今回のDAMON&NAOMIの日本公演のためにGHOST復活!
ドルフィー以外のすべての公演で前座を務めるとか。
これはDAMON&NAOMIの強力な要請があったようです。
これだけでも凄いことだよね。
「サボテンだらけの部屋」が終わったら、ぼくもサポート・チームに加わります。
それこそ喜んでって、山崎さんに返信。
本題はここから。
興奮して眠れない夜に「M4P」というサイトを発見したんだ。
musicians4peace
OVERHANG PARTY - The Official Site
のLINKを辿ったら、DAMONのもうひとつの顔にアクセスできた。
クリックして!
以下、引用(無断ですが、必要と信じるから、臆せずに)。
Welcome to Musicians for Peace
私達はこのウェッブサイトが情報提供、世界規模での反戦行動の告知または呼び掛けの場になってくれればと考えます。
ミュージシャンか音楽を愛する方ならどなたでも歓迎です。
私達は政治家のように一元的な政治的視観にとらわれることはありません。
今年の9月11日に市民権と人権、人種的・宗教的尊厳、そして何よりも表現の自由のために自発的にワシントンでデモを決起したミュージシャン主体の団体です。
私達は今回の戦争を決して支持しないという意志表明を公にする為にここに集まりました。
暴力はさらなる暴力を生じるのみならず戦争は紛争解決への答えとはなり得ません。
また同時に私達はこの戦争に異を唱える人々、危機管理の名のもとに行われる世論の沈黙
と検閲、地球規模で発生する暴力・テロ・迫害に際し個人の思想が脅かされる時にこれらの当事者達を支援するものであります。
WE ARE NOT
AFRAID TO MAKE NOISE!
我々は臆さずノイズを発してゆく(異論を唱えてゆく)
私達の声明に賛同してくれた人たちのリスト一覧
あなたの名前の記入方法が分ります。
こちらへメールを送って下さい。
mailinglist@musiciansforpeace.org
或いはメッセージを伝えたい場合はこちらへどうぞ。
m4p@musiciansforpeace.org
今次のアフガン空爆に対する果敢なアンチが、当のアメリカから響く。
賛同者の中には馬頭さん、山崎さん、福岡さんの他に、リチャード・ヘル、サーストン・ムーアの名前もある。
有名な方ばかりではなくて、ぼくの知らない方の名前こそ多い。
ミュージシャンだけではなくて、音楽を愛する人すべてに資格があるんだもの。
いま日本政府は有事法制の制定に躍起になっている。
政府が振るう戒厳令施行の自由はどの国民からも満遍なく自由を奪う。
戒厳令下において表現者は表現を窒息させられる。
冗談じゃない。ぼくは嫌だ。
その日本から、いまこそこのリストに名前をひとつ付け足そう。
早速、ぼくはメールを書いた。
困ったのは英文だった。
ぼくは英文解釈専門。英作文なんて大の苦手。
でも、必死で打ったよ。
件名はあまり考え込まずにコンパクトなものを。
だから「ikiru」とした。
ikiru
dear forpeace
my name is chisato nakao, the musician in japan.
i will will will add my name to the list of .......
<ikiru> is the title of akira kurosawa's movie and......
the word for all and all.
peace.
なかおちさと
nakao chisato et sonimage groupement!!
送信後にすぐさまM4Pから「THANK YOU!!」と返信が届いた。
「ねえ、ぼくのこの文章、間違っていない?」
「うん、ダイジョウブ。英語は気合みたいよ」
ぼくのカノジョはアメリカに5年間、留学していた。
「9月11日の<事件>において、まったく罪のない人類など、誰ひとりとしていない」
ジャック・デリダ
ねえ、デーモン。
横浜野毛にあるドルフィーはエリック・ドルフィーから名をいただいた横浜随一のJAZZ
BARで、なのにあんまり冴えなくてさ。
でもね、付近には思わず追いかけたくなるほど可愛いノラネコがいっぱいいるんだよ。
そこで会おうね。
見送りの日
4月10日
日々雑感
眠れないで、いま午前10時を迎えようかというところ。
発熱が相変わらずで困ったものだ。もはや風邪ではないなあ、多分。
ただBBSにも書きましたが「精神状態と免疫力は密接な関係にあるんですよ」とお医者さま。
ふうううううん、精神状態ねえ? なんだろう? ステファヌ・マラルメについて悩みすぎ?
思い当たるのは、この話題、ここのところ毎度でごめんねの「YAHOOオークション依存症」。
コレについては色々と書いてきましたが、ホントのところ、元々はガット(クラシック)・ギターを探していたんです。
最近の灰野さんのライブには必ずといっていいくらいガット・ギターが用意されていますが・・・・・・アレ、実はぼくのギターなんだよ。
以前のカノジョさまが知人から譲り受けたものを貰ったんだな。
モノはね、KODAIRAというハンド・クラフト(手作り)メーカーの定価5万円の品物。
5万円といえど、とてもいい音がするのはトップ単板(ギターの表面の木が一枚ということ。普通のものは二枚を合わせています)だから。
でね、このギターを灰野さんにお貸ししてから手元にガット・ギターがなくなってしまって。でも、毎回、灰野さんが上達するのを観て(あのギターで一日6時間練習するんだってさ)、自分も「さらにいいガット・ギター」が欲しくなったため。
で、YAHOOオークションにはまった訳です。
めでたく、灰野さんに貸してあるのより5倍はいい音がするギターを安価でGET!!(灰野さんにはナイショにしている)。
やがて、ガット・ギターからフォーク・ギター(YAMAHAの旧いもの)を漁る。
さて、フォーク・ギター熱も一応冷めた。
なにか変わった楽器が欲しい・・・・・・。今後のソロ活動の幅を広げたいからネ。
でね、昨日、GET!!したのが「カンカラさんしん」。
漢字では「缶殻三線」と書くのだな。
これは沖縄の家庭で普及している楽器だとか。
要は蛇味線なのだけれど、あの本体の皮の部分が蛇ではなくて、缶殻、カンカラなのだよ。
その缶からに無理やり木を括りつけて、さらに弦(しょぼい綿糸)を3本通すのだ。
手作り感いっぱい(実際、ハンドメイド)。
よく、ストーンズのブライアン・ジョーンズは「どんな弦楽器でも20分で自分のものにした」という逸話がありますが、ぼくも負けていません。
ううん、いい感じ。
面白いのは、普通にギターで使うピックが付属品の中にあったこと。ヤマトの三味線は「バチ」なんだけれどね。
沖縄の蛇味線はアレ・・・・・・アレもバチだったよねえ?
さて、ここでハタっと気づいたのが三線(さんしん)のチューニング。
上からド、ファ、ドと指定されています。
あれ? と思ったのは、去年末にSHOWBOATでやった灰野さんの4時間超ライブ。
あの日、灰野さんは三味線と同様に弦が三本の「ゴッタン」という楽器を持ち込んでいました。当日、ぼくはチューニング担当だったのでよく覚えているのですが、「三味線の親戚みたいなものだよ」と言われ、渡されたチューニング表。そこには上からド、ソ、ドと書かれていたのだよ。
あれは灰野さんのオリジナル変則チューニングなのかなあ?
それとも、ぼくはブルガリーのチューニングと勘違いして覚えているのかなあ・・・・・・。ブルガリーは6弦の楽器ですが、同じ音程の2本の弦で一組。つまり3弦の楽器と構造が近いんです。
まあとにかく思い出して「ゴッタン」で検索。
こんなページ↓を発見。昔はどこの家庭にもあったものらしいなどと、こことは別のサイトに書いてあるのも目撃。
http://users.hoops.ne.jp/senshohamada/shamisen/gottan.htm
出ないかなあ、ヤフオクに「ゴッタン」。
早く眠れないかなあ、オレ・・・・・・。
4月4日
From nakao chisato To rotttenlily@moon at 2002 04/03 12:48
さくら 花 弁を 散 らしたの はオ レ 雨 風 四 月の
陽射し 世 界を 照 らすの はオ レ 太 陽 大 気 四 月の 凶 暴 非 道 な ( オ レと )エ ーテ ル の乱 交に
い まだ 注 げ四 月注 げ
挨拶だよ 、
そして朽ち逝けゆりの花
熱は37.2度で立ち止まったまま。
ぼくの平熱は低くて35.9度なのだけれど、先週から乱調が続いています。
いっぱい更新したいのだよ、本当は。
このページ以外にもね。
小林雄二センセーに頼んで新作たくさん貰いました!
ページ「プチ・そにまーじゅ・ぐるーぷまん!」から、「プチ」の文字が消える日は近いです。お楽しみに。
あとね、個展も成功に終わったばかりの石塚H.B.S隆則画伯からも新作をいただける予定。
ページ「SONIMAGE GROUPEMENT」にこれ以上の画像追加は重過ぎるので、新たにページを割きます。
あとはこけし先生と回文王NOVKISS先生の復活を待つばかりだな。
発熱に 、発熱 。
それでも 、久しぶりの詩作 。
四 月
3月27日
YAHOOオークションの熱が冷めない。
ご年配の方が若い頃に買ったギターを処分されるケースが多いようで、ときに信じられない堀出しものと遭遇できる。
こうした「掘り出しもの」を探すのは、出品者がジャンルを間違われるケース。例えばフォーク・ギターをクラシック・ギターのコーナーに出品する、そうしたものを狙い撃ちする。
先週の成果は1970年代前半のYAMAHAのグリーン・ラベル期のフォーク・ギター。一般的な売価では大体3万5千円はするもの。それを¥5000にて落札できた。
コレは正に、出品者の方がフォーク・ギターをクラシック・ギターのコーナーに出品してしまったため。
尚、YAHOOオークションのフォーク(アコースティック)・ギターのページにはYAMAHAのコーナーが特別に作られていて、そこではやはり市場とさほど変わらない高値で取引されている。
最近は業者さんの出品が増えてオークションなりの値ごろ感が減退しつつあるのも気に入らない。
さて、今回の出品者と引渡しについてお電話でお話しした。先方はやはりご年配の方のよう。
なぜ、ぼくがこのギター。つまりご本人にとっては処分の対象に興味を持つのか不思議なようで、メールの文末にこんな言葉が書かれていた。
このギターをお選びになった理由は何でしょうか?
落札経験は多数だけれどこんな質問は初めてだった。
つい長文でお返事を書いてしまった。書きながら思った。リサイクル、そこには「継承」という性格があるものだなと。
>このギターをお選びになった理由は何でしょうか?。
この点にはふたつほど理由があるのです。ひどく一般的なことと、ひどく個人的なことです。
YAMAHAは1960年代の後半になり、それまでの独自規格の「Dynamic Guitar」の製造を中止して、本場アメリカのCF.Martin社製のギターを2タイプ輸入し、それを分解。そのうえでまったくのコピー・モデルを作りました。
勿論、販売価格などを考慮して細かい製法や材質などには違いがあるかと思われますが、ともかくも、このとき初めて日本で「まっとうなフォーク・ギター」が誕生したそうです。
そのモデルがFG−180というものです。
このモデルは、サウンド・ホールの中に赤いステッカーが貼られ、そこにFG-180と印字されているために、通称「赤ラベル」と呼ばれています。
「赤ラベル」にはほかにも数機種あります。しかし、最高峰といえるのがこのFG-180だそうです。
このモデルは現存するものは8万円から10万円の値で取引されています。おそらく当時の定価の数倍です。また非常に稀少な品物のようです。とてもぼくのようなものには縁のないモデルとも言えるかもしれませんね。
さて、件の大柴さまのFG-160。
1972年(ぼくが生まれた年です)辺りから、YAMAHAの商品ラインナップは大きく替わったようです。
サウンド・ホールの中のステッカーが赤から緑に変わりました。通称「グリーン・ラベル」と呼ばれるものです。
この「グリーン・ラベル」期には商品構成も充実してきたようなのですが、唯一、上述のFG-180のまったくの後継機種であるのが、実はFG-160なのです。
この「グリーン・ラベル」期のものもそれなりのプレミアで取引されることがしばしですが、「赤ラベル」ほどのブランド力はいまのところないようです。
それでも楽器はブランド力では測れませんよね。元々、国内ギターとしていわば蔑まされてきたYAMAHAのギターも、数十年の時を経て再評価されるようになった。
ブランドっていうのはときに曖昧ですね。
YAMAHAという楽器メーカーは「手工品こそ楽器たるもの」という通説に対して、「工場規格だからこそ安定した楽器を提供できる」という姿勢で臨んでいるメーカーです。
なので、当然、製造されたばかりの商品は「いわゆるYAMAHAの音」がどうしても強くしてしまい、その点がいわゆる玄人筋には敬遠されてきた所以でした。
ところが十数年という月日がもたらした経年変化により、一本一本に独自の味が出だした。それも半端な高級輸入楽器に負けない個性を放っていることに気がつかされた。そこに気づいたひとたちから再評価されるようになったのだと思います。
また「ゆず」というふたり組の歌謡グループの影響もあるのかもしれません(この点はまったく興味がないので分からないです)。
とにかくいま、1960年代後半の「赤ラベル」、続く1970年代初めからの「グリーン・ラベル」「黒ラベル」。
最後に1970年代後半から1980年頃までの「オレンジ・ラベル」。
こうしたYAMAHA歴代の生産ラインが再評価されて久しいです。
特に今回のFG-160はこうしたラインナップの中の最高峰であるFG-180のまったくの後継機種です。
やはり、期待してしまいます。
以上が、FG-160を求めた一般的な理由です。
個人的な理由を次に書きます。
実はぼく自身、東京のアンダーグラウンド・シーンを拠点に現役で音楽活動をしております。
フォークではなくて、ロック、それに現代音楽の要素が加わったものです。それ故に、「アングラ」という狭い世界にくくられがちです。
このシーンの中ではフォーク・シンガーの三上寛さんと親しくさせていただいております。やっている表現は違うのに、ひどく可愛がっていただいてます。
その三上寛さんの盟友に友川かずきという、同じくフォークの方がいらっしゃいます。
この方の歌は壮絶きわまるものです。生身と多少の飾りを剥き出し吐き出し歌い上げるそのスタイルは唯一無二ともいえます。
三上寛さんには及ばないものの、もう非常に長い活動歴を誇っていて1970年代中盤にはデビューしており、今なお、健在に活動されています。
この方、GUILD社という高級なメーカーのギターをお使いになられるのですが、何故か、特に古い持ち歌になると上述の「赤ラベル」期のもの、YAMAHAのギターで演奏します。そのギターは件の最高級のFG-180などではなくて、もっと廉価版(恐らくFG-140)。さらにご本人から伺ったところ、すでにネックが捻じ曲がっていてチューニングどころではないといいます。
そんなギターを弾き、歌うのです。
旧い廉価版のYAMAHA「赤ラベル」を手にしているときと、高級なGUILD社のギターを手にしているとき、友川かずきのピッキングは明らかに強度において違います。
「弦を切るためにギターを弾いている」
友川かずきのギター・スタイルを評してなぎら健壱さんが仰った言葉です。その言葉どおり、名曲「生きているって言ってみろ」で、このYAMAHAのギターをかき鳴らす。曲が終わると弦が2本も3本も切れている。その切れた弦を見つめて、演奏を終えたばかりの友川かずきはひとりごちました。
「よし」
切れた弦。もしくは切った弦をみて由とする。
「生きているって言ってみろ」
この日の公演の映像が忘れられません。
ぼくはフォークの方との交遊もありますが、しかし実際にロックの畑の人間であり、ステージ上ではエレキ・ギターをメインにしています。
それでも自宅で練習するときなどは、クラシック・ギターやフォーク・ギターの方が多いです。住環境のせいでしょうか?
実はこの中に、先ほどの「オレンジ・ラベル」期のギターがあります。当時の定価で2万5千円のもの。まったくの入門用のお値段です。
しかし、このギターは20数年の時を経て、非常によく鳴るのです。
しかも重要なことは、元の参考にされたCF.Martin社製のものとも、またどのメーカーのものとも違う音なんです。
CF.Martinのものは弾きようによってはピアノのような上品な音も出せます。
一方で、この「オレンジ・ラベル」はいい意味でまったくもって豪放。
「フォーク・ギターの音がする」
その通りフォーク・ギターなのですもの、それは当たり前のことですが、しかしコレって新品のギターには望めない音なんです。
ただし、ぼくの「オレンジ・ラベル」のギターはFG-160、またはFG-180とはタイプが違います。
最初に輸入、そしてすぐさま分解されたCF.Martin社のギターは2本だったと述べました。
その内の小ぶりなサイズ、いわゆる「000」タイプのものをぼくは現在所有しています。
FG-160はそれよりもボディのサイズが大きい、「D」タイプと呼ばれるもので、音の性格も違うようなのです。
果たして、実際はどんな響きなのか? 意外と繊細と言う人もいれば、とにかく大きな音と形容する人もいます。
いずれにしても、いまから、この手で弾かせていただけるのが、非常に楽しみです。また、その音次第では、ぼく自身にとってあらたな表現に挑戦できるのではないかなとも思うのです。
それは、ひとしずくのブルースであったり、トラッド・ミュージックであったり、わたしであったり。
ただ、わたしであったり。
友川かずきと旧いYAMAHAのフォーク・ギター。
長文になってしまいました。申し訳ございません。
取引終了まで、何卒よろしくお願いいたします。
リサイクルは継承の一変種。
ひとしずくのブルース。
YAMAHA FG-160。
グリーン・ラベル。
ボクガ生マレタ年ニ、生マレタギター。
もうすぐ会える。
3月24日
ご承知の通り、灰野さんは吉田達也さんと中国をツアー中。
7月12日(金)ヘブンスドア三軒茶屋、灰野さんの出演は決まっていますが、KNEADでやれるかどうかは、吉田さんのご都合がまだ分からないのです。帰国までお待ちください。
ご本人不在で寂しいでしょうから、久しぶりに灰野さんレポート。
先日の横浜ドルフィーでの灰野敬二、梅津和時DUO、ご覧になられた方いらっしゃるかな?
久しぶりの顔合わせというのに、横浜という場所柄か、お客さんの入りはいまひとつで。
ただね、内容は本当に本当に素晴らしかったのだよ。哀秘謡に梅津さんのサックスが絡む。
こうした場合に、灰野さんに「今日は凄くよかったです!」なんて素直に言ってしまうと怒られる。
何故って「今日は、じゃないだろ! いつもいいんだから!」とのこと。
この件で2回くらいアタマはたかれてます(シャクティー・パットのようなものと割り切っています)。
まあとにかく気をつけよう。
ただ、その禁忌を超えて良かったな〜。
当日、ぼくは生まれて初めてPAを担当。灰野さんよりのご依頼。
この件は前々からお話があったんです。
「僕はライブ・ハウスの照明に関してはもう諦めているけれど、音響に関してはね」
諦められない。当たり前ですよね。
しかしぼくに頼まれても荷が重い・・・・・・。
で、これまではスイスイと素知らぬ顔をしてはぐらかせていたのですが、しかしドルフィーならいいかなと。
なんで、ドルフィーならいいかなと思ったのか?
普通のライブ・ハウスだとPA担当の方がきちんといらっしゃる。
なので、わざわざそのひとにどいてもらって、「今日はオレがPAやるから」なんて言えるわけないじゃん!
ところがね、ドルフィーはマスターのおじさんがPAを担当しているんですよ。
マスターさんにはマスターさんのお仕事もあり、大変。
なので、「あ、替わりにぼくがやりますよ」というのは気持ちの上でかなり楽なのだよ。
実際、直前に灰野さんから頼まれたとき、断らなかったのはそうした経緯です。
ただね、大変だったよPA!
一番苦労したのが灰野さんのヴォーカルのセッティング。
コレ、思い出してみてください。
灰野さんの場合、声にリヴァーブ(残響)をかけるのと、地声そのままのふたとおりのセッティングがあるでしょ?
このふたつのセッティングは、ただリヴァーブのエフェクト(効果)掛ける、掛けないの問題じゃないのよ、奥さん!
リヴァーブを掛けるときは声の低域と中域を極端に下げないといけないんです。
そうしないとハウリングがひどいので。
反面、地声(リヴァーブなし)の際には、低域を思いっきりブースト(増幅)させるんです。
これは灰野さんの好みみたい。
結果、リヴァーブを掛けるときと掛けないときでは、低域の可変幅は±25db以上。
マニアックな数値を出してしまってごめんよ。
あのですね、元々、そのPAはプラス、マイナス、それぞれの方向に15db可変できるもの。つまり合計で±30dbね。
灰野さんはその±30dbのうち25dbを可変させる。
可変って、つまりつまみを右へ左へ、左へ右へグルリと回すわけです。
さらに同時に中域をいじって、リヴァーブを掛けたり、削ったり。
↑を一瞬のうちにこなすのさ。
さらに困ったのは当日、おふたりともまったく曲順を決めていなかったこと。
相手は梅津さんですもの。その場で見事に合わせてくれる。だから、その場の雰囲気を読んで、灰野さんが曲目を瞬時に決める。
じゃあ、いったいいつリヴァーブを掛けるんですか?
「合図するから。グーを出したらリヴァーブ掛けてね」
グー・・・・・・。
ううん、グーだとちょっとリヴァーブって感じはしないかな・・・・・・などと言ってみると・・・・・・
「じゃあ、パーにしよう! 広がる感じが出るじゃん! で、リヴァーブなしのはグーね。力強い感じ!」
パー・・・・・・。
というわけで、当日のライブ中に灰野さんがグーやパーを出していた理由がおわかりになったかと存じます。
灰野さんがパーを出したら、ぼくもPA卓の前で灰野さんに向かって確認の意味でパーを出していました。
絵的にヘンだろ!
グーを出しながら、あるいはパーを出しながら、つまみを3個同時に回すんです。
もう脂汗だらり。
あとですね、梅津さんはね、本番直前になって「やっぱり230辺りを増やしてくれる」って言ってきました。
230とは周波数の230Hzのこと。
この辺りの周波数を気にされるひとは多いのではないかな。そのお気持ちよく分かります。うんうん。
うんうん、でも230HzはこのPA卓じゃ調整できないんですよ、梅津さん・・・・・・。
仕方なく、280Hzあたりを動かしてみたら・・・・・・
「OK、いい感じになった。ありがとう!」
・・・・・・。
本番中は灰野さんの機材トラブルが続出しました。
あのVOX社製の黒いカールコードがついにお亡くなりになってしまったんです。
こうした時にぼくがステージ・スタッフならばまだ対処が早くできたと思うのですが、なにせ、今日はPA席。ハラハラするのみ。
ただね、そうしたトラブルはあっても、哀秘謡に梅津さんのサックスですよ。泣けます。
梅津さんが会場に到着したのは開場直前。
数年ぶりの再会なのに、ふたりの音だしがねえ。もう2秒か3秒でバッチリな呼吸になるんです。ホントに一瞬のうちに呼吸が合う。曲のKeyさえ尋ねないんだから、梅津さんって。なのにバッチシ!
「さすが梅津さんって感じでしょ」と灰野さん。
正にその通り。
本番も気分が良かったんでしょうね。一曲、一曲が破格に長かったです。
演奏が高揚したとき、梅津さんのサックスからアルバート・アイラーの「GHOST」が飛び出しました。
ちょっと、ご愛嬌ではあるけれどあれは梅津さんの「哀秘謡解釈」なのかもなんて思いました。
多分、「バラが咲いた」がジャジーな進行になったときですね。
ぼく、自分でPAやりながら、要所、要所で鳥膚が立つという非常に貴重な体験をさせていただきました。
ただ演奏が高揚する度に、あ、バランスをいじらないと! なんて焦る。
さらに近所から苦情がこないかとビクビクしてしまってどうしても控えめな音量にしてしまう。
ご不満だった方、ごめんなさい。勉強します。
終演後はもうフラフラ。実は倒れそうでした。脂汗で頭皮が芳ばしい薫りでした。
グーなのか、パーなのか?
グーなのか、パーなのか?
グーなのか、パーなのか?
ああ、
グーなのか、パーなのか?
最近、ヤフオクで「ロフト・アラーフ PSFD-18」が高値で取引されているようですが、先日、生悦住社長から直接伺ったところ、「PSFは廃盤なんてしません」とのこと。これはすべての作品にあてはまるのでしょうね。よっ、社長! なお、件のヤフオクのお話をしたら苦笑いしていましたです。
あと、「一度すべての言葉を捨てよう、祈りがあふれてこられるように 灰野敬二 ALIENCD27」。このハーディー・ガーディが主な2枚組のカナダ盤CDは、日本国内の店頭ではまず見かけないと思われます。会場販売を行っていますのでそちらで入手されるのがベストかと思います。価格は¥3000ナリ(2枚組みですよ)。早い者勝ちという心配があります。
ご購入はお早めに。
あと↓の方の記事の「カンカンちゃん」「ランランちゃん」のシールを剥がしてみました。
剥がしてみてびっくり!
ギターって日焼けするでしょ?
その日焼け痕が「カンカンちゃん」「ランランちゃん」そのまんまなの。
3月21日
虫歯抜歯記念! 緊急に告知します。
このサイトのページ「sonimage groupement」の作家、石塚H.B.S隆則画伯の個展が始まります。
オープニング・パーティではLaLaのベース菊池アキラがガット・ギター、カールマイヤーのコウノアヤコさんがヴォーカルの素敵なユニット87poemsが3年半ぶりに復活です。
またクロージング・パーティではLaLaのドラム、ツノダノブキがジャンク・パーカッションソロを行います。
LaLaのメンバーで、出番を与えられなかったのはぼくだけです・・・・・・。
会場はバー・スペースなのでパーティだからといって遠慮は無用。皆さん遊びにいらしてね。
以下、画伯本人より(無断転載だけれど、善意の宣伝なんだからいいよな>画伯)。
☆☆☆☆☆☆
23日から恵比寿にあるバーザズーにて、石塚H.B.S.隆則個展
タイトル:飛び出せ!青春0(ゼロ)番地
2002年3月23日(土)〜3月30日(土)PM7:00〜AM2:00(日曜日休み)*曜日によって営業時間が異なることがあります。
場所
Zazou
渋谷区恵比寿西2-11-8 Roob5 2F(JR恵比寿駅西口より徒歩3分程度)
Tel:03-3462-5655
H.B.S.関連イベント
23日(土)Live: 87poems(菊池アキラ、河野綾子)
&DJ’S
30日(土)Live:NOISIVISION(ツノダノブキ ジャンクパーカッション)
&DJ’S
両日ともチャージ無し、自分の飲み代のみなので、みなさん4649。
★★★★★★★★★★★★★
石塚隆則
h-b-s@dk.pdx.ne.jp
http://www.artnium.net
3月15日
過去記事1にこんな日記がある。
6月28日(木)、午前零時
扉を変えたよ。
石丸伯爵が「え、それ誰の絵、綺麗じゃん」というから、
オレの絵を使った! 多分、絶対、夏季限定、なので僅かの間ですがご賞味ください。
ダイエット生活絶好調。やっと「アノ」王台を割れたよ!
ダイエット生活って失うものが体重だけというのがいいよね。
昨日は買い物にお付き合い。
買い物たってクルマだ、クルマ。
タイヤよっつの上にガツンと乗った自動車ですよ。
桜木町の中古屋センターでお買い物、しめて130万円!
腰が抜けそうな金額ですがオート・ローンです。
それでも凄いよな、100万円の審査が通るなんて。
ぼくのローン審査なんて傷だらけだからね、使えねえ、使えねえ。
それでもよくNICOSとAMEXは気前がいいなあ、不思議。
閑話休題。
ワゴンRのパール・ホワイト超限定版!
座席に座った瞬間に「あ、これは出会いだ」と感服。
昔、ダイナソーJRがデビッド・ボウイをパロッて「WAGON」という名カヴァーを残したのを思い返した。
あれはもうワゴンは手に入れられないという不幸な曲だったけれど、
ベースには「ワゴン」への愛惜が滲み出ていた。
そんな歌を思い返したよ。
うん
いい思いだった。
助手席のスペースも広くて。
そこにはぼくが座るんだ。
ええとね、「廃車になっちゃった」と悲痛な連絡があった。
「なんだか友達のお葬式に参列した気分」
本人が連絡をくれた。
いま廃車手続きを終えたばかりだと。
日記にあるダイナソーJRの「WAGON」の♪I ain't got a wagon anymore・・・・・・♪そのままだ。
「自分の命があっただけ、幸せと思いなさい」
そう言ってみたものの、やはり購入のときにお付き合いしたクルマだもの、ぼくだって悲しい。
ましてや、本人にとってはさぞかしのことだろう。
飲酒運転で事故ったとのこと。
「飲めば飲むほど、運転したくなったもの」と彼女は回想する。
それがいかに無茶なことか「事故んなきゃ分からなかった」って。
他の方を巻き込んだりしなかったのが本当になによりの救い。本人も打ち身程度で済んだ。コレ読んだ方は安心を。
ただ、廃車。
全部、修理すると合計で70万円くらい掛かるそう。
なので廃車。
実際、可愛いクルマだった。嫌味がない白のワゴンR限定版。
「事故起こす前は、クルマなんてない方が身軽だと思ってたけど、いざ廃車って決まると、このコに色んな思いがこみあげてきて」
そう、きっとそうなんだろうね。
「内装はまだぴかぴかなのに。タイヤの付け根が曲がってたり、もうごめんなさいって感じで」
しばらく彼女は喪に服すように暮らすのだろう。
ダイナソーJRのシングル「WAGON」。どうやら遠い昔に売り飛ばしてしまったようだ。
ぼくの家にも、彼女の家にも、もはやかの歌はない。
それでも胸詰まって、鳴り出すんだな、そのうたが。
♪I ain't got a wagon anymore・・・・・・♪
モノとのお別れ。その際に「瑕疵」が飽くまでもぼくらのものだったとき、そのお別れをとても辛く思う。
ひどく当たり前に。
ワゴンにはもう乗れないんだ。
3月8日
いまとある灼熱の中にいます。
発熱37.5C。
久しぶりに「続・ソニマージュ・レコーズ」を更新しました。
扱ったのは「ON FIRE GALAXIE500 ROUGHTRADE」です。
記事中にもある通り、ぼくは大学受験の頃、このアルバムを毎日、それもエンドレスでリピートさせていました。
そして、いままたこのアルバムを部屋中に注いでいます。
かつてと同じように。
それでもいまはどこか遠くに鳴っています。懐かしく想うこと。それは同時に距離が生まれたことを意味します。
そう、このアルバムを切実に求めていた、そんな蒼白い季節はもう遥か以前に終わったのでしょう。
より深遠な音楽こそをいまは切実に求めているその最中ですから。
ただ、かつてこのアルバムは特別でした。
ぼくは大学検定から大学を目指したために、普通に高校に通っている皆のようには問題を解けませんでした。
模試の結果は0点、そんな経験は多数です。
その分、机にしがみついて勉強をしなくてはいけませんでした。
1日10時間。
高校中退、そのままドロップアウトしてしまうことの恐怖。
時代はまだバブル期で、ドロップアウトには特別な恐怖感を抱いていました。
このアルバムの独特のトーンはその恐怖感を優しく包んでくれました。不思議と。
よく言われること、「鬱病患者にはまず沈鬱なムードの音楽がいい」
このアルバムの音には、どこか「入り込める隙間」がたくさん開かれて響きます。
その隙間にかつてのぼくは自分の居場所を見つけていました。
そう、CDラジカセにセットして、目覚まし替わりにこのアルバムが鳴り渡り、一日をぼくは生きました。
明るい材料はあまりなかった、そんな季節です。
いまは亡き渋谷のWAVEで出たばかりの輸入盤、このアルバムを手にしたことをいまでもはっきりと覚えています。
あの頃は何処に行くにもひとりで出掛けていたものだとも。
いまとある灼熱の中にいます。
発熱37.5C。
ちょっとしたミス・テイクを2つ、3つとしてしまった昨日でした。
不安が交錯し、眠れずにいま午前3時。
誰にすがることもできない時間です。
ひとり果敢に生きていた季節にリピートさせたアルバムが鳴ります。
いまとある灼熱の中にいます。
発熱37.5C。
きっと明け方まで眠れずにいるでしょう。
リピートと、リピート。
あなたが起きて、この記事を読んだら、メールをください。
メールをください。
ぼくが駄目になることで、あなたまでも悲しくさせてしまうような、そんな気がして仕方がないのです。
まずあなたの無事を報せてください。
3月7日
歯が痛む。歯こそ食物を噛み砕き栄養素を吸収しやすくする、生き物の生きるものとしての基礎と身に染みて知りました。もう逃げません。すべての悪い歯をこの際に治します。生き続けたいもの。
多くの方に助けていただきました。ありがとう。ありがとう。
とりわけ的確なアドバイスをいただいた灰野敬二さん(ご自身もただいま歯医者さん通いの日々なので、非常に心配していただきました)。そして何よりも毎日、看病、手当てをしてくれたカノジョさまに感謝します。またご連絡いただいた皆さま、ありがとうございます。
ありがとう、ありがとう。
滞っていた各企画を懸命に進行させました。
まず、5月1日(水)ソニマージュ・レコーズ「サボテンだらけの部屋」 at へブンスドア三軒茶屋。
既に出演決定の割礼、みみのこと、LaLaに加えてもう1アーティスト正式決定。
なんと福岡林嗣さん率いるOVERHANG PARTY!
福岡さんとは第二期LaLaの時代に対バンとしてご一緒。その日のうちに意気投合。いつか一緒に企画をしましょうとお約束。あれから約3年半以上、念願の実現です。
福岡さん自身「この日(5月1日)に、これまでとは違う方向性を初めて披露するよ」と衝撃発言! これはもう必見です。
料金に関しては明日、公表できると思います。
また、お待たせしているKNEAD次回公演はヘブンスドアでのソニマージュ企画になります。
日程に関してはいま現在、灰野さんの承諾は得ています。あとは吉田達也さんと連絡がつき次第、公表いたします。
友部正人&灰野敬二ジョイントについても近々、詳細を発表予定です。
From nakao chisato To rottenlily@moon at 2002 03/07 05:16 義 勇 兵弾 劾 告 白 起 訴 糾 弾 |
いまこの瞬間、はやる気持ちを
こんなマニフェストに託してみました。
詩ではありません。
アントナン・アルトーは「ヴァン・ゴッホ」の中で世界こそ狂っていると糾弾しました。この点を読み違えて狂人志願しているアルトーかぶれはアルトーを読んでいないに等しいです。
自分の表現を「まっとうなもの」として信じて提出しない表現者はすべて偽者でしょう。
すべての表現者がときに嘘つきの自分を発見します。
しかし、それでも、
本物といえる表現者たちは自分の表現は自身にとっての<正気>によって掘り起こした「まっとうなもの」によって世界を問うという確信の下に作品を提示するのだと信じています。
世界に在る狂気こそ暴け。
精神の義勇兵、立島夕子、および尊敬すべき多くのひとたちへ。
そして、いつもながら特別な感謝を、
そして朽ち逝けゆりの花
2月25日
苦しそうな 、あなたには 、
From nakao chisato To rottenlily@moon at 2002 02/24 20:40 一対の一対の もう 動かない わたしたちの 椅子 肘掛の 言葉を 生めずに もう |
しんとしてある 、夜 いま ここには 、
とても贅沢な静寂があって 、その 静寂は 、
なにか モノ を 読む 作業に必要とされる静けさ以上の モノ を 書く 作業に必要とされる 極 上 の静けさに満ちていて 、
ぼくが棲むこの土地の名前は「 山 王 台 」といい 、山岳信仰の日枝神社を麓にいだく「 山 の きみ 」の住まう土地で 、
横浜市で一番海抜の高いこの住宅地に 、そびえ立つ二本の鉄塔を見つけてください 、横浜市内の警察無線はすべてこの二本の鉄塔によって媒介されています 。
喧騒に溢れていた時代には過激派がこの鉄塔の元に爆弾を仕掛けました 。
以来、いまでも24時間、鉄塔は「 見 張 り 」たちの監視下にあります 。
国会中継を気にしていた 先 週 が 終わりました 。
あなたには 無 事 を 、そして 、
あのものたちには 爆 破 を 、
それがぼくの棲むこの土地の 風 土 です 。
特別な感謝を 、
そして朽ち逝けゆりの花
2月18日
最近、YAHOOオークションにご執心です。
出品するのではなくて、購入する方でね。
お買い物はギター。
エレキではなくて、クラシック・ギターやアコースティック・ギター。
先週は5本も購入。
2台はまともなお品で、3台はいわゆる「ジャンク」と呼ばれる商品。
この「ジャンク」、その名の通り廃材のこと。
だけれど、ある程度の知識があれば、簡単に楽器として甦らせることができる。
そのうえお値段、一台につき¥1000と格安。
ギターの場合、その甦らせ方は特に簡単で、基本は各部分を丁寧に磨いてあげること。
それと欠けた部品を市販のパーツと交換してあげること。
それだけ。
それだけで、元廃材が、突如「まとも」な楽器として機能するのだから、YAHOOオークション、ついつい熱心に物色してしまう。
で、3台それぞれ届いたのだけれど・・・・・・。
そのうちの一本、YAMAHAのクラシック・ギターが、注文した商品と違うようだ。
だって、変なシールが貼ってあるのだから。
ツーっと冷や汗。
白と黒の絵柄のシール。
これはパンダさんだ・・・・・・。
梱包を開けてみる。
やっぱり、パンダさんだ。
↓
↑ブリッジ部分にぺとり☆
↑ネック側にもぺとり☆
シールの絵柄の下にはそれぞれ、こう書いてある。
「カンカンちゃん」「ランランちゃん」
なあんだか、意識がヌーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと遠くなる。
「カンカンちゃん」「ランランちゃん」
さて、これは一体いつのシールだろう?
キーワード「カンカン」で検索してみた。
ああ、カンカン、ランランは1972年、日中国交正常化を記念して上野動物園へとある。
1972年、ぼくが生まれた年だよ。
以下、上野動物園のサイトより無断転載(ごめんね)。
「昭和47年,日中国交回復によって,中国から日本に送られたパンダ,カンカンとランランが上野動物園にやってきた。
初代のペア,カンカン・ランランには,残念ながら2世は誕生しなかったが(ランランの死亡時の解剖で胎児が認められたが),2代目のペア,フェイフェイ・ホアンホアンの間には3頭の子供が誕生(チュチュ産後まもなく死亡,トントン,ユウユウ)した。
ユウユウとの交換で北京動物園からリンリンがやってきて今日に至っている。」
へええ、いまのカップルはトントンとユウユウか・・・・・・知らなかったよ。
知ってた? ねえ、知ってた?
ああ、思い起こせばカンカンちゃん、ランランちゃんは、ぼくの世代の子供時代は憧れの動物だった。
その証拠にパンダ「さん」と、「さん付け」で呼ぶのが普通だった。
かくいうぼくも本物を見たことがある。
何歳のときかは記憶にない。
とにかく父親に手を引かれて家族で憧れの上野動物園へ行ったんだ。
そうか、あれは日頃、共働きのパパ、ママ休日返上の「子供サービス」だったんだなあ。サンキュ、パパ、ママ!
で、カンカンちゃん、ランランちゃんだ。
もう押すな押すなの大行列。
やっと見られた彼、彼女。
「与えられた笹ばかりを、のべつまくなし貪っているだけのナマケモノ以下のクマだった」
実物を見てしまうととても失望したのをよく覚えている。
あと、サル山でアニキが・・・・・・え、サル山でアニキが・・・・・・何かをしたんだよなあ・・・・・・サル山でアニキが・・・・・・何したんだっけなあ?
うううん、微妙に思い出せなくていまとても苦しい。
そうした二〇数年の歳月を経て、カンカンちゃん、ランランちゃんと再会した訳だ。
実際に注文した商品とは型番が違うので、クレームを入れる。
それでも磨いてあげる。傷は治らないもの、その点は仕方がない。
うん、綺麗になった。ピカピカだよ。
弦を張り替える。元の弦は遠い昔にクラシック・ギターが主流だった頃に製造された独特の形状をした弦だった。やはり本体は余程、古いものと改めて認識する。
うん、治った。
音の方はまあまあ。ただ、その分、抜群に弾きやすい。
たださ、「カンカンちゃん」に「ランランちゃん」である。
もう思考が停止したり、誤作動したりするよね。
前の持ち主はどういう経緯でこのシールを貼ったのだろうか?
子供のいたずら?
だとしたら、可哀想なのはこのギター、元の価格が当時で6万円後半と推測されることだ。
この値段は充分な中級者用。
うううん、恐るべしちびっ子。
問題はこれから先のこと。
シールを剥がすには、特殊な溶剤を東急ハンズに買いに行かなくてはならない。
それに、いまにしてみればこのシールの方が、ギター本体よりも、もしかしたら貴重なのかもしれないね←などという思いをどうしても消し去れない・・・・・・。
しかし、だからといってこのギター、シールはそのままに立島夕子展で弾けるだろうか?
ムリだ・・・・・・。
ああ、カンカンちゃん、ランランちゃん。
かつてきみたちは本物のスターだった。
とても輝かしい。
しかし、笹を食うだけのクマだった。
サル山でアニキが・・・・・・何をしたのだろう?
あ、秋篠宮殿下が金髪になっている・・・・・・皇室初の快挙だろう・・・・・・。
誤作動するわたしのメモリー、想い出のギター。
2月11日
30歳になって3日目だ。
2月9日が誕生日。
午前4時ごろ、遅々として進まないバック・トラックの製作作業がひと段落。
疲れ果ててコタツにもぐりこみ、仰向けで天井を見上げる。
その瞬間に気がついた。
「あ、オレ、30歳だよ!」
ああ、30歳・・・・・・。
遂に恐れていた人生のスクランブル交差点!
映画「ファイナル・ファンタジー」興行収入最悪!
なんて劇的なことは一切なく、ただ淡々と「あ、オレ、30歳だよ」と思った。コタツで温まりながらネ。
意識しえる変化といえば、好きな言葉が「ええ! もっとお若い方かと思った。よく学生さんと間違われません?」というものに変わったことくらい。
ちなみに以前好きな言葉は「文明開化」。
誕生日当日、2月9日は西早稲田ジェリー・ジェフで久しぶりのソロ公演。
皆さま、BBSへの感想、書き込み、どうもありがとうございます。
概ね、好評なようで嬉しいです。
ただね、いい訳ひとつ。
ぼくのスタイルはバックにあらかじめ製作したMD音源を流しながら、さらにその場で音を出すというもの。
今回、そのMD音源がほぼ使えない状態になってしまったのだよ。
理由は今回の「小屋」が、ライブ・ハウスではなくて、ロック喫茶だったため。
ロック喫茶ゆえに大きな音量を出せない。
その点はお話を受けた段階で確認済みだったのですが・・・・・・。
あのですね、「その場で紡ぐ音、たとえばギター・アンプから出す音を小さく」←なんてコトばかりを考えていて、バックのMD音源の音の大きさはある程度、確保してもらえるだろうと勝手に判断してしまったんだなあ、大失敗。
もう少し詳しく述べると、件のMD音源は「音圧」自体が大きく設定、製作されているために、「音量」を小さくするには、極端なまでにヴォリュームを落とさないといけない。
で、MD音源が使えない、そのことが分かったのが開店20分前だったのさ、テヘ!
ステージ進行はすべてそのMD音源に沿って組み立てていたのに、ああああああああああああああああああああああああああ。
という訳で、当夜のパフォーマンスはすべてアドリブです。
怖いよ〜、「次に何をするのか」決まっていないというのは!
ただ基本になるテーマは決まっていました。
2001年9月11日以降、考えつづけていたこと。
「エルサレム 約束の地などない そこには花が咲くという ひとがついた嘘ひとつ エルサレム 約束の地などない」
核の部分は自分の中ではっきりしていました。当日、微かに流れていたバックのMD音源をしっかりと聴いていただく機会があれば、より一層、鮮明になると思います。
ただね、進行はすべて白紙状態。
脳みその中はいまやること、次にやることはナニ? で大混乱。
持ち時間が終わる。
お客さんはもう呆れ果てているだろう、「もう止めときなよ」って・・・・・・。
ところが意外。
いただいた拍手が予想に反して長い。
それも、きちんと両のてのひらを重ねて叩いていただいている。
あれえ?
翌日、収録していたデジタル・ビデオで自分のパフォーマンスを振り返りました。
破天荒ながら、これはこれ、まあまあだ。
あら、このマンドリンの旋律はとってもブルージーね、新鮮。
あ、ぼくのハモニカってこんなに格好いいんだ!
「へええ、こんなことしてたんだ」←の連続。
他人事のように振りかえる。
そして確認。
「エルサレム 約束の地などない そこには花が咲くという ひとがついた嘘ひとつ エルサレム 約束の地などない」
そのテーマをきちんと歌えていた。
これこそ肝心。
つまりは結果、オーライです。
ただ、あれほどエレキギターを弾かなかったライブは初めてだな。
途中、よく弾いていたのはエレクトリック・シタールです。誤解なきよう。
実をいうと自分の演奏が終わってから無性に「楽しかった」って思えた。
うん、すっげえ楽しかった。
荒井歩さん、川口雅巳さんチーム、怖のEDDIEさん(出演順)
本当にいいひとしかいない。それでいて皆さん、尊敬しえる本物のミュージシャンだ。
とりわけソロでは初のステージという怖のEDDIEさん。この国の若い方で、あんなに繊細で素敵な音楽を奏でられるひとは本当に宝だよ! 紛れもないオリジナリティ!
終演後に挨拶に伺ったら、反対に握手を求められて照れちゃった。お互いシャイね。
本物のミュージシャン&みんないいひと。こういう日はそれだけで本当に嬉しい。
これは中心が川口雅巳さん、寺嶋暁子さんだからこその布陣だよなあ。
当日、あの場にいたすべての方に感謝いたします。
残念ながら、前日のDJ灰野敬二で過労、断念というあなた!
収録したデジタル・ビデオが「作品」として面白いので、よかったらご覧いただけたらと思います。生の迫力までは伝わらないけれど、なんとなく面白いですよ。30歳男が変な格好で妙な楽器を演奏しています。しかし、本人の顔がいやに真面目です。面白いなあ。
ステージ最後、友川かずきの「武装に足る言葉などないのだ」のカヴァーがしっかりと収まっています。この曲は会場ではあまり伝わらなかったようですが、このビデオではきちんと「聴けます」。
湾岸戦争の只中で生まれた曲。
いまアフガン空爆。「2002年は戦争の年」というブッシュ大統領の年頭教書。
あの曲をいまこそ歌いたかった。
オリジナルは「花々の過失 友川かずき PSF」に収録されています。
30歳と3日目。
今日も静かに読書かな。
あ、そうそう、30歳になって見えてきたことがあります。
ぼくは60歳、70歳になっても元気にステージに立っているだろうなって。
日々精進。
アンコール。
「エルサレム 約束の地などない そこには花が咲くという ひとがついた嘘ひとつ エルサレム 約束の地などない」
2月7日
報告かなり遅れましたが、
「ミスター・ヴァーティゴ ポール・オースター 新潮社」
読了。
今回のオースター作品には読了までに時間が掛かった。
普通、熱気で一晩で読みきるところなのだけれど、うん、ね。
作品があの広大なアメリカ大陸を「移動」するというのが「軸」になっているようで、
そう、読むぼくも移動に時間を要したのだろう。
また、しかし素敵なオースター小説だった。
ここ数日は近づくソロ・ライブに向けて素材を溜めている。
オースターのようなソリッドな言葉を遣う作家は、ヒントを囁いてくれる。
不思議だ。
構想がある。
それもいくつも。
ただしそのすべてが当日うまく機能するかどうか?
そんなことを考え始めるとまず使う楽器から考え直す。
ゼロからいちに、いちからゼロにね。
この夜はライブ・ハウスではなくてあくまでもロック喫茶。
大きな音量で攻めてきたぼくにとって、「爆音禁止」のこのスペースはひとつの試練だね。
静粛に、諸君。
ぼくが出演していなくても当夜のメニューは興味深いもの。
2/9(土) 19:00start \1500+1drink
西早稲田(高田馬場)ジェリージェフ(03-3208-1839)
EDDIE(怖)
姫路のハードコアデュオ怖のベーシストEDDIEの弾き語り。独創的なギターと繊細な
ボーカルを聴かせる。
なかおちさと http://www.sonimage.ne.jp/
ソニマージュレコーズ主宰。三上寛をして「アンダーグラウンドの新しいスター」といわしめた。
川口雅巳 http://www6.plala.or.jp/Purifiva/
みみのことのメンバー。今回はDoodlesのメンバーやスズキジュンゾなどをゲストに迎え特別編成で。
荒井歩
Doodlesのギタリスト。今回が初めてのソロによる弾き語り。
西早稲田というロケーション。
そこはぼくや川口さんにとっての母校がそばにあるところ。
あの土地の周辺には脳髄の中を無理やり法律の条文解釈で埋められた法学部生の嘆きが転がっていて、
嘆き、
躓いたら、それは遠い日のぼくの嘆きだろう。
ぼくの出番は一番最後だ。
行くよ。
1月31日
もうずっと探している本があるんだ。
ふうん、注文すれば? とか、そんな簡単な出会いは嫌だよ。
その本は宇宙の定理について書かれているというのだから、どこか魔術的な出会いがしたいんだ。
何処までも続く背表紙を目で追いかけて、ふと目を止める、その瞬間、ぼくの瞳孔は狂喜に見開かれるはずで。
新刊でも古書でも構わない。
古書店に勤めているあの娘に訊いてみるのも出会いかも。
ただ宇宙の定理について書かれた本を利用して、形を変えたナンパはいけないよ!
先週末も書店巡り。
問題の本は残念、この店にもない。
ただ、素敵な詩集を手に入れた。
「骰子一擲 ステファヌ・マラルメ 思潮社」
たった一編の詩を収録しただけの、それはとても薄い本で。
なのにとても重い。
「骰子一擲いかで偶然を廃棄すべき」
その本もまた宇宙の定理について考えられた本だった。
店先でその先を追うぼくに一行、鮮烈な言葉が目に入ってきた。
「狂気は廃棄すべき」
言葉と本当に出会う。
それはこれまでぼく自身の中に言葉にならずにいた様々な想念が、他者の言葉という形をなして現前する瞬間。
戦争には反対、それなのに狂気じみた真似が大好きな自称芸術家のぼくは深く恥じ入り退場してゆく。
この本はあくまでも宇宙の定理について書かれた本。
「狂気」の言葉遣いも違う字義のもの。それは分かるのだけれど。
この震えはなんだ?
正直に告白すると、年末に「癲癇。」を書き上げてから独特のアパシー(燃えつき)に悩まされていた。
言葉を書くのが怖くさえあった。詩篇「癲癇。」の実際は、臨死に近い事故体験だった。
臨死という実際と、言葉の比重とに瑕疵あり。
このページ「見送りの日」の更新が少なくなったのもそうした背景がある。
件の詩集に出会い買い求めて帰宅。
メール・チェックをすると洸本ユリナさんからこのページへの投稿があった。
このページへの投稿は本当に久しぶりで嬉しい。
いまの彼女が浮かぶ。
いまの彼女が浮かんでいる。
静寂に沈みゆくトーンがあり、不安を謳いながらも、どこか落ち着いてある。
久しぶりに彼女のサイト
そして朽ちゆけゆりの花
書き込みをしようか。
いまぼくはなにを書けるだろう。
お礼として返詩を捧げたいが、いまのぼくの能力では無理だよ。
せめて丹念に書こう。
結果、結晶したその詩、スタイルを感じた。ソリッドであらんとする決意。
そして出会ったばかりの言葉。
「狂気は廃棄すべき」
「癲癇。」以来、一ヶ月。
2002年、ぼくの最初の詩作のひとつ。
もう1月も終わろうとするそんな時期になっていた。
nakao chisato at 2002 01/29 09:55
もし 死にたいと 死にたいと
こころから 願うなら
試みに
倒れ伏し 目を閉じて ものも考えず
ただひたすらに 暗闇とともにある しばらく
そんな時間を 過ごすといい
私 の 死
咽喉に 渇きを覚えても 起き上がることなく 目を醒ますことなく
水を希求せずにいられるだろうか
私 の 死
きっと 口中に 溢れる 唾液を 飲み下す その音とともに 終わることだろう
私 の 死
ひとつ 学ぶ
音は 生を得て 音立てる
唾液を 飲み下す 音立てる
束の間の
私 の 死
特別な感謝を洸本ユリナさまに。
1月29日
Vajraのステージが終わった。
「新年明けましておめでとうございます」
三上さんとそんな会話を交わした。
灰野さんによると、三上さんはTVの取材で旅行。
かなりの秘境だったのか、過酷なロケーションで、5Kgも痩せたそう。
「エステとかで体重を5Kgも落とそうとすると200万円くらい掛かるんだってな。オレ、絶対、この体重キープするよ」
と仰ったとか。
「三上さんの話はサイコーだね」と灰野さん。うん、とにかく三上さんのお話は面白い。
肝心のステージがこれまた素晴らしい。
全員、50歳近辺のバンドなのに、これだけのパワーがあるバンドは世界中の何処を探してもないかもしれないよ(分からないけれどさ)。
ぼくは「これこそ21世紀ブルースだ!」って狂喜した。
二〇世紀初頭のアメリカを起源としながら、21世紀初頭の日本で創り直された百年後ブルース!
大成功の余韻を残して打ち上げ。
まだ不確定ながら、打ち上げの席で次回の日程を決めていました。
小屋さえ空いていれば5月20日近辺に、早くも次回のステージが観られます。
今回、見逃した方は絶対に必見なのさ!
Vajraの凄いところは2年ぶりくらいに顔を合わせたというのに、打ち合わせや練習は一切せずに当日集合。
ところがリハーサル開始2分であっという間にVajraスタイル完成。
仕組みとしては灰野さんと、トシさんが組んでバックトラックを創る。
そこに三上さんが日頃からの持ち歌をいつも以上に爆発させながら歌うというやり方。
すごく可笑しいのは、三上さんのギター・スタイルって、コードAmをたったひとつの手癖、指癖で弾くだけ。
実はそれしかしない。
もちろん流れとして他のコード、特にDm、Gなどを絡めるのだけれど、基本はあくまでもAmを手癖、指癖で変化させる、それだけ。
そのワン・アンド・オンリーの徹底ぶりが並みじゃないんだ。
灰野さん曰く「それしかできないけれど、サイコーだよね」って。
当日、ステージで珍しくサングラスをかけていた三上さん。
実はあれこそ三上さんのVajraスタイルなんだそうで、楽屋で重々しい雰囲気でサングラスをかけて、
「よし、Vajraだ!」
とバッチシ決めるそうです。
三上寛、
ブルースマン、かくありき!
尚、今年のなかおちさととの共演も約束しました。お楽しみに。
1月25日
このページ「見送りの日」、そのタイトルは、過去のバンド名。
いやいまだ解散など宣言していないし、やる気もあるのだから未来へと繋げるつもり。
この「見送りの日」という言葉はぼく自身が創った言葉という自覚があり、それは特別な存在。
昨日、過去のMDを漁っていたら、行方不明だった第三期「見送りの日」の音源を発掘した。
1995年11月22日 at SHOWBOAT高円寺。
対バンはゲルハルトフックス氏のある休日の午後だった。
第三期「見送りの日」のステージはこの日限り。
ドラムの長尾歩がお子様を身ごもったために活動停止。
前任のドラマーは、ザ・サーフコースターズにて当時もメジャー活動していた花岡昭和。
彼の抜けた穴を埋めるために、後任の長尾歩とは1年強も毎週スタジオ練習を積んでいた。その間、まったくステージ活動をしていない。いまではまったく考えられない。
初めてのスタジオはとてもギクシャクしたものだった。
長尾歩というひとは極度の緊張症だったから。
それでも2度目のスタジオ、新宿のJAMに隣接するスタジオで「さあ、フリーでやろう」と音だしした途端に彼女はまるでキース・ムーンのように叩きまくった。唖然。
ドラムには「パターン」がつきものだけれど、長尾歩はそこから抜け出すために、ひたすらに乱打する。その乱打の波長がぼくにはとてもしっくりくる。美しいドラムだし、美しいドラマー、それが長尾歩だった。
昨夜、ただ一度きりのステージの記録が見つかった。
日付は上述通り1995年11月22日。ぼくの23歳の記録だ。無茶ばかりしていたのが分かる。音楽というよりも、FAZZギターの壁だ。
ページ「sonimage ep. collection」にアップした。
AGE23.mp3
この曲は決して当日のベスト・テイクという訳ではない。
ただ、何分、この曲の最中にギターを壊してしまったので、以降の曲には「鳴らない弦」があり苦しい。
うたよりもギターの方が雄弁だった、そんな23歳の記録。
叶えられない、ぼくらの未来、行方不明の、
今年、長尾歩から年賀状が届いた。
「私たち、いつ音だしするの?」
いつでもいいよ、長尾歩なら。
1月24日
信じられない悼み。
ピエール・ブルデューが逝去した。
巨大な星が落ちた。
まだまだ多くの仕事を残しての死、71歳。
「サルトルらしくないサルトル」
このひとにぼくは学生時代から本当に多くのことを学んだ、しかしまだまだ彼の言葉に耳を傾けたかった。
法学部の退屈な条文解釈から、社会学という広大な領域へと目を見開かせてくれた。
彼の「グループ」「ネットワーク」は居心地の悪い法学部の中で、ぼくが唯一、専門領域と呼べるところ、法社会学へと導いてくれた。
いやだ。
本当に嫌だ。
知性が消える夜は怖い。
「現代を代表する知性」と言われるフランスの社会学者でコレージュ・ド・フランス名誉教授のピエール・ブルデュー氏が23日夜、がんのためパリで死去した。71歳だった。
スペイン国境に近い農民の家に生まれ、哲学を学んだが、兵役でアルジェリアに動員されたのをきっかけに民族学、社会学に転換。34歳で社会科学高等研究院教授に就任。同研究主任も務めた。
◇
68年学生運動のバイブルといわれたJ・C・パスロンとの共著「遺産相続者たち」(64年)で注目を集め、その後「ディスタンクシオン」(79年)、「実践感覚」(80年)などの著書で広く世界に知られた。
「ハビトゥス」「文化資本」などといった独自の概念を駆使。綿密な社会調査の結果と突きあわせながら、教育や階層化の問題などに取り組み、広い分野の研究者に影響を与えた。
また、積極的な社会的発言でも知られ、近年では、グローバリズムに反対する代表的な論者の一人だった。
(21:45)
1月21日
(1月20日午前10時半改訂稿。初稿には誇張過多な表現がありました。削除訂正いたします)
「曽我部恵一の白いスニーカー」
その昔、根本敬さんのイヴェントに潜りこんだことがあって(あれは招待扱いで入ったのかなあ)、それは深夜、CLUB
CITTA川崎、オールナイトのイヴェントで。
多彩な出演者の中にはゆらゆら帝国、高田渡、遠藤賢司などがいて、そして人気絶頂期のサニーデイ・サービスも出ていて。
どの出演者も印象的だったなと懐かしく思い返したりする。
圧倒的だったのはやはり遠藤賢司。もう、それはそれはもの凄いテンションに支えられた驚愕のステージだった。口をぽかんと開けて眺めている他なくて、このひとに匹敵する日本人アーティストって、灰野敬二、友川かずき、三上寛、うんほんの数えるほどしかいないなって。
ゆらゆら帝国はメジャー・デビュー・アルバム発売前夜だったかな。ソニマージュ・レコーズ企画以来、久しぶり。当時はかっこよく見えたけれど、いま、なぜか仔細には思い起こせない。
そしてサニーデイ・サービス。
ぼくは彼らをCD作品のみで接していて、あのスタジオ・ワークこそ彼らだと思っていた。
ところが、曽我部恵一の強引とも言える轟音によるギター・ソロを聴き、またギターを狂い弾くその姿を見た瞬間に、流布されているような「よいこ」的なパブリック・イメージは見事に吹き飛んだ。
思わず「やるじゃん」って言葉を零した。
轟音を繰り出すギタリストには固有の「平坦さ」があったりして、音の「粒立ち」が潰れずに、むしろ豊かにあるひとは少ないもの。
彼が提出する音楽総体へはやっぱり疑問や懐疑が残るけれど、純粋にギタリストとしての部分のみを切り出したら、そう、いいギタリストで。
全身を使わなければギターの可能性を引き出すことができない。その秘密を知っている。
あの夜から数年、つい先日、ぼくは曽我部恵一とひとと間近で接っする機会に恵まれた。
時代は流れて、サニーディ・サービスというバンドは、もうこの世界になかった。
灰野敬二がギター、曽我部恵一が語り、そこにHIPHOPのループが流れる意欲的な実験作。
トモナヲさんという方が主宰のインディ・レーベルのオムニバスに収録予定で、発表ももうすぐだそうだ。
ぼくはその貴重なレコーディング現場に灰野敬二サイドのスタッフとして参加した。
渋谷駅近辺の某所が待ち合わせ場所だった。
ぼくと灰野さん、そしてドライヴァーのMさんとで待ち合わせ場所に到着する。
少し猫背気味の長髪の男性が座っていた。
その風貌はとても控えめなアウラを放っていて、後姿を見るなり分かったな。ああ、曽我部恵一だと。
至近距離で見る曽我部恵一というひとは、そう、本当に音楽というものに夢中なんだろうな。だって、灰野敬二を見た瞬間の彼の瞳には、ずうっと憧れのアーティストであった灰野敬二といま挨拶を交わせるんだ、そんな喜びが身体の底から溢れてくる。まるで少年のような湧き出る、湧き出る幸福でいっぱいの、本当に素敵な笑顔を浮かべている。その目の瞳孔が喜びに見開かれているのがよく分かって、ああ、出会いというものがもたらす感動をこんなに率直に表情で表せるひとって本当に久しぶりで、その横顔を眺めているぼくまでもなんだかとても幸せな気分にさせてくれた。
稀少な、稀少な笑顔だった。
曽我部恵一、彼の足元にはアディダス製の真っ白なスニーカー。その、見る者の目に飛び込んでくるオフホワイトの鮮烈な印象。それがこのひとのスタイルだって実感した。浅薄なファッションじゃないんだな、、その白いスニーカーは曽我部恵一というひとの飽くまでもスタイルだ。良質の少年性を漂わせずにはいられない、そんな確固としたスタイルだ。
レコーディングの合間、合間。曽我部恵一はぼくのようなただの付き人にも繊細な気配りをしてくれた。優しい声音で、優しい気遣いをしてくれる。まったくもって腰が低い。雑誌のインタビューなどでの強い調子の言葉たちを知っていたぼくにとって、そうした彼本来の人柄はまったく予想不可能なものだった。
かつて渋谷公会堂でのステージを観たことがある。アンコール、「静かな曲をやるよ」と曽我部恵一は観客に向かって言った。突如、会場から不満の声が漏れた。観客のこうした反応。それはライブ・パフォーマンスの場面でのサニーデイ・サービスというバンドは激しい曲の方が断然に映えたからだった。サニーデイ・サービスというバンドは、意外かもしれないけれど、本質において「ライブ・バンド」だったといまでも思っている。ただね、観客の不満の声を聞いた曽我部恵一は会場に向かって吼えた。
「いま、エーって言った奴は帰れ!」
そうした曽我部恵一を知っていたから、常に誰に対しても気配りを忘れない、そんな本当の人柄はまったく意外。
それでね、レコーディング終了、さて、皆で軽くお茶でもとなったとき、彼は言ったそう。
「ごめんなさい。僕、今日は娘をお風呂に入れる係りなんです」
はは、素敵な理由だ。本当に。
最新ソロ・シングルの歌詞に娘さんのハルコさんのお名前が登場する。
「ハルコの乗ったバギーを揺らしながら」
このソロ・シングルは、レコーディング当日、ドライヴァーのMさんがカーステレオで流してくれた。正直、一聴したときの感想は「なんだか冴えないね」ってもの。
ただね、半日、ご本人と接したら、最初、聴こえなかったものが少しだけ聴こえるようになった。
違う響きで鳴り出した。
とてもいい具合に鳴り出した。
レコーディング終了後に灰野さんが曽我部恵一というひとを評価して言ったことが忘れられない。
「結局、<いい奴>が勝つんだよなあ。それでいて会場に向かって<帰れ!>なんて言えるようなさ、そんないざというときに殴れるってことが人間として凄く大事でさ」
ここまでの文章、ぼくは「曽我部恵一」とフルネームで書いてきた。ただね、間近で接したいま本当は、「曽我部さん」、彼のことをそう呼びたくて仕方がない。それはご本人の人柄への敬意からで。
彼の本業、音楽家として、また作詞家としての資質に関して、注文をつけたいところを挙げただしらそれこそきりがないだろうし、またわざわざ注文をつけようなんて思い立つほどの期待が、いまのぼくの中にあるのかさえ不明というのが正直なところ。ただ上述のようにライブ・パフォーマンスにおいての激しいギター・ソロに関しては、ほぼ同世代のアーティスト(ぼくよりは年上だったかな?)の中では稀少な存在だと思ったことがある(但し、それでも音楽家としての資質と、ギタリストとしての評価には「次元の違い」はやはり否めなくて。たとえば川口雅巳さんに対して抱く気持ちとは決定的な違いがあるのは事実で)。
ただ曽我部恵一の白いスニーカー。彼のCDコレクションには灰野敬二のアルバムがいっぱいあって、待ち合わせでの最初の挨拶で見せた、憧れの音楽家・灰野敬二と挨拶できる喜びに目を潤ませていたこと、音楽少年そのままにいまにいたったって証が、足元の白いスニーカーの眩しさで。丹念に振り返ろうか、彼が遺してきた仕事を。丹念に聴いてみようか、最新のソロ・シングルを。
「ごめんなさい。僕、今日は娘をお風呂に入れる係りなんです」
生活とテンポを合わせながら、作品を発表するようになった、いま、これからの曽我部恵一というひとの仕事を。
曽我部恵一の白いスニーカー。
白いスニーカー。
ファッションではない、スタイルというものの眩しい表出。
白いスニーカー。
「このひととはまたどこかで出会うだろう」
僭越ながら、そう思いました。
曽我部恵一さま
1月17日
日々雑感
(↑要するにどうでもいいことです)
テレビジョンを観ていると常日頃思うんだけれど、
「ジャニーズJr.の小童どもは、一度、ぼくに挨拶をしに来てからデビューして欲しい」
分かんないんだよ、日々増殖しつづけてさ、誰が誰なんだかよお。
やたらめったら増えるなよ。
「モーニング娘。、きみたちもそうだ」
その点、大先輩のsmapはいい。
稲垣吾郎が復活した今週の「smap×smap (フジ・テレビジョン)」の瞬間最高視聴率は五人のメンバーが揃ったとき、
なんと39パーセントだとか。
うううん、稲垣吾郎。
「彼がこれだけの視聴率を獲得することはこの先、彼の一生涯無いだろうな」
でもいいよsmap。
なにがいいってメンバー全員に「顔がある」。
「最近の芸人は顔がない」
そう嘆いたのは立川談志だけれど、smapにはそうしたスターとしての決定的な資質に不安がまったくないのがいい。
smapを赦すようになったのはいつ頃からだろうか?
本当にここ数年のことだ。
シングルでは「セロリ」からだと思う。
音楽仲間が少しずつ少しずつsmapと妥協してゆくうちに、正直、はなから目にもとまらなかったのが、ある日、突然メンバー全員「いい顔」していることに気付いたんだ。
「いい顔」とは好みの問題じゃなくて、まずしっかりと「顔がある」こと。
顔を崩さないためのメンバー個々の努力や自覚がしっかりしているからのようで、巨大プロダクション云々以前のことのようなのが清々しい。
かつてのジャニーズ・アイドルは歳を重ねる度に無残に顔を崩してきた。
smapに関してはそれがないのがいいね。
全員が全員「ばら売り可能」なのは、全員に「顔がある」ということの証だと思う。
今週の「smap×smap」を分析的な視点から、一瞬、一瞬の個々の顔つきを検証してみたけれど(ヒマだね)、いいね。
特に復帰した稲垣吾郎は顔が緩む一瞬もなかった(事件前の映像が流れたけれど、そのときの顔は緩んでいた)。
あと、着ている服は明らかに変だ。
ま、いいか。
ええとね、正直、アイドルなんてどうでもいいんだけれど、それでも一時代を力強く創る人には独特の力と、分析に値する要因があって、「smap社会美学」というのは充分成り立つと思う。
smap以降、そうしたタレントは↑のモーニング娘。くらいだと思う。
なんだけれど、モーニング娘。にはポスト・モダン的な「哲学との訣別」みたいなのが鼻について、その点で積極的に嫌いたい。いつでも取替え可能なタレントなんて公共の電波を使ってまでは要らないんだよ、最悪だ。
smapと稲垣吾郎の今回の事件、稲垣吾郎の復活を待つという決断は自分たちは取替え不能だという宣言をしっかりとしたんだ。
それは「タレント」を自称する人の当たり前のプライドだと思う。
ちなみに灰野さんは「徹子の部屋」には出ていません(遅すぎる裏レス、ごめんよ。1974年にマジカル・パワーマコでNHKに出演したことはあるそう。番組史上最高に苦情が殺到したそうです)。
横道に逸れた。
ええ、最近、驚いたのは「3年B組 金八先生」の最新シリーズに出てくる、成迫くん役の男の子(名前までは知らない)。
彼、ジャニーズJr.だとか。
いい意味でまったくそうは見えない「いい顔」している。
「顔がある」。それも非常にあたらしい顔。これまでテレビジョンにはなかった顔だ。
へええ、ジャニーズもこんな顔の子を送り出すようになったのかとちょっと感心。
ただ彼に関してはノー・プロブレムですが、繰り返します。
他のジャニーズJr.の方は、いちいちぼくの許可を取ってからテレビ出演してください。メールで結構です。ただし、「許可は中々、降りません」。あしからず。
日々雑感。
smap、特に偉大なダークホース(ああ、ジョージ・ハリスン!)稲垣吾郎研究でした(まっとうに社会生活を送っている人には本当にどうでもいいことよね。ヒマなのよね)。
1月15日、午前10時30分
PiCNiC!!
BBSの方が新年より活況を呈していてとても嬉しい。
レスの遅れが目立っているのは、皆さんが言葉の本来の意義で「書き込んでいただいている」、そんな貴重な、「流すこと」を許さない書き込みばかりだから。
幸せ。
ひとつひとつ丁寧に答えたいなと本当に思う。
それはひとりの静かな時間を選んでね。
こうした時間は「造ろう」と思わないとできないのだな。
ただこのレスの遅れで、「またもや体調悪化?」のようなご心配をお掛けしたようで、ごめんなさい。
いま少しお時間くださいね。
実は今週、灰野さんのレコーディングに御伴するので日々、少し緊張気味。
今度のレコーディング、灰野さんはゲスト参加でギターを弾くそう。
メイン・ヴォーカル、というか「語り」を担当するのは、元サニーデイ・サービスの曽我部恵一!
異色の顔合わせ・・・・・・でもない・・・・・・のは曽我部恵一が従来から灰野さんのファンだったこと。
ぼくはサニーデイ・サービスのライブを観たことが二回あるのだけれど、あのバンドはCDよりもライブの方がいい。
特に曽我部恵一のギター。
あれ、CDだと歌やソング・ライティングに耳を奪われてしまって、ギターに関しては生ギターでのカッティングの小気味良さくらいしか意識されない。
ところがステージで曲中にギター・ソロを弾くのだけれど、これが爆音系の「いい音」。
ぼくがギタリストの質を見極めるのに重要視するのは、この「いい音」かどうかということ。
「いい音」の基準は中々、言葉にしづらいね。でも聴いた瞬間にはっきり駄目なギタリストかいいギタリストかが分かる。
曽我部恵一というひとは非常に「いい音」を奏でていました。
なんというか「身体を使って弾いている」んだな。
この「身体を使って弾いている」って辺りに灰野さんへの憧れが見え隠れしてた。
このある意味で豪華な競演、今週がレコーディング。
発表はまだ先のお話。あるインディ・レーベルのオムニバス・アルバムで発表されます。
昨日、1月14日は祝日。忙しくなる前にのんびりPICNIC!!
我が家の近所に児童遊園地という横浜市が管理運営にしている広い敷地があるんだな。
ここ、「遊園地」という言葉の響きから連想されるスペクタクルな乗り物(←意味不明、ごめんよ)などは、なにひとつなくて、ただ広い敷地に、あひると鴨がのんびり暮らす池、わらわらと大雑把に放し飼いにされた猫とニワトリ、背の高い木立、そして太陽があるだけ。
それでもぼくはけたたましい「普通の遊園地」なんかより、断然、この「愛想のない遊園地」の方が好み。寛げるもの。
この児童遊園地には英国領外人墓地(戦没者墓地)、こども植物園、「農とみどりの園」などが隣接していて、そのどれも寛げる空間。
旅人の木という巨大な植物(大きなものは高さ20メートルくらいに達するそう)を真中にいただいて、南国産の植物がさまざまに競い合って生きている温室を訪れる。
外の植物は梅が少し芽吹いている程度で、まだ冬枯れの真最中。
なのに温室の中は一年中花咲く季節。
嬉しい。
遊園地の池にはあひると鴨が暮らす。
同行の彼女が買ってきたレーズン蒸しパン。ちぎっては投げて鴨に餌付け。犬のようにはしゃいだ。
なんだけどさあ・・・・・・ヒヨドリが何処からともなく素早く飛んできて、わあ、空中で蒸しパンをキャッチ、横取りしてゆくんだよ。ヒヨドリの空中芸は見事。目を大きく見開いてしまう程だ。
あのね、レーズン蒸しパンね、ヒヨドリや鴨は寄ってくるんだけれど、あひるにはどうしても無視されてしまうんだよね。
しっとりしててすっごい美味しいレーズン蒸しパンなのにねえ、とぼくが食べる。
ああ、美味しい。
昼間から夕方にかけてのちょっとしたピクニック。
ただ昨日は少し寒かったな。まだインフルエンザを引きずっているようで、夕食のとり鍋にはしょうがをたっぷり入れてみた。
桜の花が咲く頃、また行こうね。
♪ぴぴぴ、ぴくにっく♪
PiCNiC!!
あたらしいページ
「詩集にとりいれられなかった詩篇。」
去年の詩作の一部です。
1月9日、午前7時
インフルエンザ始末記
BBSでのやりとりでぼくが風邪をひいていることを知った方が何回もお電話をしていただいたようなのですが、眠りを妨げられるのが辛く感じたためにPHSの着信音をOFFにしておいたんですね、ぼくは。
いくらかけても電話に出ないぼく。
おまけにBBSには40℃近くの熱が出たとの書き込みがある。
「なかおさん死んじゃうよ!」
東京のご自宅からクルマを走らせて、ぼくが住む横浜まで来ていただいた。
ドアを開けると彼女は言いました。
「きみのは風邪じゃなくて、インフルエンザだよ!」
あ、そうか!
↑ええ、「あ、そうか」と思いました。
「あ、そうか。厳密には風邪というより流行性感冒か」、あ、そうか! と。
そうだよねえ、ただの風邪にしては症状が尋常じゃないと思ったんですよ。
そうか、インフルエンザか!
「インフルエンザと風邪は違うんだよ!」
そう言われて納得。
なるほどね。
「早く病院行くよ!」
へ?
ここのところ風邪のためにお風呂に入れなかったので、身体がえらいこと香ばしいんですけれど、ぼく・・・・・・。
↑そんなことは問答無用でクルマに乗せられ病院へ。
お薬を処方していただく。
消化器官に残った不快感などに特別に処方されたお薬、プラス抗生物質をいただく。
彼女の賢明な判断でいまようやく快癒しました。
ありが10匹。
今回の風邪、改めインフルエンザは少し不思議なタイプだったなあ。
最初は消化器官の不快感だけだったのですが、徐々に関節炎などが併発、次の日に微熱。
日を追うごとに症状が加算されてゆくんです。
その最悪な事態が40℃近くの高熱。
1月7日(月)のこと。
最初に胃の不快感を感じたのが12月31日から1月1日のことだから、随分な時間をかけてくれたものですねえ。
件の電子体温計にて40℃を記録した1月7日(月)は「オレは本当に死ぬな」と思いました。
だって「高熱が出ているのに気持ちが良くなってゆく」んですもの。
寒い!
布団じゃ寒いよ〜!
この時点でお熱40℃。
なのに寒い。
あたまパーですから寝室からこたつがある居間までふらふらと這い出て、おこたに潜り込む。
それでも寒い。
ガス・ストーブ全開。
やっとぬくくなる。
記憶欠落。
はっと気が付く。
オレは何をしているんだ、こんなんじゃもっと風邪に悪いではないか!
と一瞬目を覚まして、
記憶欠落。
「はあはあ、ひとはこんな感じで死んじゃうんだろうなあ」
などと思った瞬間に、ああっ!
ドーパミン大量放出。
暗く寒い夜なんだけれど身体の底と脳みその奥深くから、
ああ、溢れ出すよ温かな、とても温かな、とても温かな、ああこの「流れみたいなもの」はなあに?。
気持ち良くて「連れて行かれそう」になる。
記憶欠落。
目を覚ましたらコタツではなくて、きちんとベッドに寝ている。
あ、また夜だ・・・・・・あの夜からどれくらい経ったのだろう?
記憶欠落。
あ、また夜だ・・・・・・前に目覚めたときの夜からどれくらい経ったのかな?
二日くらい?
三日くらい?
↑これすべて一夜の出来事でした。
朝が明ける頃には熱も下がる。
灰野チームの彼女が我が家に駆けつけてくれた頃にはPCいじくっていました。
「インフルエンザはきみみたいな弱い人が罹ると死んじゃうんだよ!」
きみみたいな弱い人、きみみたいな弱い人、きみみたいな弱い人・・・・・・死んじゃうんだよ、死んじゃうんだよ、死んじゃうんだよ。
「その通りだよ。ホントに死ぬと思った」
ちなみに灰野さんは風邪をひきそうになると生卵の黄身とQP・コーワGOLDを飲まれます(←豆知識)。
1月4日、午前9時
賀正ですね。
賀正です。
なのに背中が痛い。
↑「なのに」の使い方が間違っていますが。
本当は年頭にあたっていろいろ書きたいことがあるのですが、背中に「痛点」があって、タイピングが辛いんです。
この「痛点」、笑点とは違ってめでたいことは一個もない。
ぼくは身体の右と左のバランスがおかしいんです。
そのバランスの不具合が一番顕著なところがこの寒さでひどく痛む。
これが痛点。
ね、笑点とは違うでしょ?
整体の先生に指摘されました。
一種のギタリスト病らしいです。
ある種の運動選手もなるのだとか(「ある種」ってなんだろうね)。
なのでサイトの通常営業ができません。ごめんなさい。
プラス、さっきから眼鏡が見つかりません。
往年の横山やすしのように床に這いつくばって「メガネ、メガネ」と探しています。
見つかりません。
今日、1月4日は自宅の窓辺から富士山と丹沢山系がよく見えます。
あと、おすぎとピーコのピーコの方が、フジテレヴィジョンでいっぱい観られるようです(新聞のテレビ欄をご覧!)。
↑嬉しくて仕方がありません。
久しぶりに小さなフォントでこの日記を書いてみました(過去記事1のスタイルですね)。
ああ、少ししか書いていないのに背中の痛点に激痛・・・・・・。
春よ来い。
本年もよろしくお願いいたします。
くどいようですが、サイトの通常営業は来週から満を持して。
sonimage groupement!!
なかおちさと
12月29日
詩作は午前4時から始まり午前9時に終わりました。
経験上、それは30枚程度の短編小説を書き上げる時間に等しいです。
時間。
詩作とは記憶の孤独な反芻の時間だと改めて知りました。
様々な迂回を経ました。
結びへと繋がるブリッジは当初の予定の「先」を要求しました。
特別な感謝をそして朽ち逝けゆりの花
(このページへの転載は予定していなかったのですが、このページの音源ファイル「martin01.mp3」を聴きながら読んでいただくのが望ましいと判断いたしました)
癲癇。血は思いがけず流れその溜まりはしつこいほどにこの世界に痕跡を遺そうとしがみつくある冬の日暗い夜道を家路へ向かい歩いていたそのとき住宅街は静まりかえり音はわたしの耳を掠める風の音だけだった冬の夜は不純物の少ない大気その微かな振動にもわたしは震えた視界の遠くに犬が立ちすくんでいた一匹彼彼女の吐く息が彼彼女の口から白く立ち上っていた彼彼女の呼吸のたびにその光景は美しかった飽くまでも澄んだ大気に白く吐かれる息吐息わたしは足を止めた犬は尾を振りながらわたしに近づいてきたそれだけのことで大気が揺れるのをわたしはこの肌で感じた厚いコートの上からもその振動は身体にまで伝わるものだ振動はわたしの身体を貫いてさらに住宅街を転がっていった振動はわたしの身体を貫いてさらに住宅街を転がっていった振動はわたしの身体を貫いてさらに住宅街を転がっていったおそらく振動に連れて行かれたのか上下左右に揺れしかしわたしは悲鳴を上げなかったわたしは揺れる視野を楽しんだときおり立ち尽くすわたしを見た夜空に伝説のオリオンの姿を認めた石に躓いたとても小さな石に躓いた石の中には雲母が街燈にきらめきひかり美しくあったつかのま尖った犬歯が視界に飛び込みしかしそれ以後深い濃霧に包まれた霧立つ冬をわたしはあまり知らずにいて思わず悲鳴を上げそうになるのだが声が出ない声が出ない視界は依然として白く大気は容赦なく重い身体を動かそうとするのだが石がどうにも邪魔をする冬の大気は熱という熱をわたしから奪ってゆく動けない指ひとつさえ動かない冬の大気は熱という熱をわたしから奪いしかし冷たくはない寒くはない温かなとても温かないまは春視界が開けた春先の新芽の緑を目にした輝いている視界全体が光り輝いている待望された朝がきた待望された朝がきたそのときだ大丈夫ですかと道行く女性がわたしに尋ねたわたしは大丈夫ですと答えた声が自分のものとなり戻ってきた声が自分のものとなり戻ってきた寒くはないですかと女性は尋ねたわたしは新芽の緑を眺めながら大丈夫ですともう一度答えたとても温かいとても温かくあるわたしに女性はまだ食い下がったこんなに寒くしていたら死んでしまいますよこんなに寒くしていたら死んでしまいますよ依然温かなものが体内を満たしているというのにこの女性は何故また視界は霧立つしかしもう怖くはないもうなにも怖くはないその霧は霧でありながら眩しかったその霧は霧でありながらあまりに眩しく目蓋を閉じるのだがまだ眩しいさらに温かく全身の筋肉が弛緩する誰か呼んできますから女性の声がする自転車をこぐ音がするその音は走り去って行く待望された朝の中を走って行く音がするきみ死んでしまうよきみ死んでしまうよ耳元で男が叫ぶ声がする肩に手が置かれわたしは激しく揺さぶられたわたしは激しく揺さぶられた寒いいまとても寒い脈略もなくコートにしがみついている血をわたしは不思議に思ったわたしのコートには血がついているただ誰の血なのか依然として分からない |
12月21日
「その3」でなくてごめんね。
それよか大変! タイヘン!
「お気に入りのコートの袖の脇のところに大きな穴があいていたよ」
19日のLaLa公演のときに気付いた。
「あ、穴が開いている!」
と叫んだわたしにメンバー、菊池明から返ってきた言葉、
「そうだよ」
そうだよってなに?
「ず〜っと、わざとかと思っていたよ」
・・・・・・。
へええ、と思いましたね。こういうとき人間は、へええと思うものなんですね。
「へええ、ず〜っと開いていたんだ」
「うん、でも大きくなっているね」
へええっと思いましたね。こういうとき人間は、へええと思うものなんですね。
お気に入りのそいつはヒステリック・グラマーのダッフル・コート、紺。
そこに石塚H.B.S隆則が手塚治虫美術館で買ってきてくれたレオのバッジとか、ヒスで買い物すると必ず付いてくる缶バッジとかをパチパチと嵌めて、そいつはお気に入りだった。
その脇のところに大きな穴が開いているんだよ。
わざとじゃないんだ。
袖に腕を通したつもりが、腕が中空に抜けたわけ。
つまり、穴の方に腕を突っ込んでみたわけだ。
わざとじゃないんだ。
料理は得意でも裁縫は苦手。
そうか、ず〜っと前から開いていたんだ。
へええ。
灰野さんのスタッフ仕事をするときなどは、思わずひねくれてカラフルなヒステリック・グラマーの服を着る。
視覚的には黒系を纏うべきなんだけれど、どうもひねくれてしまう。
つい先日、灰野さんにこう言われた。
「なかおくんもそろそろダンディズムについて勉強した方がいいな」
ああ、ヒステリック・グラマー、ダンディズムから遠く離れて。
でもね、そう分かっていながらもヒスを着るというのもいわゆるひとつのダンディズムではないかな? なんてさ。
ところが穴が開いたのだよ。袖っちょにね。で、裁縫は苦手なんだよ。ダンディズムから遠く離れすぎ。
さよならはいつも唐突だ。
「そうだよ。ず〜っとわざとかと思っていたよ」
いま19日のLaLa公演のDAT録音を聴きなおしている。
ギターのチューニングが半音階ずれていたりする。
緊張のあまりヴォーカルの音程が1/4音階、フラットしている。
途中、ドラムセットのスネアの皮が破けるというアクシデントもあった。
今回のライブは製作中のオリジナルCD−Rの音源のために行った側面があるのだけれど、この分じゃどうも使えそうにない。
ララのひとたちへ。
業務連絡です。
「年内にスタジオLIVE録音で撮り直しです」
ただ楽曲には確実に新味が加わっている。
LaLaはこの夜に誕生したのかもしれない。
来ていただいた方、どうもありがとう。
尚、当日の客席は15名程度。
前回、わずか一ヶ月前の公演が80名だった。
80名の目の前で演奏するよりも、15名の前で演奏する方が遥かに緊張することが分かった。
ただね、なんだかナイス・ファイトしているよ。
帰宅後に体重計に乗ったら、随分、痩せていた。
今年誕生した東京シーンのあたらしい顔をひとつあげるとしたら、それはLaLaだよ、きっと。
2002年にはスーパー・スターになるよ。
きみの。
きみのね。
「それはいいから袖の穴、早く縫えよ」
わざとだよ。
きみのために開けといたんだ。
どう、いかしてる?
12月16日
↓休web中から醒めてみれば、あららサイト誕生一周年。
BBSにも「誠に若干の方から」おめでとうの書き込みをいただきましてありがとうございます(いまからでも遅くはないですよ〜)。
ここ2、3日、サイト更新を復活するようになって気付いたことは、アクセス・カウンタの伸び。
これがサイト生誕の頃の盛況さとさほど変わらないようでそれが何より嬉しいです。
ロムの方からは時折、メールをいただきます。
「見送りの日々、いつも楽しみに読ませていただいています」
これはホントに非常に嬉しい反面、見送りの日「々」?
ううん、微妙・・・・・・。
なんてな些細な間違いはこの際ね。皆さん本当にありがとうございます。
12月9日
灰野敬二&巻上公一 at 横浜ドルフィー、スタッフ仕事、その2
↓のようにエホバの証人を追い払って支度完了。
某所から遠く横浜桜木町まで行くのです。
ここで、当日の器材について。
お越しになられた皆さま、実は、当初「ハーディ・ガ−ディとその他色んな楽器持っていくから!」との連絡でしたが、ハーディ・ガ−ディ、持ってゆくのは楽なのですが、ぼくは地元の横浜の自宅に戻るので、帰りに荷物を持つひとが大変だろうと急遽取りやめになりました。
その代わりのチョイスがテレキャスターとエフェクター少なめ、それとスティック・セット。
「ドルフィー、あそこ確かドラム・セットあるはずだから、ドラムにしよう」
灰野さんはこうしたことを当日に決めてしまうのですね・・・・・・・。
「なかおくん、ドラム組み立てられる?」
無理です。
灰野さんこそ、不失者で散々叩いていらっしゃるんですから・・・・・・・。
「僕も組み立てられないんだよ、手伝ってね」
そうなんですか。
さて簡単な荷物を担いで出陣・・・・・・の前にね、ぼく、頭痛がひどかったので「セデス・ハイ」を飲んだんですよ。
そしたら隣の部屋で支度していた灰野さんが、「あ、いま薬飲んだだろう!」。
ええ、ぼくの持病について詳しい灰野さん、安定剤の類と勘違いしたようです(スタッフ仕事のときに薬を飲むのはいい顔しないんです。灰野さん、ぼくの場合、安定剤といってもいわゆる「遊び」で飲んでいる訳ではないのでどうかご理解を! なんてね)。
で、ちろっと冷や汗。
「よ、よ、よく分かりましたねえ。でもセデスですから」
「そういうのはすぐに分かるもんなんだよ。あ、セデスか。なに頭痛なの? 寒い格好しているからだよ。ほら、風邪は首元からひくから気をつけてね」
灰野さんの首元にはいつもの黒いマフラーがしっかりと巻かれている。
さて、駅に向かう。
灰野さんと行く列車の旅ですね。
「川口くんのところはここから一駅離れたところで、あそこは急行が停まるから便利なんだけれど」
某所は鈍行列車だけしか停まらないのだな。
実はぼくの家のある京浜急行沿線「弘明寺」駅もまた同じ。
こうした不便さはなれています・・・・・・のハズですが・・・・・・分かんないよ、乗り継ぎ。
灰野さんの後を金魚の糞よろしく付いて回る。
先日の「サボテンだらけの部屋」の話になる。
ぼく「いやあ、みみのことが凄かったですよ」
灰野さん「あのね、凄いっていう言葉は僕にとって逆差別用語だからね。もっと具体的に言いなさい」
ぼく「あ、アブストラクトな感じでした」
灰野さん「アブストラクト? それはまたなんだい? あのね、文学の人間を自覚するのなら言葉は正確に使わなくちゃダメ。で、アブストラクトってどういう風に?」
考え込むわたし・・・・・・。
アブストラクトについて考え出すほどに「みみのこと」から離れて行く。
灰野さん「アブストラクトっていうのは僕にとっては音楽では最高の表現ってことだからね。キャプテン・ビーフハート聴いているだろうな? あれこそアブストラクトっていうんだよ」
そう、そうですね。「キャプテン・ビーフハートこそアブストラクト」、それはもう当たり前ながらの名言ですね。
灰野さん「哀秘謡、あれもアブストラクト! あんな音楽他にないだろう?」
そう、そうですね。「哀秘謡(特に昨今のソロ)こそアブストラクト」。これもまた当たり前ながらの名言。
灰野さんと会話していると自然に音楽が分かるようになるんです(分かった「気」かもしれませんが、それでも一歩前進)。これが灰野学校とぼくが呼ぶもの。それは勿論、灰野さんの実際のステージが大前提なのですけれどね。
ここから灰野さんによる灰野企画発表!
灰野さん「きみのホームページに書いてある不失者のファーストとかの一曲一曲についての解説(註:ページ<sonimage records>)、あれみたいなのを僕のサイトにも書いてくれないかな?」
キャ→!
灰野さんは「僕に対する批評は皆、誤解している」と日頃から仰っているのを知っているので、これはぼくの批評はそうした「誤解」から自由ってことか!
犬喜び。
ぼく「ハイ、喜んでやらせていただきます!」
灰野さん「うん、それでね、きみが書いたものにね、僕がここは違うよって書くんだ」
ぼく「なんだ・・・・・・叩くんじゃないですか・・・・・・」
灰野さん「いや、僕が指摘したうえで、さらにきみがまた書くんだよ。対談形式!」
ええ、このお仕事、皆さまのお役に少しでも立つのならお引き受けますが・・・・・・ぼくが書いたもの、叩かれるんだよね、一度ね・・・・・・ということは、ぼくにとってのプラスと勘案するとどうなんでしょう?
どなたか相談にのってください・・・・・・。よく考えてみますね。
鈍行列車は揺れて、急行列車に乗り換えて、私鉄からJRへと乗り継いで、さらに渋谷から東急線で終点の桜木町駅まで。平日なので終始座っていられたのがせめてもの幸い。
それにしても揺られすぎです。
「揺られすぎ」で思い出されたのか、灰野さん。
「いやあ、前にゆらゆら帝国とやったとき、オレ、哀秘謡やればよかったよなあ。そうすればゆらゆらのファンをこっちに持ってこれたのに・・・・・・」
灰野さん、それ1997年、もう4年も前の企画ですよ・・・・・・確かにこのとき灰野さんはハーディ・ガ−ディでしたよ。
しかし、師匠、あの日の演奏は素晴らしかったし、それに物事には往生際というものが・・・・・・(以下、自粛)。
揺られ揺られて桜木町駅。
この駅からすぐそば、野毛と呼ばれる、少々ヤクザな香りのする町に横浜ドルフィーはある。
野毛界隈はしなびた居酒屋や、近くに場外馬券売り場WINSがあるせいで小さな競馬喫茶などが軒を連ねる。
中々、味のある町であることは確かなのだけれど、道々が細く入り組んでいて、肝心のドルフィーが中々見つからない。
道をくねってくねって歩いて行く。
途中、のらねこが灰野さんとぼくの傍を早足で過ぎる。
その度に「にゃあにゃあ」と挨拶する灰野さん。
ねこが無視して通り過ぎたり、隠れたりすると、「チッ!」と舌打ちする。
ぼくはよく「灰野さんってどんなひとなんですか?」と訊かれることがある。
これからは↓のように答えようと思う。
「道端でネコとすれ違ったら、必ず挨拶をするひとですよ」
灰野さんはネコ以外にも動物はみんな好き。但し人間以外・・・・・・・。
「数名の例外を除く人間以外の動物はみんな好き。それははっきり言い切れるよ」
・・・・・・。
忘れようにも忘れられない灰野語録をありがたくいただきました。
ドルフィーに無事辿り着く。いや、無事ではない。
まだ店のひとが来ていない・・・・・・。
灰野さん「先に飯にしようか? この近くにうまいお蕎麦屋さんがあるんだ。そこはね、もりそばを頼むと亀の形をした器にお蕎麦がのっているんだよ」
いまいち想像がつかない・・・・・・。
件の店に着く。
入ろうとしたその瞬間、灰野さんが「あ、コレ!」
指差すその先には「皇太子様のご息女、ご生誕に心から慶び申上げます」の張り紙。おーい!
わしらふたりとも「レフト」・・・・・・。
ぼく「この紙、破いてから入りましょうか?」
灰野さん「いいよ、美味しいお店だからさ・・・・・・」
ぼくよりは大人ですね、当たり前だって。
灰野さんと食事するときはなるべく山菜蕎麦などを頼むようにしている。
灰野さん自身は他の人がなにを食べようが気になさらないみたい(喫煙は論外ですが)。
こちらもそんなに深刻に考えている訳ではなくて「たまには肉なしにお付き合いして、身体を掃除」程度の気分です。
灰野さんは件の「もりそば」。
運ばれてきました。
わあ、これはお見事!
ホントに亀の形をした器。甲羅の部分にたっぷりともりそば。
灰野さんはこういう可愛らしい趣向が本当にお好きなご様子。
美味しいものをいただいて、毎回のステージの力にする。
灰野音楽の影の功労者はこうした「まっとうなお食事」です。
そこには人生観、生活観、音楽観がきちんと三位一体となっているのです。
わあ、長くなったなあ。一応、その3に続けるつもりですが、読んでいただけます? 法政学館のレポートと合わせるかもしれませんね。
で、ホントのところ、読みたいですか、どうですか、ねえねえ?
12月14日
こんな過去記事を発見しました。
12月6日、午前10時半
「orange」を古いフロッピーから探し当てて、やっと作業終了。
このサイトに関して、
「ソニマージュ・レコーズ」と「sonimage groupement」の両コーナーで紹介するアーティストの作品や寄稿文章以外は、
基本的にすべて著作権フリーです。
転載(そんな作業を必要とする人があれば、喜んで)自由を前提にします。
このコトは一種のマニュフェストを打ち立てたい気持ちでいっぱい。
自分で守るべき権利はしたたかに守りますからダイジョウブです。
背景のgifファイルがまだまだ重くてごめんなさい。
今日はお疲れなので、明日からまた善処します。
なかおちさと
ええ、2000年12月6日の記事です。
内容はこのサイト誕生のうえでのマニフェストのようです。
ということは、2001年12月6日にこのサイトは生誕1周年を迎えていた訳です。
普通、こうした場合には盛大にフラッシュ・ファイル(あのアニメとかチカチカする奴な。いや、実はよく知らないんだ・・・・・・)かなんか使って盛り上げる訳ですね。で、BBSにはおめでとうの書き込みがされたりして嬉しかったりする訳です。
なんだけどさ・・・・・・。
今日はね、もう12月14日なんだよ。
時間は戻ってこないのさ。
逆立ちだってやってみたさ、でも戻らないのよ時間は。血流が逆流したところで、時間は戻らないのさ。知ってたかい?
ならば、12月6日になにをしていたのか日記にすればいいのだ。以下、
12月6日
今日は嬉しいこのサイト一周年記念!
嬉しいので古いブルースを聴きながら「クレヨンしんちゃん」を読んだ。
おめでとう、ありがとう。
↑この通り、とてもくだらない一日でした。
とりあえずあたらしいページへと変更しました。
mp3ファイル。
これまでは過去のバンド「見送りの日」の音源、多分、1994年くらいの録音を使っていましたが、品切れ。
あらたに録音しました。最新の音源です。
作曲から録音終了まで20分(天才)!
器材は以下、
GIBSON メロディ・メイカー(何年製かしら? とても古い奴) Ovation エレクトリック・マンドリン Martin
00-28 AKAI サンプラー SONY ポータブルDAT
意外でしょうが、シンセサイザーの類は使っていません(持ってないからです。あれば使うよ、あればね)。
背景画像がなかったんだよ、子供の頃のアルバムがないんだ、いま。
なのでこちらも最新のものを暫定的に使用(おかんがアルバムを持っているので、後から差し替えます)。
まあ、とにかくそうした訳で、これからもよろしくお願いいたします。
「
キリストを殺して
わたしは生き抜く
」
sonimage groupement!!
管理人
なかおちさと
12月13日
10日間近く更新ができませんでした、ごめんなさい。
疲労に風邪が襲いかかったのです。
12月9日
横浜のドルフィーで灰野敬二&巻上公一DUOがある。
巻上さんとの共演、競演はあるのだけれど、DUOは初めてとのこと。
その数日前に
「いやあ、いよいよスタッフがいなくなっちゃったよ」
とのことで、ぼくに依頼をされました。ううん、余程人手に困った末にぼくなのかなと思っていたのですが、他の方から聞いたところ、
「あ、そうだ。なかおくんがいる! なかおくんに頼めばいいんだ!」
ええ、一週間くらい前に簡単に決められたらしく・・・・・・。
ま、いいか。
普段は会場でのスタッフ仕事のみですが、この日は器材運搬のところから始めなければならなかったのね。
その点で、いつもとは違うんです。
さて、手土産を持って某所へ。
手土産の内訳は、
1、デンデン太鼓
2、とある詩集
3、前回のLaLaの公演CD-R
このうちでまず、1、デンデン太鼓が大好評!
中華街で買いました。3年くらい前に入手したもの。でも、いまでも普通に売られているはずなので足を運んでください。
横浜市民なら皆知っている「チャイハネ」というお店(本店)で売っています。
すっごいいい音がするんです。
上と下に口径が違うふたつの太鼓。そこにそれぞれ長さの違う紐につけられたマメ。
振ると時間差で太鼓がなる仕組み。音程も違う。
いつまでも楽しそうにデンデンする灰野さん。
絵柄も綺麗。
灰野さんに似合っている。ぼくはステージでは使えなかったなあ(宅録用には使いました)。
「どこの太鼓だろう?」
と訊かれて思ったこと・・・・・・あそこ民族モノと見せかけて、店独自に工場(こうば)を持っていたりするからなあ、日本産? うううん、口にしたくない・・・・・・。
「あ、MADE IN PERUって書いてあるよ」
え、あ、そうなの。それは知らなかった。ペルーものかあ。チャイハネの企画モノだとばかり思い込んでいたよ。
いつまでも楽しそうにデンデンする灰野さん。
ええ、次は2、とある詩集。
実はね、灰野さんと前にお話したとき好きな小説家の名前を訊かれて、彼の名前を出したら知らないとのコト。
なので、彼が小説家に転じる前の詩集を持っていった訳ですよ(灰野さんには小説よりも詩集かなって)。
たらばね、
「アレ、これと同じじゃない?」
あったんだよなあ、同じ詩集が。
実は現代詩なもので、お読みになってないのかなって思ったんです。
「僕はね、シュールより前! ダダくらいまで。それから前が好きだね」
とのことだから。
でも持っていったものは現代詩、それも1970年代という比較的あたらしいもの。
以前、ぼくが好きな詩人としてパウル・ツェランの話をしたことがあって、それに対して灰野さんが、
「最初は何だこんな軽いの! って思ったけれど、読んでいくうちに好きになってね。結局、3巻全部揃えたよ」
なんてな話をしたことがあって、ツェランはそう、最初に目を落とした一行は軽く感じるものなあと思ったので「とある詩集」。
この「とある詩集」は、軽さ、重さよりも、言葉の硬質さ(難しいという意味ではないですよ)に目(やがて耳)を惹かれる。無駄な言葉を可能なまでに殺ぎ落として行くその姿勢は現代詩の最高峰のひとつだと思う。
出発前にカバンにその本を詰め込んだときは「灰野さんはきっと持っていないだろう」のつもりだったのですが、すでに持っている、それも綺麗にディプレイしている様を見ると、今度は正反対。「灰野さんが、この言葉遣いに惹かれないわけはないだろう」と思います。
その書名はまたいつかきちんと紹介します。それも比較的に近いうちに。
その3、LaLaのライブ音源CD-R。
一曲目のタイトルを見てちょっと驚く灰野さん。
「キリスト?」
ええ、そうなんです。歌詞中にキリストが頻繁に登場するので「キリスト」と呼ばれるようになりました。ただね、
「<キリストを殺したのはわたし>って歌っているんですよ」
アフガン空爆が続く中で、キリスト礼賛の歌を謡っていると思われたら困るのですかさず訂正。
「キリストを殺したのはわたし」
この歌詞にはいたく気に入っていただきました。
「その言葉に責任持てよな」とも言われました。
「その本」といってディスプレイされている古本を指差す灰野さん。指の先には「新約聖書外伝」。
!
わあ、本物初めて見たよ!
「その中にはねえ、キリストが魔術を使って敵を呪い殺したって話が書いてあるんだ」
おお、読みてえ・・・・・・。
なんて話をした後に扉をノックする音。
エホバの証人の勧誘でした・・・・・・。
「いま、急いでるんで」と軽くいなす灰野さん。その後にポツリと一言・・・・・・。
「おかしいなあ、アイツ、懲りているはずなんだけどなあ・・・・・・」
↑その日、わたしのみぞおちに落ちた一言。
その2に続く(体力ないの、いっぺんには書けないの。ごめんね)・・・・・・。
この日の灰野さんとの会話から生まれた詩篇、二作。
From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2001 12/07 09:06 饒舌歩幅を気にするように歩幅を気にする |
From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2001 12/07 09:31
「
キリストを殺して
わたしは生き抜く
」